33話。アンジェラ皇女に惚れられ、あなたの奴隷になってあげると言われる

【アンジェラ皇女視点】


「……はっ!? こ、ここは?」


 目覚めた私は、慌てて周囲を見渡した。

 ここは天幕の中のようで、私は椅子に座らされた状態で拘束されていた。


 両手両足は魔法封じの枷を嵌められている。これでは、魔法は使えないわ。


「目が覚めたか?」

「あなたは……ッ!」


 すぐ近くにカイン・シュバルツがいた。

 確か、私はこの男と戦って……そして、負けた?

 認めがたい記憶がどっと蘇ってくる。


 カインは確か、私を奴隷にしたいなどと言っていた。


 1万5千以上ものアンデッド軍団を擁しておきながら、カイン率いる100人程度の部隊に負け、さらには奴隷に身を落としたとなれば、アトラス帝国の恥。


 お父様は、もし私が敵の手に落ちるようなことがあれば、恥辱を受ける前に、帝国の名誉を守って自害せよと命じられていた。


 自由を奪われ、自決できないのであれば……取るべき道はひとつ。

 私は覚悟を決めて叫んだ。


「くぅっ……私は偉大なるアトラス帝国の第三皇女アンジェラ! その誇りにかけて、あなたになど決して屈しないわ……殺せ、今すぐ殺しなさい!」

「えっ、くっ殺せ!?」


 カインはすっとんきょうな声を上げて仰け反った。


「アンジェラのくっころなんて、二次創作でしか見たことなかった! 感動!」

「はぁ……?」


 身を震わせるカインが何を言っているのか、まるでわからないわ。


「悪いけど、今のセリフをもう一度、言ってもらないか?」


 なに……?

 今の会話に、何か特別な情報が入っていたかしら? 


「おあいにくさま! あなたに話すことなど、何もないわ。もし私から情報を引き出したいなら、拷問でも何でもしてご覧なさい。だけど無駄よ。お父様の娘として、最後まで誇り高く振る舞って、死んでやるわ!」

「うぉおおおお、アンジェラ! そのセリフ! そのセリフが聞きたかったんだぁ!」

「えっ……?」


 カインは歓喜していた。

 も、もしかして、私はこの男の術中にはまって、無自覚に大事な情報をしゃべってしまったとか?


 私は自分のうかつさに恥じ入った。


「安心してくれ。拷問とかする気はまったくないから。アンジェラは俺の2番目の推しだからな。二次創作を小説投降サイトで、よく漁っていたんだ!」


 なんだか、カインはすごくうれしそうだった。


 二次創作? 小説投降サイト? まったく知らない言葉だけど、何かの魔法用語かしら……?


 カインの術中にハマらないように、わからないことは無視して私は慎重に尋ねる。


「……拷問する気がないですって? 私を奴隷にしたいなんて言っていたのに、一体、どういうつもりなの?」


 カインの他にこの場には、誰もいない。

 不用心というより、おそらく私との会話を誰にも聞かれたくないということね。

 

「もちろん、アンジェラには俺の奴隷というか、仲間になってもらいたい。セルヴィアを、【世界樹の聖女】を欲しがっているレオン王子を、俺はいずれ叩き潰すつもりだからな」


 カインはあっさりと腹の内を明かした。


「ふんっ。あなたはレオン王子の忠実な配下だという情報だったけど……とんだ食わせ者のようね。狙いは王位の簒奪という訳?」


 この男なら、下剋上くらい容易くやってのけるでしょうね。


 放っておいても、アルビオン王国に近いうちに動乱が起きるのは間違いないわ。

 悔やむべきは、この情報を本国に……お父様の元に持ち帰れないことよ。


「えっ? 違うぞ。俺の目的はセルヴィアと幸せな人生を送ることだからな。王になったら、やるべき仕事が多すぎて自由が減るじゃないか」

「へ……っ?」

「例えば、今日は釣りに行きたい気分だと思ったら、セルヴィアと一緒に、ふらっと釣りに出かけたり。うまい料理が食べたいと思ったら、セルヴィアと一緒に舌鼓を打つ。最推しのセルヴィアとの何の不安も無い、そんな自由気ままな暮らしこそ俺の望みなんだ」


 カインはなにやら子供のように熱っぽく語った。

 えっ、なに? これが彼の本心なの?


「あなたは【世界樹の聖女】の力を使って、王となることを目論んでいるのではないの?」

「ああっ、アンジェラを誘い出すためのハッタリで、そんなことを言ってしまったから誤解したんだな? セルヴィアをそんなくだらないことに利用する訳がないだろう」


 カインは肩を竦めた。

 

 そ、それはつまり、愛する人と慎ましやかに暮らしたいという、そんなささやかな望みが、カインが命を賭ける理由だということ?


 まるで、おとぎ話に登場する理想の英雄そのものじゃない。


 くっ、うらやましい。

 カインほどの男にここまで強く想われているセルヴィアを、ちょっと妬ましく思ってしまった。


「それでアンジェラには、俺と奴隷契約を結んでもらいたいんだが……あっ!? ええっと、セルヴィアにも誤解されてしまったんだけど、エロいことしようとか、そういう変な考えは一切無いから、安心してくれ!」

「はい……?」


 なぜかカインはしどろもどろになりながら、まくしたてた。


「俺はアンジェラにも幸せになってもらいたいからな。それに、浮気は絶対にしないって決めているんだ」


 ふーん? よくわからないけど……紳士なのね。

 

 だけど、何を言われても私の答えは最初から決まっているわ。


「あいにくだけど、お断りよ。もし、私を通してアトラス帝国の後ろ盾を得たいなんて考えているのなら、お過度違いも良いとこだわ」


 私はカインを睨みつけた。


「さあ、早く私を殺しなさい! 覚悟はできているわ」


 お父様の命令に従って、たくさんの命を奪ってきたんですもの。


 今更、自分だけ助かろうとなんて、虫の良いことは考えていないわ。それが戦の掟。

 とうとう、私の番がやって来たということね。

 私は自嘲した。


「……そうか、わかった。アンジェラの父親、皇帝ジークフリートの望みは、アルビオン王国の領土だよな?」


 カインは急に真顔になって告げた。


「だったら、国境付近の領地、シュバルツ、フェルナンド、オーチバルの三家が、こぞって帝国に寝返るとしたら、どうだ? この条件と引き換えに俺と奴隷契約を結んでくれないか?」

「えっ、そ、それは……」


 私にとって、何より帝国にとって破格の申し出だわ。


「一滴の血も流すことなく、これら三家が手に入れられるぞ。しかもシュバルツ伯爵領には、ミスリル鉱山がある。これが嘘じゃないことは、俺の兵団が全員ミスリルの剣を装備していたことからもわかるだろう?」

「ミ、ミスリル鉱山!」


 私は思わず生唾を飲み込んだ。

 信憑性の高い話だわ。


 なぜなら、シュバルツ伯爵領から良質なミスリル鉱石が帝国内に流れて来ていると、噂になっていたからよ。


「俺が声をかければ、三家は必ずアトラス帝国に寝返る。そして、この手柄はアンジェラのモノになるんだ」

「そっ、それはとても魅力的なお話ね」


 私は内心の動揺を隠すのに必死だった。

 確かにこれを私が成したとなれば、大手柄だわ。


 例え奴隷にされるにしても、死ぬよりマシな選択に思えた。

 むしろ、よくやったと、お父様も私を褒めてくださるでしょう。


「……でも、うまい話には裏があるものよ。あなたとうかつに奴隷契約など結んだら最後。今の話をすべて反故にされて、死ぬまで働かせられる、なんてことになるのではなくて?」


 私は鼻を鳴らしてカインの話を突っぱねた。

 最悪、私はカインの手駒として、帝国と──お父様と戦わされる未来だってあり得るわ。


「わかった。じゃあコレが、アンジェラに署名して欲しい【奴隷契約のスクロール】だ」


 私は提示された【奴隷契約のスクロール】の文面を見て、唖然とした。


『①カインは、シュバルツ、フェルナンド、オーチバルの三家を寝返らせることを約束する。


②その対価として、アンジェラはカインの奴隷となることを誓う。


①が反故にされた場合、あるいはアンジェラの家族を害するような命令がされた場合、②の契約は無効化される』


「えっ、え~と……どういうことかしら? 話が見えないというか、理解が追い付かないのだけど?」


 私は【奴隷契約のスクロール】を何度も読み返して、混乱状態に陥っていた。

 これは私にとって有利過ぎる条件だわ。


 私が最も恐れること。

 『皇帝ジークフリートを暗殺せよ』

 などといった命令が、無効化される内容になっていた。


「俺は半年後の武術大会で優勝した褒美として、レオン王子にセルヴィアとの結婚の許しを求める。だけど、その後、セルヴィアが真の聖女であったとレオン王子が知れば、あいつは多分これを反故にしてくるだろう?」

「それは……そうでしょうね」


 レオン王子の人となりからして、そのような行動に出る可能性は高いと思うわ。

 家臣も民も、駒としか思っていない男ですものね。


「その瞬間、アトラス帝国への三家の寝返りの大義名分が発生する。つまり、皇帝ジークフリートは、横暴なるレオン王子への振る舞いを見るに見かねて、俺たちを庇護するべく手を差し伸べてくれたというシナリオだな」

「な、なるほど……」


 私は舌を巻いた。

 帝国の事情も考慮したみごとな計略だわ。


 まったく、王国も帝国も手玉に取ろうだなんて、たいした男ね。

 

「まさかレオン王子も俺たち三家に加えてアトラス帝国まで敵に回したいとは思わないだろう。つまり、戦わずして三家が手に入るということだな」

「いいわ。その計略に乗ったわ。あなたの奴隷になってあげる!」

「よし」


 カインは私の両手の拘束を解いた。

 私は【奴隷契約のスクロール】にペンを走らせる。


 生きて帰れる上に、こんな大手柄を立てられるなんて。願ってもないことだわ。


 ふふっ、カイン、あなたは確かに傑物だわ。

 だけど、私のお父様を知らなさ過ぎたわね。


 帝国に庇護など求めたら、あなたは機を見て暗殺され、あなたの大事な聖女様は、お父様に奪われてしまうでしょうに……


 そして、私は晴れて自由の身となれる。


 ふん。せいぜい、つかの間の勝利を味わうと良いわ。

 最後に勝つのは、私たちアトラス帝国よ。


 私がほくそ笑んだ瞬間だった。

 

「よし、じゃあ、アンジェラ。今後、アルビオン王国への攻撃は一切禁止だ。アンジェラが俺の許可無く本国に戻ること、俺たちから知り得た情報を誰かに伝えることも禁止だぞ。これから、仲間としてよろしくな!」

「えっ……?」


 私は全身から血の気が引くのを感じた。

 もう奴隷契約は結ばれてしまった。


「そ、それじゃ、お父様とこの密約の話をすることができないじゃない?」

「もちろん、セルヴィアが【世界樹の聖女】だと伝えることもできないな。さらに三家を寝返らせると書いてあるが、帝国に寝返らせるとは書いていない」

「だ、騙したわね! よくも、この私をぉおおおッ!?」


 そこで、私はようやく気付いた。

 奴隷契約の文書は、一見、私に有利なように思えて、実は帝国の領土拡大の約束など、されていなかった。


 カインは、いずれレオン王子と戦うつもりでいるのだから、三家が王国からカインの勢力に寝返るのは、当然なのよ。


「これはアンジェラが仕掛けてきた戦争だろ? 何を生温いことを言っているんだ? 戦争じゃ騙される方が悪い。違うか?」

「くぅうううううッ!」


 私は唇を噛んだ。

 この私が、ま、ままさか、奴隷にされるなんて。


 最初に見せたアホみたいな言動もすべて私を油断させるための布石……?

 な、なんて恐ろしい男なの!


「もちろん、自殺することも許さない。アンジェラのお母さんは、アンジェラにずっと会いたがっているんだぞ。お母さんに会わずに死んでも良いのか?」

「えっ……あれは詭弁ではなく、本気で言っていたの?」


 私は呆気に取られた。

 お母様は私を捨てて姿を消し、その後、亡くなったとお父様に聞かされていたわ。


 もし、生きていらっしゃるなら、もちろん会いたい。


「当然だ。俺はアンジェラに幸せになってもらいたいと言っただろう?」


 その一言に、私の心臓がどきりと高鳴った。

 

「……意味がわからないわ。なぜカインは敵である私に、良くしてくれるの?」

「それは、アンジェラが根っからの悪人じゃないからだ。父親の命令で、父親に好かれたくて、王国を攻撃していたんだろ? そんな父親より、アンジェラのことを本当に愛しているお母さんと、一緒に暮らして欲しいんだ」

「なっ……」

 

 なんていう、お人好し。私が悪人じゃないですって?

 私を奴隷にしたのなら、好きに命令して使い潰せば良いじゃない。お母様に会わせてくれる必要なんて、1ミリも無いわ。


 一体、なんなの、この男は……訳がわからないわ。こんな男に出会ったのは、初めてよ。

 

 私はカインに強烈に惹かれるのを感じた。


 言いなりになるのはしゃくだし、奴隷契約は白紙に戻したいけど……多少は力になってあげても良いかもね。


「い、いいわ! あなたの奴隷になってあげようじゃない。せいぜいこの私をうまく使いこなしてみせることね!」

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