音楽が変わった。足元から這い上がってくる低音楽器の音色の上を、アコーディオンが駆け抜ける。

 

 奥のテントの幕が押し上げられて、始めに象が二頭歩いてきた。続いて現れたのはシマウマ四頭。太鼓を叩く音楽隊。バク転で登場するパフォーマー。ダンサーの一団が回転しながら出てくると、腰回りのスカートが広がって、地面に鮮やかな花が咲く。

 ドーランを顔に塗りたくったピエロが三人、子ども用の三輪車に乗って入ってきた。テントの中はどっと笑いに包まれた。


 夢みたいな光景だったよ。今でも、足が冷えて眠れない夜なんかに目を閉じると、衣装についたスパンコールが輝いているのが見える。テントにぶら下がっていた、たくさんの裸電球が瞼の上でゆらゆら揺れる。暗闇の中で光がちらつく。

 

 あの光は、若い頃のわたしと、老いぼれた現在のわたしを繋ぐ綱なんだ。サーカスの光を覚えている限り、わたしはそれを渡って少年時代のすぐそばまで近づくことができる。

 そうしてあと少しで辿り着けるような気になるんだよ。毛布の中でこっそり目を開いて、クリスマスのプレゼントを待っていた昔の夜に。まだ見ぬ世界に胸高鳴らせながら本を開いた、遠い夏の午後に。


 さて、話に戻ろうか。

 演目は次々と進んでいった。蛇使いが、人ひとり丸々呑み込んでしまいそうなほど巨大な蛇に乗って登場した。まるで宙を飛ぶように軽々と、チュチュを身につけた少女がボールを素早く足の下で回転させた。わたしたちは舞台で繰り広げられるサーカスの魔法に驚嘆し、釘づけになっていた。


 ──「ボニー」が現れたのは、ショーが半分ほど終わった頃だった。


「聞いて驚くなかれ! これから皆さんにお見せするのは、遥か彼方の惑星からやって来た宇宙人エイリアンなのです。ここだけの話、軍が撃ち落とした円盤形の飛行物体に乗っていたとかいないとか」


 団長は「エイリアン」をゆっくりと発音した。宇宙人だって? もちろん信じちゃいなかったさ。SFブームにあやかった演出だろうと思っていた。この目で見るまではね。

 

 テントの奥から猛獣用の檻が運ばれてきた。鉄格子の後ろで佇む何かを、スポットライトが照らし出す。動物ではない。シルエットは人間のようだけれど、それにしては背が高く、枯れ枝のように細い体は灰色だった。テレビや映画に出てくる宇宙人を想像してごらん。毛の生えていないやつをさ。

 わたしのヒューと小さく口笛を吹いた。


「本物かな?」


 彼は答えなかった。息をするのも忘れてしまいそうなほど一心に、宇宙人を見ていた。そいつが顔を上げた。卵形の頭についている真っ黒な双眸が、ほんの一瞬、わたしたちのことを捉えた……気がした。


「今からこの壊れた一輪車を宇宙人に与えます。するとあら不思議! あっというまに宇宙人の腹の中!」

 

 赤いシャツを着た団員が檻の扉を開けて、一輪車を投げ込んだ。宇宙人はしばし下を向いたまま立っていたが、いきなりぱっと左手を伸ばしたかと思うと、車輪を掴んでサドルから喉に突っ込んでしまった。

 口の端がゴムみたいに広がって、一輪車が吸い込まれていく。そいつの体が不自然に変形し、金属の砕かれる太い音がした。胃の中で一輪車をばらばらにしているようだ。


 宇宙人が最後にタイヤのチューブとサドルを口から吐き出すと、あちこちで観客が息を呑んだ。


「まだまだ序の口です! 次は宇宙人より大きなもので試してみましょう!」


 赤シャツの男が今度は重そうなマットレスを引きずってきた。檻の扉を開き、スプリングの飛び出たそれを中に押し込もうとするが、マットレスの角が入り口につかえてなかなか入らない。すると、宇宙人が急に前のめりになった。


 一瞬の出来事だったよ。

 

 宇宙人は赤シャツの頭を片手で鷲掴みにして檻の中に引き込み、その男が声を上げる間もないうちに、ばくっと、呑み込んでしまった!


 テントに悲鳴と叫び声が沸き上がる。すぐに別の団員が扉を閉めて、檻は奥へ運ばれていった。客席側はもう大混乱だったね。わたしの前の席に座る女性など、旦那の首にしがみつき、哀れなその男の肩を揺すぶって泣き喚いていた。

 そんな中、団長は悠然と舞台袖から歩いてくると、さっきまで檻があった場所に立ち止まった。落ち着くようにと身振りで示し、右手を高く上げて指を鳴らす。


 ──パチン!


 辺りはしんと静まり返る──次の瞬間、宇宙人に食べられたはずの赤シャツの男が、スポットライトの下へ現れた。


 ほっ。安堵の吐息が落ちた――誰かが大きく手を叩く――やがて、みんな立ち上がって、赤シャツと団長に喝采を浴びせた。


「ありがとうございます。どうも、ありがとうございます。さあ、続いて登場するのは……」


 と、友人が立ち上がった。視界を塞がれたため、後ろの客がうめき声を上げる。思わずシャツの裾を引っ張ると、彼はまるで今ちょうどわたしに気がついたとでもいうように、大きく見開いた目をこちらに向けた。


「どこ行くんだ」

「宇宙人に会いに」

「でも、もうすぐ空中ブランコが始まるよ」

 

 彼は少し迷うような素振りを見せたが、後で話を聞かせてよ、と言い残して結局テントの外へ出てしまった。わたしは椅子から腰を浮かしたまま彼が走っていった方を眺め、リングを振り返った。ちょうど象の曲芸が始まったところだった。 

 

 頭の中で、あの宇宙人の姿がゆっくりと回り始めた。赤シャツの男は無事だった……本当に? なぜだかどうしようもない不安に駆られ、わたしは彼を追いかけた。


 


 


 

 

 

 




 


 




 








 

 

 




 

 

 


 


 

 

 



 

 


 

 

 

 



 


 

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