15◇真相

「こっちだ」


 アルスは叫び声のした方へ足を向けたが、ナハティガルが肩で騒いだ。


「ちょ、ちょっと待ってアルス! 心の準備がぁ!」

「秒でしろ」

「やー!」


 じたばた騒いでいる。

 ラザファムは黙ってついてきた。その表情が険しいのも当然だ。

 ベルノルトにアルスを頼まれている以上、気を抜けないのだろう。


 城や領主館と比べてしまえばそう広いところではない。それらしき部屋へはすぐに辿り着く。

 ノックもせずにドアノブを捻ったが、鍵はかかっていなかった。


 生ぬるい室温。独特の臭いがする。

 ベッドに横たわる女性。立ち尽くす三人。そして――。


「何があった?」


 アルスが鋭く問いかけると、まず老婆がその場にくずおれた。

 ハインともう一人いるのは、セイファート教団がエーレ村に派遣している治療師だろう。白衣でそれとわかる。


 カーテンが引かれ、薄暗い部屋の中でもハインが震えているのがわかった。まさか、出産に失敗して母子共に助からなかったのだろうか。ベッドの上の奥方らしき女性は、血の気が失せた顔をしている。


 誰も、何も答えなかった。

 しかし、治療師がかぶりを振る。


「残念ですが、お子様には手の施しようがありません」

「嘘だっ」


 ハインのかすれた声が部屋に響いた。

 やはり死産だったらしい。悲しいが、こうしたことはこれまでにも数えきれないほど起こっている。


 赤ん坊を包んだ布を抱え、治療師は部屋から出ていこうとした。しかし、この時、ナハティガルが叫んだ。


「ねえ! この部屋、禍々しい気配でいっぱいだよ!」


 ナハティガルがそう言うのなら、アルスとしては疑うところはない。

 アルスはとっさに戸口に立って治療師の退路を断った。


「一番禍々しいのはお前かな?」


 真っ向から訊ねると、治療師は人のよさそうな顔に困惑を浮べてみせた。この時になって初めて顔を見たが、三十代半ばほどの細身の男だった。茶褐色の髪は清潔に短くそろえられている。


「一体なんのことを仰っているのやら……」


 治療師はかさついた肌を引き攣らせて笑ってみせたが、アルスは引かなかった。


「抱えているのは赤ん坊ですか? 状態を見せて頂けますか?」


 ラザファムが落ち着いた声で言い、治療師に向けて一歩進むと、治療師はカッと目を見開いた。


「動くな!」


 人を癒すはずの治療師には似つかわしくない恫喝に、アルスは眉を顰めた。


「動けばこの赤ん坊を床に叩きつけるぞ」


 治療師は布に包まれた赤ん坊を顔の辺りまで持ちあげてみせる。顔は見えないから、赤ん坊がどうなっているのかはわからない。


「死産ではないのだな?」


 アルスが訊ねると、ハインはハッと我に返ったようだった。


「最初から、死んでいるとは言っていない。ただし、母体にいる時から魔性の気を十分に吸った赤ん坊だ。この子は陽のもとでは育たないから、ラントエンゲへ送ってやる」

「何を――」


 ハインが愕然として声を失った。そんなハインを馬鹿にしたように治療師は顔をしかめる。


「この館の庭で育ったトラウゴット草は、あんたの兄が植え、育てたものだ。その咎でノルデンへ送られたわけだが」


 ラザファムは警戒を解かないまま問いかける。


「その種を前村長に渡したのはお前か?」

「まあ、そのようなものだ。彼は奥方が早世して以来、息子をうしなうことを極度に恐れていた。だからこそ、息子に疾患があり、その治療薬としてトラウゴット草がどうしても必要だと伝えた。栽培は違法だがどうする? と、ちゃんと選ばせてあげたのだがな」


 得意げに語り出す。この男は一体なんなのだろう。

 アルスは拳を握った。


「コルトに疾患が? デタラメだろう」

「まあ、な。しかし、セイファート教団の治療師が嘘などつくはずがない。疑われなかったな」


 コルトの父親は自らの意思でトラウゴット草を植えた。

 しかしそれは、コルトのためだと、少なくともそのつもりだった。罪を自白したというが、当人が認めたのも仕方がない。


「もし、ことが露見した場合、種の出どころと栽培理由は墓まで持っていく――それを条件に種を渡した。連行されていくグンターに、息子のことはちゃんと取り計らうと伝えたら、心底ほっとした表情で感謝されたよ」

「……セイファート教団の治療師がこんな鬼畜なわけない。お前、なんなんだ?」


 アルスが吐き捨てると、治療師はクッと笑った。


「鬼畜とは失敬だな。私は本物の治療師だ。ただ、来たる日に備えて宗旨替えをしただけで」

「はぁ?」

「この国にも魔王信仰の輪が広がっているのを知らないようだな。精霊王はいずれ力を失い、この世界エーレはラントエンゲに呑み込まれる。その時、魔王に従えば、人であっても生きることを許される。お前たちはどうも精霊に肩入れしているようだが、その太陽はいずれ昇らなくなる」


 ――デッセル領主とその息子たちもそんな話をしていた。

 それらはすべて、勝手な妄想だと片づけていた。しかし、ここへ来てまたこんな話をしている。


「誰がそんな話をあなたに吹き込んだのですか?」

「多分、魔族だろうな」


 あやふやなことを言う。

 はぐらかしているのか、からかっているのか、それとも本当にわからないのか。


「そんなヤツの話を真に受けるなんて、馬鹿じゃないのか?」


 思ったままのことを言ってやったら、治療師は気分を害した様子だった。


「好きに言っていればいいが、その時が来たら私の言ったことが正しかったとわかるだろう。まあ、後悔しても手遅れだが」


 やっぱり、こいつは馬鹿だと思った。


「その時とやらが来た時、お前はどこにいるんだろうなぁ?」

「なんだと?」

「――ナハ、赤ん坊を取り戻せ」


 簡単に言い放ったアルスに、ナハティガルは苦情を申し立てなかった。


「わかってるよ!」


 ナハティガルはアルスの肩から光になって治療師の顔面にぶつかった。ギャッ、と悲鳴が上がり、治療師が赤ん坊を取り落とすかに思えたが、ナハティガルがシャボン玉のような膜で赤ん坊を包み、天井付近まで浮かび上がった。


 アルスは狭い室内ではあるが、剣を抜いた。ハインは蒼白になりながらも、妻の前に立って気を失っている彼女を護ろうとしている。


「栽培禁止植物の所持、コルトの父親に対する詐欺、赤ん坊の誘拐未遂。他には? その時とやらには、お前はノルデンか薄暗い檻の中だ」


 治療師の目がアルスに向けられた。

 しかし、その目は虚ろで何も写していなかった。


 治癒師の握りしめた手が、サッと開かれる。何かの粉末が撒かれた。

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