21.5.『星空の下での密談』

 葉巻に火をつける。もうもうと揺蕩う紫煙は、窓の外へと流れ出し、星空を霞ませた。


「はぁ……」


 自室に山と積まれた書類に、思わずため息がもれる。そのほとんどが聖堂委員会絡みの書類だった。

 辺境の孤児院の運営記録から、各都市に配置された教会の勤務記録。

 そのどれもが聖堂委員会を統括する大聖女イザベラのところまでやってくるのだ。


「退屈ですね……」


 幼い日、あの腐臭漂うスラムの奴隷として、身を粉にして働いていた日々を思い返す。

 物心がついた時から、奴隷だった。


 イザベラの『ご主人様』は、それはそれは趣味の悪い男であり、鞭で打たれた悲鳴を肴に毎晩ワインを嗜むようなクソ野郎だった。殴る蹴るの暴行は当たり前であり、イザベラはただ悲鳴を上げるためだけに生かされていた。


 生傷にまみれて、病気にかかっても薬などもらえるはずがなく──イザベラはあっけなく死んだ。


 そして、蘇った。


 この帝国では、人は勝手に死ぬことができない。


 国民は役所に書類を提出し、何重にもある手順を踏んで、死ぬに足る理由を受理されてから、初めて神殿の加護を解かれて死ぬことができるのだ。


 イザベラの『ご主人様』は、奴隷を死んだからといって簡単に手放すような男ではなかった。

 死んでも死んでも終わらない苦痛と悲鳴。絶望に彩られた人生。それが、イザベラの全てだった。

 そして、二十八回目の死を経て、イザベラは出会った。


 神殿から一人で帰る道中だった。


 また薄汚れたスラムに分け入って、苦痛と絶望の日々を送るのだ。幼いイザベラの心はすでに潰されていた。


 その日の城下街は何やら騒がしかった。どうやら偉い人が開催するパレードがあるという。自分とは関係のない光の世界。


 ──せめて、一回でもいい。


 普段は行かないような明るい光を放つ祭典へ、光に惹かれた虫のようにふらふらと、大通りへ出る。


 前方から、ガラガラと響く馬車の音。装飾に彩られた馬車は、歓声とともに街を回っている。

 イザベラは、熱狂する群衆に押され、揉まれて、何とか前に出ることができた。


 そして。


 輝くような光を放つ、一人の女の子が目に飛び込んできた。薄く笑いながら、群衆に向かって小さな手を振っている女の子。


 ルナニア帝国皇帝、アンネリース・フォーゲル・ルナニア。


 頭を鈍器で叩かれたような感覚だった。可憐な美貌の奥には鋭い刃のような残虐性が潜んでいる。そのさらに奥深くには、自分が及びもつかないものが眠っている。

 幼い奴隷であったイザベラは、直感した。

 まさに運命だった。


 初めて胸で鼓動を感じた。薄暗く錆びついていた世界が動き出した。そして、初めて自分の頬が赤く染まり、熱を帯びていた。

 恋、と言い換えてもおかしくない感覚だったのかもしれない。


 即位百年を祝した祭典の日。幼いイザベラは初恋を知った。


 それから、イザベラは一瞬目に映ったその女の子を頼りに、苦痛と絶望の日々を乗り越えた。十八の時、家から男の姿は消えていた。なんでも貴族の邸宅に盗みを働いた男は、国外追放されたらしい。


 ふとしたきっかけで自由を手に入れた。


 聖女募集の新聞を見たことで、王城に招かれ、適正検査で全属性魔法の才能を見出された。当時の大聖女から配られたハンカチは、青。勉強が出来ず、魔法だけに特化した者に与えられる色。


 それから必死に聖女としての経験を積んだ。

 辺境の孤児院、戦場の回復術師、王城のメイド、そして、外交官。


 五十の時、先代の大聖女の死亡願いが受理され、イザベラは大聖女となった。


 現在、百二十一歳。

 念願叶って、『大聖女』──立場上皇帝のものとなったが、イザベラが望んでいるのはそんな関係ではない。皇帝に叱られて、部屋で不貞腐れて葉巻に火をつけている……そんなことは望んではいないのだ。


「勇者とリリアス・ブラックデッドが新たに皇帝の私兵として加わったのか。どうだ? お前から見たやつらの評価は」


 星空から目を逸らし、部屋を見るといつの間にか男が書類を手に、イザベラを見ていた。


 その男は、まるで影絵のように奥行きのない漆黒の触手を自分の影から生やして書類を捲っている。顔はどこにでもいるような好青年だ。だが、イザベラは知っている。この男は、殺した相手の顔の皮膚を剥いで目玉を抉る趣味がある。男の面と目玉は、哀れな犠牲者のものだろう。


 心底、吐き気がする。


「勇者は雑魚。リリアス・ブラックデッドは馬鹿力を持った考えなし。どちらも私たちの計画の脅威にはなりえません」


「そうか? あの皇帝が選んだのだから、何かしらの仕掛けはあるはずだが……まあいい」


 男は書類を置いて、くいくいっと手をイザベラに向けて動かす。手元にあった火のついていない葉巻を投げると、男は触手で受け取り、葉巻を眺め始めた。


「これは?」


「葉巻です」


 火魔法で火をつけてやる。男は口に一度加えた後、ゲホッゲホッと咳をした。


「……お前たち人間が理解できないな。この身体は葉巻を有毒だと判断しているようだが」


 葉巻が触手に沈み込んで、やがて消えてしまう。


「あなたたちの娯楽が一切ない世界に私が生まれなくて良かったですよ」


「これは、娯楽か。娯楽の一種か……毒を摂取することが娯楽とは、また一つ人間に学ばせてもらった」


 男が立ち上がる。


「烈日帝の動向には気をつけろ。お前が我々の計画に加担していると知れれば、全てが崩壊する」


「知っています。聖女の魔力が必要でしたよね?」


「ああ。最高純度、穢れなき魔力──『白』と判定した者のなかで一番良いのを教えろ。お前は『門』を構築していればそれでいい」


 イザベラは、頷いた。


「全ては、私たちの計画のために」



「──神殿を壊すために」

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