第6湯 依頼者からの提案③

(まだ。何かあるってのか)


 もううんざりと投げやりに足を組み放り投げる仕種のハイジは諦めている。どう足掻いても、どう言葉で否定をして逃げたところで――

(追って来やがるに違いない)

 成す術など初めからない。

(ただ、子どもがいるからってだけで、……ここまでオレはされなきゃいけないってのか。疎遠に近かった叔父さんの最期の望みを叶えるために犠牲にならないといけないってのか!? たかだかと昔遭ったに過ぎない《湯けむりのエルフ》なんかを探しにいかされるってのか?? 42歳の出不精の運動不足である、このっ、オレがかっ‼)

 ふるふると怒りが沸き上がる。

 しかし。それとは別の頭があった。それは、あらゆる国に行けるということだ。一人旅を楽しんでいた独身時代のように懐かしく、嬉しいとは若干なりに思っていないというのは嘘だった。

 隣国の料理やに国でしかない希少な本。何もかもが懐かしい。

 人探しの人手間の休みで趣味を広げるいい機会である。子どもがいると中々と行きたくても行けない厳しさと後ろめたさもあった。自身だけが愉しむだけで、子どもたちを連れて行けないことに対してもだ。家を空けられずに閉じ籠り子どもの育児に手も時間も奪われ、いつしか自身の趣味の時間もなくなり、楽しみすら失い呆然自失と疲れ果ててしまい、その中で、友人からの買ったタイプライターに子どもたちへお伽噺を書き綴った。冗談半分と出版社へと持ち込めばあれよこれよと書籍出版化。新人大賞も大賞と優秀賞のダブル受賞となった。目が点と。生活も一転する転機に間違いなかった。さぁ、これからだ! の今ここで。

 親族の呼び出しで人探しの要請をされた。人選の理由もお粗末なものだ。

(オレの人生はこれからなんだっ。それを、こんな、こんなっ……っちくしょうが!)

 色んなものを振るい捨てての肩も足も、何も考えなくてもいいという全身の縛りもない旅。あるとしても人探しだけ。探している艇で、真剣なふりをして誤魔化して趣味振り全開でも、いや、それだと……それだとしても自由だ。何もないという――独身の頃を思い出す。

(ヤバいな。幸せだ)

「戻って来て話しを聞きなさい」とアンヌがハイジの手を叩いた。

「聞いてるよ」

「どうだか。まぁ、いいでしょう」

「まだ。あるのか? 話しは簡潔にお願いしたいもんだね、尻に根っこが生えて椅子にくっついちまったら叔母さん、どうしてくれんだ?」

 ルターとチェイスが目で何かを言いたそうにしているが口にはしない。何を言ったところで無駄であることは分かっているからだ。ぐっと堪えて飲み込むしかない。大人だからだ。

「ルターの他に、もう1人。旅のお供をお願いしています。彼女は私の屋敷で待ち合わせをしています。彼女は知り合いの娘さんでして、気遣いも力強さも逞しさも兼ね備えた方です。社交的であり奔放的な性格で貴方とは対照的な性格と言えるかもしれませんね。見張りとお守り役でもあるので反抗的な真似や撒くなんて行動もしてはなりませんよ。逐一と彼女から貴方の報告はしてもらいます。少しでもおかしな真似をしたら、……分かっていますね? 貴方の大切なものがどうなるか」

 脅迫を何らと躊躇うこともなくアンヌは、ハイジにはっきりと手の内を明かした。それには理由があった。確実に何をされるかという恐怖を植え付けて支配をも眩んだのである。効果はといえば――……


「卑怯じゃないのかっ!?」


 両手で顔を覆い隠すハイジの様子にアンヌもにんまりと内心でほくそくんだ。

「手綱が必要だからですよ、貴方のような男には特にね。自分本位に動かれたらルターや彼女にも迷惑がかかるし見つかるにも時間を要する。旦那には――時間がないのです。貴方とは時間も何もかもが、もう風前の灯火だということと私も必死に成らざるを得ないという状況を分かって欲しいの。この旅は子どもの遊びでも、独身時代のような楽で軽い旅なんかじゃないってことを自覚して大人として、仕事としてきちんとしてやり遂げて欲しいんです。最期の時間ということをハイジも心に留めて」

指の隙間からハイジの目がぎょろりとアンヌを見据えた。

「あと何年なんだ? 叔父さんは」

《それは教えられないな。余裕を見られたら堪ったものじゃないからな》

(くそが)

「そうかよ」

 テーブルに肘をつけて手の甲に顎を乗せて仏頂面で横を見る。何を考えているのかは誰もが分からないがどうでもいいことだと思っていた。彼が何をどう言おうとも。

 行けという命令から逃れられないのだから。

「女、オレぁ苦手なんだよな」

 ぼそりと捨て台詞を吐く。

「異性のことが大好きだからバツ4なのでしょう。全く、白々しいことを言ってまで行きたくないんですか。40過ぎの駄々っ子は可愛くもなんともありませんし、躾け直してもらいましょうか?」

「そうだ。バツ4が女性嫌いだなんて誰が信じられるもんか。ハイジも、もう少し、いい言い訳をした方がいい」

「ブランコさんと言え。くそ野郎っ」

 険しい表情でハイジも吐き捨てた。

「じゃあ。どうやってバツ4なんかになったっていうんだ。何か? ハニートラップか何かで引っ掛かって脅されたとか何かなのか? それにしたって。お前なんかを嵌めたところで、……ふふふ。無職で仏頂面で出不精なんかを引っ掛けたところで金なんかないのなんか一目瞭然だろう? 違うか?? 何か、僕は間違ったことを言っているか?」

 真正面からくだらないことを問い掛けるルターに「何も間違ったことなんか言っていないさ。そう思ってくれていていい。説明なんか面倒なだけだからな」辛辣にハイジも早口に言い返した。

「いいえ。きちんと異性が大好きな殿方だと認めて下さい。それじゃないとスッキリしないですから」

 生真面目なアンヌがハイジに説明義務だと申し送りを求めた。

《母さんは一旦、こうなると引かないぞ。正直に言った方がいい》

 困った表情でチェイスもアンヌを見据えた。今の状況も面倒だというのに、さらに私生活における教えたくもないことを言えと詰め寄られる面倒な局面にハイジの顔も項垂れた。


「酒に酔った勢いで、……なんか朝になったら横にいる女と結婚しただけだ。それで、思っていた男と違うだの、性格が合わないだの、生活も出来ないだのって言い始めた頃に妊娠していたことが分かってだな、出産したら大概が『あなたとの子どもなんか成長も顔なんかもみたくもない。お金も要らないから出て行くわ!』ってどろんといなくなるんだよ。それが4回あってのバツ4な訳だが。女も子どもも好きなら20代かそこらで結婚しているに決まってるだろう。父さんや叔父さんのようにな。違うか?」


 ぐぅの出ない言葉に席が静まりかえった。


「旅では飲酒は禁止です。何か間違いがあってからでは旅に支障が出てしまいかねないですからね。余計なお荷物なんか作ってはいけませんよ。過去に学びなさい」

「叔母さん、お気遣いありがとう。生憎と、ここ最近、禁酒しているところだ」

「酒に酔ったときにことは記憶にあるのか? 周りから聞いたことはないのか?」

 どういう状況に陥ってしまうのかとルターも興味半分に尋ねた。どうせ知らないんだろうなと高を括っていたというのにハイジからの返事は思いもしない台詞であった。

「ああ。誰かれ構わずにキスをしまくるらしいな、気色が悪いったらない」

 ひくっ、と引きつった乾いた笑いがルターの顔に張りついた。

「うん。ハイジは旅が終わるまで飲酒厳禁だな」

「禁酒中だって言ってんだろう。ブランコさんと呼べ、くそ野郎」

 冷えて重い場の空気に、

《じゃあ。そろそろ話す場をきちんとした場に移そうじゃないか。時間がおしいからね》

 チェイスが空気を遮るように幕を引く。

「そうですね。屋敷にも彼女が待ち惚けをさせていて可哀想ですものね」

 伝票を持ち立ち上がろうとするアンヌをハイジが目で追うと、

 バチ!

「まだ何か抵抗する気ですか? 貴方がどうこう拒絶をしょうと藻掻こうが決定事項は覆ることはないんですよ。それは貴方の気分や拒絶も空気同然。軽いんです」

 かち合った視線にハイジへとダメ押しの言葉を吐き捨てた。

「貴方なんかに人権なんかありませんよ」

 逃げる気はないが聞く気もなかったハイジだったが、あまりに横暴で当然だという態度のアンヌのやり方に「もう少し。ちゃんとしたお願いの仕方ってもんがあるんじゃないのか?」小声で舌打ちをする。

「あったとしてもだお前は無視するだろうし拒絶するだろう。納得なんかも今と同様でするはずもないと思っていたから強硬手段を取ったんだろう。何をしても、いい条件を出したって、お前は聞かないだろう、親戚の戯言なんか」

 ルターもにこやかにハイジに説明をする。

「よく分かっているじゃないか、くそ野郎」

「はいはい。さ、行こうじゃないか。……店から出た瞬間、ダッシュして逃げたりするなよな。僕が本気になって魔人化したら一発で捕まえられるんだからさ」

 腑に落ちない表情で鼻息をハイジは吐いた。


「人探し、をか」

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