口兄い

富升針清

プロローグ

第1話

 母の葬式のあと、一人で母の日記を読んだ。

 付けた日付はまばらで、大雑把ないつもの母らしさがそこにはあった。

 でもそこに描かれた文章は、そんな母のボクが知ることがなかった繊細で弱弱しいか細い声たちだった。

 もう持ち主はいない部屋で誰にも聞かれることがないはずなのに、ただただ声を押し殺してボクは泣いた。繊細で弱弱しい母の気持ちが壊れぬように、細心の注意を払いたかった。

 大切に、大切に。自分の大きくて武骨な手で母を壊さぬようにページをめくる。

 表紙をめくってからどれぐらい経ったただろうか。日記から顔をあげれば既に薄いカーテンから入る白い光が赤い光に変っている。

 それでもボクは呆然としていた。

 母の日記に書かれた言葉に呆然としていた。

 子供のころに我武者羅に信じていた悪の組織が、本当はヒーローだったような、そんななんとも言えない後悔のような、それでいて切望のような、不思議な感覚が込み上げてくる。

 ボクは知らなかった。

 ボクが愛されていたことに。

 ただただ辛くもの悲しい子供時代を過ごしていたと漠然と思っていたのに、そこに確かにあった二つの愛を今、大人になって初めて知ったのだ。

 子供のボクはなにも知ろうともしなかった。

 でも、それは子供なのだから仕方がない。

 ボクはまだ呆然と窓を見つめていた。

 ああ、会いたい。

 また会って、話がしてみたい。一度でいいから、してみたい。

 涙が出ない、悲しみでもない、ただただ寂しさだけが目に見えずに溢れていく。

 まるで子供のおまじないの様に、ボクはただ窓の向こうに手を合わせた。

 

 また貴方に、会えますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る