臨場

 鬼崎宅から一円タクシーを拾って現場に急行した慧と比良塚警部の目に飛び込んできたのは、炎上し燃えあがる千夜田尋常小学校の校舎であった。火元は校舎入り口だったのか、そこが激しく赤い火が踊り狂い、真上の二階部を経由して手がつけられないほどに延焼しており、二人より先に駆け付けていた警官たちも逃げまどっている生徒や教諭たちを避難させることで手一杯のようである。

 慧が自らがなにかできることはないか考えて、周囲を見渡しながら怪我人のほうへ駆け寄ろうとするところで、

『校舎内に生徒が四人取り残されてる』

 光の玉となっているユグメが残酷な現状を慧に伝えた。

『……生徒の状況は!』

『二階部の教室に取り残されているけど、入口が燃えて外に出られないんだ。彼らの身長じゃ窓からは飛び降りるにしても、台になる机を動かしているうちに煙に巻かれるだろうね』

 慧は盛大に舌打ちをして、トランクを置いてジャケットをその上に無造作に投げ捨てると、後者に向かって走り出す。そんな慧の行動に気づいた比良塚警部が大声で、

「鬼崎君! いったいどこへ!」

 至極当然の疑問を慧へ投げかける。慧は近場にあった水道で全身を濡らしながら、完結に状況を警部に伝える。

「校内に生徒が四人取り残されているようです!」

「いや、どうやってそんなことを知った……ちょっと待ちなさい!」

 慧は制止する比良塚警部を振り切って、校舎のなんとか登れそうな位置を探ると、グッと屈みこんで跳躍の体勢を取り、

『ネネル、力を貸してくれ!』

『任せなさい!』

 猛烈な勢いで校舎内から飛び出してきたユグメとは違う光の玉、秩序の神・ネネルが慧の身体と重なり、彼の瞳が薄黄金色に輝く。神の一端を得た鬼崎慧は、神であるネネルと繋がることで、一時的に超人的な身体能力を身に纏うことができるのである。

 ネネルと繋がった慧が跳躍一手の一足飛びで校舎の二階部に取りつき、窓から校舎内へ侵入したことで、遠目から確認していた群衆はおおっ、と感嘆の吐息を漏らした。


『子供たちはどこだ!』

『校舎玄関の真上よ、でも入り口は炎上して使えないわ』

 ネネルの言った通り、生徒たちのいる教室入口は炎が燃え広がっていて、とてもじゃないが通り抜けることなど不可能であった。

『どうするの、慧ちゃん!』

『……クソっ、俺はどうにかなっても生徒たちが死んだら意味が……』

 そこまで言ったところで慧は、はっと名案が思い浮かび、校舎玄関側で不安そうな面持ちで待機していた比良塚警部に、

「警部! シーツでもなんでもいいんです、布を持って裏に回ってください!」

「鬼崎君! いったいなにを……はっ! わかった、すぐに用意する! 絶対に死ぬんじゃないぞ!」

 言葉少なに慧と通じ合った警部は、周りにいた警官たちを総動員して校舎の裏手に回り込む、それを確認した慧は火がまだ燃え広がっていない隣の教室に入り、生徒たちが取り残されている教室に向けて距離を取ると、

『行くぞネネル!』

『大丈夫、私の加護と秩序を信じなさい!』

 全身に力を込めて、全力で教室と教室を隔てる壁へ体当たりをする。その姿はラグビー競技におけるトライのような美しさを彷彿とさせた。

 轟音と共に生徒たちが待っている教室に乗り込んだ慧であったが、もちろんそんな登場をして生徒たちに畏れられないわけもなく、見慣れない洋装に煤で顔が汚れていたことも相まって、取り残されていた生徒たち四人が大泣きを始めてしまう。

「おいおい、俺はお巡りさんだ。君たちを助けに来た、動けない奴はいるか?」

「ひっく……お巡りさん……? 大丈夫です、全員動けます」

 お巡りさんであると嘘をついて生徒たちを安心させた慧は、ふうと一つ息を吐いて、生徒たちに状況を説明しはじめる。

「いいか、よく聞いてくれ。ここから出るにはそこの窓から飛び降りるしかない。窓の外にはお巡りさんが布を広げて待ってるから順番に飛ぶこと、いいな?」

「と、飛び出すなんてできないよぉ!」

 生徒たちの中で一番背の低い女子生徒が身体を震わせ、無理だ無理だと慧に向かって叫ぶ。他の生徒たちも同調して、拒否の輪唱をするが、

「それじゃあここで焼け死ぬだけだな。見ろ、俺がブチ抜いてきた教室にも炎が広がってる、ここから飛ぶしか生き残る術はないぞ。俺だって死にたくないからな、限界が来たら自分で飛んでおまえらを見捨てる。さぁ、さっさと飛ぶか燃えるか決めろ」

 強い慧の口調に生徒たちは黙り込み、炎が刻一刻と迫りくる中、慧が自身だけでも離脱を考え始めたころ、生徒の中で一番恰幅の良い男児が意を決したのかバッと顔をあげて、

「俺から飛びます、俺が無事ならみんなも無事に着地できますよね」

 と、いって慧に尋ねる。慧は煤だらけの顔をシャツの裾で拭いながら、

「あぁ、よく腹をくくったな勇者君」

 そういって、慧は四十キロほどの重さであろう男児を抱え、窓から階下を見下ろし警部たちが待機してくれているかどうかを確認する。慧の予想通りに、比良塚警部たちが大振りの布を広げて待っていることを目視した慧は大きな声で、

「一人投げます! 確保、よろしくお願いしまぁす!」

 そう叫びながら一人目の男児を布の中心めがけて放り投げる。男児は弧を描いて布の中央から少し左にずれた位置に落ち、素早く周りで待機していた大人たちに布から引き上げられる。

「さぁ、彼が大丈夫だったんだ、君たちも大丈夫さ。次は君が行こう」

 炎が迫り、猶予もなくなってきたので慧が次に投げ飛ばす生徒を決め、抵抗しようとする二人目を問答無用で一人目と同じように放り投げた。続き、三人目も同じように投げたところで、

「ダメだ! 布が破れた!」

 クッション代わりの布が裂け、慧と一番背の低い女生徒が飛び降りるための場所が無くなってしまう。炎が背後から迫り、いよいよもって女生徒が声にならない声で泣き叫び、どうしたものかと慧が、顎に手を当ててどうやって脱出するか思考を高速回転させて考えていると、

『落ち着きたまえ、焦りはニューロンの働きを鈍くする』

 浮ついた声のユグメが光の玉の状態で慧の近くにやってきて、からかうような口調で囃し立てる。

『うるせぇよ、俺はともかくこんな子供の命預かってんのに焦るなってのは無理な話だろうが』

『だからだよ、簡単な話だ。一枚の布が破れたならば、重ねればいい。そうではないかな』

 ユグメの言葉に、目を見開いて女学生を見つめる。そして、窓の下でどうにかして別の布を探そうとしている警部たちに向けて、

「警部! 畳んで!」

「なに? なにを……そうか、おい! 破れた布を半分に折りたたんで四つ角を持て! 早くしろい!」

 警部の指示で警官たちがバタバタと布を折りたたみ、大きさこそ半分になったが成人男性を捕獲するには十分な広さのクッションを再び手に入れた警官たちは、大きな声で飛んで来いと叫ぶ。炎が目前まで迫り、一刻の猶予もないと考えた慧は女生徒を胸の内に抱きかかえて、

「大丈夫だ、俺を信じろ」

 そう短く告げて、窓の縁から高く高く空へ舞い上がった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る