トール

六塚

トール

 

 (1)


 僕の魂は、火薬と硝煙の中にいる。

 目を閉じれば――僕の両目は本物の目ではないのだけれど――あの日のことが鮮明に思い出せる。そうやって目を閉じては思い出せるものが僕には多すぎるしあまりに少なすぎるのだと思う。

 例えば、両目を失った日のことについて話そう。僕の目と前頭葉の三分の一は敵の補給施設を叩く作戦で爆薬と一緒に吹き飛ばされてしまった。何故そうなってしまったかは今となっては考えたくもないけれど、多分そのときに入っていた部隊の中に僕のことを嫌っている奴がいたからだ。あのときは怪我のことよりこれでやっと開放されるかと思ったけれど伽藍になった眼窩には視覚補正の機能がついた安物の硝子玉が嵌められ、すぐに戦場に戻されることとなった。

 最悪だ!

 僕は最悪だ最悪だと思ってそれまで以上に火薬をぶっ放すようになった。

「■■■■、お前目を変えてから前よりぶっ飛ばすようになったな」

「ビクター、だって殺すしかないじゃないか。こんな目に合えば殺すしかないに決まっている」

 せっかく人生に平穏が訪れると思ったのに。僕はビクターに話しかけながら敵に飛びかかりその口腔に小銃を突っ込んで乱射しながら叫んだ。だって、こうなってしまったからには嘆くか、喚くか、壊すかするしかないじゃないか。

 僕の魂は、火薬と硝煙の中から生まれてきた。初めて目を開けたとき、世界の皆は七つの頭に十本角の獣と戦いあっていて五歳のときには戦場に放り込まれてアックスで団結しない馬鹿な同胞たちを処理する仕事に就かされた。

 でもその頃はまだ楽だったのだ。

 それからすぐ僕は功績――と言っても勲章をもらったわけではないのだけど――を認められて七つ頭に弾薬を叩き込む部隊に入れられた。最前線だ。そこからが地獄だった。前線に立ってみて初めて僕らは敵勢力に圧倒的に押されていることがわかったからだ。参った。でもアックスを握っていた頃と変わらず敵を殺せば食べ物が手に入ることに変わりはなかったから居場所が変わっても僕は僕の日常を続けるだけだった。

 だけだったのになぁ。

「お前、そんな生活をしていてよく死なないよ」

「あなたも同じじゃないか」

 俺は■■■■みたいに手当たり次第に手を出したりしないとビクターは呆れたように首を振る。彼は僕より随分年上で戦士のくせに博識だから部隊長はそのことで彼をものすごく疎んでいるようだった。この小さな世界で知識は罪だ。だって頭がいいと知らなくていいことまで知ってしまうからだ。弱い奴よりも頭がいい奴から先に死ぬ。僕が前にやっていた斧振りの仕事が頭でっかちの人間の頭を吹っ飛ばす、そういう仕事だった。

「ビクターも殺されちゃうのかな」

「俺はあんな小心者なんかに殺されないやしないさ、殺すならお前の名前の元にもなった、俺たちの神様にお願いしたいね」

 僕の名前の元になった神、ユーピテル、Jupiter、Thor。曰く、戦の神様。大切な愛鎚をなくしたせいで女装することになった神様。

「そうだな、ビクターはフレンドリーで死ぬ気がする」

「それでも悪い気はしないぜ」


 翌日の戦況は狂っていた。七つ頭の巣に特攻を仕掛けるとかいう狂った作戦を立案したやつがいてだから戦況も狂ったのだ。司令官が恐らく、というか絶対都合の悪い人間を減らすために僕や数名の戦士たちを敵の本拠地に送り出したからだ。なぜそう思ったかというと僕とビクターでツーマンセルを組まされたから、僕と、ビクターの、二人組。僕は絶対顔には出さなかったけれど心の中で大笑いした。隣のやつがそれをやって頭にでかい穴を開けられて倒れるところを見た。ビクターの体力を考えると僕と組ませるということは通常ならあり得ないことだ。だから、僕はビクターを守りきってこの戦場から生還することだけを考えた。彼を守りながらというハンデを与えられたにしては善戦したほうだと思う。ビクターに死んでほしくなかったからかなり頑張った。けれど、僕にだって限界がある。七つ頭の本城はさながらバベルのように巨大でまるで天を射抜くかのようにそびえ立っていた。中身は人間の内臓みたいにぬめついていてそれらを踏みつけながら歩いていると思うと小人にでもなったみたいで嫌な気分になった。僕は小さい七つ頭二体に挟まれて左から来た一体目の口に銃口を突っ込むとそのまま相手の息の根が止まるまで撃ち続けた。幾重にも重なった硬い後頭部の皮膚が金属の粒の嵐にばりばりと剥がされていく音が聞こえる。もう片方の口はそれが終わるまで右手で強引に抑え付けていたから鋭い牙に手のひらの肉を滅茶苦茶にされて必然的に血塗れになった。背中に背負っていたビクターが右の七つ頭の目玉に拳銃を突っ込んでいてくれなかったら僕の腕は今頃根本から無くなっていたと思う。気づいたら僕は蜂の巣のような巣穴の一つの中で突っ伏していて、ビクターの姿はなかった。

「こっちも駄目だ。やはり未来は変えられないようだ」

 ビクターの声が聞こえる、生きているようだが、悲痛な声だ。僕は自分の胸元を手で探る。無線機がない。ビクターにとられたのだと思ったけれど最期に誰か話したい人間がいたのだろうか……彼には無線機は与えられなかったから。僕のものを奪ってまで一体なんのために誰と話しているんだ。そこで僕はもっと重要なことに気づく、無線機の他に僕に渡された武器が背中に背負ったアックスを除いてすべてなくなっていたのだ。

「巣穴の中は暗い。卵の数が予想以上に多い。もう手遅れのようだ。ゼロワン……ゼロワンは寝ている、心配するな」

 ゼロワンというのは今回の特殊作戦にあたって僕に振り当てられた番号だ。僕がゼロワン、ビクターがゼロツー。仲間内では識別番号で呼び合う必要はない。ならば、彼は司令クラスの人間と喋っていることになる。それは僕が起きていちゃ悪い話だろうな。なあ、あなたは一体何の話をしているんだ。

「予言の通りに進んでいる。このセカイはもう駄目なようだ」

 そうか、じゃあ僕はもう駄目なところでもう駄目なやつのために何も知らずに戦っていたというわけか。《予言》というのは聞いたことがある。それは僕が頭かち割り仕事で処分してきた仲間たちがよく口にしていた言葉だった。それは僕たちが生きるこの場所は予定調和的に崩壊するという内容なのだけれど、僕らを顎で使っている上官たちは《予言》を口にする者たちを一番毛嫌いしていて七つ頭より先に戦場から一掃したいように見えた。曰く、ビクターはこのセカイがこれからどうなるか全て知っている側の人間のようだった。無線機が破壊される音が響き、僕は確信した。

「ビクター、武器を返してくれ」

「■■■■、起きていたのか」

 ビクターは普段と同じ父のような態度で僕に接する。なんでそんな顔ができるんだよ。僕がいつから起きていたのか知っているだろうか。その態度の全てが図々しい。つまり、あなたは嘘をついていたんだな。僕はもう一度ビクターに向かって武器を返せと言ったのだけれど彼は残った弾を全て肉壁に向かって叩きつけるとこれでも使えるかと言った。むかついた。彼は僕とバベルの中で心中しようという気みたいだけれどそんな願いが叶わないことは彼が一番わかっているはずだ。だってビクター僕がバベルから斧一本で生還したことを覚えているはずだから。だからもうこいつを許す気はなくなった。こんな馬鹿なことをしなければ黙っていてやろうと思っていたのに。彼は僕たちがどれだけ戦っても最終的に死ぬ運命なことを知っていたということだ。

「ビクター、さっきのは本当なのか……」

「ああ、そうだ。全て知っていた」

 そうか。じゃあもう黙れ。それ以上何も言わないでくれ。それ以上言ったら僕は君を殺してしまう、というよりこんなことを知っていたのに知らないフリをしていたなんてそれはもう殺さなければならない。だから、知っていたのに言わなかったなんて、そんな言葉は言わないでくれ。そんなことされたら僕は。

「知っていた。でも言わなかった」

 ビクター、なんで僕は君を殺さないといけないんだ……仲間だと思っていたのに。僕はあなたのことを本当の父さんのように思っていたんだ。

 裏切ったな。裏切ったな、ビクター。

「僕を怒らしたらどうなるか知らないのか……知ってるよなあ」

 これは脅しじゃないぞ、僕は殺るって言ったやつは七つ頭だろうが仲間だろうが片っ端から殺してきたし、ましてや目の前の奴が裏切り者だったりしたら頭を割ったあとに八つ裂きにして残った身体はつま先までミンチにして、塔の上からばら撒く。そうやって七つ頭たちの餌にしてやる。

「言っただろう。俺はお前になら殺されてもいいって」

 あれはそういう意味だったのか。そんな意味が、ああ、そんな意味だったなんて。僕は銃を床に落として背中に下げていたアックスを手に取った。グリップを強く握ったらギシリと鉄が軋む音がした。こういうときふと冷静になる瞬間が存在するんだけど、まさに今がその時だった。僕はこんなときになっても涙を流さない冷血漢なんだなと思った。それは僕の両目が義眼だからとか脳みその量が足りないからとかそういうことじゃなくて単純に心が動かないからだった。彼は僕の倒錯しきった剥き出しの人間性に対して恐れを抱いたのだろうか。答えは否のように思う。

 僕はビクターの脳天にアックスを振り下ろす。彼は最期まで口元に笑みを浮かべたまま何も抵抗しなかった。

 辰砂のようなビクターの血液が僕の顔にかかるのと同時に唐突な瞬きと閃光が僕の嘘の瞳を焼く。炎が揺らめくように目の前の壁が蕩けたので思わず目を擦った。言うなればそれは扉だろうか。黄金の光の扉が眼前に輝いている。鮮血と脳漿に塗れた僕の前にプレゼントのように置かれたその扉が、開く。空間が傷口みたいにぱっかり開いてそこからぐねぐねとした光の束が溢れてくる。

 ついにストレスで頭がイカれたのかと思って再び目を擦る、消えない。頬をつねる、消えない。火薬(ガンパウダー)を吸ったときにも似たようなものを見たことがあったから幻覚ではないかとも思ったけれど、その光の束に僕は触ることができたからそこから一気にこの不思議な白昼夢は現実味を帯びた。

「はじめまして、私はブラフマーと言います。難しいことはいくらでも言えるのですが言うなればあなた方をこの階層から救いに来ました」

「一人死んでるんだけど」

 お偉いさん方が舞踏会で付けているような仮面の男が光の中から現れた。何を言っているんだろうか、この男は。だったらもう少し早く現れてくれれば良かったのに、そうすれば僕はビクターを殺さずに済んだかもしれないのに。でもそのとき僕は頭も身体も極限まで疲れていたから、このままこいつについて行った先に温かい寝床と十分な食事があればそれでいいような気がした。

「私は地上永続機関から最高指揮官の命によりこちら階層に派遣されました。我々の階層の存続のために是非あなたの力をお借りしたい」

 地上永続機関。階層。

 なんなんだろう。

 何を言っているんだろうかこいつは。

「現階層消滅まで時間がありません。質問は三つまで、なるべく短めでお願いします」

「僕たちが今まで戦ってきたあの七つ頭って結局なんだったの……」

「あれは我々があなた方の地球を観測する際に使用している大聖杯のデバッギングの不具合から生じたものです。この聖杯機能は本来人間にだけに適応されるもののはずなのですが、システムに抜け道が存在しそこから漏れ出たバグがあなた方の地球を襲っているのです」

 僕の頭はまた疑問符で埋め尽くされた。喋り方からしてこいつの頭が滅茶苦茶にずば抜けて良いということはわかった。

「ここは、どうなるの……」

 今この瞬間にして持てるものすべてを失った僕はもうあとがどうなろうが知ったこっちゃないと思っていたし心底どうでもいいと思っていた。いたんだけど、でも僕には僕が殺した仲間たち、さっき殺したビクターの遺体、がどうなるのかこのセカイはどうなるのかを知る権利があるだろうと思ったから取り敢えず聞くだけ聞いてみることにした。多分また僕の頭では理解できないような回答が返ってくるだろうけれど。

「この階層は滅びます。ここの状態は私が観測でき得る限りでかなり酷い部類に入る。あなた達は地球存続のために尽力しましたが、もう手遅れだ」

 ビクターと同じことを言っている。

 話の流れからして《地球》とは今僕が立っているこの戦場について指す言葉のようだ。戦場、僕たちの居場所、それがもうじき失われるということ、それだけはわかった。

「あなた達の階層には、温かい寝床と十分な食事があるの……ここの生活よりマシなのか……」

「私たちの階層であなた方が成すべきことをしていただけれるのなら、すべて保証できます」

 あなた方というくらいだから、こいつの地球には僕以外にも似たような境遇の奴らが集まっているのだろうか。成すべきことと聞いてまたいいように使われるのかと面倒な気持ちになったけれど、こっちの生活とは比べ物にならないくらい手厚く扱ってもらえそうなことはわかった。

 体が浮き上がる感覚がある。僕の意識は仮面ののっぽに軽々と抱きかかえられて光の中に消えていく。最後にビクターの虚ろな瞳と目があって、もし次に誰かを殺すことがあったらちゃんと目を閉じてやらないといけないと思った。


 それから僕はとにかく眠り続けたらしい。三徹で仲間の頭割りの仕事をし続けたときすら眠くならなかったこの僕が、全く知らない土地で三日間眠り続けたようなのだ。起きたとき地面から随分離れた寝床に対する驚きと鳥の羽根でも入っていそうな暖かな毛布に歓喜してしばらく興奮したことを覚えている。

「Spectreという言葉がわかりますか」

「知らないはずだけれど、知っている」

「それは幽霊という意味の単語です」

 ブラフマーと名乗った男は僕の頭に何かを施したようだ。寝ている間に僕の許可無く僕の頭の中を弄くり回したのは癪に障ったけれどエントランスホールに集まったブラフマーも含めた七人のSpectreたちの様子を見るに仕方のないことなのかと肩を落とした。

 彼らは皆憔悴しきった顔をしていたし、恐らく僕と同業の人間が何人かいたから少し同情してしまって反論する気分にはなれなかった。

「僕の故郷に現れた、あの大きな卵はいったい何なんですか」

 黒髪を耳の下で切りそろえた、理知的な雰囲気の少年が口を開いた。彼は外見こそ違うけれどなんとなく僕に似ている気がしたしブラフマーと名乗るこの男もなんとなく僕に似ているように思う。そんなことよりも卵というのは僕の階層にも現れたとされるあの卵のことだろうか。七つ頭は空から落ちてきた燃え盛る巨大な卵を割って現れて残された殻を基盤に巨大な塔を建設したのだとされていた。

「あれは数多の平行宇宙からさらに良い宇宙、知的生命体を選りすぐるために未確認超高密度魔導帯電地帯から送られたコードにより動いています」

 ブラフマーの説明は僕にしたものと違うように思えたけれど、黒髪の彼が言う卵の出どころと僕のところの七つ頭の卵の紀元が同じものだという確証はないと思って黙っていた。気づくと黒髪の青年がこちらを見ている。目元の傷が気になるのかもしれないと思って僕は小さく会釈をすると俯いたまま顔を上げることができなかった。



(2)


 仮面ののっぽは持ち前の胡散臭さを存分に発揮して僕らはこれから殺し合いをしなければならないことを語った。絶体絶命の危機から生還した者同士仲良くやっていきましょうとはいかないようだ。あのとき「成すべきこと」と聞いてあまり良い予感はしていなかったのだけれどこれはあんまりではないだろうか。僕にはそういう悩み事を相談できるような神はいなかったから気分転換に外でも見ようと思って円筒状の建物の異様なほどに横長の窓を覗いてみる。今にも落ちてきそうな空に巨人が素手で捏ね回したような奇怪な形の大地が広がっていて僕の気分はますます滅入った。

「トール、窓を破ろうなんて考えないでくださいね」

「そんなことしないよ」

 僕の奇妙な円柱型の施設、グラン・ナポレオンコロニーでの名称はトール。ユーピテル、Jupiter、Thor。曰く、戦の神様。この男はわかっていて付けたのだろうか。それに窓は僕が全力で殴っても割れないし、今手元にアックスがあったならそれでぶん殴っても多分割れないだろう。どうして外に出ては行けないんだと芝居がかった態度のスーツの男が尋ねたが恐らくこいつはなぜ開いてはいけないか知っていて聞いている。これくらい態度に出していてくれれば馬鹿の僕にだってわかる。

 ブラフマー曰く僕らの魂は階層別に別れているのだという。彼が大聖杯Necro Netで観測したところある人物の階層に乱れを検知したのだそうだ。そいつが誰なのか少し興味があったけれど別に知っても手遅れな事柄なんだろうから黙っていた。彼はこれから始まる儀式の説明を省くために幾つかの細工を僕らの脳内に施した。だから僕やここにいる七人のSpectreはなんのために殺し合わなければならないのかを知っている。

 僕らは僕たちと同じ名前のでかい機械について説明された。明日からこれに乗って戦うらしい。僕としては生身で絞め殺して終わりにしたかったのだけれどそれだと器が満たされないのだとブラフマーは言った。彼は僕たちの他にも色々人間を探していたって言うし、機械の動きからして全部中に詰めたんだなとなんとなく予想ができた。

「はじめまして。僕、グラン・ナポレオンコロニーでは■■■◆■■って名前です」

「僕はトールらしい」

「急にこんなことになっちゃって大変ですよね」

 ■■■◆■■と名乗った少年は僕と歳はさほど変わらないようだけれど話し方からして僕なんかよりずっと頭がいいんだろうなと思った。でも、彼は初めてあったときから僕の目を見て話すのでそれは好きになれなかった。

「この目のことなんだけれどあまり触れないでもらえるとありがたい」

「さっき君を見ていたのはなんだか君とは齢も近そうだし仲良くなれそうだと思ったからなんだ。気にしてないよ」

「僕が実はこんな外見で百八歳だと言ったらどうする……」

 明らかな冗句に■■■◆■■は、え、と声を発したきり硬直してしまったので僕は慌てて訂正した。

「きみがどういう人なのか僕はまだわからないけれど、冗談が下手なのはわかったよ。僕らは故郷を失った者同士だ。変な友情かもしれないけれど仲良くしてくれると嬉しい」

「そうだね」

 ■■■◆■■はいい奴だった。殺し合いをする場には似つかわしくないくらい心根の優しいやつだった。

 と思っていた。

 僕らが拉致られてから何ヶ月経ったのか忘れたけれどSpectreの数は僕を含めて二人になった。僕と■■■◆■■、そしてブラフマー。スーツの男を僕以外のSpectreが操縦した僕の機械ががぺしゃんこに潰したあたりから全員がそれを感じていたとは思うのだけど僕らの間に流れる疑いの空気が明らかに強烈になった感じがしていて、それは確実に一人のSpectreせいである気がするんだけどそんな事考えなくてももうすぐこの殺し合いも終わるのだから深く考えないようにしようと思っていた。僕が次に殺すのは■■■◆■■かブラフマー。僕を殺す相手は■■■◆■■かブラフマーだけ。

 僕の部屋に行くには観測塔を横切らなければならないのだけど中から■■■◆■■とブラフマーの声が聞こえてきたから、興味本位で聞いてしまった。それがいけなかった。聞かなければ僕は真っ先にブラフマーを殺そうと思っていたからだ。

「僕の地球にはまだ助かる見込みがあるって言ったじゃないですか」

「ほんの僅かな希望だったのです。大聖杯Necro Netは君の階層の未来を否定しました。もう助かる見込みはない」

 そんな、という■■■◆■■の悲痛な声が響き渡る。

 そんなのあんまりじゃないか。

 僕としても、「そんなのあんまりじゃないか」という気持ちだった。そういう気持ちになった理由は、ある日から僕らの中で内輪揉めが激しくなったことの原因が先程の発言ですべて■■■◆■■に起因するという風に合点がいってしまったからだ。僕は心底落胆した。

「■■■◆■■、君の地球にある卵からはトールや他のSpectreの地球に来た侵略者と同じ生命体がじきに孵るだろう。君もグラン・ナポレオンの外を見たでしょう」

 ■■■◆■■が僕らを疑い合うように仕向けて仲間内で殺し合いをさせようとしていると早めに気づけて良かった。なんのときか忘れたけれど僕は前にも同じような体験をしている気がする。僕は今まで何度裏切られたのだろう。こんなに怒っているのだからきっとたくさん裏切られた気がするけれど一番最近裏切ったやつはこんなことを言っていた気がする。同じ色同士は交われないと。僕と■■■◆■■の関係もそういうものだと知った。だったらもうすることは決まっている。彼に罰を与えてくれる存在が永久に現れないと知ったときとても落胆した。悲しかった。だったら僕が僕自身の手で殺してやるしかないじゃないか。あのとき斧でぶん殴って僕に色々教えてくれた誰か殺したとき、仲間を殺したときと同じ要領で殺すしかないじゃないか。

 もう面倒臭いから僕は■■■◆■■に聞こえるようにわかりやすく足音を鳴らした。彼は僕が廊下に立っていることに気がつくと隠していたナイフで僕のお腹を刺した。残念、その位置は昔銃弾がめり込んで筋肉が変な具合に分厚く固まっているし神経もねじ切れてしまっているから刺しても殴っても痛くないんだ。

 僕の心の中は怒りで煮えたぎっていたがそれらをぐっと飲み込んで死んだふりをした。それくらいならできるさ当然だ、当然だとも。■■■◆■■が僕の死体を見て泣いたところで本当に殺してやりたくなったけれども。糞野郎。よくも泣けたものだな。って思ったけれども。

 僕は騙し討ちをさせられたことはあるが、騙し討ちをすること自体は嫌いだ。

 僕は自身を残忍な人間だと思うが卑怯者は嫌いだ。

 ハーヴェスト、僕は君が大嫌いだ。


 死ね。


 僕はハーヴェストの首筋に噛み付いた。めきりと骨が折れる音がして皮膚が破け、鮮やかな血のあぶくが顔にかかる。僕はその感触をひどく懐かしく思った。倒れた彼は驚いた顔をしていてとても滑稽だった。

 僕は虚しかった。

 ハーヴェストの瞼を下ろしてやってしばらくすると彼が突然目を開けたので僕は驚いて後ろに飛び退った。焦点の合わない目が宙を漂っている。彼は僕の腕を掴むとなにか喋ろうとして、でも喉からは意味のない隙間風のような音しか出てこなかった。なにか音を出そうとするんだけどそれはうまく聞き取れなくて、多分彼は最期に自分の本当の名前を僕に伝えようとしているんだと思った。興味ない。ハーヴェストの喉から溢れる血は止まることがなく、彼の身体は糸を切ったようにだらんと力が抜けて僕の肩口に寄りかかった。やっと死んだ。

 脱出ポッドのロックが解除される音が響いた。僕が立ち上がると生き物としての役割を終えたハーヴェストの身体はずるりと床に転がった。さっき閉じさせてやったのに泥みたいに黒く濁った彼の瞳がうっすらと開いて僕を見ている。前にも同じようなことがあった気がするけれどもう思い出せない。

 僕はその光景を横目にポッドのある光の方に向かって駆け出した。

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トール 六塚 @murasaki_umagoyashi

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