ボニーの骨

沢田こあき

 客席に座ってサーカスを観覧していると、たまに背筋が冷たくなる。たいてい陽気に揺れ動くライトや観客の歓声に誤魔化されてしまうけれど、わたしの網膜をすっと撫でていく灰色の。あれは紛れもなく、昔の恐怖と後悔の残像なんだ。きっと、音楽と拍手の間に落ちる一瞬の沈黙が、あのときの「骨」を思い出させるためだろう。

 

 そうだな、もう六十年以上前の話だ。当時わたしは十一歳だった。

 

 きらきらと輝く夏が終わり、冷たい風に落ち葉が舞い始めようとする時期に、サーカスの列車がやってきた。まだ薄闇で包まれた夜明け前の空へ、高い汽笛を響かせて。

 その何日か前、街中にポスターが貼り出されたときから、大人も子どもも大騒ぎだったよ。サーカスなんて田舎の連中は滅多にお目にかかれないからね。どれも心踊る絵ばかりだった。キリンやシマウマといった動物たち、ピエロに綱渡りにマジシャン。それに、空中ブランコ! 

 

 昼のショーが開かれる時間になると、わたしはなけなしのお小遣いをかき集めて、自動車整備工場『ビル・モーターズ』の裏の空き地に設営されたテントへ走った。月の始めに新刊のコミックを買ってしまっていたから、貯金箱の底、ポケットの奥、ありとあらゆるところを探してもたいした金額にはならなかった。

 

 サーカスの前に来て周りを見渡すと、人混みを避けて工場の壁に寄りかかる友人の姿を見つけた。手に持ったチラシを──午前中のパレードでラフカラーのピエロがばらまいていたやつだ──目を細めて暇そうに眺めている。声をかけると彼は顔を上げ、ふらりとトタン壁から離れた。


「ようやくテディ様のお出ましだ。お前のこと、ずうーっと待ってたんだぜ」


 眉間にシワを寄せながらも楽しげな口調で言う彼に、汗を拭いながらわたしは大きく息をついた。

 

「これでも急いで来たんだ」

 

 大規模なサーカスだったよ。真ん中にでんと構える紅白の大テントビッグトップの周りを、小さなテントが何張りも囲っていた。空き地の左端ではブラスバンドのトランペットが鳴り響き、右端ではたくさんのお菓子の屋台が甘い香りを漂わせている。

 学校の知り合いはもちろん、家の隣に住む若い夫婦まで来ていて、いつもと同じ空き地とは思えないほど賑やかだ。


 普段ならもっと閑散とした場所だったんだ。背後には林が続いていて、ちょうどその入り口にあたる、細い雑草しか生えないような土地だった。工場経営者のビルが廃車置き場に使っていたけれど、テントを立てるにあたって全て隅に退かされたようだった。

 わたしたち子どもはそこを「墓地セメタリー」と呼んでいた。だだっ広い空き地に漂う物寂しげな雰囲気が、墓地に吹く憂いを帯びた風とよく似ていたからだ。


 墓石は一つもなかったけどね。しかしだからといって、死体が実際に埋まっているわけではないと誰が言いきれるだろう?


「自分の勇気に自信のある合衆国男子諸君! 我がサーカスのライオンを目の前にして、叫ばないでいられるかな? アフリカの奥地に住む小人民族を、村ごと腹の中に収めてしまった死神だ! カリブ海の人魚もご登場! 煌びやかな鱗と人間の顔を併せ持つ、こいつは正真正銘の本物だよ!」


 秋空に黄色い旗を靡かせるサイドショーテントの前で、背の高い男が大声を上げていた。万国旗を引っ張り出すマジックみたいに、男の口からどんどん言葉が飛んでくる。

 今思えばどこまでが本当なのか怪しいところだったが、わくわくしたことは確かだ。わたしたちは興奮で頬を上気させながら、ホットドッグの屋台の横で買ったチケットを入り口で渡し、大テントの中に入った。


 席についていくらも経たないうちに、中央リングを囲むように並べられた折り畳み式の椅子は観客でいっぱいになった。客席の端の方で流れていた金管楽器の演奏が止んで、ドラムロールが鳴り出した。

 奥の暗がりから、燕尾服を着てシルクハットをかぶった小太りの団長が、ステッキをくるくる回しながら現れる。リング中央に置かれた台へ上がると、シンバルの音が空気を震わせた。

 

 バーン!


「ようこそいらっしゃいました、紳士淑女の皆さん! 世界中から集まった、奇妙奇天烈、摩訶不思議な姿をとくとご覧あれ! 危険と隣り合わせのパフォーマンスには肝を冷やすこと間違いなし! さあ、間もなく史上最高のショーが始まります!」




 

 



 

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