鳴門泊記

kgin

第1話 鳴門泊記

 「鳴門郵便局前」という、四国の玄関口にしてはあまりに寂れたバス停に降り立つと、晩秋の風が頬を打った。軽めのダウンベストの襟を正す。辺りに人通りはなく、道を聞こうにもバス停前の薬局も閉まっていた。時刻は昼前、昼食までは少し早い。幸い昨日の関東とは違って和やかな日が降り注いでいる、目的地まで少し歩くのも悪くないだろう。使い古したボストンを肩に背負い直して、私はスマホを頼りに歩き出した。


 「ヴォルティスロード」と銘打たれた歩道が延々と続いている。ヴォルティスは鳴門の競技場をホームとするJ2のサッカーチームの名らしい。この道とスマホの道案内が指し示す経路が途中までぴったり重なっている。とぼとぼとひとり歩いて行くと、日本全国どこでも変わらぬ街並みの中に少しレトロな風景が見てとれる。スナック、飯屋、喫茶店。平成生まれの私は知らないはずの、昭和の香りがほのかに漂っている。興味深く景色を見つつ、ところどころで写真に収めながら歩くこと15分。行列のできる店が見えた。あれが目的地の中華そば「いのたに」だ。


 運良く2組の客の後に入店することができた。入った瞬間、濃厚なスープの香りが空腹の体に突き刺さる。地元民らしい前の客の様子を見よう見まねで注文してみる。どうやら食券ではなく、直接店員に注文するスタイルらしい。


「肉入りの大に、めしが中で」


 カウンター状の席に着くと、店員さんがプラスチックの札を2枚、席の前に置いた。この札がそれぞれの客の注文内容を示しているようだ。見たところ、男性一人客だけでなく、家族連れも多い。大抵の客がめしを頼んでいる。私の注文は間違っていなかったようだ。数分もすると、ほかほかのめしと、もうもうと湯気をたてる肉大が運ばれてきた。


「いただきます」


 茶系と呼ばれるスープを一口。濃厚なとんこつ醤油の滑らかな舌触りに、思わずめしに手が伸びた。これは納得だ。煮豚と一緒に麺を啜ると、また一口、米がほしくなる。これが徳島ラーメンか。羽田を出る前に朝食を食べそびれたことを思い出し、食欲に加速がかかる。私はさしずめ、麺ズルズルと米マクマクを交互に繰り返す永久機関であった。最後に、冷たい水を一気に煽る。舌なめずりした唇が油っぽいのが、満足感を後押しした。


「ごちそうさまでした」


 友人に教わった阿波弁では、満腹のことを「腹おきた」というらしい。まさに腹がおきている状態だ。店外に出ると、ラーメンで汗ばんだ体に11月の風が気持ちいい。先程検索したところ、この時刻のバスは次の目的地の最寄りには止まらない。さすがに歩くにはかなり骨が折れる距離だ。普段はこんなことはしないが、旅先だからいいだろう。検索サイトの一番上に出てきたタクシー会社に連絡してみることにした。


 訛りから人の良さを感じられるような女性の声が、配車の案内をしてくれた。驚いたことに、配車料はいらないらしい。それだけタクシーを日常的に利用する人が多いのだろう。田舎では車社会だと言うが、きっとここもそうなのだ。道理で車ばかり通って道行く人が少ないわけだ。5分もすると「第一」と書かれた黒いタクシーがやってきた。


「あらたえの湯まで」


 これまでに何度も夢見た、施設の名前を噛みしめるように口にした。途端に、「ああ、鳴門に来たんだ」という実感がふつふつと湧いてきた。少しじーんとしている私を訝しむようにみた運転手は、それでも何も言わずに車を発進させた。先程歩いて通った道を、車で逆走していく。鳴門郵便局前を過ぎると、まもなくして鳴門駅という青い看板が見えた。通り過ぎざまにちらりと見ると、こぢんまりとした駅舎の前に数人の学生らしき姿。ふと、私の自作小説に出てくる制服に似たブレザーを着た女子学生が自転車に乗るのが見えたが、それもすぐに過ぎ去っていった。


 5分ほど走っただろうか。「UZU PARK」の文字と共に鳴門競艇の広い敷地が見えてきた。今回の旅の一番の目的地である。またしても車社会を彷彿とさせる駐車場の広さ、そして奥に神殿のように鎮座するボートレース鳴門。明日はここで、うどんを食べながらレースを見るんだ。そう誓って通り過ぎる。


 思いの外、愛想の良かった運転手に連れられて競艇場のすぐ隣。あらたえの湯と書かれた白い建物に着いた。ここは、今日のうちに是非来ておきたかった場所だ。正面の自動ドアを入って靴箱に靴を預ける。様々な地の物が置かれたロビーの奥、カウンターで受付を済ませるとICリストバンドがもらえる。これで様々な入浴サービスの精算ができるらしい。案外進んでいる。階段を上った2階が入浴場だ。湯上がりの民が何人か涼を取っている。男湯の印がついた脱衣所に入ると、この時間帯だからかロッカーは選び放題だ。好きな数字のロッカーに衣類を詰め込んで、着ていたものもその後から放り込む。ワクワクしながら浴場に足を踏み入れる。手早く体と頭を洗って、サウナに心惹かれながらも急いで湯船へ。ここは、一般的な浴槽はもちろんのこと、ジャグジーや電気風呂、炭酸風呂など湯の種類も豊富だ。目移りしながらも、私が最初に入りたい湯は決まっている。滑らぬよう気をつけながら(ここで足を滑らしても誰も笑ってはくれないのだ)戸を開けた先、露天風呂だ。目の前に広がる豊かな自然と、そしてボートレース鳴門のレース場!ご存じの通り、ここ、あらたえの湯は天然露天風呂からレースが見られることで知られているのだ。見とれていると、途端に寒さが肌を刺す。急いで、湯船に身を沈めた。


「あ゛ぁぁ」


 さすがに三十路、おっさんらしい声も出る。少し熱めで滑らかな泉質が心地良い。長旅の疲れが一気に噴出して、お湯に溶けていくようだ。せっかくの景色ではあるが、しばらく目をつむって体全体で天然温泉を楽しむ。静かだ。レース場の喧噪も遠く聞こえるほどに静かだ。頭の中で明日のレースのことが浮かんでは消え、浮かんでは消え。いけない、このままだと眠ってしまいそうだ。名残惜しいが温泉から上がり、他の湯も一通り堪能した。サウナにも入った。ついつい長湯をして、風呂を上がる頃にはすっかり逆上せてしまっていた。


「ふう」


 脱衣所で、定番のフルーツ牛乳を飲み干して一息ついた。扇風機の前を独占しても誰にも気を遣わなくていいのが、解放感を後押しする。ここ最近、ずっと仕事が忙しかったが、うまくリフレッシュできた気がした。ビールの一杯でも飲みたいところだったが、すぐに眠くなりそうだったので我慢する。ずっと着ていたダウンベストをボストンにねじ込んで、あらたえの湯を後にした。時は黄昏時、辺りは薄い夕闇に包まれている。火照った体を夜風にさらす。夕涼みがてら、ホテルまで歩いて行こう。興奮冷めやらないが、夜更かしはほどほどにしよう。明日は、決戦のときなのだから。




<おわり>

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