13◇村長

 コルトの家から出てくると、風が吹いた。

 ナハティガルは寒いわけではないはずだが、ブルリと身震いする。


 村長の館は大抵が村の一番奥にある。アルスでも迷うことなく簡単に辿り着ける。

 ラザファムも無言でついてきた。見慣れぬ旅人二人に村人がチラチラと視線を送っている。


 歩いていると、ナハティガルが、ムムー、と唸った。


「どうした、ナハ?」

「うん。ヨコシマな感じがする」

「もうちょっと具体的に言ってくれ」

「そんなこと言ったって、ボヤッとしかわかんないもんっ」


 ナハティガルは精霊として年若く、経験が浅い。アルスの守護精霊になってからも城でのんびりしていたのだから、さほど世間を知らないのだ。

 ぼんやりと感じる気配を上手く説明できないでいる。

 ラザファムは周囲に気を配りながらつぶやいた。


「魔性の何かか、それとも人間の感情か……」





 ナーエ村の村長は、コルトの叔父に当たる。

 もしかすると、まだ若いのかもしれないとぼんやり思った。

 館の玄関先でラザファムが訪いを告げる。


「すみません。僕たちは旅の者ですが、村長にお会いしたいので取り次いで頂けますか?」


 村長は貴族階級ではなく、貴族の領地である村の管理を任されているに過ぎない。

 だから、貴族の住まいと比べると質素な館だ。それでも広さはそれなりにある。


 塀に囲まれた裏手には庭が広がっていて、そこでコルトの父が違法植物を育てていたというのだろう。

 館の扉がギィィと重たい音を立てて開く。


「どのようなご用件でしょう?」


 腰の曲がり始めた老婆が顔を覗かせた。家族ではなく使用人だろう。


「僕はラザファム・クルーガーと申します。少しお伺いしたいことがありまして」


 その名前を出したところで老婆は知らないようだ。

 はあ、と迷惑そうにつぶやいた。


「昨日、奥様が産気づかれまして、旦那様もつき添われているのです」

「なるべく手短に済ませます」


 しつこいと思ったかもしれないが、老婆は一度奥へ引っ込んだ。村長に面倒な旅人の話をしに行ったらしい。

 しばらくして、老婆は戻ってきた。


「奥へどうぞ」

「ありがとうございます」


 会ってくれるらしい。

 薄暗い館へ踏み入ると、ナハティガルはそわそわしていた。トイレを我慢しているわけはない。

 アルスはこっそりと訊ねる。


「どうした、ナハ?」

「うーん、なんかねぇ、ここキライ」


 やはり、この館には何かがあるらしい。アルスも気を引き締めた。

 前回のようなヘマはもう二度としないつもりだ。




 通された応接室で待っていたのは、暗い顔をした男性だった。

 もうすぐ子が産まれるというのに、嬉しそうには見えなかった。ただ徹夜をして疲れていただけかもしれない。

 年齢は三十代前半だろうか。ほんの少し白いものが浮いた鳶色の髪をしている。


「あなたがナーエ村の村長ですか?」


 ラザファムが幾分威圧するように言った。

 若輩ではあるけれどラザファムは貴族であり、稀少な精霊術師だ。この小さな村の村長よりは立場が上だと言えるのかもしれない。


 いや、立場がどうということではなく、ラザファムが気に入らないのは彼のコルトへの仕打ちだろう。


「は、はい。村長のハイン・ニコライです。こんな時ですので、十分なもてなしができませんことをお許しください」


 立ち上がって握手を求める。ラザファムはそれに応じた。アルスはラザファムの連れくらいにしか思われていないようで、手は差し出されなかった。


「奥方が産気づかれたとお聞きしましたが、まだお産は終わっていないのですか?」


 すると、ハインは一層薄暗い顔をした。あまり順調ではないのかもしれない。


「少し長引いています。無事産まれてくれることを祈るしかありませんが」


 こんな時に負担をかけるようなことを言ってはいけないのかもしれないが、アルスたちにも急ぐ用事があるのだ。


「お訊ねしたいのは、コルトという少年に関することです。あなたの甥だと伺いましたが?」


 コルトの名前を聞くと、ハインはさらに狼狽えて見えた。もともと気の小さな人なのだろう。


「え、ええ。彼が何か?」

「いえ、熱が出て具合が悪いようでした。いかに父親がノルデンへ送られたといっても、あんな小さな子を村八分にして一人で住まわせるのは酷ではありませんか?」


 ラザファムは言葉を選んでいなかった。まさか、これで選んだつもりだろうか。

 ただ、言ってやりたい気持ちはアルスにもわかったから仕方がないとも思う。

 ハインはカッと顔を赤く染めた。


「あの子が……兄の、グンターの無実を信じてくれない人とはいられないと言ったんです」

「子供が父親の無実を信じたいのは当然でしょう。それだけが理由ですか?」


 ラザファムが切り返すと、グンターは言葉に窮した様子だった。

 彼は村長になって日が浅い。これまで兄であるグンターの陰になって生きていたのだ。こうして人と会って糾弾された時に、納得のいく答えを用意できるようにはなっていない。


 この時、部屋の扉が叩かれ、また老婆が顔を出した。ハインに何かをささやいている。


「……すみません、少しだけ妻の様子を見に行かせてください」

「ええ、わかりました」


 ハインが去っていくと、ラザファムは感情を抑えるようにため息をついた。


「相当な難産みたいだ」


 アルスはポツリと言った。

 アルスの母も妹のパウリーゼを産んだ後に亡くなっている。お産が女にとって命がけであることは理解していても、やはりどんな時も無事に終わってほしいと思う。


 ラザファムはアルスの母が産褥で亡くなったことを知っているから、かける言葉に困ったのかもしれない。


「こればかりはどうしてあげることもできません」


 突き放すわけではなく、無念そうにつぶやく。

 この時、ナハティガルがゼェゼェと荒い息をしていた。


「うぅっ。ここ、やっぱりなんか変だよぅ」

「ナハ?」


 薄暗い室内。ナハティガルが息苦しそうだから、アルスは昼間だというのに引かれたままの部屋のカーテンの方へ向かった。


 窓を開けてやろう。そうして、カーテンを引いた先に庭が目に入る。

 セイファート教団の者がやってきて清めたとされる庭が。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る