第137話 夢中朦朧~地獄から日帰り~

山の頂上へと近づくと、視界の少し先に見覚えのある石柱が立っていた。

おそらく、以前にヤトさんと会話した場所だろう。



「よかったぁ、ようやく着きそうだよ」



ホッとする。

小走りで駆け寄ってその石柱を足が越えたその時のことだった。



──ボワッと。



私の視界の左右の隅に、だいだい色の灯りが灯った。

とっさに振り向く。



「えっ……ロウソク?」



私の身長ほどの高さをした燭台に、火の灯されたロウソクが立てられている。

それがズラッと前に向かって一定の間隔で並んで延びていた。

まるで道を作るかのように。



「いや、待って……ここ、どこ?」



いつの間にか目の前に目印となっていた石の柱はない。

遺跡もない。

そしてそもそも……あたりの景色は山のものですらなかった。



……いつの間にか、上下左右すべて真っ暗な、ロウソクの火だけが揺れる世界に、私は独りポツンと立っているのだ。



「……おかしいなぁ。まさか、気づかないうちに地面の隙間に落ちちゃった?」



山にはときたま、そういった狭間がある。

出口のない地下空間になっていたり、どこか別の洞窟に繋がっていたりするものだが……

しかし、ここにはロウソクが並べられていて、明らかに誰かの意思で存在する場所に思えた。



「とりあえずロウソクの道の先に、行ってみるしかないのかな」



進む。

左右をロウソクに囲まれたその道は緩やかな上り坂になっていた。

その空間の最奥にぼんやりと弱い灯りに照らし出されたのは、かんぬきの掛けられた木製の、両開きの古い扉だ。



「この中に入ればいいのかなぁ」



かんぬきを上げて、扉を開く。

すると途端にその扉が立ち消えた。



「っ!?」



薄暗闇の空間だけが残った。

壁も無ければ天井もない。

湿った地面に、枯れ木だけが寂し気にいくつか立っていた。



「おおっ……ようやくここにも"人"がちてきたかっ!」


「えっ」



声が聞こえた方を向く。

黒い烏帽子えぼしを頭につけた、能面のように白い顔の男が立っていた。

喪に服すような黒の着物をゆっくり揺らして、こちらに近づいてくる。



「下人か? まあいい。よくぞ来た、地獄へ」


「地獄……?」


「そうとも。ここは死の神が作りし地の底。咎人に合わせてその形を変える罰の世界じゃ。お主も死の神をよほど怒らせたらしいのぅ、と仲良くできそうじゃ」


「えっと、ところであなたは誰なんですか?」


「ほう? 倭国で"現御神あきつみかみ"たる余を知らぬ者などおらぬはずだが」


「ワコク? アキツミカミ? すみません、私、有名人とかよく知らなくて……」


「ホッホッホッ、蛮人か。よいよい」



烏帽子の男はニコリとする。

微笑むと、着物の袖から出した手を私に向ける。



「射よ」



男の背後の空間が、水面のように揺れた。

かと思えば、そこから高速の矢が打ち出された。



「あの、なんですか、これ……?」



矢は私の顔に向けて飛んできたので、思わず指で挟んで止めてしまったけど。

あいさつにしては乱暴すぎるなぁ。



「……おや、何をするか。ダメだろう、矢を受け止めてしまっては」



烏帽子の男はギョロッと目を剥いた。



「仲良くしようではないか。そのためにはまず、余を知らぬと言った其方そちの無礼を罰しなくては」


「え?」


「まずはその目を潰す。それから全裸になって高台へ登りたまえよ。矢で射落とすからの。下には馬を用意させておこう。動けなくなったお主をひきずって……そのあとようやく仲良くできる」


「ちょっと、何を言ってるのか……意味がわからないんですけど」


「だからっ、余は余の立場を越え、野卑で無教養で蛮人な其方と仲良くしたいのだっ!」



ダンッと。

男は強く地面を踏みしめる。



「何百年……いやもう千年以上っ、余は人と戯れておらぬっ! 久しく感じておらぬっ! 人で遊ぶ快楽をっ!」



その噛みしめた下唇から、赤いヨダレが滴り落ちていた。

鼻からは荒い息。

きれいに描かれていたのだろう丸い眉は八の字に引きつって線になっている。



「ああっ、もう我慢ならん! 早く"友人たち"で遊びたいっ! 手足を潰された男の叫ぶ姿、腹を切り裂かれた女の悶え苦しむ姿、人が壊れていく風情を感じたいっ!」


「えぇ……」


「余のそんな"遊び"に、死の神は不遜にも難色を示しおった! そうしてこんな暗い場所へと独り閉じ込めて……なんと可哀想な余! おおっ、自分のことながら涙が出てきおった!」



ヨヨヨ、と。

泣き崩れた男は着物の袖で目元をぬぐう。



「なあ、其方も辛かろう? 現御神たる余がこんなに苦しんでいる姿を見るのは、さぞ心苦しかろう? 余のために尽くしたくなってきたはずだっ」


「いえ、ぜんぜん」


「不届き者の国賊め……!」



男が再び手を私へと向けた。



「余がめいを下せば倭国が動く。万の民たちが余の言うとおりに動く。国が余、余が国なのだ。倭国に逆らいし者の末路、その身でもって知るがいい!」



男の背後の空間が揺れる。

かと思うと、再びそこから、今度は無数の矢が飛び出して私へと向かってきた。






* * *






~山の頂上付近、神々の集落跡にて~




竜神ヤトの鎮座するその遺跡に、青いウロコをした細長い竜が滑り込むようにやってきた。



「む、竜太郎か。どこに行っていた。大変だったのだぞ」


「……ちょっと、ね」



竜太郎はとぐろを巻くようにしてヤトの前に体を落ち着けると、長い首を左右にキョロキョロとさせる。



「かすかにレンゲとのつながりを感じる……俺の居ぬ間にレンゲを招いたのか、父さん?」


「レンゲを? いいや、そんなことはない。それよりも竜太郎、この世界に侵入者がやってきたのだ」


「侵入者?」



ヤトは首を縦にする。



「神たちをして歯が立たない謎の者だ。つい先ほど地獄にいざなったばかりでな。ワシもまだその姿を見ることはできておらぬ」


「地獄……だが侵入者は死人ではないのだろう? 死後の世界は用意できぬはずでは?」


「ああ。だから1500年前の暴君へと用意した"孤独の地獄"への道を用意した。そこならば暴君以外に亡者もいない。侵入者の観測もしやすかろう」



ヤトは言うなり、竜太郎との間の地面に"穴"を空けた。



「ここから覗けば地獄の様子が見える」


「うん。見てみよう」



ヤトと竜太郎は穴を覗く。

映し出された地獄の底。



「さて、侵入者はいったいどのような輩だろうな──」



ヤトと竜太郎は息を呑んだ。

その穴から、細い女の手が突き出してきた。



「──んしょっ、と」



その手に力を込めて体を持ち上げたのは、レンゲ。



「あっ、ヤトさんっ! 竜太郎っ!」



レンゲは満面の笑みを浮かべると、



「よかった、やっと会えたぁっ! 迷子になっちゃったかと思ったよ。なんか変なところに迷い込んじゃって」



あぜんとして、ヤトと竜太郎は互いに顔を見合わせた。

それからレンゲがはい出してきた穴……

地獄の底を見た。



「チクショウッ、チクショウッ、チキショーーーッ!!!」



烏帽子を被った男の生首がポツンと地面に転がっていて、苦悶の表情で叫んでいた。

もうすでに死人であるその男がさらに死ぬことはできない。

その姿のまま、再び永劫のときを過ごすことだろう。


ヤトは穴を閉じた。

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