第94話 新生活と同居人

~ナズナ視点~


『ナズナ君、君も百も承知のことだろうと思うんだけどね、今後"こういうこと"は控えてもらえると非常に助かるというか……"事"が国境を越えてしまうと諸々の後始末が本当に大変なんだよね』


「すみません。私も想定外な事態でしたので」


ワンルームの自宅の外、

アパートのドアの前でナズナは電話越しに軽く謝罪した。

向こうはそれほど怒っているわけじゃない。


『君をして"想定外"と言わしめるとは、さすがは君のお姉さんということなのだろうね。規格外の姉妹だ……あ、これは良い意味で』


「悪い風に取ろうとは思っていませんよ」


ナズナが言うと、電話の向こうからホッと息を吐いたような音がした。


『さて、そういうわけで越境問題とLiUの処遇については水面下で解決した』


「ありがとうございます」


『それともう2点。君たちのご両親との分籍、それと新しい後見人についての手配ももうすぐ完了しそうだよ』


「そちらに関しても助かります。新しい後見人さんのサインがあればようやくアレが買えます」


『これについては大したことではないさ。また何かあればいくらでも力を貸そうじゃないか。ただ、その代わりといってはなんだが……』


ああ、きたか。

みんな心配性なのよね、本当に。

ナズナはため息を押し殺しつつ、


「分かっています。私も姉も、表だって政治に関わるつもりはありません。それとサイバーテロ対応に関してもこれまで通り」


『……助かるよ。君が片手間で設計してくれたガーディアンシステムのおかげでずいぶんと対応が楽になったとのことだ。今後も互いに助け合える良い関係でいられたらと思っている』


「ええ、そうありたいです。では総理、私はそろそろ」


『うん。時間を取らせてすまなかったね。お姉さんの方もお大事に』


「ありがとうございます。失礼いたします」


ピッと。

ナズナはスマホの通話を切った。

3月後半、晴れ渡る春の空を見上げて大きく息を吐く。


「まあ、有名になるのも悪くはないわね。できることも増えるし」


最初は姉のレンゲが有名になることで姉妹の時間が損なわれてしまうのではと不安だったけれど、どうということもない。

どれだけ有名になろうとも、どれだけ自分が遠慮しようとも、姉はちゃんとナズナのことを考えてくれているのだから。


「お待たせ、お姉ちゃん」


ナズナがワンルームへと戻る。

今日はこれからちょっとしたお楽しみだ。

姉は腹を鳴らして待っていたことだろう……

なんて思ってはいたのだが、


「いーい? これがハラミ」


「ハラミ」


「こっちがタン塩」


「タンシオ」


「牛ホルモン」


「ギューホルモン」


「うんうんっ、すごいよリウ! ちゃんと日本語覚えられてるよー!」


ワンルームの部屋の中心で、レンゲは食欲がどう空回りしたのかリウへと焼き肉屋のメニューを使った日本語講座を開いていた。

リウの困ったような顔がナズナを向く。


「タスケテ……ズットコレ」


「はぁ……お姉ちゃん、待たせてごめんね。そろそろ行きましょ」


ナズナがそう言うと、レンゲは目を爛々と光らせた。


「うんっ、楽しみだね! ナズナの卒業祝いで焼肉食べ放題!」


2日前まで高熱にうなされていたとは思えない元気っぷりで、レンゲは正座の姿勢から反動も使わずに立ち上がると早々に出かける準備を済ませてみせた。

よっぽど楽しみなのだろう。

微笑ましい姉だ。


「そうね、楽しみね。ちなみにお姉ちゃん、私からもう1つ重大な発表があるの」


「えっ? なに?」


ナズナはグルリとワンルームの部屋の中を見渡しつつ、


「詳細は焼肉を食べながら話そうと思うけど、"新居"についてちょっとね」


そう言って微笑んだ。




* * *




4月初週。

私たちはその"新居"へと引っ越しを終えた。


「家具を運んで来た時にも思ったけど……やっぱり広すぎない?」


秋津駅から徒歩10分ほどの場所に昨年できた新築の分譲マション、3LDKの間取りの部屋。

ナズナに進められたその物件を、私はいつの間にか親戚の叔父さんではない新しい後見人の方の署名入り契約書を持って、3月後半に『えいっ!』と清水の舞台から飛び降りる勢いで購入した。

約90,000,000円。

ゼロが多すぎて具体的に何万円だったかは思い出せない、思い出したくない。


ただ今の私には買えるようだった……

私のRTA配信用の口座管理はナズナに任せているので、具体的に私の貯金額がいくらなのかは知らない。

ただこの前それとなく聞いたところ、

『普通預金の利回りで学生のバイト代くらいにはなるわよ』

とのことだった。


ともかく、お金に余裕はあるらしい。


「それにしたって3LDKって広い……これ20人くらいいっしょに暮らす想定してるのかな? 豪華だ……」


「いや、一世帯想定だと思うけど。というかお姉ちゃんいつまで緊張してるの? そろそろリビングの入り口から動きなさいよ」


「う、うわぁぁぁ」


ナズナが私の背中を押してリビングの中へと押し込んでいく。

なんかこのリビングだけで私たちがこれまで住んでいたワンルームより広いんですけどっ!


「あ、でも敷布団を入れる押し入れが無い!」


「リビングは寝る場所じゃないし敷布団は捨てたでしょ。今日からはベッドよベッド。何のために個室があると思ってるの?」


「そ、そっか……」


「ところでお姉ちゃん、リウはどこ?」


「えっ? あ、どこだろ?」


そういえばこの家に入ってから見かけない。

ひとりでどこに行ったのだろう?

すごいな、3LDK。

広いから、家の中でも家族の姿を探さなくてはいけないのか!


お風呂やトイレ、そして各部屋を巡っていく。

すると、


「ん、何か用か?」


この家の中で一番間取りのある9畳間の部屋、そのベッドでリウはゴロゴロとしていた。


「我の部屋はここね。ここが一番広いから」


この2週間あまりで恐ろしいほど流暢に日本語をしゃべるようになったリウが、枕を抱き寄せ居心地良さそうに言った。


「もうワンルームは懲り懲りだ。プライベートも何もあったもんじゃない。我はここにテレビとパソコンを持ち込んで日がな一日引きこもるんだ。ご飯の時は呼んでくれ」


「……」


ナズナが無言でリウに歩み寄った。

そしてその手のひらをギュッと握ると、


「調子乗ってんじゃないわよ、居候」


「アダダダダッ!?」


リウへと思い切り小手返しを決めていた。

そしてそのままベッドの端へと誘導して落とす。


「ここはお姉ちゃんの部屋よ。アンタの部屋じゃない」


「クッ、じゃあ我はどの部屋に行けと!」


「アンタにはベランダがあるじゃない。ベランダで寝食なさいよ」


「ワンルームの時より条件が悪い!? 3LDKだぞ!? せめて部屋のひとつを分けてやるという発想はないのかっ!?」


「部屋がほしくばバイト先を探してきなさい。いつまでもタダで衣食住が提供されると思わないことね」


「レ、レンゲ~~~!」


リウが弱った顔でこちらを見てくる。

うーん、まあ働かざるもの喰うべからずって言葉はあるけれど、


「ま、まあまあナズナ。リウはまだ日本に来て2週間ちょっとしか経ってないんだから、バイトはまだ難しいかもよ?」


「お姉ちゃん、甘すぎっ! コイツもう充分以上に日本に順応してわよ!」


「でも……ほら、追々ってことで。さすがにベランダ暮らしは可哀想だよ」


「れ、レンゲ~~~!!!」


リウがキラキラした目で見つめてくる。

うーん、こういう目にはちょっと弱いかもな、私。

頭をヨシヨシしておこう。

ヨシヨシ。


「まあナズナの言うことも分かるし、お部屋は別のところね」


「うー……まあよかろう。それで我慢しようではないか」


落としどころも見つかったところで部屋の割り振りは完了。

私が9畳間、ナズナが7畳間、そしてリウが6畳間だ。

ちょうど一年前の今ごろじゃ考えられなかった新生活の幕が開けた。

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