第3話 秋子の話

 「はあ…。」

 こんなにきれいな海が周りにあるというのに、私の心は何一つとして揺らがなかった。

 今、私の机の上には電卓と筆記用具、そのくらいしかない。

 シュレッダーも、ラベル機も、何一つない。

 昨日、社長が怒って、社員の液晶をぶん投げていた。ぶん投げて、壊した。普通だったら解雇だと思うけれど、代表取締役なら許されるらしい。

 「ああ、秋子。大丈夫?あのさあ、あのおっさんやりすぎだよね。自分が絶対に首にならないからって、勝手だよ。」

 「うん、呆れちゃった。私、事務職で入ったのに、仕事はほとんどパソコンなのに、何もないのよ。笑えちゃう。しかも、私だけ。そんなに気に食わないのかしら、私のこと。」

 「そんなことないよ、きっと気に食わないとかじゃない。多分、美人だから。なのに懐かないから、懐かない猫には厳しい、そういう人なんだよね。」

 「そうかな…。」

 もう、私は心底滅入っていた。

 昨日が休日前でよかった。

 今日は車を飛ばしてここまで来た。じゃなきゃやってられない。何なの、全く何なの?

 何で、パソコンぶっ壊されて、仕事ぶん取られて、黙って座っているしかなくて、で、謝れって、おかしいじゃない。

 耐えられない、と思った。だから急いでここへ来た。しかし心は動かない。頭の中が闇に包まれているようだった。

 でも、十分呆れたから、私はあの会社を辞める決意をした。いい人間を演じるのだって限界がある。

 立ち寄った店で、飲み物を買う。

 私はただ、ぼんやりとしながら現実に馴染んでいた。


 幼い頃、母は言った。

 「ブス。」

 はっきりと、そう言われた。確かに、鏡を見れば目がくりくりとした彼女、つまり姉とは違って私の顔はいたってクールだった。何も主張していないし、でもそのはずなのに眼光だけは鋭くて、それが母の気に障ったのだ。

 私は、大学を卒業するまでの間、ロクな食べ物を与えられることなく、毎日を生きた。が、それに慣れているからか、辛いという感情さえなかった。

 勝手にしろ、と言いたかった。

 おかしいのは母だ、と分かっていた。

 だから父は帰ってこなかった。ちゃんと、離婚もせず父であるはずなのに、帰ることは無かった。

 アホらしくて、高校の半ばで決意した。辞める、と。そして高校を中退し、そして大検を受け大学へ進学し、しかし母との約束で卒業するまでは家に拘束されていた。

 が、私はそれでも良かった。

 もう、25になった今、母と連絡を取ることは無い。

 たまに、姉からは連絡があるが、それもあまりちゃんと答えてはいない。

 私は嫌だった。

 すべてを拒絶して泣き叫びたい、子どものままでずっと、大人になることができなかったのだと思う。

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