第83話 アジア予選 前週 その1

3月中旬に差し掛かったとある朝。

厳しい寒さの冬も終わりに近づいて、

そしてとうとうアジア予選大会が来週へと迫っている。


「ね、ねぇナズナ。お姉ちゃん、なにも忘れてることないよね?」


「それ1日に何回確認してくるのよ……万が一何か忘れてたとしてもパスポートの準備はできていて飛行機のチケットも取ってるんだし、最悪他はどうとでもなるわよ」


「う、うん。でも……」


無性に落ち着かない気分だ。

気が急いている感じ……

初めての海外に緊張してるのかなぁ?


「あ、カップ麺とか持っていった方がいいかな? ほら、向こうのお料理って辛そうだし」


「要らないわよ。今さら辛い物に敗けるお姉ちゃんじゃないでしょ?」


「でもほら、ナズナやAKIHOさんたちが食べるかもしれないし、」


「もー、大丈夫だからっ! 早くお仕事行ってきなさいっ!」


ナズナに背中を押されて家から追い出されてしまう。

……ふぅ。

アジア予選の日が近づいてくるほどに気忙しくなっちゃって、最近はお仕事にもなかなか身が入らないんだよね。

集中できないから私の"へるモード"ダンジョンの攻略時間も50分を切ったあたりから伸び悩んでいるし。




「──レンゲちゃん。清掃作業はもうしなくていいから」




……え?

秋津ダンジョン管理施設、事務所にて。

施設長より衝撃のひと言がかけられて、頭が真っ白になる。

清掃作業をもうしなくていいって、それ……


「ク、クビってことですか……?」


よくある『明日からもう来なくていいよ』と同じ意味なのでは?

私、なにかしちゃったっ?

いや、"へるモード"のお掃除完了時間が一向に縮まらないからだろうか……

私、これからいったいどうすれば……


「いやいや、まさかっ!」


施設長は慌てたように言うと、


「そうじゃなくて、来週からアジア予選だから調整とかに時間を使っていいからって意味だから! 誰もレンゲちゃんに辞めて欲しいなんて思ってないよっ!」


「あっ……そうでしたか、よかったぁ……」


ホッとする。

明日から路頭に迷う羽目になるかと思ったよ……。

施設長の方も胸を撫でおろしたように息を吐いていた。

私が早とちりしてしまったばかりに、申し訳ない。


「でも私が清掃作業から離れてしまったらダンジョンが汚れっぱなしになってしまうんじゃないでしょうか」


「そこは安心してもらっていいよ。今週と来週は臨時で業者さんに来てもらうことになっているから」


「そうなんですねっ、それならよかったです。施設長、いろいろとご配慮いただき本当にありがとうございます」


業務外の大会のためにここまで協力してもらえるなんて、きっとなかなか無いことだろうと思う。

そういったことを当たり前として受け取りたくはない。

私は私で大会でキチンと結果を出して、そうしてこの施設やダンジョンRTAのより一層の"ぶーむ到来"のためにできることをしないとね。


「でも、調整って具体的に何をすればいいんでしょう……?」


これまで通り"へるモード"に取り組むべきか、あるいは本番で使われる"はーどモード"に取り組むべきか……

でも”はーどモード”ってすぐに終わっちゃうんだよね。

うーん、どうしよう?


「何も無理にダンジョンに挑み続ける必要はないんじゃないかな?」


「えっ?」


思わぬ言葉に施設長を見上げると、施設長は微笑みながら、


「普段通りの実力が出せればレンゲちゃんの勝利は間違いないんだ。だったら大事なのはむしろ心の方だと思うよ」


「心……」


「日本代表の他のみんな……AKIHOさんたちに会いに行ってみるのはどうだい? きっとみんな全力で準備をしていることだろう。レンゲちゃんにとってもいい刺激になるんじゃないかな」


そういうものなのかな?

まだ少しピンとはこないけど、でも施設長が言うからにはきっと何か意味があるんだろう。

AKIHOさんは有明のダンジョン管理施設を主に利用しているんだっけ。

ちょっと覗きに行ってみようかな。




* * *




「有明の施設はダンジョン用の部屋がいくつもあるから大変だなぁ……」


私はさっそく有明まで足を運んでいた。

帽子にサングラス、マスクと変装は完璧にしてきている。


ここに来ることはAKIHOさんには連絡済みで、何でも"でぃーいち"という部屋のダンジョンで特訓しているということだった。

でぃーいちってD-1のことだよね?

さすがに私だって"ろーま字"ぐらい読める。

ただAKIHOさんはいつも英語や難しい単語に配慮してくれるので、私との"ちゃっと"履歴はひらがなだらけだ。


「あった、D-1ってここかぁ」


観戦室で待っていて、と言われていたので私はD-1ダンジョン内の様子を"もにたー"で観ることができる隣の部屋へと入った。

……懐かしいな。そういえば施設長と前にいっしょに来た時もこんな場所に入ったんだっけ。

それももう半年近く前の出来事になろうとしている。

時の流れって本当に早いなぁ。


「……あっ」


モニターを見ればそこにはAKIHOさんがRTAを行っている様子が映っていた。

"はーどモード"ダンジョンの15階を走っているらしい。

魔力爆発を推進力に変え、流れるような動きでモンスターを討伐して進んでいる。

現在のタイムは……5分12秒。


「──おい見ろよAKIHOのタイム! これ去年の世界大会ベストタイムのペースだぞっ!?」


「──すっご。これマジ?」


「──っぱ時代変わったよなぁ」


私と同じ観戦室に居る人たちもその映像に釘付けになっていた。

AKIHOさんは汗だくになりながら、苦しそうにしながらも前だけを向いて走り続けている。

そうして地下20階、25階と順調に進み30階層のフロアボス。

出現したのは大きなミノタウロス。

しかし、


『ハァッ!!!』


AKIHOさんは地面を足でひと蹴りして爆進した勢いで剣を突き出す。

するとミノタウロスの上半身が剣ごと遥か後方へと吹き飛んだ。


──テッテレーテーテ~~~!


〔RTA完走おめでとうございます。あなたはHARDモードダンジョンを完全クリアいたしました。今回の記録は10分37秒でした。有明ダンジョン管理施設HARDモードの新記録です〕


観戦室がどよめきに包まれた。

AKIHOさんのタイムは確か去年の10月は19分くらいかかっていたハズ、それを思うと約半分に短縮できているのだからとてもすごいことだと思う。

みんなが驚くのも当然のことだ。


「これ、AKIHOさんが今この部屋に来ちゃったら囲まれてすごい騒ぎになるんじゃ……」


D-1のダンジョン入り口で待っておいた方がいいかも、と思いそそくさと部屋を出る。

そうしてD-1の部屋に入ろうとしたら、


「おい、貴様何者だ? いまこちらはAKIHO様が使用中だぞ」


「えっ?」


黒服で強面の男性に止められてしまった。

警備の人かな……


「あ、あの私、AKIHOさんのおともだちで、」


「嘘を吐くな。友達という割りになんだ、そのいかにも怪しげな帽子とサングラスとマスクは。顔を隠したがってるのが見え見えだぞ」


「え、えっと……」


「AKIHO様に悪質なストーカーや週刊記者などを近づけないのが護衛である私のミッション。お前のような変質者をこの部屋に立ち入れさせなどするものかっ!」


ざわざわ。

その護衛を名乗る男性の言葉にあたりの注目が集まってくる。

みんな私を見てヒソヒソと。


「え、あれ変質者? ヤバくね?」


「通報した方がいいかな……?」


「うわぁ、サイテー」


なんということだろう。

あらぬ疑いがどんどんと深まっていくではないか。

針のムシロだ!

いったいどうしたら……なんて思っていると、


「え、なにこれ? 何の騒ぎ?」


AKIHOさんがD-1部屋から顔を出した。

そして私を見、そして護衛の人見て『ゲッ』とした顔を浮かべると、


「また来たの、このストーカーめっ!!!」


AKIHOさんはそう叫んだ。

その指がさす方向に居るのは……"護衛の男性"。


……え?


「そっちがストーカーなのぉっ!?」


いや、当然私はストーカーじゃない自覚はあるけどさ!

『悪質なストーカーを近づけさせないのが私のミッション』とか私に言っておきながら、自分がやってるんじゃん!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る