正しき人② 菅直人、皇室関係者、小泉純一郎

・正しき人。菅直人


2011年の3月11日。東日本大震災が発生した。


当時の総理大臣であった民主党の菅直人は、自民党の奴らのように

自分だけが安全な場所にいて適当に自衛隊に指示を出してたわけではない。


彼は直ちに現場へ向かった。

福島の被災者が生活する体育館を訪問した際に、被災者の老人たちから説教を受けていた。この姿をテレビで見た人も多いだろう。


「わしらはな!! こんな狭くて寒い体育館で不自由な生活をしてるんだ!!」

「毛布はないのか!! 寒くて夜眠れないじゃないか!!」

「飯を食わせろ!! こんなまずいパンじゃなくて温かいご飯を食べさせろ!!」

「わしらが何のためにお前らに税金を払ってると思ってるんだ!!」


菅直人は、その場に膝をつき、涙を流しながら謝罪した。


「はい。はい。申し訳ありません。申し訳ありません。

 我々政府は直ちに食料や毛布などを支給いたします。約束いたします」


当時の俺は、若菜の設備内にある物流倉庫でアルバイトをしていた。

(若菜の倉庫内で若菜の仕事を受け持つ別の企業という意味)

社名を日生流通と呼び、一応東証二部に上場していた食品倉庫だが、

ブラックで有名で当時の時給は850円で一日11時間も労働していた。


俺はいつものように夜遅くまで仕事をして家に帰った。

テレビのニュース番組で、菅総理が体育館で涙を流してる姿を確かに見た。


(仮にも内閣総理大臣の地位にある人が涙を流すとは……)


当時の俺は新卒での就職に失敗したばかりの24歳の若者だった。

今以上に幼く、政治のことも経済のこともさっぱりわからなかった。

ただ母に命じられたとおりに老後のために貯金を頑張っていた時期だった。



別の日もテレビを見た。


菅直人は、自衛隊のヘリコプターの隊員に怒鳴りつけていた。


「ちゃんと毛布は入ってるんだろな!!

 食料も入っているか!! 確認はしたのか!!」


「総理大臣、もう結構です。こちらの仕事は我々隊員がしっかりと

 管理させていただいております!!」


「それでも俺は信用できんぞ!!

 お前たちがちゃんと食べ物や毛布をあの人たちに届けてあげられるまでは!!」


その姿は、戦後のマッカーサー元帥と同じだった。


マッカーサー元帥は、米国兵の食料だった缶詰を都民に配ることを部下に命じた。

缶詰を満載したジープを見て回り、兵隊たちがずる(食料を渡さない)

をしてないか心配してくれた。


彼らに共通することは、飢えて苦しんでいる人たちを救いたいと願う

正義の心を持つことだった。心のない人は、菅直人のことをマニフェストを守れかった人間だと馬鹿にする。子供を持たないゆえに社会性がないと批判する。


そうではない。


基礎年金7万円の公約は、民主党が財政をしっかりと点検した結果(事業仕分け)

嘘ではなく本当に財務に余裕がないことが判明した。

子供手当も同じだ。財務に余裕がない中で東日本大震災が

発生してしまい、残念ながら支給額を減額する他なかった。


子供がいない?  いとこ同士の結婚?


彼の姿をしっかりと見たのか?


住む場所を失われ、飢えに苦しむ人々を救うために、

カメラで撮影されていると知りながらも飛び立とうとするヘリの前まで行く。


「毛布はあるのか!! 食料は積んだのか!!」


哀れな国民を救うために右往左往するその姿、まことに正しき人の姿であった。


彼は総理大臣として成功することはなかったが、マッカーサー元帥と同様、

日本国の父としての貫禄がそこにあった。


震災発生時、民主党の報道官として不眠不休で働いた枝野幸男君。

鋭い弁舌により今も野党議員として自民党の不正を暴き続けている。


母子家庭のため大学の奨学金を返済するのに50歳までかかった前原誠司君。

教育無償化を実現するための会を発足させる。

自分が味わった苦しみから多くの国民を救いたいからだ。


彼らもまた、正しき人だった。


民主党は国家運営経験に乏しいために短期政権で終わってしまったが、

日本の未来を真剣に考えてくれる正しい人たちが多くいたと思う。


我々は株式投資家の立場として、資本家として企業の利潤を最優先する自民党を

支持せざるを得ないが、民主党員には正しい議員がいたことを忘れてはならない。



・正しき人。皇室のみなさま。


震災発生当時、当時の皇太子殿下が体育館を訪問し、ひとりひとりの

避難者に対して真剣に話を聞いて回った。

殿下に話を聞いてもらえた女性たちは口をそろえてこう言った。


「皇太子さまは、本当に真剣なご様子で私たちの話を聞いてくださるんです」

「お話の最中にしっかりと私の目を見てくださって、心が救われた気がします」

「皇室の方って、本当に普通の人とは違うんだなって思いました」


その皇太子殿下は、今の天皇陛下にあたる。


震災当時の天皇陛下とその妻、美智子陛下は、「まずは電気を消しましょう」

と言ってまず皇居内の電気を消すことから始めた。当時は計画停電が行われて

筆者の住む地域も次々に電気が通らなくなっていった。

冷蔵庫の中身が腐ってしまうのに困ったことを覚えている。


その計画停電の範囲に皇居内は当然含まれていなかっただろうが、

天皇皇后両陛下は国民のためを思い、ご自分たちの分だけでも節電をしてくれた。


当時の皇太子殿下も、天皇皇后両陛下も、

日本国憲法の制約から政治に関わることはできないのだ。

たとえ政治の指揮を執ることができなくても、彼らが企業のように

営利活動ができなくとも、何か国民を救うことできないかと思い、

精一杯のことをされている。


少し時期が変わるが、当時の天皇皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地のフィリピンを見舞い、戦争の末期、戦況を絶望視して多くの日本人が飛び降り自殺をした崖の上にて深く腰を折ってお辞儀をした姿も俺の記憶に強く残っている。

彼らの背中には、戦没者に対する嘘偽りない深い懺悔の気持ちが込められている。


最近では、秋篠宮家の次女佳子さまが、ペルーを訪問された。

耳が聞こえない子供たちのために得意の手話を披露するのだが、

わざわざペルーの母国語スペイン語のための手話を習得されていた。


ペルーの不幸な環境に生まれた子供たちを見つめる佳子さまの

優しい目に、歴代の皇室のみなさまと同じ光があるのを俺は確かに見た。


まことに正しき人たちであった。



秋篠宮家の長女眞子さまは、どうやら外国で愛の逃避行をされている

ようだが、はっきり言って語るに落ちる。その妹君だけでもまともに育っていること

国民としてうれしく思う。次の天皇陛下には佳子さまがなるべきではないか。

必要なら憲法の改正も検討するべきだろう。


俺は、自民党のお小遣いにされるために税金を払うのは大嫌いだが、

皇室のために支払う税金は惜しくないと思っている。



・正しき人。明治天皇


日露戦争中、伊藤博文を初めとした重鎮たちが、お昼休みの最中に

どうしても陛下に報告をしたいことがあり、執務室にお邪魔する。


「お食事中に失礼いたします」

「うむ。かまわぬ。緊急の報告があるのか」

「さようでございます……」


重鎮たちは、話の内容よりも陛下のお昼ごはんのお弁当に視線が釘付けになる。

陛下は、陸軍の二等兵が食べるのと同じお弁当を食べていたのである。


そのお弁当とは、銀色の容器の中にお米が二人前詰められており、

おかずと呼べるのは梅干しやたくあんだけ。とても栄養価のある食事とは

呼べない代物だが、あとで重鎮たちが知ったことによると、

なんと天皇陛下はコック長にこのように命じていたのだ。


「戦争が終わるまで私にも最前線の兵を同じ弁当を出すようにしなさい」


「へ、陛下……。なぜ陛下がそのようなことを」


「最前線では今この瞬間も明日もわからぬ身で兵が命をかけて

 戦っている。国家の象徴たる我が豪華な食事など食べていられるか」


「しかし私はコックとして雇われている身であります。

 陛下にたしいて粗末なお弁当を出すわけにはいきません」


「私は戦争が終わるその日まで兵隊と同じ食事をとる。

 決して豪華なおかずなど入れてくれるな。陸軍の兵隊が食べるのと

 そっくり同じものを作りなさい。よいな? 私は確かに命じたぞ」


「陛下……。それでもわたくしは!!」


「黙れ!! 言われたとおりにしなさい」


「はっ……」



陛下は夏場においてもあえて冬服の軍服を着ていた。

夏の盛り。滝のような汗をかきながら、わずかな時間を見つけては

戦没者名簿に目を通す。これは、陸海軍から提出された正式な名簿である。

死んだ軍人の氏名や出身地が詳細に記載されている。


陛下は、死んだ兵のことを一人でも多く記憶するようにしていたのだ。

そこには兵のことを心から思う慈悲深いお心があった。


【日本国の兵は、一人の例外もなく天皇陛下の赤子(せきし)なり】

それは形だけの文句ではなく、真実の言葉だった。



とある夏の日、内閣の重鎮たちが、陛下が汗にまみれてる様子を見かねて言う。


「まことに恐れ多くの極みでございますが陛下、

 そろそろ夏服をお召しになったらいかがでしょうか」


「馬鹿者が。兵に避暑があるか!!」


「……っ」


「今も最前線で命を懸けて戦っている兵隊に、太陽光が暑いからといって

 都合よく身を隠す場所などあると思うのか。私は天皇という立場上、

 前線に行って戦うことはできないが、心は常に前線の兵と共にある。

 私は兵と苦労を共にするために夏服を着ているのだ」


「出過ぎたことを申し上げました。大変に申し訳ありません」


「もうよい。お前はもう下がりなさい」


「はっ」


古今東西の例を広く見渡しても、一国の国王である方が、

一国の象徴とされている方が、戦争中に最前線の兵隊が食べるのと

まったく同じ弁当を食べ、真夏なのにあえて冬服を着て汗を流す

姿など、同様の例が存在しないだろう。


明治天皇も正しき人だった。


その立派なお姿、まことに日本国の真の父としてのお姿でありました。

深く深く尊敬しております。

筆者は、例え運用資産が1億を超える幸運があったとしても、

決してお金を散在して遊んだりはしないと心に誓います。



・正しき人、小泉純一郎


2002年だったと思う。当時俺は高校1年生だった。

テレビでNHKのニュースを見た時の話だ。


小泉総理は、諸外国からの非難にもかかわらず、靖国神社を参拝。

総理がハンカチを目元に当てながら泣いていたのは、

神風特別攻撃隊の顔写真がずらりと並ぶ場所を歩いている時だ。


そこにあるのは、20歳前後の若い特攻隊員たちの姿だった。

当時の小泉総理からしたら、

自分の若い息子たちと彼らの境遇が重なったのかもしれない。


(総理大臣の地位にある人がカメラの前で涙を流すのか……)


当時の俺はそう不思議に思っていた。俺は何となく、小泉総理と呼ばれる

この男の人は悪い人ではないのだろうと思っていた。

同じことを東日本大震災の菅総理の時も思ったわけだが。


それから1カ月後、今度は北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)が実の父の眠る棺の前で涙を流しているシーンが報道される。

俺は、明らかに小泉純一郎のマネをしたのだろうと思った。


当時15歳だった俺にも、北朝鮮のやってることとがおかしいのは分かった。

金正日は国内の支持者を増やすために泣いてる演技をしていたのではないか。


しかし小泉総理は違う。

彼の涙には、心から死者を哀れむ優しい気持ちがしっかりと込められていた。


当時は中国や韓国で半日活動が活発だったから、日本の総理が

靖国神社を参拝すること自体、外交界では大変な冒険とされていた。


自民党も、全員が悪党なわけではないようで、今現在も

靖国神社を参拝する会などと呼ばれる小集団が存在する。

彼らは諸外国の反対を押し切ってまで戦没者のために靖国神社を

毎年参拝するのだ。戦後生まれの若者(当時)にしては殊勝な心掛けである。


しかし、彼らもまた陰では統一教会などから献金を受けているのではないか。

正しい人と断定することはできない。


著書「決断の時」

小泉純一郎は政界引退後、原発ゼロを強く訴え、

東日本大震災の救援活動後に原因不明の病に伏した

元アメリカ兵のために「トモダチ作戦被害者支援基金」を設立した。


小泉純一郎は、被災地で被爆したと思われるそのアメリカ兵のために涙を流したと

いわれている。彼もまた、自民党にしては珍しく正しき心を持つ人であった。

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