相面相

「……いい加減説明してくれないか?」


 女が自分の世界に入り込んでしまってから直ぐ。

 俺は縛りつけられたままそんな質問をしたのだが……

 

「いや説明と言うか、私が説明して欲しいと言うか……うーん」


 返ってきたのは、そんな要領を得ない……というか、うわ言の様な返答だった。

 

 ……多分これ、半ば脊椎で話してんな。

 本を読んでいる時の俺もそんならしいから気持ちは良く分かるが、こうなると会話の中身には期待できないだろう。


 だが、女から聞き出すことは叶わずとも、確実に分かることが有るとすれば、今、俺がこうして話している事こそが、女にとってのイレギュラーだと言うことぐらいか。

 そして恐らく、これが女が頭を抱えている原因でもあるのだろう。


 理由としては、俺が目を覚ました時のあの物言い。


「え!?な、何で起きてんの!?」


 これに加えて、先ほどのうわ言。

 どちらも予定通りとは言えない様な、好ましくない心情のようだった……なんて。

 それが分かった所で、俺がこんな目に逢っている理由なんかは一切分からないのだが。


 そして分からないと言うなら、他にも気になる点は有る。

 一つはその後に言っていた不明瞭な呟き。

 聞き間違いでなければ、トラウマがどうとか言ってた様だが……まぁ、いかんせん、聞き取れたのが一部過ぎる。

 何の判断材量にもならないだろうからこれはスルーで。

 そして二つ目は……これだ。

 

 最早達観したかのような心持ちで腕を見る。

 そこには俺の細腕と足を縛り付けて尚、うねり続ける活きの良い触手。

 唯一の救いは存外に粘ついていないことだろうか。

 これも一体どういう理屈なのだろう。


 一度意識が落ち、何かに糾弾された夢を見た気がしてから目を覚ませば、辺り一面の青々とした草原は、おぞましい触手の海へと早変わり。

 この変わり様。

 まるで魔法でも使われたみたいだ。

 ……そう考えたら、いよいよ現実離れしてきたなぁ。

 いや、今更と言われればそれまでなんだが。


 ……とまぁ、ここまで色々考えてきた訳なんだが、結局のところ……


「考えてもわかんねぇってことか………」


不意に出た結論に鼻白み、大きな溜め息と共に思わず脱力すると……


「え?うわっ!!」


 タイミングを揃えたかのようにいきなり脱力した触手から、俺は無様にこの触手の大地に降り立った。


「ビ、ビビったぁ……」


 幸い地面一杯の触手がクッションになって、怪我こそなかったものの、高さ約5mから何の姿勢も取れずにいきなり落下するという恐怖は大したもので、気付けば俺は腰を抜かしてしまっていた。


腰が抜けるという初めての体験に慌てて立ち上がろうとするも、バタつかせた手足は地面の触手を掘り返すだけ。


「ちょっ!どうなってんだこれ! 全然立てねぇじゃねぇか」

 

 それに加え、立てないと言う状況は存外に恐ろしいもので、恐怖に痺れた脳は勝手に同じ動作を繰り返していた……のだが。

 

 不意に……スッ と。

 手が差し伸べられた。


「大丈夫?」

 

 その相手が誰かに薄々勘づきながらも手の方を見ると、案の定というべきか。

 その相手は例の女だった。

 

「……いい加減考え事は終わったのかよ」


その手を取らずに俺は尋ねる。


「え?あぁ、考え事ね。終わったよ。」


 なんか、さっきより少し声が間延びしてるような………

 そんなどうでも良いようなことを考えつつも、俺は先を促した。


「んで?結局何がしたいんだよ、お前は」

「んー?」


そう尋ねると、女はいぶかしげな表情で首を傾けた。

 

右にカクン

左にカクン

もう一度右にカクンとして____

 


 

「それ以前に、キミって誰?」


 


「…………は?」


 絶句。

 絶句である………ってかそれ以外に何て反応すりゃいいんだよ………


 不意にハッと我に返った俺は、慌てて女を詰問した。


「ちょ!ちょっと待て! いろいろ置いとくとしても、最初に一つだけ聞かせろ。じゃあお前、誰とも知れない相手に今まで何してたんだよ!」


 そんな叫ぶようにして捲し立てた俺の慌て様などまるで気にもならないようで、女はゆったりと答える。


「何って……寝てたんだけど」

「………………は?」



絶句。

二度目の絶句である。


ちょっと待て……

ここ何行の間に三回は言っただろうけどちょっと待て……


 は?

 今なんつった?コイツ。

 寝てた?

 寝てたって言ったのか?

 それじゃあ俺を吊るし上げたのは寝相が悪かったからで、かろうじて会話が成り立った幾つかの言葉は寝言?


 そんなことあり得る筈が……………

 ……いや、そうか、それであの返答か。


 俺が思い出すのは縛られてから初めてした質問の答え。


「いや説明と言うか、私が説明して欲しいと言うか……………うーん」


 初めて聞いたときは何か考え事をしてるからだと思ったのだが………

 寝言だと思えば納得も……いや、出来るかアホ。


 

「はぁ………………」

「ねぇねぇ、今度は私が聞いてもいーい?」


 故意か偶然か。

 こちらを翻弄する女のトンデモロジックに俺が思わず盛大な溜め息を漏らしていると、女がそんなことを言ってきた。


「あ?なんだよ」


この時点で真面目に考えてた自分が馬鹿みたいだと考えた俺は投げやりに返す……が。


「この世で一番欲しいものってなーに?」


「あー? 欲しいものぉ?…………欲しいものか。」


 最初は適当に返すつもりだったが、質問が質問だけに、俺は少し考え込んでしまった。


 んー……欲しいものかぁ。

 正直有りすぎて選べねぇけど一番っつーなら……


「力……だな」


「力?」


「おう、この世に蔓延るクソ共を血祭りに挙げて…………その死体の山でキャンプファイアでもしたら、あそこのガキ共も喜ぶだろうな………ってこんな話じゃなかったか。えーっと、」


 詰まるところが……だ。

 そういって俺は簡単に纏めた。


「先ず、さっきも言ったけどクソ共を駆除出来るような力。そんで二つ目が……その………なんだ。」


 そうしていると、ふと自分が何を言おうとしていたかに気付き、言葉尻がゆっくりと萎んでいった。


 正直…………顔が熱い。

 さて、どうしよう。

 このまま何でもないとか言ったら誤魔化せ……


 そこでちらりと正面を見ると、女と目があった。


 以前見た時の黒は消え去り、キラキラとした目でこちらを見つめる女。

 そこに一切の混色は無く、ただただ純粋に俺の言葉を待っていた。


 それは餌を待つ雛鳥のようで。

 それは言葉を覚えたばかりの子供のようで。


 そして何より…………あの人の様で。


 …………んだよ そんな目で見んじゃねぇよ。

 陽キャの分際で……




「………を守……力」


「え?」


「だからぁ!」


思わず語気を強めて俺は叫んだ。


「『大切』を守る力だってんだよ!」


それを受けて女は目を丸め…………


「フフッ」


クスッと笑った。




ボッ




 その瞬間、俺は半端じゃない熱と冷や汗をかきながら思わず怒鳴っていた。

 触手に足を取られていることも忘れ、恥ずかしさのあまり飛び出そうとした次の瞬間。

 

「おっ……おまっ! 笑ってんじゃ………ぬわっ」


 当然のように顔から転んでしまった。


 クッソ、これじゃあ恥の上塗りじゃねぇか!

 うーわもう恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥……


「笑ってごめんね」


 ガバッと勢いよく顔を上げると、微笑ましい物を見たかのように微笑む女。


 その微笑みが余計に俺の羞恥心を刺激して、顔が熱いのを自覚しながら必死に叫んだ………のだが。


「クッソ 俺はガキじゃねぇんだぞ!なんでそん……ぎゃ!」


 女は俺を起こそうとしたのだろう。

 脇に手を差し込み、それから持ち上げようとしたのだろう。

 だが触った場所が悪かった。

 有り体に言えば………脇は俺の弱点なのだった。


 持ち上げる直前で固まる女。

 再び冷や汗が滲み出す俺。


 だが____ひょい と。

 何事も無かったかのように、女はそこから俺を一気に持ち上げたのだった。


「笑わないよ」


 女は続ける。

 先程と同じ様に。

 

「だって私も____」



そうだから



それを耳元で言うが早いか、否か。




「んっ」




 唇を柔らかい感触が襲った。


 突如現れたそれは事務的に軽く触れあったものの、去り際にはまるで別れを惜しむようにチロリ、と唇を舐めるという、矛盾した様子を見せて、来たとき同様にあっさりと去っていったのだった。


「じゃあ………」


 こちらを向きながら離れていった女の顔には微笑み。

 その顔で、未だに呆然としている俺を楽しそうに眺めながら女はこう言った。



それと同時に俺を中心とした大きな穴が開いた。

当然のようにまっ逆さまに落ちていく俺。

悲鳴も無い。

驚きも無い。

不思議と騙されたとすら思わなかった。


真っ直ぐ暗闇へと落ちていく俺の耳には、別れを告げて去っていった女の鼻唄がこびりついていた。

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