36.『ブラック・アンサー』

 一歩踏み出すたびに、石畳は魔力に共鳴して砕け散る。漆黒の奔流が私の身体の中を流れている。


「その、力は……まさか……!」


「──おはよう、みんな。おはよう、世界」


 頭から二本の竜の角が生えてきている。真っ黒な黒曜石を思わせるような角だ。


「馬鹿な……竜種の先祖返り……それでは、お前が──かのブラックドラゴンの転生した姿だというのか……!?」


「トカゲと一緒にしないで。私はリリアス・ブラックデッド。ブラックデッド家の次女で、ルナニア帝国の聖女──」


 踏み込む。空気を置き去りにして、空間を──抜く。


「そして、ココロの親友。あんたたち、私の親友に手を出したとか。──


 黒い光が放たれた。拳から垂直に振り下ろした光はアルファを呆気なく引き裂くとそのまま広場を囲む神像の数体を切断する。


 次の瞬間。


 大地が割れて、底の見えないほどの亀裂が刻まれた。帝国全土に地震が起こったかのような尋常ではない揺れが起こり──山が両断される。


「なっ、こんなことが」


 黒光に触れたものは、全てが朽ち果てる。それは、魔族の身体であろうと、土塊であろうと変わらない。ただ、構造が崩壊し、潰れて、分解される。原始の姿になるだけ。

 ただ、それだけだ。


「けどさ。私も良い加減大人にならなくちゃいけないの」


 膝蹴りがアルファを顔面を叩き潰した。


「グァあ!?」


 喜びが心の底から湧き出してくる。

 破壊の喜び。殺戮の喜び。

 凶暴な獣の如き感情。


「本当に、勘弁してほしい」


 首を失い吹き飛ぶアルファ。

 そばにあった神像を蹴って跳躍──瞬時にアルファに追いつくと、黒色の身体をつま先に引っ掛け、地面に向かって蹴り飛ばした。

 衝撃に耐えきれず、石畳は波打ったそばから無数の礫になって飛散する。


 全身を血流の如く駆け巡る魔力が心地良い全能感をもたらしてくれる。足りない。まだ足りない。


「頭を冷やしてくれるかな」


 黒光が全方位に照射されて、辺り一面をめちゃくちゃに打ち壊していく。


 閃光の一つが、神殿へ向かった。

 

 ──ガリィイイイイイイッッッ!!


 まるで鋼材を溶接、掘削するような轟音が響いて、カーテンのような桃色の光が揺らめいた。

 黒色の光が散らされて、神殿には傷一つついていない。


「星城結界……!? つまり、アンネリースは……最初からリリアス・ブラックデッドを使って全部抹殺しようと──」


 イザベラが呆然と呟く。

 意味は分からない。けれど、どれだけ暴れようと関係ないということだ。


「こっちを見てよ、おばあちゃん」


「──え」


 イザベラの頬を光が掠めて、背後の岩壁にぶち当たる。魔法陣を描いていた石畳は粉々に砕け散り、大規模な土石流とともにバラバラに流された。

 宙に放り出されたココロを、私はしっかりと抱きかかえて、高台へ着地する。


「【私が命じる ココロを癒せ】」


 周囲の魔力に命令すると、膨大な魔力が極限濃縮されて集まり、ココロの傷跡を癒していく。


 竜の操る万能言語。それは天地に勅令を下すことが出来る竜王の言葉。魔法の詠唱は全て万能言語の模倣であり、下位互換──そんな知識が私の頭にあった。そして、その使い方も。


 ──かつて、帝国が興った最初期。伝説の勇者に付き添った初代聖女は竜の胎から生まれ落ちた娘だったという。


 ココロを簀巻きにしていた鎖をちぎってから、安全な場所に寝かせる。ココロがわずかに笑ったような気がした。


「……なぜだ、なぜ再生できない……! 我は形をとらぬシャドウスライム……凡俗な形有る存在よりも上位の存在のはず……!」


 アルファは黒い身体を再生させようと蠢いているが、黒光に貫通された箇所は、どうやっても戻らない。


「早く逃げないと身体穴だらけにして、絵の具屋さんの前に飾っちゃーうぞ?」


「ひっ、」


「もっと私を楽しませろよッ!!」


 手のひらに光を滑らせて、次々に発射していく。

 そのたびに大地は波打って、裂けて、粉々に砕け散る。クレーターがいくつも形成されて、溶けて壊れて吹き飛ばされる。

 温度が急上昇し、マルクタ山に自生していた高山植物が自然発火を起こす。


 逃げ惑うアルファとイザベラ。

 これは戦闘ではない。

 これは狩猟でもない。


 これは、鏖殺だ。


「……く、狂ってる……! まさか、こんな──」


 地獄が顕現していた。

 黒色の閃光が閃くたび。哄笑が響くたびに、世界に地獄が作られていく。


 これがブラックドラゴンの力。

 かつて人類の半数を殺して、世界の半分を死の大地に変貌させたという伝説の力。

 ──私の大嫌いな力。

 

「人を殴って神殿を壊すとかいう妄言を吐いた口がそれを言うの?」


 イザベラが岩に足を挟まれてなお、必死に逃げ出そうとしていた。


「アルファ! 私を助けなさい……! このような化け物が、なぜ聖女をやっていたのですか! 早く、早くしなさいッ!!」


「大聖女、あんたは居残りね」


 影を私に伸ばすが、立ち上る魔力の奔流がその影をズタズタに引き裂いた。触手が抵抗するかのように伸ばされるが凄絶な魔力が吹き散らす。


「く、そったれがぁああああああ!!」


 アルファがさらなる力を見せる。


 ──影から生えた口による同時、多重詠唱。影から生えた目玉による一斉の魔眼照射。


「────シッッッ!!!!」


 人間には不可能な技。技術。それこそがいにしえの時代より、魔族が人間に対して優勢を誇っていた理由。

 人間には人間の修めるべき技がある。魔族には、魔族の修めるべき技がある。──その違い。


 その差異が、純粋な暴力として放たれる。

 火が踊り、水が跳ねて、風が哭く。

 雲が動き、星が轟き、石化、停止、魅了に即死の呪怨──そんなもの、私に何の関係があるのか。


「私にこんなもんが通用するとでも思ってんの? 本気? 頭の中身詰まってる?」


 一歩踏み出す。

 魔法がかき消される。

 口角が上がるのを自覚する。


「そんなおつむ弱々だとこれまで生きていくの大変じゃなかった? ねぇ、スライムに脳みそってあるの?」


 アルファの魔法の連射を正面から浴びて、それでもなお、鮮烈な笑みを自覚する。

 一歩踏み出す。


「化け物めぇ……っ!」


「答えてよ。答えてみせろよ。どうやって私を殺すつもりなの? ねぇ!」


 一歩踏み出す。

 アルファが後退る。


「く、くそっ……!」


「──学習しろよ、雑魚」


 一睨みで黙らせる。世界は再び静寂を取り戻した。

 呼吸する必要もないのに肺呼吸を模倣しているシャドウスライム──アルファの息の音を除いて。


「……まさかこれほどとは、信じられない、っ、魔王様に報告を──」


「そういうのは良いから。また別の機会にして」


「な、あれ……我は……われ、俺は……」


 シャドウスライムは、前に進んでいた。私の前に。攻撃の素振りすら見せず、震えるまま。


 ──恐怖は、ものを服従させる最良の手段だ。


「身体が、勝手に」


「ココロはな、良い子なんだ。ずっと一人だった私の側にいてくれた、唯一の友達なんだ。大切なんだよ。とっても大切な人なんだ」


「……っ」


 近づいてきたシャドウスライムを覗き込む。体躯は真っ黒だ。その中に星のようなキラキラがある。

 いいね、かっこいいじゃん。


「なんだのだ、お前は、いったい……狂っている、狂っている……来るなぁっ!? こ、こっちに来るなぁっ!?!?」


「自分から近づいておいて、その言い草はたまらないな」


 まるで幼子が泣き喚いているようだった。魔族なのに情けない。まるで人間みたいじゃないか。


 ぷつり。

 シャドウスライムの本体──核が、さらけ出される。敵の前で自分の最も弱いところをさらけ出すなんて。


「え、なんで、おれ」


 信じられないように、己の行動をアルファは見る。まるで身体が勝手に動いたかのような有様だ。


「雑魚の癖に私を敵に回したんだ。そのことを良く頭に刻み込んでから──」


 みんなは、嘘が上手い。

 相手のことも、自分すらも騙せてしまう。

 言葉なんて、飾りものだよ。


 本当は。


 みんな、死にたがっているんだから。




 嗤う。




「ひっ、嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ……こんな、嫌だァッ! ああああああああッ! なんで、おれは、こんな、止めろ止めろ、やめろ、化け物、化け物めェ!!!!」


「──【死ね】」


 アルファの核に手刀をかざして、スパッと斬る。

 当たっていないにも関わらず両断されるアルファの核。遅れて絶叫が響き渡る。


 空間の距離、物理の彼我など関係あるものか。


 私が斬った。だから斬れた。──それだけに過ぎない。

 唯一斬れなかったものといえば、皇帝のみ。


「元気?」


 イザベラは、歩み寄ってくる私を見て陰鬱な笑い声を出している。

 私も顔を下から覗き込んで、笑ってみる。

 みんな笑顔だ。素晴らしいね。


「元気って言ってみせろよ」


「はは、ひははっ……!」


 その目は狂気に染まっていた。一歩、二歩と後退りしながら叫ぶ。


「私を、私を信頼していたんじゃねぇのかよ、アンネリース!! 私にこんな化け物を差し向けて……それが答えか!?」


「……」


「私は頑張ったぞ! アンネリース! テメェの要望を全部応えてやったじゃねぇか! その結果がこれか!? こんな化け物に消し炭にされるのが、私の最期ってか!?」


 私に向けた言葉ではない。この場にいない、あのクソ皇帝に向けて話している。


「私はアンネリース、テメェに憧れた! だから今までクソみてぇなルナニア帝国に仕えてきたんだ! ──トロンレーゼの戦略母艦を沈めたのは誰だ! ラーンダルクの機兵軍隊を薙ぎ払ったのは! 枢緋境の衛星砲を撃ち落としたのは! 聖魔戦争で私は二万人を並列処理して癒やしたんだ! それを、ぽっと出の小娘ごときに──」


 これだから年寄りは嫌なんだ。

 昔話ばかりしてくるから。


「イザベラ、皇帝はあんたを信頼していたよ」


「なにを」


「──だから、こうして私が現れた」


 黒い光が照射されて、無様に逃げ出そうとしていたイザベラの両脚を太ももから消し飛ばす。


「グァあぁああ、アアあああああ!?!?」


 悲鳴と絶叫がイザベラから発せられた。

 肉はグズグズ。血すら炭化して流れ出ない。


 下半身を失って、それでも逃げ出そうと手を引き摺るイザベラにしゃがんで向き直る。震えるその顔をこちらに向けるために、顎に手を当てて目線を合わせさせる。


「イザベラ。確かにあんたは正しい。私は軟弱者で、どうしようもないクズ人間だよ」


 瞳孔が揺れる。絶対的な恐怖が、死の恐怖が刻み込まれていく。


「けどさぁ、皇帝に術をかけられ、寝ぼけていた『わたし』を救ってくれたココロにあんたは剣を向けたよね。ココロを攫った時点であなたは私より下に堕ちた。──クズはあんたも同じだよ、イザベラ」


「なにを……なにをなにをなにをっ!! テメェに私の何が分かるッ! 私がどんなに皇帝のために頑張っても振り向いてもらえない気持ちの何がわかる!! ブラックデッドというだけで、たったそれだけで皇帝の興味を私から奪ったテメェに、いったい何がわかるッ!!」


「何? 妬ましかったの? 私が皇帝から興味を奪ったことが? いい年してやることお子様の嫉妬?」


「な……っ! ──馬鹿にするなよ、若造がッツツ!!」


 魔力が爆発した。


 咄嗟に距離を取る。


 イザベラは吠え、巨大な火球を作り出した。その姿は老婆ではなく、まるで愛に飢える子供のように見えた。──火球は膨大な魔力を与えられて、もはや別の何かに変貌している。


「──【消え失せろ】!!!!」


 全てを滅する光が、私に押し寄せる。


「イザベラ」


 それを、私は腕を一薙ぎさせることで消し去った。光に当たった黒いドレスは揮発し、てらてらと光を反射する黒い鱗が皮膚に薄く浮き出ているのが見える。


「ばかな」


「そんなに神殿が憎いならさ、あんたはなんでそんなもんをぶら下げてるの? 神殿壊すなら復活したくないんでしょ? 死にたいんでしょう?」


 イザベラが目を向けた先には、繋がれた魂脈が──神殿復活の適用された証。


 足を踏み込んだ私はイザベラの眼前に瞬時に移動して、イザベラの魂脈を引っ掴む。

 光の筋がまるで、悲鳴を上げるかのように明滅した。


「これ、どうして欲しい?」


 恐怖に染まった老婆の顔。


「や、やめ──」


「……だから、あんたは中途半端なんだよ」


 魂脈の光を離す。──ほっとした顔を見せたイザベラの右腕を蹴り飛ばした。血が噴き出して乱雑な断面がぐしゃぐしゃに染まる。愕然とした顔のまま反応すらせずに、びしゃりと崩れ落ちた。


「何その間抜け面」


 イザベラの顔はぼんやりと私を見る。その瞳に生気はない。

 もはや、魔力は絞りつくされ、枯れ木のようになったイザベルを見下ろす。


 舌打ち。


「あのクソ皇帝……私に最初に任せる仕事がこれとかどうかしてるって。ったく──注目を集めるブラックデッド家。だから、あんたは神殿を壊そうとした」


 神殿事件の答え合わせだ。


「殺人がまかり通るこの国から殺人が一番上手いブラックデッド家の立場を奪うために。そうして、人々を癒やす大聖女のあなたが再び皇帝の注目を浴びるため。神殿破壊の罪を全て魔王軍に着せた後、召喚した勇者を中心に皇帝のあなたで新たな時代を築くつもりだった。──信念とかいう言葉を被せた嫉妬心というわけ。正解?」


 それが、勇者召喚からイザベラが計画していたことの全貌。この事件は、イザベラがブラックデッドに嫉妬したことから端を発したのだ。


「っ」


「あんたは、皇帝の興味を引く方法を間違えた。あの皇帝は、そんな生易しいもので心惹かれる人間じゃない。あれは殺戮者。聖女とは本来相容れない存在なんだよ」


「ならば、なぜ……私はアンネの側にいられた……?」


 呆然と呟くイザベラに、私は一言告げた。


「友達が欲しかったんじゃない? あのクソ皇帝って部下は死ぬほどいるけど基本的にボッチだし。あなたはただ、側で皇帝を支え続ければ良かったんだ。こんな回りくどいことをせずとも、側にいてやればそれで良かったんじゃないの? ──私に対する、ココロのように」


 イザベラは黙った。もはや私に対する害意は感じられなかった。

 やがて、イザベラはぽつりと呟く。


「……テメェは、いつからそんな力を……」


「昔、私が城を襲った時、あんたはいつもいなかった。皇帝に感謝しなよ。あんたは逃されてたんだ」


「…………」


 安心した途端、ぐらりときた。

 皇帝に施された封印が、まだ機能しているらしい。髪色が急速に抜け落ちている。目の色も青色に戻っているだろう。記憶も、欠けていく。完全に封印が戻る前に、片付けなければならないことがある。


 アルファはいつの間にかいなくなっていた。問題は、イザベラだ。


「私ってさ、今、猛烈に機嫌が悪いんだ。自分勝手な嫉妬に人の親友を巻き込んで、挙句の果てには命を奪おうとしたやつが憎くて憎くてたまらない」


 神殿を飲み込むほどの漆黒の魔力が吹き荒れる。

 恐怖に打ち据えられたイザベラの顔面を片手で掴んで持ち上げる。黒い光が手の中に渦巻いて、イザベラの髪が炭化していく。


「ねぇイザベラ。どうしてほしい? 頭を飛ばして、ひん剥いて飾ってあげようか? 愛しの皇帝の目の前にぶら下げてさ?」


「……は、ははっ」


 イザベラは、それでも笑っていた。


「……結局、私も同じだったってわけか……あのクソ御主人様と」


 まっすぐとこちらを見つめてくる。


「……おい、クソガキ」


「んだよ、殺すぞ」


「それでも私はテメェが大っ嫌いだ、リリアス・ブラックデッド! 化け物は化け物らしく、さっさと地獄に落ちやがれ! 二度とその面、私に見せんな!!」


「──」


 言われてしまったなら、仕方ない。

 化け物らしく、にっこり笑顔を眼孔の裏に刻みつけてやろう。──二度と、私の親友に手を出せないように。


「罪を償え、イザベラ。


 ──大聖女の席は私が貰ってやる」



「っ、────ぁ、っ、ガポェ」



 イザベラの頭は抵抗なく握り込まれた手のひらによって、瞬時に握り潰された。

 首から上を失ったイザベラの身体がどさりと落ちる。


 同時に、私の意識は遠のいていく。


「──リアちゃん!」


 駆け寄ってくるココロの姿が垣間見えた。涙をぽろぽろとこぼして私の手を取る。

 ココロの鼻の先っぽに人差し指を当てて、笑った。


「サンドイッチの仕返し。……泣かせてあげたから」


「……うん、うん……!」


 私の手を頬に添えて、いじらしく何度も頷く姿を見て。


「……やっぱりかわいいなぁ……ココロぉ……宇宙一愛してる……」


 意識は泥のように沈んでいく。

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