水位

 死体の道をどれだけ進んだか。

 体感時間では、10分くらいか。

 死体は延々と向こうの闇までぶら下がっており、気のせいか水位まで上がってきた。


「なあ」

「……なんだ?」


 オレは気になったことをゴリ松に聞く。


「横の死体ってどんな感じだったっけ?」


 息を整えるついでに立ち止まり、ゴリ松は答える。


「確か……。頭が上向いて、あんぐり顔の、きっしょい感じだったはず」


 お化け屋敷さながらの気持ち悪さだった。

 オレは改めて、見たくもない死体に目を移す。


 死体は一様にうな垂れ、オレ達を凝視していた。


「ふう……。これ、マジかよ」


 死体は動いている。

 余すことなく、全ての死体が動いていた。

 後ろを振り返れば、闇に紛れてぶら下がっていたはずの女達が立っている。


 でも、近づこうとはしない。

 当たり前だ。

 全裸の男――おっさん達に近づく物好きはいない。


 この最低かつ信じられない露出行為が、功を奏したのだ。

 もっと分かりやすく言えば、奴らは引いていた。


 血まみれの女たちを引き付けないため、ゴリ松と住職は呪文を唱え続けたのも効果があったのだろう。


 ゴリ松は、「小便してぇ」と、ヘラヘラしながら言っていた。

 住職は、「私が大がしたいですね」と、ニコニコしながら言っていた。


 近づくわけなかった。


 露出に加えて、やりかねない事を口走っているのだ。


「足、寒くないか?」


 ひそひそと、ミツバに聞く。

 ミツバは小さく頷いた。


 二人はまだミツバが目を覚ましたことに気づいていない。


「ちょっほぉ。触んなし!」


 ゴリ松が振り向いた。


「は? なんだって?」

「触んなって」

「何が?」


 いきなり、ゴリ松の奴が意味不明な事を言い出したので、オレは困惑してしまった。


「オレが触れるわけないだろ。ていうか、どこを触られたんだ?」

「一番敏感なところだよぉ。へへ」


 ゴリ松はヘラヘラと笑いだした。

 オレはあえて言わないようにしているが、やはり皆は気がおかしくなってきているのではないだろうか。


 考えてみれば当たり前で、オレ達は延々と続く死体の道を歩いているのだ。こんな場所にずっといたら、頭がおかしくなるのは当然。


 ――どうする?


 映画などでは、主人公がまともで、理性を働かせ、生き延びている者が多い。ただ、理性を前面に押し出して、相手に「おかしいぞ」と言った瞬間から、相手が本当におかしくなっている、とオレは解釈する。


 その理由は、『自分で自分がおかしいことに気づいている』から、拍車が掛かるのだろう。


 ここで、まともぶるのは、絶対に違う。


 考えた末に、オレは言った。


「ゴリ松」

「ん?」

「こう考えるんだ。今、オレ達は理性を失った大勢のメスに囲まれている。奴らは、そりゃ、もう、エロい奴らだ。あとは、……分かるな?」

「乱交か? へへへへ」


 死体に抱き着かれでもしたら困る。

 だから、助言をしてやるのだ。


「ああ。だが、お預けタイムだ。今は静かにその時を待とうぜ」

「くっそ。やっぱ、女ってエロいよなぁ」

「ふふ。私も興奮してきましたよ」


 二人が意気揚々と歩き出す。

 オレは何気なく足元を見た。


 相変わらず赤い水が溜まっていて、水位は尻の辺り。

 気持ち悪さはあるが、悪い事ばかりではない。


 ミツバが重くて疲労していたオレだが、水位が上がったことで持ち運びやすくなったのだ。


 溜まった水により、ミツバの体が若干軽くなった気がする。


 パシャ……パシャ……パシャ……。


 真っ赤な水面が揺れて、さざ波が起こる。

 明かりがないのに、洞窟の天井が反射していた。

 水面が揺れる様を眺めていると、何かが反射に映りだした。


「ん?」


 女の顔だ。

 青白くて、ぼんやりとした女の顔。


 恐る恐る、天井を見上げる。が、上には何もない。

 もう一度、下を見た。


《……こぽ……ごぷ……っ》


 顔がゆっくりと浮かび上がってくるにつれて、口から吐き出した空気が水泡を作る。泡が破裂すると、小さな飛沫が腹に掛かり、水面の向こうにいる女が薄っすらと笑った。


「やべぇ」


 これは、オレだけが死ぬ終わり方じゃないのか。

 ホラー映画ではミツバだけが生き残って、オレが死ぬ終わりだ。

 もしくは、ミツバも巻き添えになる。


 水溜りに浸かった下半身の見えない部分に意識を移す。

 ゴリ松が言っていたように、手のような感触が、ふくらはぎや尻の辺りを這い回っている。


 いつでも引きずり込みます、と言った風だ。


 ミツバが今、どんな顔をしているか分からない。

 もしかしたら、引くかもしれない。


「こいつ、……舐めやがって……」


 オレは一歩進み、自分の下腹部で女の顔を跳ねのけた。

 顔の部位が股下に擦り合わさる感触は、何とも言えなかった。

 噛まれるのではないか、といった恐怖まである。


 けれど、もう止まれない。


「おーい! みんな!」


 オレは意を決し、二人に呼びかけた。


「どしたぁ?」

「水中にエロ女がいるぞ! いたら、股間で攻撃しようぜ!」


 絶対にデッドエンドなんか迎えない。

 こっちにはミツバがいるんだ。


 こいつを助けるためなら、オレはいくらでも股間を青白い顔に擦り付けてやろうと覚悟した。

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