第50話 世界大会日本予選 組み分け
世界大会日本予選の1週間前、
とある平日の午後のことだ。
ダンジョンRTA協会の公式ホームページで、とうとう予選の組み分けが発表された。
「Fブロック……幕張会場?」
「まあまあ遠いわね」
「AKIHOさんは……あっ、Eブロックだって。近いねっ?」
「有明会場ね。まあ関東の参加者は関東でやるみたいだし近くて当然よ」
私とナズナは秋津ダンジョン管理施設の事務室に来てそれを見ていた。
幕張……名前は知ってるけど行ったことはないなぁ。
「幕張って"びっぐさいと"があるところだっけ?」
「それは有明。幕張はメッセね。まあ会場はそこじゃなくて、その近くにあるダンジョン管理施設だけど」
ナズナが"ぱそこん"をカチャカチャとして、行き方を調べてくれる。
「ここからだと1時間くらいみたいね」
「うわぁ……片道1000円以上もするよ。うちの2.5日分の食費……」
「お姉ちゃん、その貧乏性なところはいい加減直したら? お姉ちゃんが有名になる代わりにお金は今月イヤってくらい入ってくるんだからさ」
ナズナはそう言って大きなため息を吐いた。
そんなこと言われてもなぁ……。
振込までに何かあったら、と思うとなかなかお金には手を着けづらいんだよね。
「当日の行き方を話しているのかい?」
私とナズナの会話に、後ろから施設長が入ってくる。
手にはお盆。
その上にはお茶とお茶菓子が乗っていて、私とナズナの前に置いてくれる。
「あ、ありがとうございます施設長っ! お仕事の方は……?」
「うん。ダンジョンの案内と説明ならさっき終わったところだよ。今日も各時間満員だし、また後で行かなくちゃいけないけどね」
施設長はそう言って腰を叩く。
腰痛を持っていたという話だったから、ずいぶんと辛そうだ。
「あの、もし可能なら私がお仕事を代わりましょうか……?」
「いやいや。レンゲちゃんが出て行ったらすごい騒ぎになっちゃうからね。大丈夫さ。それに実は追加でスタッフの募集もかけているところなんだ」
「えっ、そうなんですかっ?」
「うん。レンゲちゃんのおかげでお客さんもたくさん集まってくれるようになったからね」
施設長は微笑みながら頷いた。
とても明るいニュースだ。
それに、私の"おかげ"とも言ってくれた……
なんて嬉しいことだろう。
私の力で、施設長の役に立てたのだ!
「ところで日本予選の日だけれど、よかったら私が車で送って行こうか?」
「えっ、でもそこまで施設長にご負担をかけるわけには……」
「いや、私も現地で観戦したいからねぇ。それに車でならナズナちゃんもいっしょに連れて行けるだろう?」
「えっ……私っ!?」
ナズナは驚いたように施設長を見る。
「わ、私は別に行かなくても……どうせ予選のRTA中はアドバイスもできないし……」
「まあまあ。せっかくのレンゲちゃんの晴れ舞台なわけだしさ、見守る気持ちで応援に行ってみるのはどうだい?」
「……そこまで言ってくれるなら」
ナズナも納得したので、私は施設長のお言葉に甘えることにした。
電車賃が浮くというのは正直、とてもありがたい。
「……お姉ちゃん、私も応援に行くからにはちゃんと特訓の成果を見せてよねっ」
「う、うん。分かってるよ……」
とは言いつつ、正直なところ不安だ。
ナズナに何度も相手をしてもらっているけど、まだまだ成功率は低いし……
「特訓? レンゲちゃんは何か特訓をしているのかい?」
「ええと、まあはい……弱点の克服を」
「弱点……ってまさか?」
施設長は驚いたようにナズナを見た。
その視線を受けたナズナは頷き返し、そしておもむろに腕を組むと、
「──Nice to meet you」
私に向けてその"呪文"を放つ。
空気が震え、音波が私の耳に入る……
その瞬間、
「あいむっ、ふぁいんっ、せんきゅー!!!」
私は反射的にその言葉を放った。
冷や汗が、ドッと額に浮き上がる。
「あっ、危なかった……!」
私のその反応を見て施設長は目と口をまん丸に開け、
「レンゲちゃんが眠らない、だと……!?」
「はい、私が仕込みました」
ナズナが胸を張って答える。
「はい。ある特定パターン……"This is a"や、"I'm"、"You are"を始めとして、あいさつや親愛表現など、日本人が1番最初に覚えるいくつかの構文を姉の耳に"ただの音"としてインプットして、それらに対して脊髄反射的に"あいむふぁいんせんきゅー"と答えるように教育したんです」
「それはいったい……どうしてっ?」
ナズナはひとつ咳ばらいをすると、説明のために口を開いた。
「そもそもお姉ちゃんが英語を聞いて眠るメカニズム……それは【深く考え過ぎる】ことにあるんです」
「深く考えすぎる……?」
「お姉ちゃんは人が好いので、説明や問いかけに対して律儀に考えて答えようとしてしまいます……おバカなのに。しかし英語に関してはお姉ちゃんがいくら考えても答えはでない。結果、思考が無限ループに陥るのです。そして処理落ちする」
「確かに、レンゲちゃんは真面目な子だからなぁ……どんな話題にも全力で答えようとしてくれるもんね」
「ええ。だから英語で話かけられた時は何も考えず、"あいむふぁいんせんきゅー"とだけ返させるんです。それなら【返事をした感】を出せて、お姉ちゃん自身も気に病まない」
「すごいじゃないかナズナちゃんっ、これなら弱点は全て克服したようなものだっ!」
「いえ、弱点は他にもあるのでまだまだですね。例えば、お姉ちゃんは400文字詰め原稿用紙で3行以上の日本語説明の中に外来語が入っていても処理落ちします。ご覧の通り」
「zzz……」
「本当だっ、レンゲちゃんが寝ているっ!」
「お姉ちゃん、起きて」
パチパチ。
頬を叩かれる。
……ハッ!
「いま、私、寝てないよねっ?」
「寝てたよ。"zzz"って言ってたもん」
「うそっ! 話はちゃんと聞いてたよっ! 私が英語の"特定ぱたーん"の対策に"あいむふぁいんせんきゅー"を練習してたって話だよねっ?」
「だいぶ前から寝てたんだね、お姉ちゃん……てっきり処理落ちの話くらいまでは耐えてるかと思ったら……」
ナズナに特大のため息を吐かれる。
えっ、私、本当に寝てた……?
「とにかく、お姉ちゃんは当日まで私と特訓だから」
「うっ……まだいっぱい英語聞かなきゃダメぇ……?」
「ダメ。Fブロックはお姉ちゃんをいかにして"潰す"かの戦いになるのは明白なんだから」
そんなわけで、私はそれから1週間ナズナにひたすら英語を浴びさせられ続ける日々を送った。
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