嫌われ魔女、愛をしる

ポン吉

第1話

 ――私の母は、どうしようもない人だった。愛に狂って世界を壊した。


 橙色の空が宵闇にのみこまれようとしていた。暗くなる前の、陽が瞼を焼き尽くような光をはなつ時間に別れの挨拶をする。


「おじいちゃん、もう来なくて大丈夫だよ。私はもう十分大きくなったわ。おじいちゃんが面倒を見てくれたおかげよ。お願い、そんなよぼよぼな体でこの森に来てはだめよ」

「し、しかし……」


 白髪が混じるくすんだブロンドの髪はあまりにも長いために床を引きずり、折れ曲がった腰を支える杖は震えていた。

 心配の面持ちでレベッカをじっと見つめて真っ白な髭をなでながらもごもごと口の中で言葉をつぶやいて、ためらいがちにおじいちゃんが口を開く。


「……レベッカ。儂にとって君は親友の忘れ形見なんだよ。お母さんデビーは儂に君を託したんだよ。……本当は、彼女が君のそばにいなければならないのに」


 目を伏せ、なんて愚かなことを、と呟く。おじいちゃんがそうやって母を責めるたび、レベッカは仄暗い気持ちになる。母がしたことは間違いではない。間違っていたのは、父を戦争に駆り出したことなのだ。


「それは仕方のないことだわ。お母さんにはお父さんがすべてだったの」


 深紅の髪を思い浮かべる。寄こされた片腕に縋りつくように、しかと抱きしめていた母。数日がたち、父との思い出を反芻した母の泣きはらした目がレベッカを見ることはなかった。血のように赤い目を彼女は憎悪でたぎらせ、レベッカを置いて戦地へと赴いた。


 ――ごめんね、ごめんね、ごめんね。


 父との結婚指輪を外し、いくつもの呪いを身に着けて、母はこの家を去ったのだ。

 レベッカはお気に入りの犬のぬいぐるみを抱きしめて、家を出る母を呆然と見送った。ぱたんと扉が閉まって、これが最後なのだと思ったらたまらなくて、急いで駆け出した。


 ――お母さん!


 そこにはもう彼女はいなくかった。泣きじゃくるレベッカを慰めるのは、お気に入りのぬいぐるみだけだった。


「大丈夫よ! もう一人で生きていけるわ」


 心配を払拭できるように胸を張って告げる。胸を刺す痛みがしても、それはいつものことだ。彼を見送るときはいつもそうだ。だから、何も問題はない。レベッカはひとりぼっちでも変わらず生きていける。


「今までありがとう。おじいちゃん」

 

 一六歳の誕生日のあくる日に、育ててくれたおじいちゃんにレベッカは別れを告げた。



 レベッカが一人で森を散策しているときだった。

 なんて綺麗な死体だろうか。なめらかな青白い肌には傷が一つもなく穏やかな表情だ。閉じられた瞼は終始落ち着きを払い、胸の上で組まれた手は静謐を湛えている。

 金糸で細かな刺繍が施された白くゆったりした服は、どこかの国の死装束に思われた。


「……ドゥーマ、だめ。食べちゃダメよ」


 いつのまにか傍に寄り添っていたドゥーマが、大きな鼻で匂いを嗅ぎ、死体をつっつく。ぐるぐると唸ったあと、嫌なものを嗅いだとでもいうように鼻を鳴らした。そのままフイッと向きを変え、ドゥーマは森の中へと消えてゆく。大きな体躯が見えなくなるとレベッカはため息をついた。


「……もう」


 改めて死体に向き直る。ぽっかり空いた日当たりのよい原っぱに、たくさんの真っ白い花の上で静寂と共に横たわっている。その胸につきたてられた白い短剣は深々と刺さっていた。

 これは儀式なのだ。この森に死体を遺棄し、わざわざ白い花を敷き詰めて少女の体を横たえる、

 違和感を抱かせない、彼女の胸に刺さった白い短剣。加えて、彼女は一滴も赤い血をながしていない。重いため息を漏らす。


「かわいそうに」


 生贄なのだろう。レベッカへの当てつけなのだろう。世界を終わりへと導いた魔女への嫌がらせなのだろう。だからといって、こんな風に少女の亡骸を遺棄するのは良心を咎めなかったのか。

 遠い空を睨む。青い空の果て。レベッカを怖がり、森にはめったに近寄らず、魔女の怒りを鎮めるためと供え物をする村人たち。滅びてしまえと呪詛を吐く。

 

 せめて安らかに眠れるように墓を作ってあげよう。彼女を彩る白い花はこの森に生えていないが、レベッカはきれいな花畑がこの森にあることを知っている。色とりどりの鮮やかな花の咲く場所で彼女を眠らせてあげたい。


 ふうと息を吐いて、ドゥーマを探しに行こうと立ち上がる。レベッカの小さい体では彼女を運ぶことができないので、ドゥーマの背に乗せ、花畑まで運ぼうと思ったのだ。


「……あ」


 レベッカの猫っ毛が風で巻き上がる。白い花びらが一斉に持ち上がった。瞬間、レベッカは目を閉じる。花弁がひらひらとらせんを描く。スカートを抑えて、風が収まるのを待つ。頬を撫でる風がなくなるとそっと目を開けた。

 彼女の胸が上下に動いている。息をしている! 慌ててしゃがんで彼女ににじり寄る。彼女の血の気のない冷たい頬に手を当て、唇に近くに指を持っていく。確かに呼吸をしている。生きているのだ。


「どうしようどうしようどうしよう」


 こんなときに何をすればいいのかがわからない。彼女は生きている。しかし、眠ったままだ。なんとかして目を覚まさせて、この森の外まで案内してあげたかった。彼女に生を与えてあげたかった。


 ――キスは魔法だよ。


 昔、父がレベッカに読み聞かせた物語を思い出した。キスで、お姫様にかかっていた魔法が解けて目を覚ますのだ。

 そんなありえるわけないことぐらいレベッカもわかっている。十一歳で体の成長は止まったが、頭は大人だ。それが起こりえないことは理解している。しかし、ほかにどうしたらいいかもわからなかった。

 レベッカに魔法は使えない。教わる前に両親はいなくなってしまった。おじいちゃんは、どんな魔法も人を傷つけるだけだから、とレベッカが魔法の話を持ち出すたびに顔をしかめていた。だから、なにもしらないのだ。


(キスをするしかないわ)


 だってほかにできることないもの、とつぶやく。

 眠っている少女に顔を近づける。彼女の息がレベッカの唇に触れる。やけに心臓が跳ねる。緊張している。頬が赤くなる。

 目を覚ましてほしい一心だ。やましいところなんてない。そういいきかせる。少女の顔を固定する。

 唇が触れる。冷たい。でも、柔らかい。自分のなかから、何かが流れている気がする。

 十数秒間唇を重ねてはなす。依然として少女は眠ったままだ。そんなことだろうとは思う。


 さて、とりあえずドゥーマを探しに行かなければ。彼ならば、何か名案を教えてくれるかもしれない。

 顔をあげ、森を見渡す。今日は一段と静かだ。


「私、もういくわ。ドゥーマを連れてこなくちゃ」


 少女から目を逸らしながら、聞こえているわけでもないのに話しかける。冷たい額に、熱を測るかのように手を当てる。瞬間、冷たい手がレベッカを求めた。ハッとして少女をみる。

 新緑のような淡い瞳がレベッカをぼんやり見つめていた。血の気のない唇が薄く開いて、ひゅうひゅうと息を吐き出す。


「きれいだ」


 そう呟いて、少女はまた眠ってしまった。

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嫌われ魔女、愛をしる ポン吉 @sakana_kumo

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