第23話 料理
深雪が先にキッチンの奥へ行き、輔が後から入る。
二人で入ることがほぼないため、いつもよりもキッチンは狭く感じた。というか現に狭く、輔は料理が始まる前から邪魔になる予感しかしなかった。
深雪はエプロンをして、長い髪をヘアゴムを使って後ろで一つ括りにしていた。
順番に手を洗い、冷蔵庫横にかかっているタオルで拭いて準備は終了。
「で、なに作んの」
「サラダとご飯はあるので、揚げ物にしようと思います」
調理台の前に立った深雪は、調理台の引き出しから竹串を取り出した。
手に一本持ち、反対の手で何かを刺すようなジェスチャーで説明してくる。
「串揚げなので、串にお肉とか、お野菜を刺して、バッター液にくぐらせてパン粉をまぶして、揚げるだけです」
「バッター液?」
聞き慣れない単語に輔は聞き返す。
「えっと。卵と、水と小麦粉を混ぜた液で、衣になるやつです」
「衣か」
なんとなく作り方としては想像がついていたが、バッター液という名前は初めて聞いた。ただ、作り方を聞いてしまえば確かに簡単に思える。
できたてのフライや唐揚げといった揚げ物は輔の好物だった。
話をしているだけでも空腹が刺激される。
「役割を分けてやりましょうか。輔さんは衣を作ってもらってもいいですか?」
「なんだっけ。水と卵と小麦粉? 量とか順番とかあんの」
冷蔵庫から卵を取り出しながら輔が聞くと、深雪はこくりと頷いた。
「卵はボウルで溶いて、あ。卵が大きいので一つで大丈夫ですよ」
輔は二つ目の卵を取り出そうとして、やめる。それから食器棚の上段からプラスチックボウルを取り出しキッチンボードに置いて、卵を割り入れた。
そこで隣からの視線を感じ、菜箸で卵を溶きながら深雪に声をかける。
「そっちはなにやんの?」
輔に声をかけられて、深雪ははっと冷蔵庫に手を伸ばす。だが、冷蔵庫の前に輔が立っていたためか伸ばそうとした腕を引っ込める。
「取りたいものあるなら代わりに取るけど」
「えっと。じゃあ、材料を切るので、お肉のパックと、野菜室のオクラとナスと、レンコンと、あと……人参も取ってもらっていいですか?」
言われた順に取り出し、調理台に置かれたまな板の隣に並べていく。
「人参ある?」
「底の方に新聞に包んであると思います。お店で買った袋のままだと、結露しちゃって痛んじゃうので、別にしてあるんです」
輔が疑問に感じたのを察したのか、深雪が追加で説明してくれる。
「卵混ぜたら、次は?」
「そしたらそこに小麦粉を大さじ三杯と、あと、水を一杯入れてください」
深雪が包丁を持ち、様になった手つきで人参を切りながら指示してくる。
「大さじなんて家にあった?」
「スプーンとかフォークと一緒に入ってると思います」
カトラリーを入れてある食器棚の引き出しを開けると、確かに入っていた。鍵束のように小さじやらもっと小さいさじが一緒になっている。
次いで輔はシンクの下の引き出しから薄力粉の袋を取り出すと、ついでに引き出しに一緒に入っていた玉ねぎを深雪に手渡す。
「これも揚げる?」
「あ……忘れるところでした。ありがとうございます」
輔は小麦粉のチャックを開けて匙を突っ込み、大さじ三杯分きっかりをボウルに入れた。小麦粉を引き出しにしまい直して、水道水をボウルに入れかき混ぜる。
ダマを潰すのに苦戦しながら、野菜を切っていく深雪を横目に見る。
こうして誰かの料理しているところをまじまじと見るのは初めてだったが、深雪の手つきは輔よりも明らかに滑らかだった。
過去に料理がそこまでできないと言っていた気がするのだが、やはりと言うべきか、謙遜だったらしい。そもそもこれまでも何度か深雪が作ったのであろう料理を輔は食べていたが、そのどれもが美味しかった。
深雪と同年代で、同じだけの料理ができる人はそういないだろう。
深雪は猫の手を作って食材を押さえ、まな板と垂直に包丁を入れていく。
玉ねぎを切っている深雪は、目をぱちぱちと頻りに瞬かせていた。
と、はたと手を止めた深雪が振り返ってくる。
「あ。できましたか?」
その目には少し涙が浮かんでいる。
輔はボウルの中を見て、残っているダマを箸の先で潰す。
「いや、もうちょい」
「えっと。言い忘れてたんですけど……そこまでしっかり混ぜなくても大丈夫です」
「そうなの?」
「はい。その方がしっとりせずに揚がるんですよ」
深雪はボウルの中を見てきて、「これならちょうどいいと思います」と頷いた。輔は菜箸をボウル上に転がらないように置いて、調理台の方へ向き直る。
「そしたら、切った材料を竹串に刺していってもらってもいいですか?」
「わかった」
指示する必要があるためか深雪の口数は普段よりも多い。あとは、楽しそうに串揚げの材料を切る姿を見るに、料理自体が元々好きなのかもしれなかった。
輔はほぼ使ったことのない料理用のトレーに深雪がパン粉を引き、そこにバッター液に浸した肉や野菜の串を並べていく。
「今からちょっとずつ揚げるので、輔さんは戻っても大丈夫ですよ」
「手伝いは終わり?」
「……じゃあ。ボウルとか、まな板とか。洗ってもらえるととても助かります」
「そう」
少し申し訳なさそうに告げる深雪の頼みに従い、輔は洗い物を始める。
「ありがとうございます」
菜箸の先で油の温度を確認しながら、深雪は礼を言って頬を緩める。
「大したこともしてないけど」
「そんなことないですよ。それに、楽しいです」
「……そう」
流水の音に紛れて、じゅわー……と、油に肉の串が投入される音が聞こえる。
あまり跳ねないよう油は少なめで上げているらしい。
ちょうど十本目が揚がったところで、深雪はその黄金色のカツが刺さった串をじっと見つめた。それから、最初の方に揚げたものをふーふーと冷まして、おずおずと輔の方に差し出してくる。
「……。よかったら味見も、手伝ってくれますか?」
「…………」
何か狙っているのではないかというくらいにはあざとい行動だった。深雪のことだから自覚はないのだろうが、うっかり意識しそうになる。
輔は思い切って串揚げを半分噛み切り、咀嚼する。まだかなり熱いが、食べられないこともなかった。丁度いい揚げ具合の衣はサクサクとしていて食感が楽しい。
「ど、どうでしょうか?」
「…………。自分も食べてみたら?」
輔が串揚げの残りを持った手を押し返すと、深雪は一瞬躊躇うようにこちらを見てきた。何を言いたいのかは分かっているが、こちらにも伝えたいことがあった。
「いいから」
輔は串揚げを持った手を掴み、深雪の口に誘導する。
深雪は観念したように口を開き、少し頬を染めながら串揚げを頬張った。
もぐもぐと小さな口元が動いて、
「あ……」
そこで、深雪は空いている方の手で口元を押さえた。
「気付いた?」
「はい」
深雪はしゅんとする。
串揚げ自体に、何の味付けもしていなかったことに気付いたらしい。
しばらくして、キッチンペーパーのひかれた大皿の上に串揚げが置かれていく。立体感のある盛り付け方で、そんなところまで深雪は凝っていた。
食べる前から美味しそうだった。いや、味見で大体の味は知っているのだが。
ソースやビール、コールスロー、昼の残り(焼きそうめんだった)が冷蔵庫から取り出され、串揚げの皿と一緒に食卓に並べられる。
輔が足を崩して座ると、深雪もエプロンを外し食卓を挟んで対面に正座した。
「こっちの方が揚げたてで、こっちがちょっと冷めてる方です」
深雪は串揚げを指さして、そう教えてくれる。
「ありがと」
玉ねぎらしきカツを取り皿にとってソースをかけ、食欲がそそられるまま一つ目に齧り付くと、そこからは止まらなかった。
サクッと口当たりのいい衣は油の重さを感じさせず、玉ねぎのシャキシャキ感も残している。他の野菜や肉に関しても完璧とすら言えるほどだった。
焼きそうめんも半日冷蔵庫に入っていたとは思えないほど美味い。
今後、惣菜を買うのを躊躇わせるのではと思える出来だった。
昼の残りもあり、二人分にしては多すぎるくらいの量があったと思っていたが、食べ切ってみればなんてことはなかった。一日を通して、ほとんど何も食べていなかったことも手伝ったのだろう。
といっても、腹は九分目くらいまで膨れたが。
「美味かった」
箸を置きながら輔が感想を伝えると、深雪は相好を崩して頷いた。
「はい。輔さんが手伝ってくれたおかげです」
輔がしたのは下ごしらえというにも微妙な部分で、ほとんど揚げ具合の問題だろうとは思ったが、水を差す必要性も特に感じなかった。
料理や皿などの後片付けは深雪がてきぱきと行った。
食卓まで部屋の隅に片付けられて、代わりに布団が敷かれる。料理からの一連で疲れたのか、深雪はその上にちょこんと座って、小さく息を吐いた。
居場所の狭くなった輔が深雪の方を見ていると、深雪と目が合った。
「……その。洗い物はあとでやります」
なにをどう勘違いしたのか、少し慌てた様子で言い訳をしてくる。
一言もそんなことは言っていないし、思ってもいないのだが。
「休憩するならしといたら? 洗い物くらいやっとくし」
「いえ、後でやりますから。輔さんも疲れてると思うので、休んでも……」
「俺は疲れるようなことしてないけど」
「そ、そうですか」
どうしたものか考え、その場に立ち上がった輔は、襖を開けて廊下へ出る。「あ……」と呼び止めようとしてくる深雪をちらりと見て、
「そんじゃ、洗い物はあとでやっといて。風呂入れてくる」
「あ。……ありがとうございます」
深雪は今回は立ち上がろうとはせず、素直にぺこりと頭を下げた。
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