一人を狙う三悪人

『おい、茜、武田茜たけだあかね。拙者だ、高坂陣内こうさかじんないだ』

『へっ⁉』


 不意に肩を叩かれたので、茜は素っ頓狂な声を出し、珠のかんばせを振り返らせた。親しく呼び掛けられたのに面喰らい、怪訝そうな表情で、目の前の男を見つめていた。

 しかし、程なくして相手を思い出し、すぐに凜々しく紅唇を閉じ、すっと立ち上がって頭を下げ、少し和らいだ声色で、


『お久し振りです、高坂様。お変わりありませんでしたか?』

『うむ、恙ない。奇遇だなぁ。そなたの方こそ、変わらないようで安心したぞ。相変わらず背は低いままだが』

『これでも五尺三寸(約160cm)はあります。高坂様こそ、ご健勝のようで安心致しました』


 陣内も、元はジパングの旗本で、七千石の家柄だ。同じく大身旗本で、老中首座の姪である茜とは、何度か会った事がある。

 五年前に、二十二歳の陣内が、博打で家財を食い潰し、本国を飛び出して以来、ジパングの家中では、呆れる声、心配する声など様々であった。特に茜は、こう見えて同胞を憂う性質たちである。陣内の服装をまじまじと見て、安心した表情で、


『良かった。高坂様、殿も大層ご心配でしたよ。未だにご浪人のようですが……。貴殿の示現流なら、仕官の口も引く手数多では?』

『それはそうなのだが、窮屈なのは嫌いでな。これでも不思議と食えてゆけるから、つい着流しが辞められない。そなたはどうだ? 役職や禄高はどうだ?』

『御側衆を拝命し、三千石を賜っております。姉上は出世なさって、今は殿の御側用人です。貴殿こそ、縮緬ぞっきに羽織も良い物をお召しになっているではありませんか。剣術の道場主でもなさっているのですか?』

『む、まあそれに近いものだ。なに……懐手をしているが、年の瀬がきても泊まる場所がない身の上だ。中々、困ったものだよ。ははは』


 と、陣内は誤魔化したが、その実、炯々と眼を光らせて、茜の表情や身装みなりを見て、何故彼女が此処にいるのかと、頭を働かせて推量していた。

 彼が、武田茜を即座に認識できたのには理由がある。勿論、服装や居住まいもその一つである。しかし最も確信に近付けたのは、彼女が大量の甘味を卓に並べ、蛾眉を嶮にして頬張っていたことである。

 昔からこの女武士、苛立つことや悩みがあると、甘味で気を紛らす癖がある。剣術のお陰で肥えはしないとはいえ、その悪癖には呆れるばかり。彼女の健康を案じ、姉の葵だけでなく、鬼胎を抱いた陣内も、何度か忠告したのだが、遂に今日まで治らなかった。


 それで今、何処で買ったのかは解らぬが、茜が饅頭やら羊羹やら草餅やらを卓に乗せ、無聊な表情で喫しているので、(どうやら、難儀な御役目に当たっているらしい……)と、陣内は早くも見当を付けている。

 彼が眉間に皺をと寄せ、まじまじと自分を見てくるので、茜は不審そうな顔をして、


『ど、どうしたのですか? 何か御用ですか』


 と、言い掛けた所で、陣内の後ろから、ヴェイスがと顔を出し、お知り合いですか、と軽い声音で言う。

 陣内が、茜のことを説明すると、彼は茜に向き直り、いと慇懃な礼をして、


『お初にお目に掛かります、武田茜殿。私はヴェイス・フリードと申します。陣内殿とは、呑み友達です』

『こちらこそ、お初にお目に掛かります。日ノ本(ジパングのこと)の言葉が、お上手でいらっしゃる』

『ふふふ、お褒めに預かり光栄です。ところで……随分と物々しく殺気立たせていらっしゃいますが、貴女は人殺しにでも来たのですか?』


 何の前触れもなく言われたので、茜は思わず瞠目し、咄嗟の返答が出来なかった。今知り合った青年に、突飛な事を言われては、流石に彼女も言葉に詰まる。

 一呼吸置いた後、茜は動じていない風を装って、珠のような紅顔に、如何にも呆れた笑みを浮かべ、


『何を仰いますか。拙者が、そんな物騒なことをする人間に見えますか?』

『ふむ……とすると、他に国許には言えない事情があるとお見受けします。成る程、わざわざ帝都まで春をひさぎにいらっしゃったのですね。いやはや、お顔に寄りませんな』

『え、ちょ、ちょっと! な、な、何をっ』


 茜は、満面を茹で蛸のようにして、言葉にならない慌て声。ヴェイスの肩に手を置いて、語調を乱しきっている。

 ヴェイスは、したり顔になり、憎たらしい微笑みで、聞くに堪えない悪口を述べ、敢えて茜を嘲っている。

 彼の声には艶があり、往来にやたらとよく通る。雑多な通行人が振り返り、三人のことを指差して、特に茜を見て何かひそひそ話し始めた。


 茜はもう業腹と羞恥で堪らずに、真っ赤な顔で、突然大きな声を出し、


『違います! 殿の直命で此処まで来ているのです! 人を尾け狙っているのです! 売春なんかじゃありません!』

『オオ、そういうことでしたか。教えて頂き、感謝致します』

『あ……』


 茜はという表情を見せた後、上目遣いでヴェイスを睨み付けたが、当の彼はニヤニヤと笑っているだけである。

 勿論、春をひさぐだとか人殺しだとかは、全く以てヴェイスの出鱈目である。ジパング人は名誉を何よりも重んじる。先に帝国が、かの国に攻め込んだ時、降伏する者はおろか、背を見せて逃げる者もいなかった。

 茜をよく知る陣内から、彼女の為人を聞いたヴェイスは、彼女が殊に、誉を信条にしていると確信した。そこでわざと、恥をかかせるような嘘を吹聴し、彼女の目的を聞き出したのだ。


 原因の片棒を担ぐ陣内は、そんなことをとも知らぬ。眼に紅涙を湛える茜の姿が、とても見ていられないのか、


『おいヴェイス、あまり言い過ぎるな。そなたより四つも歳下、しかも女子おなごだぞ』

『そうですね。私も子供相手に言い過ぎました。まさかここまで、意固地な田舎の小娘だとは思わず……』

『うう……拙者は遊女でも子供でもありません! 無礼者!』


 と、茜は重ねて癇に震えつつ、周りに谺するほど、鈴を振るような声を強く投げた。彼女は、涙を絞る姿を見られたくないらしく、細腕で眼を隠しながら走っていった。

 陣内は、色恋において人一倍にしつこいが、それ以外、一応常識を弁えている。尚も白面に微笑を浮かべるヴェイスを咎めるように、


『全く。あの女は一度怒ると、本当に面倒な奴なのだぞ。そなたも根拠の無い中傷は辞めた方が良い。怨みを買っても碌なことは無い』

『ふふふ。さ、陣内殿。彼女を追い掛けましょう。茜殿は、源頼経みなもとのよりつね公のご命令と云っていました。それなら路傍では話せないでしょうし、今から行って彼女に優しくすれば、きっとすぐに我々に靡きますよ』

『む、まさかそなた、それを狙っていたのか? いやはや怖ろしい男……』

『人間というものは落差があると、大したことが無い恩でも、大きな恩だと感じるものですからね。しかも、彼女は所詮十六歳、腕が立つだけの子供です』


 と、ヴェイスは相変わらず優男然として、茜の駆けていった後を追い掛けた。

 陣内は内心、彼の陰険さに辟易していたが、やはり引け目を感じたらしい。ヴェイスから少し遅れて、彼も雑踏に消えていった。


 ――屋形船が下る、渡し舟がのぼってゆく。三叉の銀波に揺らぎつつ、川廻りの船は灯火を付け、宵闇の川を彩っていた。晦冥の中、銀河に浮かぶ群星のような灯りである。

 ヴェイスに罵倒されまくり、彼の思惑通りに怒り狂った武田茜は、河岸に座り込んで膝を抱いていた。ぽつねんと顔を埋め、肩を震わせてしゃくり上げている。

 初めて会った青年に、根拠も無く罵倒され、擁護してくれる者もなかったので、呵責に耐えきれなかったのだ。男勝りで凜々しい茜でも、国許を遠く離れた帝都に在っては、か弱い一人の少女に過ぎなかった。


 心の隅にある弱い部分が露呈して、彼女は絞り出すように、


『姉上……』


 と、茜は遠く離れたジパングにいる姉を思い出し、薄暗い岸辺で呟いた。越冬のためにやって来た、真雁の啼く声が聞こえてくる。

 するとそれに混じるように、聞き慣れた声が聞こえてきた。茜が悄然として見上げると、そこには宗十郎頭巾を被った男、高坂陣内が立っていた。彼の横にはヴェイスもいる。

 茜の稚なさが残るかんばせは、目映い月の光を受けて、白琅玕を浮き彫りにしたようになっている。それを見たヴェイスは、(美しいですが、やはり子供ですね)などと内心で嘲りつつ、しおらしく頭を下げて、如何にも神妙な面持ちで、


『先程は大変失礼致しました。陣内殿に手厳しく叱られて、反省しております。誠に申し訳ありませんでした。お詫びしてもしきれませんが、どうかお許しくださいますよう』

『い、いえ……。そんなご丁寧に頭を下げられては、拙者も恐縮です。こちらこそ……急に怒ってしまい、お詫びの言葉もありません』

『よウし、これで手打ちだ。さ、茜も涙を拭って、久し振りに会ったことと新しい友人と会えたことを喜ぼうではないか。ヴェイスも反省しているのだから』


 と、予めヴェイスから言い含められていた陣内は、然も自分が彼を諫めた風に、茜に優しく言葉を掛ける。

 陣内とヴェイスは、陸へ上がった水鳥のように、茜の両脇に座り込み、あれこれと他愛の無い雑談をし始めた。ヴェイスはとにかく博識で、諸国の歴史や笑い話に通じており、艶やかな声音も相まって、茜も陣内も思わず聞き入った。

 次第に茜は、彼を警戒するのは変わらぬが、表情を穏やかにしていった。陣内は、頭巾の内から眼を光らせて、彼女のご機嫌を見計らっている。


 そして、良い頃合いになった時、


『そう言えば茜。そなた、誰かを殺そうとしていると言っていたが、もし差し支えなければ教えてくれぬか?』

『殿のご命令ですゆえ、家中の者以外には……。フリード殿は帝国人ですし、高坂様も今はご浪人です』

『水臭いことを申すな。今ではこの有様だが、拙者も元は大番頭だ。そなたとも知らぬ間柄では無い。つまり、全く他人では無い。打ち明けてくれれば、力にもなろうし、縁の無い話なら他言無用、それで終わりだ』

『そうですよ茜殿。私はともかく、陣内殿は大丈夫でしょう。それに、如何に頼経公のご命令を帯びているとはいえ、お一人では不安でしょう? もしかしたら、知恵を貸せるかもしれません』


 歳上の男二人から、優しくこう言われては、不安がっていた茜は一溜まりもない。まんまとヴェイスの思惑通り、此処まで来た理由を話し始めた。


『実は……我が国にとって、生かしておいては危険な男を仕留めに来たのです。名前を……ルカ・ウェールズと云います』

『何だと⁉』「ルカですって⁉」


 陣内とヴェイスは、思わず愕然として叫んでしまった。耳元で喚かれたので、茜はと声を出し、何があったのかと眼を白黒させている。

 突発的な騒音に、頭痛を引き起こしてしまった武田茜は、顳顬こめかみ辺りを押さえて、二人を交互に見つめていた。

 陣内は、詳しく聞かせろ、と食い入るように彼女を見た。茜は、意味が解らないという顔をしながらも、また滔々と話し出した。


 ――茜が話し終わると、陣内は腕組みをして呻いてしまった。彼女の口から、港町での出来事や、国許の事情を聞くほどに、不思議な因縁を感じていた。

 帝国転覆の陰謀を巡り、その中心たる頼経や、彼のことを探るため、水面下で動くルカや密偵のハンスなど、自分と妙な因縁を持っている者ばかりであった。

 それのみか、旧知の間柄である武田茜も、頼経の密命を受けたというので、陣内は驚きもし、忽ち乗り気になった。


 これは全く、巡り合わせのようなものである。高坂陣内、武田茜、ヴェイス・フリード――ルカの命を尾け狙う、三人の悪玉が、図らずしてここに合流した。

 ヴェイスは脇から聞きながら、心の裡で、


(ここは一つ、茜殿に出世の蔓を掴ませておいて、ルカを殺させるのが良い。そうすれば、私はミーナ様を自由にし、陣内殿はカーラを好き勝手にする。事成就の後は、茜殿が国許に報告すれば、我々三人には莫大な恩賞と加増がある筈……。陣内殿と茜殿に危険なことをやらせておけば良いなんて、私は果報者ですね)


 と、微笑みの中に怖ろしい深謀を宿しつつ、機械的に頷いていた。


 よし、と陣内は膝を打って立ち上がり、


『及ばずながらも、拙者がそなたに力を貸してやろう! 拙者に足りない知恵も、ヴェイスが貸してくれよう』

『良いのですか? フリード殿もよろしいのですか』

『ふふふ。私は力では全然劣る懶惰な男です。しかし、お仲間に加えて頂けるなら、犬馬の労を惜しみません。……此処では寒いですから、我々の風呂宿に行きましょう』


 と、彼が立ち上がると、丁度そこの河川敷に、バラバラと子供が駆け寄って来た。見ると、大道芸の姉弟――ミラとオットーであった。

 今日も寒風に晒されて、冷たい地面に転がりながら、日銭を稼いだ二人の子は、家へ帰る途中だが、ふと気が向いたのか、そこらの石を拾い上げ、


「二ァつ切った!」「あたしは三つ!」


 と、水切り遊びに興がりだした。

 すると、手元の狂ったオットーが、あらぬ方へ石を投げてしまい、陣内達の目の前に、それを落としてしまった。石そのものは小さかったが、川に落ち込んで、三人の足に水が掛かってしまった。


『何だ、子供か。びっくりした。こんな夜に珍しいな』

『何処の国でも、子供は無邪気なものですね』


 陣内と茜は、穏やかな語調でそう言った。

 しかしヴェイスは、無言のまま立ち上がり、ツカツカと姉弟に歩み寄った。氷のような形相に縮み上がり、ミラもオットーも、震え上がって動けない。


 茜と陣内が、何をするのかと見ていると、彼は不意に、返しの付いた長針を取り出して、オットーの右手をと掴む。そして地面に押しつけるや否、その小さな手を刺し貫いた。

 苦悶の声を上げるオットーに構わず、彼はオットーの後頭部を踏みつけて、


「ふん。それで暫く反省することですね。お姉さんにでも助けてもらってください」

「痛い、痛いっ。お兄さん、ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「おや、もっとやって欲しい? ふふふ、よろしい」


 と、もう片方の手にも針を刺し、陣内達の方に戻って来た。その端正な白面には、心底楽しそうな微笑みが浮かんでいた。

 行きましょう、と彼は、絶句してしまった陣内と茜と連れだって、夜の闇に消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る