第131話 自主訓練~Crazy Dog~

~受験生 "乙羅サヤ子" 視点~




「──"Crazy Dog"、乙羅サヤ子……ねぇ」



ファミレスのボックス席、そのワタシの向かいで。

ドリンクバーのジュースをチュルチュルすすりながら、Nさんは楽しげだった。

相変わらずヒジャブのようなマスクで顔を隠していたが、唯一露出しているその目元が弧を描いている。



「かっこいい走者名がついてよかったじゃない」


「よくないですっ!!!」



思わず張ってしまった声に、夏休みで親子連れの多い昼間の店内が一瞬シンとする。

ハッと我に返るも時すでに遅し。

迷惑そうにこちらを見る店員さんに慌てて頭を下げる。



……でも、本当に笑いごとなんかじゃなかったのだ。



「大変だったんですよ、本当に……。周防さんを"病院送り"にしたことで、今日までホテル内の自室で謹慎処分を受けていたうえ、それがワザとじゃないって証明もなかなかできなかったんですからぁ……!」



今日は座学の講習会の最終日だった。

明日からは実技講習が始まるというのに、ワタシときたら初日と今日以外はまったく座学に参加できていない。

それどころか、



『出たっ、乙羅サヤ子だ……!』


『アイツ、誰彼構わずに突っかかって食いついていくらしいぞっ』


『なんだよそれ、狂犬じゃねーか……!』



いつの間にかそんなウワサがあちこちで立っていて、"Crazy Dog"なんて悪名までついてしまっている始末だ。

みんな競うようにワタシから距離を取っていった。

まるでたちの悪いウイルス扱いだ。



「まあ、受験資格がはく奪されなかったのは不幸中の幸いじゃないか」



隣に座っていた城法くんがなだめるように言う。



「正直、僕はもう乙羅さんは帰って来ないんじゃないかと。あれがワザとでないにしろ……さすがにやり過ぎだと思ったから」


「で、ですよね……不思議なんです。謹慎を解きにきてくれた先生も、『何がなんだか分からないけどとにかく問題は解決したらしい』みたいな口ぶりだったので」


「ふむ……乙羅さんや緒切さんは他の人とは違う"特別な"素養があるみたいだし、もしかしたら"上"から何かしらの圧力があったのかも……?」


「上? 上ってなんですか?」


「ダンジョン高等専門学校の校長とか、あるいはもっと上、たとえば日本政府──」



ジュルルルルッと。

城法くんの言葉を遮るように、ストローの音が立つ。



「まあどうでもいいのよ、そんなことは」



Nさんが空になったグラスに残された氷をカラカラと揺らしていた。



「大事なのは明日からのことよ。実技講習が始まるのよね?」


「あっ、はいっ……そうでしたっ」



そう、明日からは待ちに待った実技講習だ。

そこでワタシたち受験生は何組かに分かれて、あのRENGEちゃんといっしょにVERY HARDモードの攻略体験をすることになっている。



「わっ、ワタシは明日さっそく行ってくるんですが、もっ、もう楽しみで楽しみで……!」


「楽しみなのもRENGEに憧れるのも結構なことだけど……オラちゃん、あんた"自主練"の方はちゃんとやってきてる?」


「あっ、Nさんがこの前くれた、ノートのやつですよねっ? 一通り試してますっ! 段々使い方も慣れてきました。これが身体強化の何倍分の力になってるかって感覚がイマイチつかめてないのが怖いんですが……」


「まあ、その感覚は他の誰にも分からないものだから仕方ないわよ。なにせソレ、昔の研究じゃ失敗して、そのまま頓挫した強化方式らしいんだもの」



Nさんは肩を竦めつつ言う。



「魔力の経路を新しく体の中に作って運動能力を強化する……オラちゃん以外の体じゃ耐えられない負荷よ。だから、オラちゃん自身に慣れていってもらうしかないわ」


「そ、そうなんですね……?」



これが過去に失敗した強化方式、というのがピンとこない。

なにせこの方法は今の魔力を外に纏う新方式や、これまでの魔力で体の内側から強化するだけの旧方式よりも、やたらとワタシの体に馴染むのだ。



「ま、実戦練習を積めばおのずと身についていくでしょ。そうしたら周防とかいうヤツ相手にやらかしたような"暴発"もなくなると思うわ」


「が、がんばります……!」


「よろしい」



Nさんは満足げに頷いた。



「その力でがんばってRENGEに食らいつくことね」


「へっ?」



どういうことだろう?

RENGEちゃんとはいっしょに攻略を進めていく流れになると思うのだが……



「まあ、明日になれば分かるわよ。RENGEといっしょにダンジョンを攻略するってことが、どういうことなのかは」



Nさんは訳知り顔で言うと、立ち上がった。

ドリンクバーを取りに行こうとしたらしい。

しかし、



「あ、あのっ」



それを隣の城法くんが呼び止めた。



「Nさんっ、君にお願いがあるんだけれど……」


「なに、アンタもドリンクバーのおかわり? コーラでいい?」


「違う違うっ、そうじゃなくてっ……どうか僕にも、自主トレーニング法を教えてくれないか」


「え、どうして?」


「ど、どうして……って。そりゃ、僕には何も無いから」



城法くんは卓上の空のグラスを両手で包み込むようにして握りつつ、言った。



「乙羅さんのようなフィジカルも、緒切さんのような特別な力も。僕は実力的には何もかもが平均的で、こうして受験生に選ばれたのは、去年書いたレポートがコンクールで評価されたからって理由なだけだろうし……」


「それで?」


「今のままじゃ、周防のヤツが言っていたように、僕がみんなの足を引っ張ってしまう。だから、強くならないといけないんだ。だから、どうか僕にも強化プランを……」


「強くなるって、いったいドコを?」


「えっ?」


「えっ、じゃないわよ。だって私、そこまでアンタのことは詳しくないもの」



Nさんは肩をすくめる。



「私は万能の魔法使いじゃないの。人に頼る前に、自分の強みくらい、まず自分で知るように努めなさい」


「そ、それは……道理だろうけど……」


「まあ、何も強みが無いヤツが受験生に選ばれるはずもないし。この受験期間でせいぜい自分を見つめ直すことね」



Nさんはそうとだけ言って、俯く城法くんを置いてドリンクバーのおかわりを取りに行ってしまった。


なお、緒切さんは終始無言で、Nさんの横でキッズメニュー表の表紙の間違い探しに真剣に取り組んでいるようだった。

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