スパイ

沢藤南湘

スパイ

一年遅く開催された東京オリンピック・パラリンピックが閉幕してから数年が過ぎた。

オリンピック、パラリンピックで活躍したAIロボットは、さらに進化を遂げていた。

一方、少子高齢化、先進国の中でも、依然年収の低いわが国では、独身者が増え、結婚しても共働きにより生活費を稼がなければならない状況は、総理大臣が代わって、新しい政策をぶち上げても、大企業は、ひたすら内部留保に専念するのであった、

それでも、技術立国の名残で、ITやAIの技術はあらゆる分野で進んでいた。

ロボット特に多くの機能を備えた掃除用ロボットが、昨年はマイカーの台数を超えるほど普及し、事故が散見し始めていた。

しかし、そのような事件は、マスコミによって報道されることはまれであった。

新型コロナウイルス禍により、オリンピックがもたらすバブルの期待は、打ち砕かれ、企業は存続のために経費節減と正社員や派遣社員の削減に躍起になっていた。

昨年、定年延長も終わった深山平一郎は、二十年来の趣味の文筆活動で多少は金銭を得て、夫婦で旅行や温泉めぐりを堪能するつもりでいた。

しかし、世間は厳しく、あらゆる小説コンテストサイトに投稿するもたびたびの落選の憂き目を見ることによって、小説では小遣いを稼ぐことができないと悟った。

法改正により、年金の受給額も計画していた金額の八割になり、深山はやむを得ず働くことを決意した。

 令和十年三月

自動車会社で自動制御関係の研究を行っていた経験を生かすべく、ハローワークに履歴書を持参し面談を受けたが、技術を生かすような職が見つからずまた、人材斡旋会社に登録しても同様であった。

「深山さん、ここはどうですか」ハローワークの担当者が、紹介先をクリアーファイルから出して、深山の前に置いた。

 会社名「クリーニングハウス」と書かれた書類を目で追った深山は、愕然とした。

「失礼ですが、深山さんのような立派な経歴の持ち主でも、あなたのお年では、このような仕事か警備員ぐらいしか残念ながらありません。ITやAI関係の会社は、若い人しか募集しないのです。深山さん、それでもこのような仕事でもすぐに応募者が現れ、無くなってしまいます。もっと高齢者をうまく使うことを考える企業が、多くなって欲しいのですが、残念ながら我々の力ではどうしょうもありません」と担当者が早く決めろとせかすのだった。

深山は、妻のさゆりと相談して、クリーニングハウスを受けてみることにして、翌日、月島にあるクリーニングハウス本社で面接を受けた。

「深山さんは、ご立派な経歴をお持ちなんですね」

若作りの女社長が、渇ききった声でいいそして、掃除会社とは思えない深山の得意の分野であるコンピュータ制御やロボットについてのかなりの専門的ないくつかの質問をしてきた。

採用の要否は一週間後に連絡するといって、腰を上げた。

一週間後。

採用の件で呼び出された深山は、クリーニングハウスの本社五階の応接室の扉を開けるなり、社長の田所恵が笑顔を浮かべながら、ソファに腰を下ろすよう促された。

田所も同時に腰をおろすや否や口を開いた。

「弊社は、他の清掃会社と違って、社員に掃除はさせません。掃除用ロボットにさせます。その制御を社員の方にしてもらいます。その方面に明るそうな深山さんを採用させていただきたいのですが、いかがでしょうか」

以前勤めていた会社の事務所の床を朝掃除機で掃除していた年寄りの女性の姿を自分に当てはめていた深山は、唖然としながら応えた。

「はい。勤めさせていただきます」

「就業にあたって、人事担当からの説明を受けてもらいますので、少々お待ちください」と言って、田所は、部屋を出て行った。


勤務先は、新衆議院第一議員会館で、八階の議員の事務室があり、その事務室の掃除を担当することになっていた。

 

深山の初出勤は、八時に六階の集中オペレーションルームだった。

マネージャーの矢部隆がやって来て、挨拶を終えると深山を二階から九階までの担当者を紹介した。

八階の担当者の前に来ると

「深山さんには、予定通り八階を担当していただきますが、ここで一週間ほど前任者の内野さんから引き継ぎをして下さい。内野さん、よろしくお願いいたします」

 内野が席を立ち、深山に頭を下げた。

「深山です。よろしくお願いいたします」

深山は、九階の担当者への挨拶を終えると、内野の所に戻った。

内野は、深山に席を開けて、持ってきた補助椅子に腰をおろした。

オペレーションルーム、業務概要、そして、引き出しの中に収められていた操作マニュアルについての説明および操作方法について、指導を受けた。

前任者との引継ぎを終え、深山は八階すべての事務室の掃除を一人で請け負った。

経験豊富な深山が、床を掃除するための二足歩行を含む三種類のロボット十二台を自由自在に制御するのにさほど時間はかからず、今では、掃除時間は前任者の八十パーセントほどで終えていた。


「深山さん、さすがですね」

 九階担当の山田涼介が、声をかけてきた。

「以前、AIの研究をしていたので」

「そうでしたね。深山さん、都合が良ければ今日、一杯飲みに行きませんか」

「いいですね」

 酒好きな深山は、笑顔で答えた。

 溜池山王駅近くにある居酒屋に山田と深山は入った。

 ビールの大ジョッキを四杯飲んで、 酔いが回ったせいか、山田は饒舌になった。

「深山さん、うちの会社が議員会館の仕事を取った経緯は、ご存知ですか」

「いいえ、知りません」

「大きい声では言えないのですが、衆議院事務局の管理部の誰かは分かりませんが、ある程度の地位の人に袖の下を渡しているんですよ。その見返りとして、事務室清掃の予算を教えてもらっているようです。このことは、矢部マネージャーが秘密裏に動いているはずです」

「どうして、山田さんはそんなことを知っているんですか」

「AIですよ」

(AIをこのようなことにも利用できるとは)

 深山は、愕然としたが、気を取り直して、さらには山田からいろいろ会社の情報を聞き出そうと深山は、思った。

「山田さんは、いろいろご存じなんですね。大したもんだ」

「今の話は、まだまだ序の口ですよ」

「当社もいろいろあるんですね」

 深山が、ジョッキを口元に運んだ。

「深山さん、酔っ払ったからそろそろ帰りましょうよ」

 山田の目が半分閉じていた。

「そうですね」

 深山は、まとめて二人分の勘定を払って、店を出た。

 溜池山王から東西線に乗って帰るという山田と別れた。

「久しぶりに宮川に行くか」

 深山は新橋に向かって歩いた。

 宮川と書かれた看板を見ながら、地下への階段を下りて扉を開けた。

「あら深山さん、お久しぶりですね」

 宮川のママは、深山をカウンター席に案内した。

 カウンターの端には、会社仲間らしきふたりが、酒を飲んでいた。

「深山さん、いつもの焼酎のお湯割りでいいですか」

 深山は、煙草に火をつけようとすると、

「深山さん、ごめんなさい。先月からお店は禁煙にしたんです」

「それは失礼」

 深山は、グラスを口に持っていった。

 一口飲んで、カウンターにグラスを置いた。

「ママも元気そうだね」

「深山さん、私は今年で五十になるのよ」

「もうそんなに。若く見えるよ」

「相変らずお世辞が、お上手ね」

「ママ、映画の慕情を入れてくれませんか」

 カウンタの客一人が、マイクを持った。

「はい」

 音楽にのって、流暢な英語で歌った。

「うまいですね」

「ええ、あの方たち、最近よく来てくれるの。経産省のお役人で、手前が課長補佐の平畑さんで、向こう側が、係長の末永さん」

「そう」

 深山は、歌い終わった彼に向かって拍手をした。

 しばらく、静かになり経産省のふたりの話声が、切れ切れと深山の耳に入った。

 政治家たちの話が、深山の耳に入ってきた。

(なんだって)

 深山は、声を上げそうになった。


家庭用も業務用もAIロボットの事故が多発し、国会では、ロボット使用の規制法案が野党の人間復活党から出されたが、与党の民自党の反対により否決された。

この規制法案は、AIロボットメーカーやAIロボットを利用している業界団体は時期尚早として、民自党に廃案にするよう陳情していた。

経産省は、AIロボット開発研究にこの数年力を入れてきて、その成果が表れ始めてきた矢先、人間復活党から規制法案が提出された。

経産大臣の小早川実は、七十六歳当選十回の民自党の重鎮で、この法案が提出されるや否や人間復活党の党首水原希子の事務室に怒鳴り込んで行ったとの噂がまことしやかに永田町に広まっていた。



 深山が、引継ぎを終えてから三か月が過ぎ、夏に入っていた。

 いつものように、深山は、八時にオペレーションルームに入り、席に着いた。

 清掃開始は、事務室に秘書等関係者が入室する九時からが通常であったが、関係者不在の場合は清掃は不要であった。

 今日は、八階のすべての部屋が清掃が行える状況にあった。

 深山は、清掃開始の操作を画面に向かって行った。

 画面にロボットが各部屋に入って、清掃を始めた様子が映し出された。

 物が揺れた、床が、動いた。

(めまいか)

 深山は、年のせいかと思った。

 揺れが続き、神棚から榊が落ちた。

「地震だ」山田が怒鳴った。

 皆、机の下に身体を隠した。

 揺れがおさまった。

 深山にとって、長い時間のように感じられた。

「全階のロボットを稼働停止せよ」

 マネージャーの矢部隆が、叫んだ。

 ヘルメットを被って、皆は、マニュアル通りの操作を終え、廊下に出て非常階段に向かった。

 建物の被害は見当たらなかったが、他の階から悲鳴や呻き声が聞こえてきた。

「なんだ、いったい何が起こったんだ」先輩社員が叫んだ。

「みんな、担当の階を見に行ってくれ」と矢部がいった。

深山は、八階に向かって、階段を駈け上ってその光景に愕然とした。

ロボットが、議員たちを攻撃していた。

 議員たちが悲鳴をあげながら、逃げ惑っている。

「なんてこった。はやくロボットを制止させなければ」

深山は、オペレーションルームに戻った。

すでに戻っていた社員は、コンピュータに向っていた。

「深山さん、早く扉を閉めて、鍵をかけてください」

 先輩の社員が、深山を見ながら叫んだ。

「深山さん、ロボットの制御が効かない階がある。深山さんの階も確認してください」

 矢部の声が震えていた。

深山は、八階の画面を映し出して状況の確認を終えると、画面を切り替え、各階の様子を確認した。

人間復活党の議員室がある六、七、八階で、ロボットが暴走し、議員たちを追い回していた。

非常ベルが鳴り続けている。

深山は、キーを間断なくたたき続け、やっと八階のロボットの動きを止めた。

すぐに、六階、七階の担当者のところに行き、制御方法を教えた。

ケガ人は一人もなく、事件とはならずに済んだが、衆議院事務局より再発防止策を検討するよう指示があった。

社長の田所恵を委員長とする委員会が発足し、深山もメンバーの末席としてに選ばれた。

深山は、この会社が採用しているAIロボットの性能を夜遅くまで残って解析に勤しみわずか数日で把握した。

「掃除以外に録音、録画機能を備えているだけでなく、その機能は、政治家に関する動向即ち書類関連の撮影および政治家たちの会話、電話についての録音するよう設定されている。掃除が問題なく行われたかをチェックするだけには、装備の能力が過剰だ」

 深山は、不審に思いながらもしばらく様子を見ることにした。


 朝食を終えて、新聞を読んでいると週刊誌の宣伝に「小早川大臣と新興商社との癒着」の見出しが深山の目にとまった。

「週刊毎朝八月号か」

 深山は、駅の売店で購入して電車の中でページをめくった。

 内容は、見出しに値する具体的なことは書かれていなかったが、新興商社が山中商事でその関係会社に深山が勤めるクリーニングハウスと以前勤めていた会社でIT関連の業者を調査したことのあるドリームアドバンスが載っていた。

「なにかきな臭いにおいがするな。ちょっと調べてみるか」

 第一回目の再発防止対策会議が、クリーニングハウス本社の大会議室で行われた。

 オブザーバーとして、ドリームアドバンスの担当者の二名が参加していた。

 その担当者の一人と深山の目が合って、お互いに驚くと同時に、担当者が、深山の所にやって来て挨拶をした。

「深山さん、ご無沙汰しています。こんなところでお会いするとは驚きですね」

「まさか、ここで板谷さんにお会いするとは、世の中狭いもんですね」

 板谷は、もうひとりの担当者を紹介して、席に戻って行った。

 開催時間の一時になった。

 委員長の田所恵が、開会の挨拶を簡単に終わらせると、続いて、マネージャーの矢部隆が、今回の事故についてまとめた資料をスクリーンに映し出して、三十分ほど説明した。

 説明を終えた矢部が、深山に向かって補足することはないかと聞いた。

 深山は、不審に思っていた件について話した。

「補足ではないのですが、これらのAIロボットに録音や録画機能を付けているのでしょうか。これらの機能が今回の事故に直接起因するものではないと思いますが、余計な機能は外したほうが良いと思います」

 しばらくの間、沈黙が続いた。

「委員長、いいですか」

 ドリームアドバンスの板谷が、沈黙を破った。

「板谷さん、どうぞ」

「録音と録画機能は、クリーニングハウス様のスペックに入っていましたので、付加していますが、深山さんのいわれる通り今回のロボットの暴走との関係はないと思います」

「深山さん、録音と録画は、我々の業務が客先との契約通りに行われていることの証として必要ですので外すわけにはいきません。それよりもっと具体的な再発防止策について議論を進めてください」

 田所が、やや怒り顔で言った。

「やはり何かあるな。これ以上突っ込むのは止めておこう」

 深山の疑念はますます深まるばかりであった。

 結局、次回来月の会議までに、ドリームアドバンスが、AIのプログラミングの不具合の分析を行い、クリーニングハウスは、操作上の問題点を抽出することが決まっただけだった。

 深山は、毎日の業務を問題なく遂行しながら、AIロボットの能力について、解析を行っていた。

 深山の行動は、マネージャーの矢部に知られ、矢部は、社長の田所に逐次報告された。

「矢部マネージャー、このままだといつか深山に我々の活動がばれてしまいます。なんとかしないと」

「社長、分かりました。早急になんとかします」

 

「一体どこへ行ったのかしら」 

 さゆりは、夫の深山平一郎が、この二日間帰宅しないことを心配していた。

 勤務先のクリーニングハウスへ電話したが、二日前から出社していないとの返事で、さゆりは、親戚や年賀状の相手先に連絡を取ったが、依然、行先は分からなかった。

 帰宅しなくなってから、七日後、さゆりは、警察署へ平一郎の捜索願いを提出した。

「大人の失踪は、子供の行方不明とは違い、警察は当然ながら真剣度が低いようだわ」

 さゆりは、中学時代からの親友、原田律子に電話をかけた。

「律子、元気」

「ええ、元気よ。珍しいわね、さゆりが電話してくるなんて。何かあったの」

「実は、夫が一週間家に帰ってこないの。さっき警察に捜索願いを出したんだけど、いい大人いや年寄りの失踪なんてあまり熱が入らないようで、他に何か方法はないかと」

「平一郎さん、自動車会社を退職されてから、再就職されたんでしょ」

「ええ。アルバイトに毛が生えたような条件で、クリーニングハウスという事務所の清掃業務を請け負う会社に再就職したの。それから、もう六か月になるかしら」

「さゆり、心配ね。力になれるかどうか分からないけど、考えてみるわ」

 律子はいい方法が見つかったら連絡すると言って、電話を切った。


 それから数日後の令和十月三十日の朝。

 海に浮かんだスーツが、波にゆれていた。

「あれは、なんだ。人だ」

 晴海埠頭で釣りしていた男が、警察に電話をした。

「海に死体のようなものが浮いています」

「そこは、どこですか」

「晴海ふ頭です」

「分かりました。現場を離れないようにしてください」

 警察は、男の名を確認して電話を切った。

 しばらくして、月島警察署の警官がパトカーでやってきて、第一発見者の男に接した。

「おまわりさん、あそこです」

 警官は、パトカーに戻って警視庁へ電話を入れた。

 三十分ほどで、警視庁の刑事たちがやってきた。

 水死体が、潜水夫によって引き上げられた。

「桑原さん、男の名刺入れがありました。クリーニングハウスの山田涼介と書かれた名刺が数枚かありましたので、男の名は、山田涼介ではないかと思われます」

 山上登が、名刺入れを桑原静雄に見せた。

「桑原さん、仏さんは、溺死のようです」

 鑑識の清原が、言った。

「そうか」

 桑原は、署に戻ると係長の宮原武に状況を説明した。

「自殺と他殺の両面で調べてくれ」

 桑原は、他殺の線が濃いと考えていた。

  

 深山さゆりの携帯が鳴った。

「はい、深山です」

「さゆり!テレビ見た?」

「なんのこと」

「確か、あなたのご主人もクリーニングハウスに勤めていたといってたわね」

「ええ、そうよ。それが何か?」

「さっきのニュースでクリーニングハウスの山田涼介という人が、晴海埠頭で水死体で発見されたそうよ」

「なんですって」

「自殺のようよ」

 さゆりの頭に、やな予感が走った。

「さゆり、しっかりして。これで警察が動くわ。そうなれば、きっと、ご主人のことも調べてくれるわよ」


 桑原と山上は、クリーニングハウスの本社を訪ねた。

「警察の者ですが、こちらで働いていた山田涼介さんを良く知っている方に会いたいんですが」

 桑原が、警察手帳を受け付けの女性に見せた。

「少々お待ちください」

 女性は、戸惑いながら受話器を取った。

「社長、警察の方が見えてますが」

 女性が、ふたりに入室カードを渡して社長室に案内した。

「月島警察署の桑原です」

「山上です」

「社長の田所です。警察の方が何か、まあ、おかけください」

「実は、御社の山田涼介さんが、今朝山下ふ頭で、死体で発見されました」

 桑原が、田所の目を見つめながら言った。

「なんですって。山田さんが、どうして自殺を」

「まだ、自殺かどうか分かりません」

「では、いつ、一体誰に殺されたんですか」

「それを調べています。山田さんは、仕事上なにか悩んでいたようなことはありませんか」

「仕事上で悩みがあるとは、私は気づきませんでした」

「では、山田さんを恨んだり、憎んだりしていた人をご存じありませんか」

 田所恵は、しばらく考えてから、

「そういえば、深山さんと何度か議論していたのを見かけましたが、まさか深山さんが、山田さんを・・・」

「その深山さんという方は?」

「それが、欠勤しているんです。自宅にも帰っていないと奥様から電話が先日ありました」

「山田さんの席を見せてもらってもいいでしょうか」

「いいですけど、ここではなく衆議院議員会館の操作室ですので、そちらにご案内しましょう」

 田所は、秘書の佐田真奈美に桑原たちを議員会館の操作室へ案内するよう命じた。

 真奈美は、目がぱっちりで鼻筋が通って、髪はショートカット、慎重は百六十ぐらいですらりとした体形に、紺のスーツ姿が似合っていた。

(俳優の芦田かほりに似た美人だな)

 山上は、うっとりと真奈美を見つめてしまった。

「おい」

 桑原に声をかけられ山上は、我に返った。

 二十分ほどで、議員会館内にある操作室に到着した。

 扉を開けて、中に入ると仕事中の男たちが、一斉に桑原たちに視線をあびせた。

「ここで、議員さんたちの事務室の清掃をするAIロボットの操作をします。こちらが、山田涼介さんの席です」

「いろいろ調べてもいいですか」

「ちょっと待ってください。マネージャーの矢部に相談してきます」

 真奈美は、作業中の矢部に一言二言話をして、矢部を桑原の所に連れてきた。

 名のった矢部に、桑原は、警察手帳を示しながら名のり、山上も続いた。

「刑事さんのご要望通りにしますので、何でも言って下さい」

「山田涼介さんと深山平一郎さんとの関係はどうだったんでしょうか」

 桑原が、聞いた。

「そうですね。どちらかというと仲がいいほどではありませんでした。よく、些細なことで、議論してました」

「どんなことですか」

「酒を飲みに行って、山田は金を払わないとか、山田は、陰で深山の悪口を言いふらしたのとかお互いに言い争っていましたね」

「ところで、このコンピュータを開いてもらっていいですか」

「はい」

 矢部が、コンピュータにスイッチを入れ、パスワードを打ち込んだ。

「日誌をご覧になりますか?」

「お願いします」

 昨日の日誌が画面に映し出されると同時に音声が流れた。

「なんだこれは」

 桑原と山上が、同時に声を上げた。

 画面には、

「私は、深山平一郎さんを殺害しました。取り返しのつかないことをしてしまい、大変申し訳ないと思い、私の命を絶つことでお詫びすることとしました。令和十月二十九日 山田涼介」と、書かれていた。

「まさか、山田さんが、深山さんを殺害するなんて信じられない」

 矢部が、呻いた。

「しかし、深山平一郎さんを殺害したと書いているが、まだ深山さんの死体は発見されていません」

 山上が、桑原に向かって言った。

 桑原と山上は、矢部から山田涼介と深山平一郎の業務内容を聞いて、議員会館を後にした。

「桑原さん、山田涼介の遺言、どう思われますか」

「信憑性には疑問があるな。会社のコンピュータの日誌に書くなんてありえない。山田さん以外の人間が打ち込んだんだろう」

「私も山田さんは、自殺でなく他殺だと思います。マネージャーの矢部は、怪しいですね」

「山上、先入観は禁物だぞ」

「しかし、事務所の清掃をAIロボットがすべてを行うとは、技術の進歩の速さには俺はついていけないな」

「桑原さん、あのロボットは、すべてドリームアドバンス社製ですよ」

「それがどうかしたのか」

「ドリームアドバンス社は、CN国の会社です」

「何か問題でもあるのか」

「まだ分かりません」

 ふたりが、署に戻って係長の山際に報告しているときに、鑑識がやってきた。

「桑原さん、山田涼介の解剖結果が出ました。アルコールとベンゾジアゼピン系睡眠薬の成分が検出されました」

「なんだと」

 桑原が、声を荒げた。

「その睡眠薬の量は、多いのか」

「それが、それほど多くはないのです」

「自殺するには大量に飲むのが普通だ」

「桑原君、これは他殺の線が濃厚になったな。他の班に埠頭周辺の防犯カメラを調べさせよう」

 山際が、言った。

 その夕刻、月島警察署署長の寺内信へ、警視庁刑事部長の片山守から電話が入った。

「先日のクリーニングハウスの社員の水死についてですが、何か進展はありましたか。実は、こちらの捜査二課で、クリーニングハウス社と衆議院事務局との贈収賄について調査しているので、捜査本部を設置するときには、うちの二課のメンバーも加えてもらいませんか」

「どうも他殺の線が濃くなってきましたが、まだ確固たる証拠はありません。ただ、死んだ社員の山田涼介のAIロボット操作コンピュータからの操作日誌に同社員の深山平一郎を殺害してしまったお詫びとして自殺するということが書かれていたので、この深山という男の失踪の捜査本部の設置にしたいと考えています。深山の奥さんからも捜索願いがすでにでていますので」

「分かりました。ではよろしくお願いします」


 翌日、クリーニングハウス社員失踪事件捜査本部が、月島警察署に設置され、午後一時に第一回目の捜査会議が開かれた。

 警視庁捜査二課から刑事の黒川ひとみと高山誠が、出席していた。

 捜査本部では、黒川ひとみは、若く紅一点だが、キャリアで警部補だ。

 全体を取り仕切るのは、署長の寺内信、進行は刑事課長の宮原武が勤めた。

「一課から報告してくれ」

 桑原が、立った。

「水死体で発見された山田涼介六十五歳、クリーニングハウス株式会社に五年ほど前から勤務しています。彼が殺害したという男は、深山平一郎六十七歳、当社に勤めて七か月ほどです。二人の仲は、どちらかと悪いほうと社内では言われています」

「次に鑑識」

 鑑識の担当者が、説明に立った。

「被害者の死因は、溺死で死亡推定時刻は、昨日すなわち十月二十九日午後九時から本日の午前一時頃かと思われます。解剖結果、アルコールとベンゾジアゼピン系睡眠薬の成分が検出されました。どちらも量的には、普通と思われます」

「周辺の防犯カメラから山田涼介や深山平一郎の姿は見あたりませんでした」

「警視庁捜査二課は、なにか連絡することはありますか」

 黒川ひとみが、立ち上がった。

「クリーニングハウス社とその親会社の山中商事が、代議士に接近してクリーニングハウス社が、衆議院事務局から議員の事務所の清掃業務を受注している疑いがあります。その清掃業務は、AIロボットにさせるのですが、どうも事務所にある資料の録画や会話の録音などを行わせている疑いがあります。今回の事件を突破口にして、クリーニングハウス社の目的を明らかにしたいと考えています」

「そういうことで、山田涼介水死や深山平一郎の失踪が、政界や国家間の問題へと広がっていく。気を引き締めて、慎重に取り掛かってくれ。まずは、山田涼介の足取りと彼の周辺を徹底的に洗ってくれ」

「桑原さん、AIロボットって、なんですか?」

 山上が桑原に顔を向け、声を落として聞いた。

「そんなこと俺に分かるか」

 後ろの席の黒川が、山上の背を軽く突っついた。

「AIは、アーチフィシャアル インテリジェンスの略で日本語にすると人工知能のいみです。AIロボットは、人工知能を持ったロボットのことです」

 桑原と山上は、黒川ひとみを見直した。

 それから、多少の報告が続いたが、一時間ほどで会議は終わり、刑事たちは、聞き込みへと部屋を出て行った。


 山中商事の社長山中忠が、本社の応接室にクリーニングハウス社の社長田所恵とドリームアドバンス社の山中宏のふたりを呼んでいた。

「まだ、深山という男は見つからんのか」

「例の男たちに頼んでいますが、まだ見つかりません。厄介なことに警察が彼を探し始めました」

 恵が、悔しそうに答えた。

「早く彼を始末しないと、我々の活動が暴かれてしまいますよ」

 宏が、神経質そうな眼付をして言った。

「我々の活動がばれたら、本国の党首に甚大な迷惑をかけてしまう。田所君、分かっているな」

 三人は、遅くまで応接に閉じこもって、善後策を練った。


 十二月に入った。

「はい、寺内ですが」

「公安部外事第二課長の早川です。寺内署長、ご無沙汰しています」

「珍しいな、早川さんが電話してくるなんて」

「そちらでクリーニングハウス社の社員の失踪事件を取り扱っていると、お聞きしたのですが」

「そうですが、それがなにか」

「実は数日前に、匿名でクリーニングハウス社が、議員たちの持つ機密情報をNS国へ流している疑いがあると告発があったので、その真偽について、調べを始めたところです」

「なんだって」

「クリーニングハウス社社員の失踪事件と何ら関係があるかもしれませんので、うちの刑事二人をそちらの対策本部に入れてもらえませんか」

「分かりました。願う所です」

「では、外事二課の里見巡査部長と立花努巡査長をそちらに伺わせます」

 外事二課は、NS国のスパイ活動等を摘発する部署と言われている。

 

 赤阪にある料亭ひさごの一室に、経済産業大臣の小早川実が山中商事社長の山中忠と対座していた。

「今日は、お忙しいところご足労いただきありがとうございます」

 山中が、銚子を持って、小早川の盃に酒を注いだ。

「御社もだいぶ景気が良くなったようだが」

「大臣のお力添えで、傘下の会社も利益を上げるようになってきました。ありがとうございます」

「それはよかった。ところで何か話があるのではないかね」

 再び山中は、銚子を取って、小早川の盃に注いだ。

「大臣もご存じかと思いますが、クリーニングハウス社の社員が、自殺をしまして・・。遺書めいたものまで残していたのですが、警察は、他殺の線で動いているようなのです。ひょんなことから私たちの関係が、明らかにされたらと心配で、大臣にご相談しようとお呼びした次第でございます」

 小早川は、黙った。

「大臣、些少ですが、お受け取り下さい」

 山中は、席を立って、小早川の横に膝まづき紙袋を差し出した。

「先ほどの件、考えてみよう」

 ふたりは、しばらくの間飲み続けた。

「千代ですが、いかがでしょうか」

 女将が、扉越しに言った。

「お願いしますよ」

 山中が、応えると、しばらくして、三人の芸子がやって来た。

「こんばんわ」

 芸子たちが、正座して、小早川達に向かって頭を下げた。

 八重、千代そして、三味線の佳乃とそれぞれが名のった。

「では、踊りを披露させていただきます」

 女将が、言った。

 三味線の曲に合わせて、芸子二人が日本舞踊を踊り始めた。

 その間、女将は、小早川そして、山中と酌してまわった。

 踊りが終わり、三味線の音が止まった。

「山中さま、踊りの後はゲームで盛り上がりませんか」

 女将が、山中に酌をしながら言った。

「今日は、やめておこう」


 黒川ひとみと高山誠は、衆議院事務局とクリーニングハウス社との関係について調べていたところ、「天の声で、クリーニングハウス社の受注が決まった」との噂を聞き、管理部長の飯山直樹と業務課長の山村聡の行動確認を行っていた。

 十二時、飯山がいそいそとビルから出てきた。

「今日は、一人だわ」

 黒川は、後をつけた。

 飯山が、MS銀行虎ノ門支店のATMの列にならんだ。

「飯山の口座は、MS銀行の虎ノ門支店だわ」

 黒川は、ひとまず本部に戻って、捜査二課長から決裁を受けて照会書を入手する手続きを取った。

 一方、高山は、未だ山村の取引銀行が、どこかつかめないでいたが、次の日曜日にゴルフを千葉のゴルフ場でプレイすることを知った。

 黒川は、照会書をカバンに入れて、高山とMS銀行虎ノ門支店に入った。

 ふたりは、応接室に案内された。

「警視庁の黒川です」

「同じく、高山です」

「支店長の鈴木です。御用の件はなんでしょうか」

「こちらに飯山直樹という方の口座があると思いますが、それを見せていただきませんか」

 鈴木は、判断に困った様子を見せた。

「照会書です」

 黒川は、カバンからだして、テーブルの上に置いた。

「分かりました。しばらくお待ちください」

 鈴木は、テーブルの上に置かれた照会書を一読して言った。

 しばらくして、戻ってきた鈴木が、飯山直樹の口座の一年間の明細コピーを黒川の前に置いた。

「ありがとうございます。拝見させていただきますので、しばらくこの部屋を貸していただけませんか」

 鈴木が部屋を出て行くと、黒川はさっそく、明細をチェックした。

「高山さん、これ見て」

「一年前、五百万円振り込まれていますが、振り込んだ相手は、やはり、クリーニングハウス社ですか」

「一年前というと、ちょうど衆議院議員会館の清掃業務の入札前の時期に当たります。帰って、ゆっくり調べましょう」

 ふたりは、鈴木に礼を述べて、本部に戻った。


 二回目の捜査会議が、開かれた。

 外事二課の里見刑事と立花努刑事が、紹介されてから会議は始まった。

「いよいよ公安のお出ましですか」

 山上が、桑原に囁いた。

「一課、何かわかったことはないか」

 進行係の刑事課長の宮原武が、桑原に向かって言った。

 月島警察署刑事の桑原静雄が、立った。

「山田涼介と深山平一郎は、仲が悪いとの話を社長の田所恵やマネージャーの矢部隆から聞いていたのですが、他の社員たちが言うには、二人は仲が良く、時々飲みに行っていたそうです。仕事中も山田と深山は、お互いに教えあっていたそうです。どうも二人は、クリーニングハウス社にとって、都合の悪いことを知ってしまったのではないかと思います」

「ちょっと待て、なにか根拠はあるのか」

 宮原が、桑原の話をさえぎった。

「根拠は、ありませんが、少なくとも山田涼介が、深山平一郎を殺害したというのは疑わしくなってきます」

「分かった。引き続き、一課は、山田涼介は他殺という線で、犯人を捜してくれ。また深山平一郎の行方も至急突き止めてくれ」

「捜査二課、なにか報告することは」

 黒川ひとみが、立ち上がった。

「衆議院議員会館の清掃業者を選定する部署である衆議院事務局の管理部長、飯山直樹の口座に昨年クリーニングハウス社から五百万円振り込まれています」

 場にざわめきが起こった。

「桑原さん、あの女性キャリア、さすがですね」

「警視庁内でも、将来は副総監クラスにまで上り詰めるじゃないかと評価が高いそうだ」

「スーパーエリートですか」

 黒川が、報告を続けていた。

「明後日の日曜日、飯山直樹の部下の山村聡業務課長が、名門の千葉のYGカントリークラブでプレイする予定になっています」

「何か事件と関係があるのか」

 宮原が、聞いた。

「はい、一ラウンドで五万円はくだらないのに、この数か月の間、月一度そこでプレイしています。メンバーは、飯山にクリーニングハウスの田所社長そして、マネージャーの矢部隆です。おそらく、明後日のメンバーも同じだと思います」

「明後日、黒川警部補はどう対応するのか?」

「私と高山刑事とで、ゴルフ場でメンバーを確認します」

「分かった。くれぐれも悟られないようにな」

「外事二課からは、何かないか?」

 里見亘刑事が立った。

「山中商事から日本の国家機密が、NS国へ漏洩している疑いがありますが、まだ確信に至っていません。その手段が分からないので、この事件を突破口にして実態を明らかにしたいと考えていますので、よろしくお願いいたします」

「他に何かないか。無ければ、終わる」

 署長の寺内が席から立ちあがると、

「署長、谷原副総監からお電話が入っています」

 総務課の女性が、寺内に伝えにやってきた。

 寺内が署長室に戻って、受話器を取った。

「お待たせしました。寺内です」

「例の件ですか」

「はい。ちょうど今捜査会議を終えたばかりでして」

「実はその件なんだが、山田涼介は自殺だとこちらでは見ている。うちの連中もそちらの操作に加わっているけど近々引き上げるよう指示するので、捜査本部も解散してもらえませんか」

「なんですって」

 寺内は、天の声が谷原をそう言わせていると察知した。

「谷原副総監、もうしばらく待っていただけませんか」

「なぜだ」

「この事件は、国家にかかわる事件を解決する糸口になるのです。もうしばらく時間をください」

「公安部やサイバー犯罪対策課の連中が動いているのは知っているが、事件として解決することが本当にできると署長は思っているのかね。万が一捜査に手抜かりでもあったら国際問題になりかねん。そうなったら、署長や私の首だけでは収まらないぞ」

「副総監、この件について、後押しをしてくれる先生はいませんか」

 しばらく、ふたりは沈黙した。

「どちらにしても、もうしばらく待つが、そんなに時間はないと思ってくれ」

 谷原は、声を落として言い電話を切った。

 寺内は、すぐに宮原を呼んで谷原との電話内容を伝えた。

「天の声には、逆らえない」

「署長、それでいいんですか」

「いいわけないだろう。ただ、君たちの将来をつぶしたくないだけなんだ」

 宮原は、寺内に一礼して、署長室を後にした。

 

 深山平一郎は、湯河原の旅館に息をひそめていた。

「なんだって、山田さんが死んだって」

 週刊誌には、警察は、自殺と他殺の両面から捜査をしていると伝えていた。

「あれほど社長に気をつけろと言っていたのに。早く奴らの正体を警察に知らせなければ、俺もやられるぞ」

 部屋の電話が鳴った。

 フロントからだった。

「お客様をお尋ねの方がお見えですが、お通ししてよろしいですか」

 動悸が激しく打ち始めた。

「しばらくそこで待っていてくれるように伝えてください」

 深山は、カバンを手にして、非常口から外に出て、林に逃げ込んだ。

「しつこい奴らだ」

 「人込みの多い駅まで行けば、奴らもそう簡単には手を出せないだろう」

 深山は、通勤客の帰りが多くなる日暮れを待った。

「もういいだろう」

 十分警戒しながら、なんとか駅近くの交番に駆け込んだ。

 運よく交番には、警官がいた。

 深山は、簡単に山田涼介の死について、説明し、そのことで、自分が何者かに追われていることを話した。

「分かりました。捜査本部に電話します」

 警官は、月島警察署に電話をした。

「湯河原駅前交番から電話が入っています」

「分かった。まわしてくれ」

「こちらクリーニングハウス社員失踪事件捜査本部の宮原です」

「湯河原駅前交番の袴田といいます、今こちらに、深山平一郎さんという方が来て、クリーニングハウス社についてお話したいことがあると言ってますが」

「なに、深山さんは、生きていたのか。分かった、すぐそちらに刑事を行かせるから深山さんの身の安全を護ってくれ」

 宮原は、桑原に連絡した。

「桑原、山上と至急湯河原駅前交番に行ってくれ。深山平一郎さんが、現れた」

「なんですって、深山さんが。分かりました。至急湯河原に向かいます」

 車を飛ばした。

「桑原さん、深山さんは誰かに追われているようですね」

「おそらく、暴力団にでも追われているんだろう」

「急ぎます」

 山上は、赤色灯を稼働させ、サイレンを鳴らしながら高速を走った。

 一時間半ほどで、湯河原駅前交番に二人は到着した。

「どうした。しっかりしろ」

 倒れていた警官を山上が抱き起した。

「あて身を食らって気絶しているようだな」

 桑原が、本部の宮原に電話をした。

「課長、交番が襲われて、深山さんが見当たりません。警官は気を失っています」

「なんだと。早く犯人を捜すんだ」

「課長、この周辺一帯の検問をお願いします」

「分かった。神奈川県警に至急依頼する」

 山上が、桑原を呼んだ。

「袴田巡査が、正気を取り戻しました」

「袴田巡査、一体何があったんだ」

 桑原が、叫んだ。

「申し訳ありません」

「それより何があったんだ」

「十九時ごろですか。深山さんが、息を切らせて交番にやって来て、追われているんで助けてくれと駆け込んできました。そして、警視庁へクリーニングハウス社の件で知らせたいことがあると言ったので、すぐに捜査本部の宮原課長へ連絡したんです。連絡を終えてしばらくして、男二人が、やって来て突然私に襲い掛かってきました。抵抗もできずに、この有様です。本当に申し訳ありません。あれ、拳銃がない」

「なに、銃が奪われたのか」

 桑原は、再度宮原に電話を入れ、袴田巡査の銃が盗まれたことを伝えた。

「袴田巡査、他に何か気づいたことは」

「そういえば、深山さんから万が一のためだとかと言って、USBを預かりました」

 袴田が、引き出しからビニール袋に入ったUSBを取り出した。

「袴田巡査、パソコンはどこですか」

 山上が、聞いた。

 袴田は、ふたりを奥へ案内した。

 パソコンを起動させた袴田に代わって、山上がUSBをセットした。

 画面を見た桑原は、喜んだ。

「これはすごいぞ。山上、すぐに宮原課長のパソコンにそれを送ってくれ」

「分かりました」

 桑原は、深山が持っていたUSBの中身を宮原のパソコンに送ったことを連絡した。

「桑原警部、それから深山さんの携帯電話を控えてました」

「なぜそれを先に言わないのか」

「桑原さん、本部に早く連絡しましょう」

「分かった」

 

 深山を誘拐した男たちは、神奈川県警による検問をかいくぐって、行方をくらました。

 男の一人が、電話をかけた。

「社長、今、深山を捕らえました」

「どこで捕まえたの?」

「湯河原駅前交番に逃げ込んだので、交番に踏み込んで捕まえました」

「なんですって。交番にいた警官はどうした?」

「気を失わせただけで殺してはいません」

「今、どの辺?」

「練馬辺りで、これから関越道に入ります」

「じゃあ予定通りに北軽井沢の別荘に運んで、当分そこで隠れていなさい」


 本部は、慌ただしく動いた。

「山際係長、至急深山を誘拐した車を追ってくれ」

 宮原が、山際に命じた。

 山際は、刑事課の三人の刑事を伴って、深山を誘拐した車を携帯電話からの位置情報をもとに、追跡し始めた。


 緊急の捜査会議が、開かれた。

「先ほど、深山平一郎さんが、湯が原駅前交番の袴田巡査、に預けたUSBの内容を桑原刑事から送られてきた」

 宮原が、後ろのスクリーンに目を向けた。

 PCの画面が、スクリーンに映し出された。

 宮原は、説明が終わると一息ついて、話を続けた。

「ここに書かれていることをまとめると、クリーニングハウス社は、政治家からの国家秘密をAIロボットを利用して取得して、NS国へその情報を流していた。その目的のために、親会社の山中商事が、小早川経産大臣に近づき、衆議院議員会館の事務所の清掃をクリーニングハウス社が請け負えるよう工作した。そして、山田涼介と深山平一郎が、そのことを知ったためクリーニングハウス社から命を狙われていて、深山平一郎は、危険を感じて身を隠した。山田涼介は、おそらく逃げ切れずに殺されたのではないか」

 場が、ざわついた。

「何か質問は?」

「黒川警部補」

 黒川ひとみが立ち上がった。

「山中商事の調査については、国税の応援を得たいのですが」

「分かった。こちらから国税に頼んでおく」

「他には」

 外事二課の里見が、手を上げた。

「里見刑事」

「クリーニングハウス社のAIロボットについての調査をサイバー犯罪対策課に依頼をしたいのですが、よいでしょうか?」

「分かった。それもこちらから依頼するが、確固たる証拠を掴むまでは、まだ立ち入りはできないぞ」

 里見が無念そうに頷いた。

「無ければ、本部長、よろしくお願いいたします」

 本部長の寺内が、腰を上げた。

「事件は思っていたよりかなり広範囲に及んでいる。我々の捜査が一歩間違えば、一挙に警察の信頼が地に落ちる。慎重にも慎重に頼む。以上」

「黒川警部補、ちょっと」

 宮原が、黒川を止めて行った。

「明後日の件だが、桑原と山上を応援に出すから、よろしく頼みます」

「お気遣いありがとうございます」

 黒川は、宮原の配慮をありがたく思った。

 会議が終わってから一時間ほど過ぎて、桑原と山上が戻ってきた。

「ご苦労さん」

 宮原が、二人を労ってから言った。

「明後日、飯山直樹の部下の山村聡業務課長が、名門の千葉のYGカントリークラブでプレイする予定だそうだ。黒川警部補と高山刑事が、行動確認する。その応援を頼む」

「承知しました」

 桑原が答えた。

 黒川と年代が近い山上は、AIについて教えてもらった時から、黒川に好意を持つようになっていた。

「嬉しそうだな、山上」

「いや、なんでもありません」


 山際たちは、軽井沢方面に向かっていた。

「北軽井沢に入ったようだな」

 山際が、運転している村谷一馬に声をかけた。

「スピードが落ちましたね。別荘にでも連れ込むんでしょうか」

「止まったぞ。村谷、注意しろ」

「承知しました」

 山際は携帯を手にした。

「宮原課長、山際です。深山さんを誘拐した連中が北軽井沢の別荘に入って行きました。これから、深山平一郎さんを救出します」

「十分注意してかかれ」

「承知しました」

 山際は、三人の部下の先頭に立って、別荘の前までやってきた。

「二手に分かれよう。相手は、奪った拳銃を持っているから、無理はするな。一回りしたら、またここで落ち合おう」

 山際と村谷は表に、久米と和泉は、裏にまわった。

 十五分ほどで、再び、四人が落ち合った。

「係長、どうしますか」

「十二時か、朝が来るのを待とう」

 四人は、車に戻った。

「山際です。今晩は、車の中で、待機して明日、突入します」

「ちょっと待て」

 しばらくして、宮原が、電話に戻った。

「これから、警視庁の応援をそちらに行かせるから、合流してから突入するんだ。いいな、それまで待つんだ」

「承知しました」

 四人は交代で、仮眠を取った。

 寒く、暗い朝を迎えた。

「もう五時か。係長、腹が減りましたね」

 村谷が、言った。

「もうしばらく待っていろ。応援が何か食べ物を持ってきてくれるはずだ」

 黒塗りの車二台が、山際たちの車の横に停まった。

 一台の車から、身長一メートル百九十センチほどで、身体ががっしりした男が降りてきて、山際の車にやってきた。

 顔は、体つきとは大違いで、幼顔で人懐っこそうだった。

「警視庁捜査一課の児玉です。山際係長は、どなたですか」

「山際は、わたしです。応援ご苦労様です」

 山際たち月島署の刑事は、差し入れのパンと牛乳をむさぼるように食べた。

 児玉を入れて、八人の警視庁からの応援だった。

「児玉さん、相手は、警察官から奪い取った拳銃を持っていますので、注意してください」

「相手は、二人ですね」

 山際が、深山平一郎の救出策を児玉と練っていた矢先に、別荘の玄関に黒塗りのBMWが、停車した。

 男が、降りた。

「山際係長、あの男は、一体誰ですか?」

 児玉が、山際に訊ねた。

「クリーニングハウス社のマネージャーの矢部隆です。いよいよ正体を現したな」

「すぐに突入しましょう!」

 山際が、児玉に行った。

 児玉が、警視庁の刑事たちに庭に隠れて待機するよう指示した。

 山際は、部下に裏にまわって、合図を待つように命じた。

「児玉さん、行きますか」

 山際は、玄関の呼び鈴を押した。

 ’ピンポーン’

「矢部さん、誰か来たみたいです。どうしますか」

「こんなに早く一体誰かな。俺が出る」

 矢部が、玄関に立った。

「どなたですか」

「警察の者ですが、矢部隆さんはいらっしゃいますか」

 矢部が、ドアーを開けた。

 山際が、警察手帳を見せて名のった。

「私に何か御用ですか?」

「実は」

’ガシャーン’

 奥からガラスの割れたような音が、玄関まで響いてきた。

 山際は、矢部を退けて、銃を手にしながら、音がしたほうに向かった。

 児玉も銃を構えながら、山際の後に続いた。

 広間に出た。

 刑事たちが、深山を誘拐した男二人と対峙していた。

 男の一人が、深山平一郎の頭に拳銃を突き付けていた。

「近づくとこいつの命はないぞ」

「銃を捨てろ。捨てるんだ」

 村谷が、大声をあげていた。

「もういい、深山を放してやれ」

 矢部が、山際たちを押し分けて男たちの前に立った。

「バーン」

 男の一人が、矢部の心臓めがけて発砲した。

 矢部が倒れた。

「バーン」

 村谷の銃から発出された弾丸が、その男のももを撃ち抜いた。

「それ行け」

 山際の掛け声に刑事たちは、二人の男に群がり押さえつけた。

 矢部は、即死だった。

 深山平一郎を監禁していた男たちは、確保されて、群馬県警の協力により月島警察署へ送られる段取りだった。

 群馬県警から男たちが送還される日は、朝から冷たい雨が降っていた。

 男二人を乗せた県警のワゴン車は、関越自動車道に入る手前を走っていた。

「村谷さん、トラックが止まって、道路をふさいでいます」

 ワゴン車を運転している助川刑事が、隣の刑事にどうしたものかと相談のため、ブレーキをかけスピードを落とした。

 すると、側道上空より、ステンレス製の円盤のような物体三機が、飛び出てワゴン車の周りを回旋し始めた。

「なんだ、こいつらは」

 ワゴン車の運転手が叫んで、ブレーキを踏みこんだ。

 すると物体から銃弾のようなものが発射された。

「ダッ、ダッ、ダッ、ダッ」

「ダッ、ダッ、ダッ」

「ダッ、ダッ、ダッ、ダッ」

 ワゴン車で送還されていた男二人は、銃弾に当たり絶命した。

 それを確認したのか、三機の物体は、側道上空へ消えうせた。

「助川、大丈夫か」

「大丈夫です。タイヤをやられています」

 村谷は、携帯をとって群馬県警に状況を報告してから、助川とトラックに近寄った。

「ドーン」

 トラックが爆発とともに火炎が立ち上った。

 村谷と助川の両刑事は、辛うじて命はとりとめたが、それから一か月ほど意識は戻らなかった。


 十二月二日の日曜日の朝。

 衆議院事務局の業務課長の山村聡の自宅前近くに、桑原と山上が乗った車が、停まっていた。

「お迎えが来たぞ」

 桑原が言った。

 山村が、ゴルフバッグを持って出てくると車から運転手が降りて、ゴルフバッグをトランクに運んだ。

「車に乗っている男は、誰でしょう?」

 運転席の山上が言った。

「初めて見る顔だな」

 桑原の車は、山村の乗った車の後をつけて行った。

 山村の乗った車は、YGカントリークラブの車寄せにつけた。

 桑原たちは、駐車場に車を止めてから、エントランスホールに入った。

 奥のほうのソファーに腰かけていた黒川が、笑顔で手を上げた。

「ご苦労様です」

 黒川は、桑原と山上が近くに来ると立ち上がって、頭を下げた。

「どうですか」

「入り口近くにいるにいる男は、副社長の山中稔です。山村は先ほど着替えにロッカールームに行きました。あっ、社長の田所恵が、入ってきました」

 桑原と山上は顔を伏せた。

 副社長の山中稔が、立ち上がって恵を迎えた。

 一言二言やりとりをして、恵はロッカールームへと向かった。

「あと一人か」

 山上が、声を落として言った

 続いて、身長の高い知的な顔つきの男が、入ってきた。

 山中稔が、丁重に迎えた。

 男は、ロッカールームへと消えた。

「彼が、山村の上司の飯山直樹管理部長です」

 黒川が言って、立ち上がった時。

 エントランスの自動ドアが開いて、恰幅のいい初老の男とそれよりやや若そうな男が入ってきた。

「あの人は?」

 黒川が、声を上げそうになった。

「誰ですか」

 桑原が、黒川の顔を覗き込むように言った。

「クリーニングハウス社の親会社の山中商事の社長の山中忠です」

「何でここに」

 高山は、驚きを隠せなかった。

「もう一人の男は?」

 桑原が言ったが、黒川と高山は、首を横に振った。

 山中稔は、山中忠に向かって丁重に頭を下げた。

「山中稔は、山中忠の息子ですよ」

 山中稔と忠と一緒に来た男が、ソファーに腰をおろした。

「一体誰を待っているのかしら」

 黒川が、高山に向かって言った。

「えっ」

 エントランスから入ってきた人物を見て、黒川たち四人は皆声を上げそうになった。

 経済産業大臣の小早川実と彼の秘書だった。

 山中稔と一緒にいた男が、慌てて席を立ち、小早川の前に行って、深々と頭を下げた。

「お待ちしてました。お忙しいところ、ありがとうございます」

「副社長、今日はよろしく」

 四人は、ロッカールームへと姿を消して行った。

「まさか、小早川大臣が来るなんて」

 黒川は、興奮した。

「今日は、大収穫だな」

 桑原も満足した。

「黒川警部補、もしかしたら贈収賄事件の糸口になるかもしれませんね」

 山上が、嬉しそうに言った。

「山上さん、警部補っていうのはやめてください。呼び捨てでいいです」

「そんなわけにはいきません」

「黒川さんでいきましょう」

 桑原が言って、黒川は頷いた。

「これから過去のプレイ受付簿をフロントから借りて、調べましょう」

 黒川は、フロントに行った。

 桑原たちもそれに続いた。

 別室を借りて、四人で過去一年間の受付簿をチェックした結果、ほぼ二か月に一度、このメンバもしくは、代理の人間が入ってプレイしていることが分かった。

「接待ゴルフかな」

 山上が誰ともなく言った。

「裏を取らなければね」

 黒川が、携帯で受付簿を撮影しながら応えた。

「黒川さん、もう一時になる。何処かで飯を食って帰ろう」

 桑原が、言った。

「そうですね。今日は日曜日ですものね」

「どのようなものが好きですか」

「イタリアンがいいですね」

「分かりました。山上何処かいい店を知らないか」

 山上が頭を書いた。

「私が良くいくお店がありますので、よろしければ」

「お任せします」

 スパイを探せ2

 十二月五日月曜日。

 朝九時から三回目の捜査会議が開かれた。

 署長の寺内が、立ち上がった。

「皆さんの今までの努力で、解決までもう一歩の所まで来ましたが、残念ながらこの事件に関する捜査には、余り時間を費やすことができなくなりました。それを念頭において、この数日間で何とか結果を公表できるまでにして欲しい」

 寺内は頭を下げた。

 ほとんどの刑事たちは、寺内が頭を下げる理由を理解した。

 山際が、立った。

「深山平一郎氏を幽閉した男二人は、群馬県警によって、こちらに護送される途中に殺害されました。この護送をした村谷、助川両刑事は道をふさいでいたトラックの爆発により重体で、未だ意識を取り戻していません。この護送のワゴン車のドライブレコーダーから三機の飛行物体が護送中の男二人を殺害している様子をとらえていました」

 飛行物体とトラックがスクリーン上に映し出された。

「ドローンとは違うようだな」

「これは、人工知能を持ったロボットとのことで、科捜研によるとNS国のドリームアドバンス社で製造されているものに間違いないそうです」

「所有者は分かったのか」

「調査中です」

「ところで深山さんはどうした?」

「深山さんは、健康に問題なく昨日、自宅に帰りました。彼の身の安全を守るため、一日中刑事二人を周辺に見張らせています」

「山際係長と木田係長、裁判所から捜索差押許可状がおりた。至急、木田係長は、クリーニングハウス社の本社、山際係長は、議員会館の操作室をサイバー犯罪対策課の連中と家宅捜査を行ってくれ」

 黒川が、挙手した。

「黒川警部補」

 宮原が指名した。

「昨日の日曜日、千葉のYGカントリークラブで、クリーニングハウス社の社長の田所恵、専務の山中稔そして、衆議院事務局の管理部長の飯山直樹と課長の山村聡の四人が組で、一ラウンドまわっていました。それと、山中商事の社長山中忠と経済産業大臣の小早川実氏たちが、同時刻にまわっています。過去のプレイ受付簿から、昨年から二か月に一度の割合で、このメンバーが主でプレイしていました。時々ドリームアドバンス社の社長山中宏が参加してました」

 会場にどよめきが起こった。

「なんだって、政治家それも現役の大臣が絡んでいるとは、大変だぞ」

 宮原が、皆を制して、言った。

「黒川警部補、東京国税局と山中商事の税務申告書類を精査してくれ」

「承知しました」

 黒川は、返事をした。

「桑原刑事たちは、クリーニングハウスの田所社長と副社長の山中稔を深山誘拐の件で事情聴取してくれ」

 桑原と山上は、署を出た。


 十二月に入ったばかりなのに、町には、クリスマスソングが引きりなしに響き渡っていた。

 立ち食い蕎麦屋で昼食を取り、桑原たちは、田所社長を訪ねるため月島のクリーニングハウス本社に向かった。

 歩いても十分とかからない所にクリーニングハウス社の本社はあった。

「桑原さん、もうすぐクリスマスですね」

「もうそんなになるか。クリスマスは何か予定でもあるのか」

「今年もぼっちクリスマスです」

「そうか」

 クリーニングハウス本社の受付で、山上は警察手帳を見せた。

「田所社長にお会いしたいんですが」

 受付嬢は、電話を取った。

「受付ですが、警察の方が社長にお会いしたいそうです」

 電話に出た秘書から、社長はまだ会社に来ていないとの返事が返ってきた。

「出張か何かですか?」

 桑原が聞いた。

「いえ、今日は外出の予定はないそうです。秘書にも何も連絡がないそうです」

「じゃあ、山中稔副社長にお会い出来ませんか」

 受付の返事は、山中も予定がないのに、来社していないとのことだった。

「桑原さん、どうしますか」

「田所社長の自宅に行こう」

 桑原は、何とか秘書の佐田真奈美から田所の電話番号と住所を聞き出した。

 田所恵の自宅は、メトロ豊洲駅から歩いて十分ほどにある高層マンションだった。

 エントランスで、管理人に連絡を取り、ドアーを開けてもらい、エレベーターに乗った。

「ここの二十五階だな」

「はい」

 桑原が、二十五階のボタンを押した。

「ここだな」

 山上が、呼び鈴を何度も押したが、仲からは何の応答もなかった。

「出かけているのかな。山上、電話をかけてみろ」

 山上は、手帳を見ながら電話をかけた。

「おかしいな。桑原さん、どうしましょう?」

「また来るか。副社長の山中稔の所に行くか。その前に、電話してみてくれ」

 再び山上が、手帳を見ながら電話をかけた。

 一分ほど過ぎた。

「桑原さん、山中もでません」

「そうか。しょうがない、署に戻るか」

 とっくに陽が落ちて、街路灯に明かりがともっていた。


 翌日、桑原と山上は、再びクリーニングハウスの本社を訪ねたが、やはり田所恵も山中稔も会社に来ていないとのことで、社内では業務が滞り始めていると秘書の佐田真奈美が心配そうに桑原たちに言った。

「会社からお二人に連絡しましたか?」

「昨日の夕方と先ほど電話をしたのですが、応答はありませんでした」

「そうですか。お二人ともこのようなことは、以前ありましたか?」

「とんでもありません。二人とも連絡なしで会社を休まれたことは、一度もありません」

「もし連絡が取れましたら、私のほうへ連絡お願いします」

 桑原が、佐田真奈美に名刺を渡した。

 桑原たちは、再び田所恵の住むマンションを訪れた。

 何度も呼び鈴を押すも応答はなかった。

「山上、管理人に頼んで、ドアーを開けてもらおう」

「まずくはないですか」

「俺が責任を取る」

 しばらくして、山上が連れてきた管理人が、扉を開けた。

 桑原が先頭で部屋に入って行った。

「山上、見ろ」

 桑原が、大声を上げた。

「なんで」

 田所恵と山中稔が、絶命していた。

「青酸カリのようなにおいがする。山上、本部へ連絡しろ」

 十分ほどで、課長の宮原や鑑識課の連中が到着した。

 しばらくして、

「死亡推定時刻は一昨日の八時から十一時頃で、死因は、青酸化合物による中毒死と思われます」と鑑識が報告してきた。

「なぜ、二人が死ななければならないんだ」

 桑原が言った。

「心中でしょうか」

 山上が言った。

「司法解剖に回してくれ」

 宮原が鑑識課員に言った。

「課長、他殺の線で聞き込みをしてきます」

「よかろう」

 桑原と山上は、一昨日の十八時から二十四時の間に不審な人物が、このマンションに出入りがなかったか、管理人にあたった。

「エントランスには防犯カメラがあります」

「見せてくれませんか」

 桑原たちは、管理人室に入って防犯カメラの映像を見た。

「このマンションの住人です」

「この人も」

「三原さんです。住人です」

「この人は誰だ」

 管理人が言った。

「戻してくれませんか」

 桑原が言った。

「マスクしてサングラスをかけていますね」

 山上が言った。

「身長は百七十センチぐらいかな」

「そうですね、桑原さんぐらいですね」

「十九時三十分と二十時三十分に管理人さんはこの人を受付で見なかったのですか」

 桑原が、不審そうに聞いた。

「ええ、ちょっと買い物に出かけていたものですから」

「時々出かけるのですか」

「この時間にスーパーに行くんです。弁当の割引がちょうど始まる時間なもんで、大体毎日です」

「そうですか」

「桑原さん、この男、袋を持っていますよ」

「管理人さん、このディスクお借りしていいですか」

「どうぞ」

「山上、このディスクを鑑識に回してくれ」

「承知しました」

 桑原と山上は、周辺の防犯カメラからマスクサングラスの男がどの方向へ戻って行ったかを追っていた。

 桑原と山上は、AIチェッカーで防犯カメラに映っているかどうかを調べるには、大した時間を要せずに、その男の住まいを突き止めた。



 山際と和泉そして応援の刑事課課員、サイバー犯罪対策課の川上茂グループ、井上進グループたちは、衆議院議員会館の六階のクリーニングハウス社の集中オペレーションルームにいた。

 深山平一郎も立ち会っていた。

「皆さん、捜索差押許可状が出ています。すぐに席を離れて窓側に行ってください。そこの人、キィーボードから手を触れないでください」

 山際が、捜索差押許可状を掲げながら、大声で言った。

 深山がAIロボットを操作していたコンピュータの前には、新山という男が座っていた。

 井上グループが、窓際の新山にパスワードを聞いて、コンピュータを操作すると、クリーニングハウスの清掃用ロボットが動き始めた。

 川上のグループはというと、八階で、球が付いた数本の棒のよなものをつけた通信制御ロボット三台とハンマーのような腕を持った二足歩行打撃ロボット三台の調整を終えていた。

 この数年、犯罪がIT関係によるものが増えるだけでなく、警察官の人員も減少傾向にあり、警察といえどもIT化に迫られ、このようなITロボットが開発されていた。

 川上の携帯が鳴った。

「井上です。今清掃用ロボットすべてを動かしました」

 川上は、了解の返事をして、部下たちに連れてきたロボットをスタンバイさせるよう指示した。

「井上さん、このロボットたちすごい進歩ですね」

「山際さん、掃除ロボットのルンバをご存知ですか」

「数年前、売り出された家庭用の掃除ロボットですね」

「そうです。あれは今までの技術とは違いサブサンプション・アーキテクチャーという技術によって、ルンバが開発されました。このサブサンプション・アーキテクチャーとは、簡単に言えば、自分の認識と判断に基づいて勝手に動こうとする独立かつ多数の要素行動間の競合、協調の結果としてロボット全体の動作を実現しようとする コンピューターのハードウェアやソフトウェアの基本構造や設計思想によるものです」

「私にはついていけません」

「今、NS国では、人間の脳と人工知能をつなぐ能とAI結合の研究が行われています」

「それが実現して悪用されたら大変なことになりますね」

「そうです。犯罪や戦争などに使われたら大変です」

「クリーニングハウスのロボットが、大橋防衛大臣の事務室の清掃を始めました。うちロボットに見張らせましょう」

 八階から戻ってきた川上が、手に持っていたタブレットの盤面を動かし始めた。

 クリーニングハウスのロボットは、ごみ処理ロボットが、ゴミ箱のごみを回収すると次に床掃除ロボットが、小さな障害物は退けながら誇りを吸引してワックスがけを行った。

 この一連の清掃状況を二足歩行のチェックロボットが、撮影していた。

 そのチェックロボットに不審な動きを監視するかのように通信制御ロボットと二足歩行打撃ロボットが、ピタリとついている。

 チェックロボットが、秘書たちの机上の書類をめくり始めた。

 通信制御ロボットの頭の棒が激しく動き始めた。

 タブレットの画面にチェックロボットの送信先が、NS国と表示された。

 チェックロボットが、通信制御ロボットの棒の部分を掴み引きちぎろうという行動に出た。

「深山さん、チェックロボットの動きを止めるにはどうしたらいいですか?」

 井上は慌てていた。

「一連の作業に入ってしまうと、その作業を終えるまで動き続けます。そのために邪魔者は排除するよう行動します。地震のような非常事態ともなれば、何とか止められるのですが」

 すると、二足歩行打撃ロボットが、チェックロボットに接近してきて、そのアームを叩き落とした。

 チェックロボットが、反撃に出た。

「負けるな」

 つい和泉は大声を上げてしまった。

「敵のロボットとはいえ、よくできてます」

 川上が唸った。

 いつの間にか、他の階からクリーニングハウスの二足歩行のチェックロボットが集まって、打撃ロボットを取り囲んだ。

「まずい」

 川上と井上が口を合わせるかのように言った。

「八階に行ってきましょうか」

 和泉が、腰を上げようとした。

「和泉さん、それは危険です。あのロボットたちは、我々を敵と判断して攻撃してくるでしょう」

「川上さん、スタンバイしている打撃ロボットが応援するよう指示してください」

「了解」

 残りの二台の打撃ロボットが応援にやって来た。

 そして、取り囲んでいるチェックロボットの後頭部を上から横からと叩き始め、倒し終わると次のロボットに移って行った。

 チェックロボとたちもそれに気づき、応援に来た打撃ロボットに反撃したが、攻撃力に勝る打撃ロボットに次々と倒されていった。

「さすがですね」

 山際が喜んだ。

「これで清掃用ロボットが、国会議員の資料をNS国へ送っていたことが明白になりました」

 コンピュータから爆発音が聞こえた。

 すべてのチェックロボットが、爆発とともに破片として飛び散っていた。

「なんてこった」

 井上が頭を抱えた。

「井上さん、この部屋から事件に関係するものを押収しましょう」

 山際が、落胆している井上に声をかけた。

「関係しそうなものすべてを押収する」

 山際が、大声で伝えると、課員たちは、一斉に段ボールに書類やコンピュータを詰め始めた。


 係長の木田は、部下を引き連れてクリーニングハウス社本社の家宅捜索に入った。

「捜索差押許可状が出ています」

 木田は、受付嬢に入り口を開けるように言った。

 びっくりした受付嬢は、いわれるがままに対応した。

 木田たちが入っていた後を見送った受付嬢は、専務の倉持に電話をし。

「警察の方がたくさんやってきました。強制調査のようです」

「なんだって」

 倉持は、震える手で受話器を置いた。

 扉がノックもなしに開いた。

 木田を先頭に部下たちが入ってきた。

 木田が、倉持に向かって、捜索差押許可状を見せた。

「これから、国家情報漏洩の疑いで強制調査を行ないます。机から離れて、窓際にいってください」

 一方、木田の部下の刑事たちは、事務室に入った。

「これから、国家情報漏洩の疑いで強制調査を行ないます。皆さん、机から離れて、窓際に行ってください」

「何事だ」

 社員たちは、唖然とした。

「お静かに。何も触れずに速やかに移動してください」

 刑事たちは、社員の机の引き出しや資料だなから関係書類を黙々と段ボールに詰めた。

 また、パソコン類も丁重に箱に詰めた。


 十七日後に迫ったクリスマスイブ、今年も残すところわずかになったが、気が急いている捜査本部の連中には、クリスマスソングは騒音に聞こえていた。

 コンビニで防犯カメラの映像のチェックを終えた桑原は、宮原に電話を入れた。

「クリーニングハウスの社長の田所恵と副社長の山中稔の死亡についてですが、彼らの死亡推定時刻あたりに、不審な人物がマンションに出入りしていました。その人物は、防犯カメラを追って調べたところ、山中商事の社長の山中忠と判明しました。クリーニングハウスの社長と副社長の死との関連性があるのか、早速、山中忠に当たってみます」

「なに、山中商事の社長だと。十分注意してかかるんだ」

 桑原と山上は、地下鉄に乗って、神谷町で下車して、五分ほど歩くと三十階の建物が、威圧感を持って二人を迎えた。

「大きなビルですね。自社ビルでしょうか」

 山上が、上を見ながら言った。

「たぶん自社のはずだが」

 桑原と山上は、神谷町にある山中商事の本社ビルに入った。

 エントランスホールは、天井が高く、ゆったりとして、待ち合わせ用の応接セットがいくつか置かれていた。

 受付で山中忠に面会を求めた。

 受付嬢が、電話を終えて山中の了解を得たといって、五階の応接室に案内した。 

 しばらくして、山中忠が現れた。

「お待たせしました。私が社長の山中忠です」

 桑原が、警察手帳を見せて名のり、山上が続いて名のった。

「お忙しいところ突然お伺いして申し訳ありません。話というのは、先日お亡くなりになった田代恵さんと山中稔さんの件についてです」

「ふたりは、心中だったのではありませんか?」

「どうして二人が心中だったと思われるんですか?」

 桑原が、山中の顔を見つめた。

「いや・・・。実は息子の稔から社長の田所恵さんとの関係を相談されていたものですから」

「どのようなご相談を」

「息子には本国に許嫁がおりました。魔が差したのでしょう、田所社長と男と女の関係になってしまったのです。息子は遊びのつもりだったのですが、田所社長は、結婚願望があったのです。まさか、田所社長と息子が心中するなんて。いやきっと無理心中に違いありません」

 山中忠は、ズボンのポケットからハンカチを出して、目を拭った。

「ところで、十二月五日の十八時から二十四時の間、あなたはどちらで何をしていましたか?」

「アリバイですか、私は疑われているのですか?」

「いや、皆さんに一応お聞きしていますので」

「二日前の夜ですか・・。そうそう田所社長のマンションに呼ばれて行きました。まさかあの後、二人が心中を図るなんて、今でも信じられません」

「どのような格好で行かれましたか」

「確か、サングラスをかけて、マスクをして行きました」

「なんでそんな恰好で行かれたのですか。夜なのに、サングラスをかけるなんて」

「目立ちたくないので」

「なぜ目立ちたくないのですか」

「刑事さん、いい年をした男が、女性のマンションを訪れるんですよ」

「何時ごろいらっして、何時に帰られましたか?」

「七時半ぐらいでしょうか、一時間ほどいましたから、帰りは、八時半ぐらいかと思います」

 山上は、桑原の顔を見た。

 桑原は動揺を押さえているように見えた。

「どのような話をされたのですか?」

「息子が私ともめているので、仲裁に入ってくれないかと田所社長からの電話だったので、持って行ったワインでも飲んでゆっくり話し合ったらいいとまず言いました。そして、ふたりの話を聞いたうえで、今後どうするか二人で決めなさいと言って、私は、マンションを後にしました」

「持っていかれたのは、ワインですか?」

「そうです、ワイン二本です」

「あなたは、ワインを飲まれなかったのですか」

「ええ、飲みませんでした」

「なぜですか」

「ふたりでゆっくり話し合うために、私は早く帰ったほうが良いと思っていましたから」

「ワインに青酸化合物が入っていたようです。一体誰が入れたのでしょう」

「持って行ったワインに青酸化合物なんか入れてませんよ。田所社長か息子が入れたんでしょう」

「それが、青酸化合物らしきものを持っていた形跡が二人とも無いのです。ワイングラスにも青酸化合物の痕跡は見当たりませんでした。おふたりを司法解剖に出していますので、近々、原因がわかると思います」

 山中は、黙っていた。

 桑原は、今日はここまでで引き下がろうと決めた。

「刑事さん、これから会議がありますので、もういいですか」

「ありがとうございました。また何かありましたらその時はよろしくお願いします」

 桑原と山上が、山中商事のビルを出ると、寒風がビルとビルの間を通り過ぎていた。

「山中社長はなかなか手強いですね」

 山上は、コートの襟を立てながら言った。

 桑原は、それに答えず次の手を考えていた。

 

 その頃、黒川たちは、東京国税局に向かっていた。

「黒川警部補、地下鉄で行きますか?」

 東京国税局は、月島警察署の最寄りの駅勝どき駅の次の築地市場駅と一駅先にあった。

「高山さん、気分転換するために歩いて行きましょうか」

「そうですね。二十分ぐらいですから、天気もいいので歩きましょう」

「黒川警部補、この捜査に圧力をかけてきた人は一体誰なんでしょうか」

「おそらく、山中商事グループと関係の深い政治家でしょうね」

「やはり小早川経産大臣ですか」

「まだ何とも言えないけど、その可能性はあるわね。どちらにしても、山中商事の贈賄の証拠を探し出さなければね」

 黒川と高山は、以前何度か国税局を訪れたことがあるので、受付嬢もふたりを知っていた。

 会議室に通された黒川と高山誠は、担当の松永武を待った。

 数分後、松永が入ってきた。

「お待たせしてすみませんでした」

「松永さん、お忙しいところ、申し訳ありません」

「黒川さん、今回は、山中商事の件だそうですね」

 黒川は、今まで調べた一連の事実を話した。

「黒川さん、それだけでは、山中商事への査察調査は現段階では難しいですね」

 松永が、残念そうに言った。

「では、衆議院事務局の飯山直樹と管理部のほうはどうですか?」

「飯山直樹とクリーニングハウス社との関係ですね。ただ、クリーニングハウス社の社長の田所恵と副社長の山中稔はすでに亡くなっているので、どうしたものでしょうか」

 松永が、黙考し始めた。

「黒川警部補、確か山際刑事たちが、今日クリーニングハウス社の本社と議員会館の操作室をサイバー犯罪対策課の連中と家宅捜査を行っています。彼らが押収した資料をまずチェックしたらどうでしょうか」

 高山が言った。

「それがいいわね。松永さん、その押収した資料の中で関係あるものを今度持ってきますので、それから作戦を立てたらと思うのですが、いかがでしょうか」

「了解しました。資料、お待ちしています」


 残すこと二十日余りになった。

 その二十日間で事件を解決しなければ、捜査本部を閉めなければならないため、刑事たちは、焦っていた。

 桑原刑事もその一人だった。

 五回目の捜査会議が九時から開かれた。

 署長の寺内が挨拶に立った。

「皆さん、あと二十日で今年も終わりです。それと同時にこの捜査本部も閉めることになります。事件半ばで捜査本部を閉めたくはありません。なんとか、皆さんでこの事件を解決に導いて、新しい年を迎えようではありませんか。悔いを残さないよう皆さん頑張りましょう」

 本部長を務める署長の寺内が部屋に入ってくると、一斉に刑事たちは私語をやめ規律した。

 宮原の隣の席に座ると、宮原が、いつものように進行役を務めた。

「では、各担当から進捗状況の説明をお願いします。まず、桑原刑事」

「はい。現在クリーニングハウス社の田所社長と副社長の山中稔の死亡についてですが、社長の田所恵と副社長の山中稔の司法解剖の結果、胃からピザを食べていた痕跡が見つかりました。医師の所見からおそらくそのピザに青酸カリのようなものが混入していたとのことです。このピザがどのように入手されたのかを調べた結果、死亡二日前に近くのスーパーマーケットで田所恵が購入したことが分かりました。冷蔵庫には、その時買った冷凍食品が入っていましたので、そのピザも冷蔵庫に保管されていたものと思われます」

 桑原が、一息ついた。

「そうすると、そのピザは、スーパーマーケットですでに青酸カリが混入していたか、または、田所恵のマンションの冷蔵庫の中のピザに田所が混入させたかどちらかと考えられるが」

 宮原が、聞いた。

「もう一つ、第三者が混入させた可能性も考えられます。スーパーマーケットの店員に確認したところ、同様のピザで客から苦情等ないとまた、食品メーカーに聞いてもそのようなことは絶対にありえないとのことでした」

「そうすると、やはり無理心中の可能性が濃くなったな」

「ただ、田所のマンションには、山中稔は今回以外に一度も来ていませんし、会社でもふたりが恋仲だった浮いた噂は、全く聞かれませんでした」

「では、第三者か。一体だれがどのようにして混入させることができたのだ」

「それができるのは、田所恵の住居に入ることができる管理人か二日に一度来る家政婦のどちらかだと考え、双方を調べてみました。家政婦は、矢田由美子三十五歳でクリーニングハウス社から派遣されていましたが、現在行方不明です」

 矢田由美子の顔写真が、スクリーンに大きく映し出された。

「管理人の方はどうだ」

「いろいろ聞き取りしましたが、彼らを殺害する動機が見当たりません」

「では、一介の家政婦の矢田由美子に動機はあるのだろうか」

「彼女は、元NS国大使館に勤務していたのですが、何かの理由で大使館をやめて、二年前から、田所恵の家政婦になっています。恵は、断り切れない相手からの依頼で、しぶしぶ受け入れたようです」

「一体誰が何の目的で、恵に家政婦を押し付けたのか」

「私の推測ですが、NS国の関係者が、田所恵の見張り役のためかと」

「公安部の考えはどうだ」

 外事二課の里見が立った。

「NS国は、山中商事、クリーニングハウス社そして、ドリームアドバンス社の組織を利用して、あらゆる手段を用いて我が国の機密情報を盗み取っていることに間違いありません。ただ、彼らはそれがばれることを恐れており、我々警察が目を付けた人間は口封じのため殺害されています。山田涼介、田所恵そして山中稔もその犠牲者です。おそらく、矢田由美子は、NS国へ逃亡したか、もうこの世にはいないかのどちらかでしょう」

「一刻も早く、矢田由美子の行方を捜すんだ。空港にも手配しろ」

 桑原、山上、里見そして、立花が部屋を小走りで出て行った。

「次は、黒川警部補」

 黒川ひとみが、指名を受けて立った。

「国税からは、山中商事への査察調査は現段階では難しいとの見解を得たので、山際刑事たちがクリーニングハウス社から押収したものを精査することにしました。この件は、山際刑事と国税局の松永氏から了承を得ています。その結果、クリーニングハウス社はこの二年の間で、支出先氏名や住所不明の使途秘諾金が一億円ほどあることが分かりました。国税の査察部の査察官が、クリーニングハウス社の財務関係者を任意で取り調べています」

「取り調べは進んでいますか?」

「衆議院事務局の管理部長飯山直樹に五百万円を渡したことを認めました。また、山中商事の社長の山中忠へ九千五百万円ほど渡したと言ってます。これらのことは、副社長の山中稔の指示だったそうです」

「山中忠が受け取った九千五百万円の行方は、分かりましたか」

「それはまだ分かっていませんが、国税は、近々山中忠宅と山中商事を任意で査察調査に入ることを決めたそうです」

「そうですか、黒川警部補も今まで通りに国税に協力して下さい」

「承知しました」

「次に山際係長」

「はい。現在、クリーニングハウス社本社と衆議院議員会館の六階のクリーニングハウス社の集中オペレーションルームから押収品の中身をサイバー犯罪対策課の人たちと証拠になるものがないか調べています。ロボット関係につきましては、サイバー犯罪対策課の川上刑事、説明お願いしたいのですが」

「分かった。では川上刑事、よろしくお願いします」

 川上が説明に入った。

「クリーニングハウス社が、議員会館で使用している清掃用ロボットは、床掃除用ロボットとチェック用の二足歩行用ロボットの二種類です。その二足歩行用ロボットが我が国が機密事項としている書類や会話などを録画、録音して、NS国が打ち上げた宇宙衛星に送信していたことが判明しました。我が国としては、このシステムを利用してフェイクニュースを流すことを検討しています。どちらにしてもクリーニングハウス社が、ロボットを使って、スパイ活動をしていただけでなく、このロボットの製造元であるドリームアドバンス社も関与していたことに間違いありません」

 川上が言葉を切ったのを見計らって、宮原が質問した。

「ドリームアドバンス社の社長は、山中商事社長山中忠の次男だと聞いているが」

「はい、ドリームアドバンス社の社長は山中宏で、山中忠の長男に当たります。クリーニングハウス社の副社長だった次男の山中稔とは腹違いの兄弟になります。私としては、早急にドリームアドバンス社を任意捜査すべきと考えていますが、いかがですか?」

「署長、いかがいたしましょうか?」

 宮原が、寺内のほうに顔を向けて判断を仰いだ。

「いいだろう」

「承知しました」

 山際は、和泉そして、サイバー犯罪対策課の川上と井上を伴って、颯爽と部屋を出て行った。

「木田係長、クリーニングハウス社本社の立ち入りの結果はどうだ?」

 木田が立ち上がって、開いた手帳に目を通しながら報告した。

「クリーニングハウス社は、清掃用ロボットを購入する際、競争入札ではなくドリームアドバンス社特命で、仕様については、ドリームアドバンス社にすべてを任せています。また、新衆議院第一議員会館の清掃業務を請け負った経緯が、メールで残っていました」

「どういった内容かね」

「はい、山中商事社長が衆議院事務局の管理部長と課長に根回しをしているが、さらに食い込むために接待等を怠りなく行うようにとのことが田所恵子へメールされていました。また、入札に際しての金額は、直接管理部長から聞き出してほしいと追伸されていました。このメールを、田所恵はすぐに副社長の山中稔に転送して削除していました」

「副社長の山中稔のパソコンはどうだった?」

「山中稔のパソコンにも受信した形跡が残っていました」

「入札参加資格は、今まで実績がなかったクリーニングハウス社だが」

「そこなんですが、衆議院事務局の局長から管理部長に紹介があったようですが、今のところ、確信持てる情報ではありません」

「入札に関しては何か分かったことは?」

「今のところありません」

「分かった」

 と言い終わった宮原に寺内が、声をかけた。

「宮原課長、任意でいいから衆議院事務局の飯山を任意で取り調べたらどうかね」

 宮原は頷いた。

「木田係長、これから任意で衆議院事務局の飯山管理部長を任意で取り調べてもらえないか」

「はい、業務課長の山村聡も調べましょうか」

 宮原と寺内は頷いた。

 昼近くになり、会議は終わり刑事たちが部屋を出て行った。

「宮原課長、飯山とクリーニングハウス社との受発注の不正を何とか立証して、全体の事件像を明らかにするようこの短い間で何とかしてほしい」

 寺内が、隣に座っている宮原に声をかけた。

「そうですね。かなり真相に近づいてきたように思いますが、決定的なものが今一つありません。なんとか飯山管理部長とクリーニングハウス社の不正を暴きましょう」

 寺内は、しばらく目を閉じてから言った。

「それが立証出来たら、公表しよう」

「なるほど、そうなれば天からの声ももうこちらには届かなくなりますね」

「宮原課長、食事に行こうか」

「署長、申し訳ありません。私、弁当なものですから」

「そうか、課長は、愛妻弁当だったね」

 年甲斐もなく宮原は返事に窮した。


 本会議の翌日、十二月十二日。


 黒川ひとみ警部補は、国税局と共に山中商事本社に、また山中商事社長の山中忠宅へは高山刑事が国税局局員と同時間の午前九時に査察に入り、併せて、段ボール二百個以上分を押収し、その日から担当官たちは、血眼になって押収品をチェックし始めた。

 十五時を過ぎた時、

「黒川警部補、昨年ですが、五千万円の使途不明金がありました」

 松永が黒川を呼んだ。

「この五千万円がなんなのか、山中商事の財務部に確認します」

 松永が部下に山中商事の財務担当者を任意で連れてくるよう指示した。

 部下に伴われて、山中商事の財務課長が取調室に通された。

「山城さん、昨年度の会計報告で合計五千万円ほどの使途不明金がありましたが、これは一体何に使われましたか」

「政治献金です」

 山城と呼ばれた山中商事の財務課長は、臆せずに答えた。

「どちらへの献金ですか?」

「民自党です」

「いくらですか」

「五千万円です」

「おかしいですね。民自党の会計報告書には、御社からは五千万円ではなく二千万円と記載されています。残りの三千万はどうしたんですか」

「私は知りません。上司から言われたとおりにしたまでです」

「上司というとどなたですか」

「部長の斎藤です」

「斎藤さんの名前は」

「満です」

 松永は、部下に山城の取り調べをまかせて、黒川を誘って、山中商事の本社に行った。

「黒川警部補、財務部長はおそらく上から指示されて、それを山城にやらせたのでしょう。上は、社長の山中忠です。直接山中忠から話を聞きましょう」

「私もそれがいいと思います」

 

 木田係長たち四人は、やはり午前九時に衆議院事務局を訪れていた。

「警察の者ですが、飯山部長と山村課長にお会いしたいのですが」

 受付の女子に警察手帳を提示して、飯山と山村への面会を求めた。

「少々お待ちください」と言ってから電話をした。

「どうぞ」

 女子は、木田と若い刑事を飯山の部屋に案内した。

 部屋に入ると飯山が不審そうに木田を睨みつけた。

「警視庁の木田といいます」

「私にこんなに朝早く何か用ですか」

「実は、新衆議院第一議員会館のクリーニングハウス社との清掃業務を請け負いの経緯をいろいろ教えていただきたいので、署へご同行お願いできませんか」

「それは任意ですか」

「はい、任意ですので拒否はできますが」

 飯山は、観念した面持ちで秘書に電話を入れた。

「ちょっと、出かけてくる」

「お帰りは」

 との問いには答えず、飯山は、電話を切って、木田の後に続いた。

 一方、久米刑事の待っている応接室に入ってきた業務課長の山村は、おびえた様子で久米に訊ねた。

「私に何か用ですか」

「クリーニングハウス社との関係についていろいろお伺いしたいことがありますので、署までご同行お願いできませんか。これはあくまで任意ですので、拒否できますが」

「分かりました。準備してきますので、しばらくお待ちください」

 飯山と山村は、月島警察署の取調室に別々に案内され、取り調べが始まった。

 飯山の取り調べは、木田が行い、久米は山村を取り調べることになった。

 午後一時、飯山を前にして、木田が言った。

「飯山さん、私の質問に答えたくなかったら黙秘されても結構です。黙秘権は法律上保障されています」

 飯山が頷いた。

「今日は、お忙しいところ、ご同行いただきありがとうございます。では、飯山さん、氏名、年齢、住所そして職業をお願いします」

「飯山直樹五十歳、東京都練馬区〇〇の一五七番地です。勤務先は、衆議院事務局管理部です」

「衆議院事務局には何年前からお勤めですか」

「二十五年ほど前からです」

「その前はどんなお仕事をされていたんですか」

「政治家の秘書をしていました」

「どなたの秘書ですか」

「現在経済産業大臣の小早川実先生です」

「何年間秘書をやられていましたか」

「大学を卒業してからすぐに秘書になりました」

「大学三年の時、彼の選挙活動のアルバイトをしたんですが、その時に卒業したら秘書にならないかと誘われました。私に秘書が務まるなんて、その時は本気にしませんでしたが。私が四年生の時、景気が悪くて就職先がなかなか決まらずにいたので、ふと小早川先生の事を思い出して、事務所を訪ねました。先生は私のことを覚えていて下さり、就職先も決まらないので、秘書になることにしたんです。私設秘書でしたので、給料も安く結婚して生活が楽ではないのでと先生に相談したところ衆議院事務局を紹介され、総合職試験を受験し合格して、衆議院事務局職員になりました。それが二十五年前です」

「そうでしたか。試験は難しかったでしょう?」

「ええ、上位ではありませんでしたが、なんとか合格しました」

「今も小早川さんとお付き合いがあるのですか」

「直接はありません」

「直接はないと言いますと、間接にはあるんですか」

「いや、直接の意味は別にありません。先生は今や大臣ですよ、付き合いなどあろうはずありません」

「いつも、飯山さんはどのような仕事をされているんですか」

「私は管理部長ですので、衆議院事務局事務分掌規程第八条により管理部にある管理課、第一議員会館課、第二議員会館課、自動車課、印刷課、厚生課そして業務課の七課を管理しています」

「衆議院事務局に入られて、どのような部署に勤務されたのですか」

「管理部業務課、庶務部営繕課、国際部総務課そして、管理部第一議員会館課、厚生課と配属され、二年前に管理部長を命じられました」

「清掃業務を担当するのは、どこの課ですか」

「院内の清掃に関しては、業務課の所掌になります」

「清掃業者の選定方法はどう定められていますか」

「競争入札が原則です」

「原則というと、そうでないこともあるのですか」

「今まで一度も一社指名はありません。よくあることで、規則上そう書かれているだけです」

「話は変わりますが、業務課長の山村さんは、どういう方ですか」

「どういうと言いますと」

「仕事態度とか部内の噂などです」

「彼は大卒の一般職試験を合格して採用されました。仕事もできますし、人当たりも良い人間です」

「あなたはゴルフをやりますか」

「ええ、うまくはないのですが、たまにやります」

「どのくらいでまわるんですか」

「百をやっときるぐらいです」

「どちらのコースでやられるんですか」

 飯山は警戒し始めた。

「会員になっているゴルフ場はないので、特定の所はありません」

「あなたは、十二月二日の日曜日にプレイしていませんか」

「確かYGカントリークラブでやったと思います」

「どなたとやりましたか」

「黙秘します」

「ではこちらからいいましょう。あなたと山村さん、そして、クリーニングハウス社の田所恵社長、副社長の山中稔氏、山中商事社長の山中忠氏それからあなたが昔秘書としてつかえていた現経済産業大臣の小早川実氏です。YGカントリークラブは、よく行かれるんですか」

「何度か行ったことがあります」

「飯山さん、正直に答えてくださいよ。あなたは、YGカントリークラブには昨年二か月に一度のペースで行かれてます。それも先ほどのメンバーとほぼ同じメンバーでプレイしていることは調べがついているんです」

 飯山がずっと下を向いていた

「十分ほど休憩しましょう。一服どうですか」

 木田は、ポケットから煙草を出して、飯山に勧めた。

「十年前に辞めましたので、結構です」

 木田は、煙草を吸いに部屋を出た。

 きっちりと十分ほどで、木田が席に着いた。

「木田さん、私は、いつまでここにいなければならないんでしょうか」

「そうですね。飯山さん次第ですよ」

 飯山はまた下を向いた。

「飯山さん、新衆議院第一議員会館のクリーニングハウス社との清掃業務を請け負いについて、お聞きしたいのですが、クリーニングハウス社からゴルフ以外でも料亭で接待を受けているそうですね。また、現金等を受け取ったことはありませんか」

「黙秘します」

「あなたのMS銀行虎ノ門支店口座に昨年の入札前にクリーニングハウス社から五百万円振り込まれています。これは何ですか。正直にお答えいただかないと後々後悔することになりますよ」

 飯山は、顔を上げて木田を見つめた。

「クリーニングハウス社が、勝手にしたことです」

「あなたの口座を知らなければ振り込むことなどできるわけがない。あなたは、クリーニングハウス社に口座番号を教えたのは、見返りを期待しての事なんだ。そうだろう」

 木田はそれから十分ほど飯山を攻め続けた。

「申し訳ありません。クリーニングハウス社の山中副社長が挨拶代わりにと執拗にいわれたので、つい教えてしまいました」

 飯山は、クリーニングハウス社から五百万円を受け取ったことを認めた。

「ところで、あなたにクリーニングハウス社を紹介したのは誰ですか」

 飯山は黙秘を使おうか悩んだ。

「小早川さんじゃないのですか」

 飯山は黙り続けた。

「小早川さんに義理を立てる必要はないんじゃないですか。あなたは、利用されただけなんですよ」

「その通り、小早川先生からクリーニングハウス社を紹介されました。私は、クリーニングハウス社については全く知りませんでした。紹介された後に、クリーニングハウス社の社長と副社長そして、親会社の山中商事の社長が挨拶に見えました」

「小早川さんから紹介があったのはいつですか」

「確か入札の公告した翌日だったかと思います」

「どのように紹介されましたか」

「電話です。小早川先生が世話になっている山中商事の関係会社に清掃業務をやっているクリーニングハウス社という会社があるので、今度の入札に参加させてほしい。そして、すぐにあいさつに行かせるからよろしく頼むという電話でした」

「クリーニングハウス社が挨拶に来たのはいつですか」

「小早川先生の電話の後に、クリーニングハウス社の山中稔副社長から都合を聞く電話があったので、確か、翌日の午後二時がいいと言って決まったと思います」

「副社長からクリーニングハウス社の業務の概要説明を受けました」

「説明を受けたのは、あなただけですか」

「いや、山村業務課長も同席していました」

「クリーニングハウス社の概要説明のほかにどのようなことが話されたんですか」

「山中商事の社長は、小早川先生とは近しい関係のようで、小早川先生はいつか総理大臣になるはずだと期待していたようです。後は、ゴルフの話をしたかと思います」

「ところで、入札結果ですが、クリーニングハウス社は、予算にほぼ等しい98.5%で落札しています。どう説明されますか?」

「業務課長から山中副社長に伝えたと思います」

「どうして山村さんが、相手方に予算を教えたのですか?」

「私にはわかりません。山村に聞いてください。木田さん、私はいつ帰れるんですか」

 木田が時計を見た。

「今日は、これで終わりにしますが、また明日お願いできませんか」

「もうこれ以上お話することはありません」

「飯山さん、公務員という立場でありながら、あなたは、クリーニングハウス社から少なくとも五百万円を受け取ったんですよ。収賄の嫌疑がかかっているんです」

 飯山は、俯いてしまった。

「明日朝九時にお迎えに参りますので、ご協力お願いします」

 飯山は、肩を落として部屋を出て行った。 

 木田は、山村を取り調べた久米とお互いに情報を連絡しあった。

「これで飯山と山村の収賄は確定だな」

 木田は、ほっとした様子を見せた。

「木田係長、これから何とか山中商事と小早川大臣との贈収賄を明らかにしたいですね」

「久米、その確固たる証拠をつかむには、まだ時間がかかりそうなので、時間切れになるかもしれん」

「そうですね」

 久米が残念そうに答えた。

 翌日も木田は飯山を、久米は山村を取り調べたが、目新しいことを引き出すことはできなかった。


 山際たちは、高田馬場にあるドリームアドバンス社の本社を訪れた。

 山際と川上は、応接室に通された。

 数分ほどで、社長の山中宏がいかにも迷惑だというような顔で部屋に入ってきた。

「忙しいので、用件は手短にお願いします」

 山際が警察手帳を持って名のろうとする前に、山中宏が言った。

「御社はクリーニングハウス社に清掃用ロボットを売られていますね」

「ええ、クリーニングハウス社はお得意様です」

「そのクリーニングハウス社のロボットなんですが、ただの清掃用ロボットではなく、録音や撮影機能を持っていて、それで得た情報を宇宙衛星に飛ばしてある国へ送信している疑いがあるのです。その機能を持たせた理由を教えてくれませんか?」

「そんなことですか。我々は、客先からの要望でスペックを決めます。だから、二足歩行用ロボットに録音や撮影機能を持たせたのは、客先からの要望によるものです。理由は、客先のクリーニングハウス社に聞かれたらいかがですか」

「クリーニングハウス社に聞いても、副社長がひとり御社に関わっていたので、分からないというのです。山中稔さんは亡くなられてしまったので、あなたに聞く以外に分からないんです」

「そう言われても」

「ドリームアドバンス社の本社からの指示であなたの会社は、クリーニングハウス社と組んで、我が国の機密情報を盗んでいる証拠があります。それについていろいろお聞きしたいので、署までご同伴いただけませんか」

「それ、任意ですよね」

「はい、任意です」

「分かりました。支度してきますから待っててください」

 三十分が過ぎた。

「遅いな」

 山際は、川上に向かって言った。

「刑事さん、社長が大変です」

 山中宏の秘書が、血相を変えて部屋に入ってきた。

「どうしましたか」

「社長が、倒れています」

「なんだって。案内してください」

 秘書の後から山際たちが社長室に入った。

「山中さん」

 椅子に座っていた山中宏は、ぐったりとしていた。

 山際は、山中の手首に指をあててから、ワイシャツのボタンをはずし胸に耳をあててから、川上たちに向かって首を横に振った。

「自殺ですか」

 和泉が言った。

「おそらく、このコーヒーに青酸化合物を入れて飲んだんだろう。和泉、宮原課長へ連絡してくれ」

「川上さん、残念です」

「山中宏は、すでに覚悟をしていたんですよ。普通では、この程度の事では、自害などしませんよ。やはり、NS国の諜報員なのでしょう」


 矢田由美子が死体で発見されたのを桑原が知ったのは、十二月十五日の午前だった。

「なんだって、矢田由美子に間違いないのか」

 桑原は、外事の里見に連絡した。

「死体は、青梅街道沿いの林の中です」

「今から本部へ行きますので、死体が発見された場所へ同伴させてください」

 一時間ほどで、桑原たちは現場に着いた。

「ご苦労様です」

 青梅警察署の刑事たちが、桑原たちを迎えた。

 矢田由美子の死体に近寄って、桑原たちは手を合わせた。

「桑原係長、死因は、絞殺によるものと思われます。状況から見ますと、かなり腕力の強い者の仕業です。推定時刻は昨晩の十時から十二時と推定されます」

「なにか盗られたようなものはありませんか?」

「携帯電話と財布が見当たりません」

「タイヤ痕などは?」

「見当たりません」

「桑原係長、証拠になるようなものはありませんね」

 里見が、がっかりした様子を見せた。

「この辺りじゃ、防犯カメラもほとんどありませんし、目撃者もいるかどうか」

 青梅警察署の刑事が、元気なく言った。


 山中商事社長の山中忠が、東京国税局の建物の一室で、松永局員による任意の取り調べが行われた。

 黒川ひとみは、別室から取り調べの様子を見ていた。

「山中さん、本日はお忙しい中、取り調べにご協力いただき、ありがとうございます。これからいろいろお聞きしますが、答えたくなかったら答えずに黙秘してもらっても結構です」

「御社は、十年前に設立されて、山中さんあなたが、いままでずっと社長を務められていますね」

「はい、私が起業してやっとここまで来ました」

「あなたは、T大学生の時にNS国に一年ほど留学していますが、どのようなことを勉強されたのですか」

「NS国の歴史についての勉強です」

「素晴らしいですね。ところで御社の財務課長の山崎正一さんが、使途不明金の五千万円のうち二千万円については民自党への政治献金だと言っているのですが、残りの三千万円の使途については、彼は知らないと言っています。三千万円、どうされましたか」

 山中忠は、黙秘した。

「では、この二年の間、クリーニングハウス社の副社長からあなたへ渡された九千五百万円は、一体どうされたのですか」

 黙秘は続いた。

「あなたは、ゴルフをよくやられますか?」

「ええ、私の唯一の趣味です」

「社長のお立場から、接待ゴルフが多いのでしょうね」

「そうですね。昔は銀座のクラブか赤阪の料亭と決まってましたが、健康に気を使う人が増えてきましたので、ゴルフが多くなってきました」

「どのような方とやられるんですか」

「取引先ですよ」

「政治家や役人たちとはどうなんですか」

「彼らは誘っても相手にしてはくれません」

「あなたは、十二月二日の日曜日にYGカントリークラブで経済産業大臣の小早川実氏とプレイをしていますね。その日だけでなく月一度の割合でプレイされている。間違いありませんね」

 山中忠は、正直に頷いた。

「赤阪の料亭でもよく会っているようですね」

 山中忠は、否定もせずにただ俯いていた。

「三千万円は、誰に渡したんですか?」

「黙秘します」

 顔を上げて、山中忠は答えた。

「そうですか。誰に渡したかお答えいただけるまでお付き合いいただきますので、よろしくお願いいたします。今日はもう結構ですのでお引き取り下さい。また明日九時にお迎えに上がります」


 後十日を残すだけになった。

 捜査会議が十時から開かれたが、どれも決定的な証拠は報告されなかった。

 クリーニングハウス社社員の山田涼介殺害については、犯人は未だ目星すらついていない。深山平一郎の証言では、クリーニングハウス社のロボットによる国会議員の事務所から機密情報を盗み取っていることを知ったためとのことだが、その容疑者と思われたクリーニングハウス社社長田所恵及び副社長山中稔は、殺害された。殺害に関する重要参考人であった家政婦の矢田由美子も何者かに殺されてしまった。そして、ドリームアドバンス社の社長の山中宏の自害。これらの事件の解明とNS国への機密情報漏洩の主犯そして経済産業大臣の小早川実氏への贈収賄等及びその関連についての捜査は暗礁に乗り上げてしまった。

「本部長とも相談したんだが、今日の午後に衆議院事務局の管理部長とクリーニングハウス社との贈収賄について記者たちにリークすることにした。理由は、捜査期間を引き延ばすためだ。それほど長くは引き延ばせないと思うが、その時はその時だ。諸君も今まで通り捜査に励んでほしい。よろしく頼む」

 どよめきがどこからともなく起こった。

 黒川ひとみが、大声で宮原課長と言って手を上げた。

「黒川警部補、なにか」

「山田涼介さんの殺害から深山平一郎さんの監禁、クリーニングハウス社の社長と副社長の死、家政婦の矢田由美子の殺害そして、ドリームアドバンス社の山中宏の自害と機密情報漏洩との関連性はかなり強いと思われます。また、我々の捜査の進行を恐れて、殺害等が行われたのではないでしょうか。だとすると、次は、山中商事の社長山中忠氏が危ないと思います。徹底的に山中忠氏をマークするよう進言します」

 ざわめいた。

「桑原課長、どう思いますか」

 山上が、桑原に聞いた。

「俺もそう思うよ。もっと早く気付くべきだった」

「今の黒川警部補の意見に関して、他に何か?」

 桑原が手を上げた。

「桑原刑事」

「山中忠氏の身柄の保全ですが、ドリームアドバンス社の山中宏の自害もありましたので、令状を取って身柄を拘束したらどうでしょうか?」

「決め手となる理由が、見つからない」

 黒川が手を上げた。

「脱税の証拠隠滅の恐れのためという理由で逮捕状を請求したらどうでしょうか。それが認められれば、二十日間の勾留が可能です。その間に事件を解決するんです」

 宮原は、寺内の指示を仰いだ。

「黒川警部補、その案を国税に持ち掛けて、国税から逮捕状を請求するよう説得してくれ」「諸君は、クリーニングハウス社、ドリームアドバンス社そして、山中商事を再度、徹底的に調べるんだ」

 話し終わった宮原に促されて、寺内が立ち上がった。

「この事件を解決しないと我が国を震撼させる事件に発展するかもしれない。この国を守るために、我々の力で解決するのだ。よろしく頼む」

 

 翌日、黒川ひとみの努力で、東京国税局の松永たちは山中忠の逮捕に山中忠の自宅に行った。

 さすがに商社の社長宅、フェンス越しに敷地内を覗くと庭の植え込みは綺麗に整えられており、池もあるようだ。

 松永の部下が呼び鈴を押した。

 女の声が、応答に出た。

「どちら様ですか?」

「東京国税局の者ですが、山中忠さんはいらっしゃいますか」

「またですか。今度は何の御用ですか」

 松永が代わって応えた。

「山中忠さんに脱税の疑いで逮捕状が出ています」

「なんですって。昨日から主人は戻ってきていません」

「まさか。お話をうかがわせてもらえませんか」

「どうぞ、中に入ってください」

 玄関のロックが解錠された。

 松永と黒川ひとみたちは、応接室に案内された。

 鼻筋が通って、髪を肩ぐらいまで伸ばし、品のよさそうな山中の妻は、心配と不安で松永の言葉を待っていた。

「実は、ご主人の命に危険が迫っています。我々は、ご主人の生命をお守りするためにやってきました。奥さん、ご主人の行き先をご存じありませんか?」

「主人は外泊することはありますが、その時は連絡してきます。昨日から、連絡がありません」

 山中の妻は、気が動転しているのか、松永の質問には答えていなかった。

 ただ、山中の妻の言葉に嘘はないと、松永と黒川は、山中忠がこの家に居ないと確信した。

 松永が、再び山中忠の行き先に心当たりはないかと聞いた。

「社長という立場上、接待や付き合いで飲みに行くことは多いようでしたが」

「奥様、飲みに行く場所で、何処かご存じありませんか?」

 黒川ひとみが、すかさず聞いた。

 山中の妻は、しばらく考えていた。

「そういえば、銀座のクラブで純という名のお店に行っていたと聞いたことがありますわ。実は私の名前が、純子なのでよく覚えているんです」

「奥様、ありがとうございます」

 これ以上居ても役に立つような情報は得られないと松永たちは、山中忠の自宅を後にした。

 プラットホームで上りの電車が来るのを松永たちは待っていた。

「松永さん、私はこれから銀座に行きますけれど、どうされますか?」

 黒川ひとみは、銀座のクラブの聞き込みは刑事の仕事だと言わんばかりに松永に向かって言った。

「私は、局へ戻ります。山中忠が、見つかったら連絡ください」

「もちろんです。真っ先に連絡します」

 黒川ひとみと高山は、地下鉄銀座線の銀座四丁目の駅で下車した。

 

 隣の席の山上が、桑原に声をかけてきた。

「これからどうしましょうか」

「そうだな」

 桑原が目をつぶった。

「もう一度、深山平一郎さんに話を聞きに行こう。何か新しいことが分かるかもしれない」

 桑原と山上は、永田町で半蔵門線に乗り換え、二子新地で下車して、深山の自宅までの道のりを十五分ほど歩いた。

 家から少し離れたところに、見張りの覆面パトカーが路駐しているのを桑原たちは軽く会釈して、通り過ぎた。

 妻のさゆりが、ふたりを居間に案内した。

 すぐに二階から平一郎が降りてきた。

「どうもご苦労様です」

「何か変わったことはありませんか」

 桑原が早々に訊ねた。

「別に変ったことはありません。事件の方はどうですか?」

 さゆりが茶を運んできて、二人の前に置いた。

「ご存じかと思いますが、クリーニングハウス社の社長と副社長が殺害されました。犯人と思われた社長の家政婦も殺されました。それから、ドリームアドバンス社の社長は自害されました。一連の事件の関係者は、ほとんどいなくなり捜査も行き詰ってしまいました」

「そうですか。そうするとまだ私も危ないかもしれませんね」

「気を付けたほうがいいです」

 それから三十分ほど桑原たちは、平一郎から以前の話を再度聞いて、深山の家を後にした。

「新しい収穫はなかったですね」

 山上は、桑原に話しかけた。

「山中商事は、黒川警部補たちがあたっているから、我々は小早川実にあったてみるか」

「桑原さん、そりゃまずいですよ。相手は、大臣ですよ」

「当たり前だ。小早川実の秘書にあたるんだよ」

「YGカントリークラブに小早川さんと一緒に来ていたあの秘書ですね。議員会館に行きますか」

「いや、署に戻ろう」

 署に戻った桑原は、宮原に小早川の秘書に聞き取りすることを相談した。

「桑原刑事、秘書に何を聞くんだ」

「小早川氏の収賄についてです」

「証拠がないのにそんな大それたことを聞くなんて馬鹿げている」

 桑原は、黙った。

「桑原刑事、これから勾留される山中忠に、小早川氏の秘書の件について、まず取り調べてみたらどうだ。それから秘書か小早川氏本人にあたるかを決めよう。その線から黒川警部補に取り調べてもらうよう連絡しておく」

「分かりました、課長」

 その時、宮原の携帯が振動した。

「黒川ひとみからだ」

「はい、宮原」

「宮原課長、山中忠が昨日から行方不明です。昨日家に帰っていないと奥さんが心配しています」

「奥さんに心当たりはないのか?」

「一か所だけですが、銀座の純というクラブによく行っていたそうで、これから私と高山が行ってきます」

「分かった」

「桑原刑事、聞いての通りだ」

「課長、山中忠が姿を消したのは、偶然でしょうか?」

「桑原刑事、どういうことかね」

「まさかとは思いますが、我々の内部に敵方に通じている人間がいるのではないかと」

「目星がついているのか」

「いいえ、そこまでは」

 この事件を解く手掛かりになる人間がいなくなっただけでなく、警察組織の中にNS国のスパイがいる疑いがあることに、これからどのように捜査本部を取り仕切ったらよいか、宮原は途方に暮れた。

「桑原刑事と山上刑事、小早川の秘書に聞き取りの件、これから署長に了解を取り付けよう」

 三人は、署長室に入った。

 署長の寺内は、三人に席を勧めた。

 宮原は、山中忠が昨日から行方不明により、今までの事件の解決の糸口が閉ざされてしまったこと、これを打破するには小早川経産大臣かその秘書あたりを調べて、何かしらの手掛かりを掴むことしか残されていないと寺内に訴えた。

「小早川さんがそのことを知ったら、どう出てくるか、君たちは分かってて言っているんだろうな」

「当然承知しています」

 宮原はきっぱりと言った。

「私に最悪の時の覚悟をしておけということだな」

 宮原たち三人は、うつむいた。

「分かった、覚悟をしておくよ」

「もう一つよろしいでしょうか」

「いいよ」

「桑原刑事、先ほどのスパイの件を説明してもらえないか」

 桑原は、宮原に促されて、本部の情報が敵方に漏れていて、我々の行動の前に敵は対処しているように思えて仕方がないと訴えた。

「もし、桑原刑事が危惧していることが事実だとしたら、今までの事件を解決することは不可能だ。どうしたらいいんだ?」

「しばらくは、捜査会議は開かないで捜査を勧めたらどうでしょうか。ただし、捜査状況は、すべて宮原課長が把握して、指示を出すようにしたらいかがでしょうか」

 桑原は、寺内と宮原を交互に見ながら言った。

 寺内は、宮原が口を開くまで黙り続けた。

「署長、桑原刑事の案はいかがでしょうか」

「分かった。宮原課長もそれでいいんだな」

「はい」

 宮原は、確信に満ちた返事をした。


 経産大臣の小早川実は、今年七十六歳。生まれは九州の鹿児島県で、祖父、父親も国会議員で地盤を引き継いだ三世。外務副大臣を経て、二年前に経済産業大臣という初の大臣ポスト射止めた。外務副大臣の時は、当時の大貫外務大臣と何度もNS国を訪れていた。今では、我が国のNS国への窓口となっており重宝されている。三十五歳の時に、大手アパレル会社の社長の次女時恵と結婚しており、長男の昭雄と次女の知美、三女の恵子をもうけて居る。

 彼には、公設秘書三人と事務員二人を雇っていた。

 政策担当秘書の三留保、公設第一秘書は小早川実の長男小早川昭雄が、公設第二秘書は小早川実の妻の叔父の息子の藤村恒夫そして、事務員は、小早川実の次女の知美と三女の恵子である。

 政策担当秘書の三留保は、わが国でも難関のS大学を卒業して、国会議員政策担当秘書の資格試験をトップ合格した男で、現在三十歳、近いうちに議員になり将来は総理を目指すとの野心を抱いている。容姿は、身長は百七十五センチで、高校時代剣道をやっていたため体つきはスマートだが、骨格はしっかりしているようだ。目鼻立ちは、やはり勉学には秀でていそうな賢さが、目つきの鋭さと鼻の高さそして、冷徹な唇の薄さから受け取られる。

 第一秘書の小早川昭雄は、親の七光りでこの年三十二歳まで生きてきて、将来は父親の地盤を受け継いで国会議員になると確信している。身長は百七十センチほどで、太り気味で見た目は優しそうな顔立ちである。

 第二秘書の藤村恒夫は、四十歳で今まで何度も転職をを続けており、二年以上長く定職に就いたことはなく、この年になっては、職を探してもなかなか良い職が見つからず、時恵が実に泣きついて秘書として雇ってもらったという経緯がある。

 次女の知美は、二十九歳でY大学を卒業して、山中商事に入社したが、数年で退職して父親の事務所に勤めている。知美は、母親の時恵に似て美貌の持ち主で、大学ではミスYに選ばれた。三女の恵子は、二十七歳、顔立ちは、父の実に似ている。

 以上の小早川実に関連した人物の情報は、衆議院事務局の管理部長飯山直樹から宮原たちが、聞き出したものだ。

「まずは、顔と名前を一致させなければならないな」

 宮原は、桑原と山上の顔を交互にのぞいた。

 桑原と山上は、小早川実の自宅を見張った。

 二日で、目的を果たした。

「課長、ゴルフ場についてきた秘書は、間違いなく第一秘書の小早川昭雄です」

 桑原が、宮原に携帯で撮った写真を見せながら言った。

「これからどうするかだが」

 宮原は、考え込んだ。

「第二秘書の藤村恒夫は、時々銀座の純というクラブに行っているようです」

 桑原が言った。

「山中忠も行っていたと黒川警部からの電話のあのクラブか?」

 宮原は驚いた。

「はい、黒川警部補から場所を聞いて行ってきました。黒川警部が純に聞き込みに行ったのですが、純のママは口が堅く何も情報を得られなかったといってましたので、私は、客として行ってきました。店員の話によると、藤村は、そこのママにぞっこんとのことで、ちょくちょく店に来るそうです」

 山上が口をはさんだ。

「おまえ、もうあの店に行ったのか」

「桑原さん、すみません。昨日下見のつもりで行ってきました」

 山上が頭を掻きながら答えた。

「よくそんな高い店に行けたな」

「そうなんですよ。二時間ほどいて三万円とられました」

 宮原も桑原もどうしてよいものかしばらく黙った。

「山上刑事、それは散財かけたな。他に何か分かったことはないのか?」

 宮原が、財布から二枚を出して山上に渡した。

「ありがとうございます。彼は一時期、小早川実の紹介で山中商事にいたそうですが、山中忠に煙たがれ、クリーニングハウス社へ出向になったそうです。そこでも、副社長の山中稔と喧嘩してとうとう首になり、そして、今のところに落ち着いたと店員が本人から聞いたといってました」

「そんな高いところに、公設秘書の給料で何回もいけるとは思えないが」

 桑原が首を傾げた。

「山中忠に煙たがれた理由は、なにかね」

「課長、申し訳ありません。煙たがれた理由や喧嘩した理由は、聞き出せませんでした」

「そうか」

「課長、山上刑事に当分の間そのクラブのなじみ客になってもらったらどうでしょうか」

 桑原が、進言した。

「桑原刑事、ちょっと待ってくれ。経費が認められるか署長に相談してからだ」

 しばらくして、笑顔で宮原が戻ってきた。

「桑原刑事、二回分は経費を使っていいと署長の了解を得たぞ」

「山上、後二回行けるぞ」

「ありがとうございました」

 

 山上は、酔っ払っていた藤村恒夫が、タクシーを降りて、純に入るのを見届けてから、十五分後に店に入った。

 すでに、十時を過ぎていた。

「山上様、いらっしゃいませ」

「メリークリスマス」

 山上は、後ろに隠しておいた花束をママに手渡した。

「わあ、綺麗。山上様、ありがとうございます」

 ママは、山上を藤村の隣のボックス席に案内した。

「みどりさんを呼んできますからちょっと待っててくださいね」

 しばらくして、みどりという女の子が山上の隣に座った。

「また来てくれたんですか。クリスマスイブなのに、ありがとうございます」

「みどりさんの顔を見たくなってね」

「まあ、うれしい」

 みどりは、グラスにアイスを入れて、ボトルのウイスキーをそれに注ぎ撹拌した。

「さあ、どうぞ」

「みどりさんも一杯飲んだらどう」

 みどりは、手際よく薄めの水割りを作った。

「じゃあ、メリークリスマス」

 山上は、グラスを差し上げて口に運んだ。

 そして、隣のボックスの藤村に目を向けた。

 藤村は山上に気づいて、こちらの席に来るよう山上を手招きした。

「みどりさん、藤村さんが呼んでるからあっちの席に移っていいかな」

 藤村恒夫は、かなり飲んでいるようで多弁だった。

 たわいもない話で二人は盛り上がった。


 翌朝、二日酔いの山上は、宮原と桑原を前にして昨日藤村から得た情報を報告した。

「藤村は、小早川実の弱みを握っています。それに付け込んで、クラブ純も小早川のツケで通っているようです。その弱みなんですが、十年ほど前、小早川がNS国に渡航した時にハニートラップに引っかかってしまい、それからというもの小早川は、NS国のスパイに成り下がってしまったようです」

「そんな話、クラブの女の子の前で話しているのか」

 宮原が心配そうに言った。

「いいえ、そのような話をするのは、帰りのタクシーの中です。純の店員にもスパイがいるんじゃないかと彼は疑っています。彼は、かなり用心深いです」

「なぜ用心深い藤村が、山上にそんな危ない話をするんだ」

 桑原が、不思議そうに言った。

「もしかしたら、彼に何かあった時に俺を利用しようと考えているのかもしれません」

「なるほど。藤村は思っていた以上に賢いな。小早川は、NS国の諜報機関に脅されているんだな」

 宮原が言った。

「NS国は、それだけでなく山中一家にも食い込んでいると、クラブ純で山中忠の言動から藤村は、そう思っているようです」

「我が国は、スパイ天国と今でも言われても致し方ありません。早くスパイ防止法を成立させないとこの国の将来は危ないかもしれない」

「桑原刑事、スパイ防止法の成立に反対しているのは、議員でも結構いる。小早川大臣もその一人だ」

「宮原課長、これからどうしましょうか」

 桑原が、聞いた。

「藤村恒夫だが、いろいろ知りすぎているようだな。今度は、彼が狙われる可能性がある。桑原刑事と山上刑事、当分、藤村から目を離さないでくれ。交代は、久米と和泉に頼んでおく」


 十二月二十六日、今年もいつかを残すだけになった。

 町には、クリスマスツリーに代わって、門松があちらこちらに見られるようになった。

「なんとか、今月中に解決の糸口を見出さなければならない。我々の仲間にNS国のスパイがいるなんて、一体誰だ」

 宮原は、事件の解決と警察内のスパイの特定の両方ともまだ確固たる証拠が、見つからないことに焦っていた。


 父親の小早川実が、引退を迫られその後継に指名するよう、第二秘書の藤村恒夫に脅されていることを、息子である第一秘書の小早川昭雄が、政策担当秘書の三留保から聞いて激怒した。

「おやじは、俺を後継にすると言っている。藤村には絶対に親父の地盤を継がさせはしない。なんとかしなければならない」

 昭雄は、小早川実に会って、事実を確認した。

「恒夫は、いろいろ知りすぎた。おまえは心配するな。俺がなんとかする」

 小早川実は、息子に向かって言って聞かせた。


 三日後の十二月二十九日の夜十一時頃。

 タクシーが止まった。

 二十メートルほどはなれたところで、山上は車を止めた。

 藤村恒夫が、タクシーを降りてマンションのエントランスに入ろうとした時、横から黒い影が飛び出てきて恒夫に向かって体当たりをした。

「危ない」

 藤村が倒れた。

 車の中にいた桑原と山上が同時に声を上げるや、車から飛び出た。

「待て」

 桑原と山上は、黒い影を追ったが逃げられてしまった。

 桑原は我に返って、エントランスに走った。

 山上も続いた。

「しまった」

 桑原が、声を上げた。

 コンクリートの表面には血液の跡が残っているだけで、倒れていた藤村の身体はそこから消え失せていた。

 自動車の発車音が響いた。

「しまった」

 桑原は、道路に出て去っていく自動車に向けてシャッターを切った。

 そして、その写真を宮原に送信した後に電話を入れた。

「はい、宮原。どうした」

「課長、今藤村恒夫のマンションの前で、藤村が刺されました。しかし、刺された藤村が何者かによって、連れ去られました。先ほど送信した写真の車が、おそらく藤村を乗せているものと思われますので、至急手配をお願いします」

「分かった。今からそちらに鑑識たちを行かせるから待っていろ」

 

 桑原が撮影した車の分析を終えて、藤村恒夫のあるマンションの都内に緊急配備を行うよう指令が発せられた。

 その結果一時間後に藤村を乗せた車が、青梅街道の側道に乗り捨てられていたのが発見された。

 その車は、盗難車だった。

 車内には、藤村の血痕が残されていたが、他にめぼしい手掛かりとなるものは残されていなかった。

 犯人たちのそれからの逃走経路は、未だ分からなかった。

 そして、大晦日を迎えた。

 藤村恒夫本人と恒夫を襲った犯人を探し出すことが出来ずに、最後の捜査会議が開催された。

 刑事たちからは、事件解決につながるような報告は皆無に等しかった。

 宮原が、横に座っていた寺内に顔を向けた。

 寺内は、立ち上がった。

「諸君、残念ながら本日をもってこの対策本部は解散する。一連の事件を解決できずに解散することは、私にとっても悔しいし、諸君に対しては、誠に申し訳なく思っている」

 皆、下を向いて悔しがった。

「はい」

 黒川ひとみが手を挙げた。

「黒川警部補」

「本部長、この一連の事件は、NS国による諜報活動の隠ぺい工作によることは明白です。もうしばらく時間があれば、解決できるはずです。なんとか、上層部を説得して本部を解散しないでいただきたい」

「私の力不足で、上を説得できなかった」

 寺内は、下を向いてしまった。

 黒川は、無念さを露にして座った。

「桑原さん、これでいいのですか」

 山上が隣の桑原に声をかけた。

「いいわけないが、天の声だ。我々だけでなく、署長も宮仕え、辛いはずだ」

「黒川警部補のような人がどんどん偉くなって、このようなことの無いようにして欲しいものですね」

「人間、名誉とか権力には弱いもんだよ。署長だって、若い時は、正義感に燃えていたはずだ。いい悪いは別として、組織にどっぷりつかってしまうと上には反論できなくなるんだ。警察組織では、特にそうだ」

「しかし、そんなことでこの国の将来は大丈夫でしょうか」

「何とも言えんな。ところで、山上。今晩はあいているか」

「ええ、特に用事はないですが」

「年越し酒でもやろうか」

「いいですね」

「黒川警部補も誘ったらどうかな」

 山上の頬が赤く染まった。


 年が明けての四日。

 渋谷のビルのニューステロップに、小早川実が議員を辞職したという文字が流れた。


 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スパイ 沢藤南湘 @ssos0402

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る