最強公女の身代わり結婚
作楽シン
第1話 なりすましの下命
「……はい?」
頭の中で言ったつもりだったが、あまりにも驚きすぎて声に出ていた。エレノアはしまった、と思ったが、まあ仕方ない。
皇帝の近くに控えていた父の眉がピクリと動く。気付かなかったことにした。
「私の不遜な耳が聞き間違えておりましたら、大変申し訳ありません、陛下」
エレノアは膝を折り、うやうやしく言い直した。
「皇女殿下の代わりに、私が嫁げとおっしゃるのですか?」
大きな机の向こうで皇帝は、エレノアの失言を聞かなかったことにしたようで、厳かにうなづいた。
「その通りだ」
「恐れ多くも帝国の星、皇女殿下になりすまして?」
「……なりすますとは、表現がおだやかではないな」
「事実ではありませんか」
うむ、と皇帝は少しばかり気まずそうに顎を撫でる。
エレノアはため息をついた。
道理で、戦場から急ぎ呼び立てておきながら、謁見の間ではなく、執務室にこそこそと呼び出されたわけだ。それも、完璧に人払いをして。
一体どんな一大事かと思った。――いや、一大事ではあるが。
それも、皇女殿下を守るため、護衛として付き従って隣国へ向かえという言うのなら分かる。
なりすまして身代わりになれとは。
「公爵家の跡をとらず、嫁げと」
改めて言うエレノアの言葉に、皇帝は少しばかり気まずそうな顔をした。
皇女の身代わりをしろということもだが、公爵家の跡取りとして生きてきたエレノアに他国へ嫁げというのは公爵家をないがしろにする発言でもあった。それは横暴であることは、さすがに自覚があるらしい。
しかし父である公爵が何も言わずにここにいるということは、そのことについての話は終わっているということだ。
「そなたも知っての通り、ヴォルネス帝国との友好の証として、婚姻を結ぶことになった。ヴォルネス帝国の皇太子と、我がイゾルデ帝国の皇女がだ」
「停戦の約定であると記憶しております」
「その通りだ。近頃再び魔獣の襲来が増え、国同士で争っている場合ではないと向こうからの申し出だ。魔獣の危機も事実であるし、これ以上戦争を続けて民が疲弊するのは望まぬ」
大陸の西の帝国と東の帝国の国境北部に鎮座する高く深い山脈。そこには魔獣が多く住まい、時折ウェーブのように下ってきては人里を襲う。一時期おさまっていたこの波が、再び乱れる兆候にあった。
「私も人同士で殺し合いをするよりは、魔獣を討伐するほうが楽しゅうございます」
「うむ……それを聞いて少し安心した」
皇帝はちらりと、エレノアの父であり、己の片腕である公爵を見た。グレイヴス公爵は、小さく咳払いする。父は一体、娘をどれだけ野蛮だと思っていたのだろうか。
皇帝はエレノアに向き直り、肩をすくめた。
「だが皇女は知っての通り、体が弱く、気も弱い。敵国でいらぬ心労をかければ、数年も保つまい」
皇帝は親バカを発揮してこのようなことを言っているわけではないだろう。むしろ国の命運をかけて親バカであるなら、かわいくも思える。
そして皇帝の言うこともあながち間違いではない。
祖国を離れ、敵に囲まれ、牽制と侮蔑と駆け引きにさらされては、心優しく弱い皇女殿下では耐えられないだろう。
数年も保つまい、という言葉の意味は「結婚生活が」ではなく「心身の健やかさが」であり、「命の保証が」であることは分かる。
友好のための結婚が、数年で破綻しては困る。
「政略のため皇太子殿下のお相手となれば、皇女殿下がふさわしいのでしょうが、はじめから私ではいけなかったのでしょうか。結婚は気が進みませんが、公爵家に生まれた者として、致し方ないことだと心得ております」
他国へ嫁ぐのは想定になかったが、公爵家の子孫を残すために結婚をしなければならないのは分かっていた。できるだけ先延ばしにしようと思ってはいたが。
「是非にルシル皇女を、と強い要望があった。そなたの言う通り、和睦のためであるから、公女をかわりにとは強く言えまい」
皇家同士の婚姻である必要があったということか。それも第二皇子でなく皇太子の妻にと言うことだから、皇帝の血縁であり帝国を支える公爵家の娘ではなく、皇女を送る必要があったのだろう。
それならエレノアを養女とする方法もあっただろうが、皇女を差し出したくないから代わりを出した、と公にしているかのようで、はばかられたのだろうか。
相手が皇太子であるとはいえ、こちらは嫁ぐためにあちらの国へ行くのだから、対等とはあまり思えないが。
「あちらは引き換えにと領土を差し出してきた」
――なるほど。
皇帝が乗り気になるわけだ。
「それならば尚更、万が一にも、友好の証に皇女殿下ではない者がやってきたと知られれば、友好は瞬時に消えてなくなります。誤魔化せると本当にお思いですか」
あきれ返っているのを少しも隠さず、エレノアは言った。
「そうだ。決して知られてはならない。そなたは皇女の従姉妹であるし、よく似ている。うまくやりすごせるだろう」
つまり、やり過ごせ、ということだ。
エレノアの母は皇帝の妹で、従姉妹である二人は、まるで姉妹のようによく似ていた。年も同じだ。
そして社交界に出ないエレノアの顔はあまり知られていない。皇女は病弱で、数少ない侍女や護衛と離宮に引きこもっていて、表舞台にはあまり立たない。
入れ替わったところで、国内ですらバレる可能性は低い。
「そなたは戦場に長くあったとはいえ、皇女としての立ち居振る舞いを一から覚える必要もあるまい。むしろ西の帝国の重鎮や国情をよく理解している。うまく振る舞えるはずだ」
確かに、離宮にこもっている皇女よりは、誰と誰が敵対しているかなどは把握しているが。
「エリック公子は、役目を終えて今度こそ永の眠りにつくのだ」
エリック・グレイヴス。エレノアの双子の兄だ。生まれ落ちたときに亡くなった。
エレノアは、幼いころから、社交界よりも剣技に興味を持った。そもそもグレイヴス公爵家は、剣技に優れた者を多く輩出してきた家だ。エレノアは鍛えた末に、
令嬢らしく振る舞うことを強いられるのを拒んだ末、体面を恐れた母の仕込みで「公女は病弱で家に引きこもっている」ということになっていった。
魔獣のウェーブが起こり、グレイヴス公爵家は帝国の盾であり槍として出陣した。ソードマスターとして、エレノアもまたそれに従った。
――死んだとされていた公子は生きており、辺境で身を鍛え、ソードマスターとなった。
そういうことになっていたが、実際には男装していたエレノアだった。
その方が身軽で気軽だったし、母も卒倒せずにすむだろうから、そのままにしていたのだが。
鉄血の銀狼、金髪の悪魔、青炎の暴君、剣気で師団を撃破した、剣がなくともペンで人を殺す。など逸話に事欠かない。この場合のペンは比喩ではなく、物理である。
「私はその夫となる方と剣を交えたことがあるのですが、気付かれるのではないでしょうか」
「そなたは面頬をして全身を甲冑に身を包み、エリック公子として戦場にいた。皇女と結びつく者などおるまい」
そうだろうか。
――まあ、そうだろう。まさか公女が、身の丈もあるような剣を振り回して戦場で血まみれになっていると思いもしないだろうし、更に皇女と入れ替わっているとも思わないだろう。
問答を繰り返すエレノアに、皇帝は厳かに言った。
「そなたの新たな任である。帝国の剣、帝国の槍。グレイヴス公爵家の公女は、皇女を守るための戦には向かえぬと言うのか」
皇帝の言葉に、エレノアは束の間口をつぐんだ。
まっすぐに皇帝を見上げる。
「戦争は本当に終えたのですね、陛下。私の剣は必要ないと言うことなのですね」
ソードマスターであるエリック公子がいなくなることは、他国への抑止力を失うはずだ。
「必要なのは友好であり、剣ではない」
「魔獣討伐はいかがなさいます」
「魔獣の禍難は季節風のようなもの、向き合い方は心得ておる。そなたが鍛えた騎士団もいる」
とは言え、戦力が減れば被害は増えるだろう。
――とは言え、戦争がおさまれば、助かる者は多くいるはずだ。
備えることができるものを過度に恐れて、終えられる災禍を見過ごすことはできない。皇帝の言う通りだった。
友好を堅固なものとするため、皇太子と皇女が結婚をする。万が一、エレノアが皇女本人でないと知られたとしても、エレノア自身も皇帝の血縁ではある。むやみな扱いやは受けないだろう。
――しかし。ソードマスターを送り込んだとなれば話は別ではないのか。
帝国へ先鋒を送り込んだとみなされるか、イゾルデ帝国の戦力が損なわれたと見なされるかわからないが。
穏やかにはすまないはずだ。それを皇帝がわかっていないとは思えない。
――友好のためなどとは、詭弁だ。忌々しい。
魔獣のウェーブがおさまったときのための戦力を、敵の懐へ突き付けておきたいだけではないのか。
口を閉ざしたエレノアに、皇帝は宣言した。
「皇女ルシルはこれより、グレイヴス公爵令嬢となる。そなたがルシルだ」
再び父の顔をちらりと見る。今は完璧に真意を隠して、皇帝の横に黙って控えている。
言いなりとは情けない。
承服しかねる思いはあるが、ここで暴れてまで逆らうこともできなかった。
今は戦争を終わらせる。それだけは確かなことだった。
「皇命とあらば」
エレノアはドレス姿で胸に手を当て、騎士の礼をした。
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