ミツバとの思い出

 学生の頃は、苦しい事が多かったけど。

 それなりに楽しかった思い出がある。


 今みたいに、世の中が鬱蒼とはしていなかったし、何も考えないで生きていられた。


 今みたいに、いわゆる炎上するような事なんて、普通にやってこられたし、悪戯をやっては逃げての繰り返し。


 そう。

 楽しかったんだ。


 終わりを迎えたのは、更衣室での一件か。


「下着盗んだの?」

「……や、やってねえよ」


 女子更衣室で道着姿のままだったイジメっ子の女。

 名前は、ミツバ。

 汗臭い空手部は、他の生徒から脳筋扱いされて煙たがられていた。

 だが、ミツバはものすごい美人で、男子から人気があった。


 でも、オレは大して興味がなかった。

 美人ではあるけど、鋭い目つきというか、気迫というか。

 いつも怖い顔をしていて、何を考えているのか分からなかった。


 そんな彼女に何故かオレが呼び出しを食らい、女子更衣室の前で胸倉を掴まれたのである。


「先輩が見たって言ってんだけど」

「いや、知らないよ……」

「じゃあ、先輩が嘘言ってるの?」


 睨まれた時、オレは初めて女相手にビビった記憶がある。

 本当に不思議なもので、女にビビるって事があるなんて考えもしなかった。だからか、ビビった時の衝撃に支配され、思考が停止してしまった。


 胸倉を掴む力が強くて、ぐいぐい引っ張られると、何度かデコがミツバの顎に当たった。


 彼女は長身で、180くらいはあったと思う。


 とにかく凄みがあった。

 オレが黙っていると、ミツバは手の平を見せてきた。


「な、なに?」

「財布」

「は?」

「下着買う金。わたし、お金そんなに持ってないから」


 ふざけんなよ、と思った。

 何が悲しくて、やってない事で怒られて、お金まで出さないといけないのか。


「はっ。調子にの、乗んなよぉ」


 声が震えていた。

 震えたけど、意地になって抑え込んだことで、変な喋り方になってしまう。


 この時のオレは、まだ学生で年相応に頭が弱かったと自負している。

 なので、一発殴れば相手がビビってくれると思った。

 あるいは、大泣きして絡んだことを詫びると本気で思った。


「お、らぁ!」


 遠慮なしに顔を殴った。

 そう。殴ったのだ。


 問題はここから。

 殴った直後のイラっとした顔をオレは今でも覚えている。


「い、った」


 そもそも、フルコンタクト空手の女が一発殴られたくらいで、怯むわけがない。だって、毎日のように体中を殴られてるからだ。


 オレの拳なんて、子供が悪ふざけで殴った程度だろう。

 何より、オレは腕力がなかった。


 ぺてぃ、と頬を拳で叩いたくらいなものだ。

 ミツバは片目を大きく見開き、思い切りよく肘を引いた。


「お、ンぶっ!」


 冗談抜きで脱糞しかけた。

 腹を殴られたことは分かったが、あまりにも強すぎた拳の威力は、オレの内臓を痙攣させていた。


「あぁぁぁぁ……、あぁぁぁぁ……」


 ミツバの胸元に手を引っ掛け、崩れまいと踏ん張る。

 だが、無理だった。

 呼吸はできなかったし、開きっぱなしの口からは涎が垂れてきた。


「金出さないと、また殴るよ」

「わ、分かった。分かったから。待って。息できない」

「……情けな。これぐらいでヘバってんの?」


 黙れよメスゴリラ。

 口にしたかったけど、言葉をグッと呑み込む。


 オレは震える手で尻ポケットから財布を取り出し、足元に投げてやった。

 怒り任せに投げたわけじゃない。

 腕が上げれなかったのだ。


 ミツバは財布を手に取ると、オレの目の前で数えた。


「3万。へえ。結構持ってる」

「1万にして」

「ダメ。3万貰うから」

「なんでだよぉ」

「顔殴ったでしょ。歯折れてるかもだし」


 絶対に嘘だった。

 オレの拳では血の一滴だって出やしない。


「君、名前なんだっけ?」

「はぁ……はぁ……」


 ぐりぃっ。

 頬を抓られ、オレは体がビクついた。


「しゃえき、ひょぉ」

「え、なに?」

「っ、さ、佐伯、リョウっす」


 財布から金だけを抜き取ったミツバは、足でオレを転がした。


「それじゃ、明日からわたしの奴隷ね」

「無理っスよぉ」

「来なかったから……」

「何時集合っスか?」

「空き時間全部。放課後は待ってなよ。荷物持ってもらうから」

「……くそぉ。従うしかねえか」


 オレはすぐに順応し、従うことに決めた。

 アバラが折れているのに気づいたのは、帰り道の途中だった。

 背筋を伸ばすことができなくて、胸に妙な違和感があった。

 だからか、家に帰って親に「胸ンとこ苦しい」と言って、すぐに病院へ行ったのだ。


 階段から落ちた、という理由で入院するハメになったわけだ。

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