第25話 ダニー・スカーレットの自爆
「ちょ、ちょっとお待ちになって! エルシー、あなた……この殿方と結婚するの!?」
「ええ。だってその予定で縁談話を進めていたのでしょう?」
エルシーの幸せそうな表情を見て、ダニーはさらに苛立ちを募らせた。
「まさか……話が違うわ! わたくしはブルーフォレスト辺境伯が稀代の醜男だと聞いていたから縁談をエルシーに押し付けたのよ! こんな美男子だったなんて聞いてないわ! こんなの詐欺じゃない!」
あまりのショックに耐えかねて、ダニーはつい大声で本音を暴露してしまった。
ダニーには客観性がない。見た目を着飾るのは大好きだが、自分の言動が他人にどう受け取られるかをあまり考えていない。
特にカッとなると周りが見えなくなる性格の持ち主だ。だからこそ位の高い貴族の男性陣は、彼女の人間性を見抜いて避けているのだが……。
エルシーがオロオロしている隣で、美青年と化したラウル・ブルーフォレストがダニーに冷たい視線を注ぐ。
「ほう。ならば本来は、君が私の妻になるかもしれなかったということか」
「そ、そうですわ! 今からでも遅くはありませんわ、辺境伯様。そんな泥臭くてみっともないエルシーではなく、わたくしと婚約を――」
「断る」
ラウルは低い声で威圧する。短いながらも迫力の込められた声音。強い拒絶が滲む声のトーンに、ダニーは身を震わせた。
「かつての私は、君が言うように醜く太っていた。そんな俺を若い婦人たちは恐ろしがっていた。だがエルシーだけは違った」
「え……!?」
「エルシーはどんな私でも変わらず接してくれた。私という人間の内面を見つめ、太っていようが痩せていようが変わらず愛すると言ってくれた。……そんなエルシーだからこそ私も変わろうと思えた。今の私の姿があるのはエルシーのおかげだ」
「そ、そんなことが……!?」
「エルシー以外の女性を愛するつもりはない。見た目で態度を変える人間よりも、どんな姿であろうと寄り添い、互いを高め合える存在こそが伴侶として相応しい。私はこれからの人生、エルシーただ一人を妻として大切にすると心に決めている。今さら他の女性が入る余地はない」
ラウルの宣言に、その場にいた貴族の令嬢たちがどよめく。エルシーが献身的な愛情でラウルを変貌させ、美しい辺境伯からの一途な愛を手に入れたという物語は、令嬢たちの乙女心を掴んだようだ。
一方、手厳しい批判の矢面に立たされたダニーは震えながら項垂れる。
そんなダニーを見て、エルシーは困った様子で声をかけてくる。
「ごめんなさい、ダニー。でも私もラウル様が好きだから……これだけは譲れないの。本当にごめんなさい」
「くっ……!」
ダニーは顔を歪めてエルシーを睨みつける。
……この女はいつでもこうだ。周囲からの羨望や称賛、あるいは嘲りや罵倒などまったく意に介さない。
人の意見に惑わされることなく、真っ直ぐ自分の芯を持っている。それが気に入らない。何もかもがダニーとは真逆の存在だからだ。
「アンタなんか……!」
「そういえば、君たちに会ったら確かめておきたいことがあった。ダニーと言ったな。君たちスカーレット家の人間は、エルシーが何度も手紙を出したのに返事を出さないそうではないか。それは何故だ?」
「えっ!? そ、それは……」
まさかの指摘にダニーは冷や汗をかく。
「手紙が届いていないということはないのだろう。調査させたが間違いなくスカーレット男爵家に配達されている。……何故エルシーに返事を出さない? あまりに不義理ではないか」
「あ、ああ……それは、あの……」
ダニーは必死に言い訳を考える。とはいえ、衝動性が強く行き当たりばったりの彼女には、その場を取り繕う苦し紛れしか思い浮かばなかった。
「お、お父様のせいですわ!!」
「スカーレット男爵の?」
「お父様が手紙を受け取ったけどお返事を書かなかったのです! だからわたくしのせいじゃありませんの! わたくしが責められる謂れはありませんわ!」
ダニーはもう、とにかく自分が責められたくない一心だった。
だから勢い余って父のせいにした。父ならいつもダニーの尻拭いをしてくれるからだ。だが……今回は場所が悪かった。悪すぎた。その場にいた貴族たちの視線が一気に冷たくなる。
「なんと、スカーレット男爵はエルシー嬢から手紙が届いても返事を出さなかったのですか。それほど不義理な人物だったとは……」
「不誠実にも程がありますな。嫁いだ娘、いや姪でしたか。どちらにしても手紙に返事を書かないなど、礼儀として考えられない」
「あの男爵は本来分家筋の人間。エルシー嬢が本家筋のお嬢様でしたな。本家の令嬢になんという仕打ちを……」
「所詮繰り上がりで爵位を継いだ者など、貴族としての心構えが足りないのでしょう」
「そうですな。今後の付き合いも、考えていかねばなりますまい」
ダニーの苦し紛れの言い訳は、父であるスカーレット男爵の貴族社会での評価を著しく低下させるものだった。
貴族社会は礼儀やマナーに厳しい。手紙を受け取っておきながら正当な理由もなく返事をしないというのは、彼らの常識では考えられない無礼である。
今更そのことに気付いたダニーは真っ青になる。
「ま、待ってください! 今のは嘘、いえ、間違いといいますか、なんというか……!」
「……もういい。君たちスカーレット家のエルシーへの扱いはよく分かった」
「ち、違うのです、今のは……!」
「スカーレット家への資金援助は断らせてもらう。君の言動を見ていれば、これまでエルシーにどんな仕打ちをしていたかは一目瞭然だ。大切な妻を軽視する家に資金援助をする義理はない」
ラウルから突き付けられた言葉に、ダニーは絶句した。
思わず泣きそうになるほどの屈辱。だが、視界の隅に哀れみの表情を浮かべるエルシーを見た途端、頭にカッと血が昇った。
……許せない。全部こいつのせいだ。
そう思ったダニーは、テーブルの上にあったシャンパングラスを手に取るとエルシーに向かって投げつけた。
どうせ自分は破滅だ。ならば、せめて最後にこの女に恥の一つでもかかせてやらないと気が済まない。
「きゃっ!?」
エルシーは悲鳴をあげる。
パリィッ! ――という破裂音。砕け散るガラス。飛び散るシャンパン。
だが彼女のドレスが濡れることはなかった。グラスで肌を傷つけられることもなかった。
何故なら咄嗟にラウルが前に出て、エルシーを庇ったからだ。
グラスはラウルに直撃した。仕立てのいい上質な衣装はシャンパンまみれとなり、グラスの破片が飛んでラウルの頬を傷つける。
「ラウル様っ!?」
エルシーが青ざめて叫ぶ。そしてハンカチを取り出すとラウルの顔に付着したシャンパンを拭う。
その様子をダニーは呆然として見つめていた。
「ダニー・スカーレット」
ラウルの口から低い声が響く。
「自分が何をしたのか分かっているか? 私が庇ったからいいものの、君はエルシーを傷つけるところだったのだぞ」
低い声で語り掛けながらダニーを見据える。その威圧感に押されて、ダニーは身を縮こまらせて固まった。
「君には失望した。それは私だけではない。今宵この大広間に集まったすべての貴族が、君の行いを軽蔑しただろう」
「う、うぅぅ……っ!」
「もはやこの国に君との結婚を望む貴族は存在しないだろう。そうなったのは君の身から出た錆だ。このことを深く反省し、今後は改心するよう励んでくれ」
ラウルはそう告げると、呆然とするダニーを置いて、エルシーと共に大広間から退出していった。
残された貴族たちは、気まずそうにお互い顔を見合わせると、次々とダニーの側から立ち去っていく。
これまでダニーと一緒にお茶会で盛り上がっていた令嬢たちも、そそくさと離れていった。
「ま、待って、お待ちになって……! わたくしは、わたくしは……いやあぁぁっ!!」
貴族令嬢として、スカーレット男爵家よりも格が高い貴族の美青年を捕まえて結婚する。
それがダニーの夢だった。
だがこの瞬間、その夢が一生叶わないことが確定した。
いや、それどころか先日まで求婚してきた下級貴族や平民の商人すらダニーに近付いてこなくなるだろう。
この僅かな時間でダニー・スカーレット男爵令嬢の評判は地に落ちた。もはや彼女と接点を持つことは貴族社会を生きていく上で、あるいは商売をする上でリスクと認識される。
パーティーの喧噪の最中、ダニーは己の薄暗い未来を予見して、静かな絶望に駆られていた。
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