16◇土の下
堂々と裏手の戸を叩くか、こっそりと忍び込むか、アルスはどちらにするか迷った。
けれど、どんどん日が傾いて闇が迫りくる。迷っている暇はない。
「ナハ、この鍵を開けられるな?」
「お茶の子さいさいさーい」
どこでそんな言葉を覚えてくるんだろうという疑問は置いておく。
ナハティガルは薄青い光を纏い、体を戸の鍵穴へ滑り込ませた。カチャン、という音が容易く鳴った。
アルスの肩に戻ってきたナハティガルは得意げだった。
「開いた!」
「よくやった、ナハ」
「ふふふーん」
今いち緊張感のないナハティガルを連れ、アルスはその戸口に隙間を開けた。中を覗いてもすぐに人が出てくる気配はなかった。
アルスは中へ入り込み、様子を窺いながらそろりそろりと移動する。植えられた木の陰に隠れながらナハティガルに問う。
「ラザファムかエンテ、ノーラ、誰かの気配は感じ取れるか?」
「それがねぇ、エンテが全然わからなくって。ラザファムとノーラは土の下かも」
とても怖いことを言われた。
これにはさすがのアルスも震える。
「う、埋められたのか?」
いなくなった人たちは殺され、土の下に埋められたと。だから見つからないのか。
この場合、ラザファムが殺されてしまったのはアルスのせいだろう。
アルスがラザファムを巻き込んだから。
罪悪感で言葉を失い、喉が絞めつけられた。
しかし、ナハティガルは短い首を振っている。
「そぉじゃなくて。地下室?」
「お前の言い方が絶対悪い!」
「なんでよ?」
「なんでって――」
隠れていたつもりなのに、つい騒いでしまった。ナハティガルのせいだ。
そばの茂みがガサッと割れる。
そこにいたのは、なんとなくにやけた顔をした青年だった。服装からして使用人ではない。多分、息子のどちらかだ。
顔を強張らせたアルスとは対照的に、青年は宝箱を開けた時のような喜びに顔を輝かせた。
「まさか本当にいるなんて!」
青年は、手にガラスの瓶を持っていた。その瓶の中には白い蛇がくたりと横たわっている。
「あ、あれは……」
アルスは愕然とした。ナハティガルは絶叫する。
「エンテぇっ!?」
鳥が喋ったというのに、青年はあまり驚かなかった。
そうであってほしかったが、違った。
「お仲間と一緒にこの中で寝ているがいい」
青年がガラスの瓶の蓋を開けると、ゾッとするような肌寒さを感じた。濁った煙のような何かが瓶から漏れ、ナハティガルの悲鳴が耳をつんざく。
「ギャ――ッ!」
「ナハ!!」
薄黒い煙に絡めとられたナハティガルは、青年の手元の瓶の中へ、蛇になっているエンテと一緒にすっぽりと収まってしまった。とても窮屈そうで、エンテを踏んづけた上、瓶の壁に頬をつけて面白い顔になっている。
残念ながら、笑っている場合ではない。
アルスは剣の柄に手をやったが、青年は瓶の蓋に手を当て、薄気味悪く微笑んでいた。
「こうなると、王族の守護精霊も形無しですね」
王族と言った。
この男はアルスの正体を知っている。
「……お前は領主の息子か?」
「ええ、嫡男のイングベルト・ベーレントと申します。以後お見知りおきください、アルステーデ姫様」
「ナハとエンテを返せ。ラザファムとノーラもだ」
イングベルトは武器を携帯しておらず、武装していたとしてもアルスの敵ではなかっただろう。剣などろくに握ったこともないように見える。
しかし、イングベルトは余裕でアルスと対峙していた。
「残念ですが、今の姫様は我々に要求できる側ではありませんよ。あなたの親しい者がこんなにも我らの手に落ちているのですから。どうぞ、大人しくついてこられますように。そうでなければ、この守護精霊もクルーガーの身も保証できかねます」
悔しいが、イングベルトの言う通りだった。
アルスが下手を打ってしまえば助けられるものも助けられない。
「その瓶はなんだ? 精霊を閉じ込めるなんて、そんな技が使えるのか?」
かなり腕のいい精霊術師ならば可能かもしれない。
けれど、イングベルトにそんな知識も技術もあるようには思えなかった。
イングベルトは目を細めて意地悪く笑う。
「まだ内緒です。さあ、姫様、こちらへどうぞ」
木の上から蜘蛛が降ってきて、驚いたアルスはとっさにそれを払い除けたが、イングベルトはアルスのそんな仕草も物笑いの種らしい。大人しく城にいればこんな目には遭っていないのだから。
隙を見て瓶を奪い返したいけれど、単に蓋を開けるだけでナハティガルたちを解放できるのだろうか。瓶の中のナハティガルは薄目を開けている程度で、エンテと同様にぐったりして見えた。
いつも騒がしいナハティガルだから、そんな姿を見ると不安になる。
振り回してごめん、と思った。
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