第3話 餌

「春ってなんかソワソワするんだよね~」

「それは前世に関わることですか?」

「お! わかってるねぇ~」


 トーナは楽しくアトリエで晩酌中だ。皿の上にナッツにチーズ、燻製肉を薄く切って炙ったものが置かれている。ベルチェは飲み食いはしないが、食事の時は出来るだけ一緒にいて欲しいと彼女はお願いしていた。


「前のトコはさ。出会いと別れの季節だったのよ春って!」


 果実酒を注ぎながらはるか昔の記憶を呼び覚ます。彼女にしては少し値段の高い酒だが、躊躇いなく何度もおかわりをしていた。


「だから基本なんでも春スタートだったんだよね。新年度は。学校も仕事場も。だからかな~?」

「1年の始まりではなく? それは何故ですか?」

「えーっと……なんでだっけ? でも私が暮らしていた国くらいだったのよね~確か……」


 他所の国はここと同じ秋スタートだったのよ、と追加で情報を出す。


「王都の学術堂にはそういった期間はないと聞いていますが」


 この国の寺子屋のような存在である学術堂は、年齢の幅も広いため基本的には個別指導なので、入学や卒業時期は特に決められていなかった。


「最近ベルチェ、近所の子に勉強教えてあげてるもんねぇ」


 勉強どころか、魔術も教えていることをトーナは知っている。


「えぇ。子供達はトーナが勉強しろ勉強しろと煩いと言っていましたよ」

「なにぃ!? あいつらー! だって大事じゃん勉強! 転生した時に役に立つわよ~」


 アハハ! といつもより声を大きくして笑っていた。


「ですが何故4月から新年度が始まるかは覚えていなかったのですね」

「言うじゃ~ん! これは永遠に解けない謎になっちゃったわ!」


 もう前の世界に戻ることはないだろうし! そうしてまた大笑いした後、空になった果実酒の瓶を見て、


「飲みすぎちゃった……」

「はい。二日酔い止めポーションです」


 と、渡されたのを大人しく飲んだ。


「酔い覚ましのポーションは作らないのですか?」

「え~……この酔ってる感覚がいいんだよ~……」


 酒の入ったグラスをぐるぐると気だるそうに回した。以前は……フィアルヴァと一緒に旅していた時はこれほど酒を飲むことがなかった。酒を飲んで大暴れしかねない師匠が近くにいたからだ。自分が飲んで楽しむどころではなかった。


「で、なにか話したい事があるのでしょう?」

「あ! 聞いてくれる?」

「そういう風に仕向けたのではないですか」


 無表情なのに呆れるような声に聞こえるのはトーナが酔っ払っているからだろうか。

 トーナはテーブルに寄りかかりながらダラダラと話す。


「最近、全然お店に出れてないじゃない? 今日さ、店の店主はベルチェだと思ってるお客さんが来てさ」


 最近は本業以外が忙しかった。ロロを連れてあっちこっちとお手伝いに呼ばれていたのだ。主に騎士団からの依頼で、彼らは本気で飛竜を自分達の部隊に組み込めないか考えているのだ。

 トーナは本業の錬金術も、魔術すら期待されず、ロロのお守り役としてのみで呼ばれていた。


目立たないのはいいんだけどさぁ~)


 だが結局本業を疎かにしてあくせく動くのはトーナだ。ロロが嬉しそうにしている姿を見るのだけが救いである。やりたいことに手を付けられないのはもどかしい。しかし、世間話をするような仲にまでなった第三騎士団団長が、


『これで兵達が少しでも生き残れるようになれば』


 と、呟いているのを聞いてしまうと手伝いをせずにはいられなかった。魔物によって命を落とす兵が少なくはないことを彼女も知っているからだ。


 そうして久しぶりに店に出たかと思ったら、


『新しい店員さん? 儲かってるんだね』


 と、女冒険者にツンとした態度で言われてしまいショックを受けていた。彼女はベルチェ目当てに来ていたようで、トーナの接客はお呼びでなかったのだ。


「トーナの錬金術店だっての!!!」


 うわぁん! と机に突っ伏して大袈裟に泣いたふりをした。


「断れないなら諦めて最後まで騎士団に付き合うしかありませんよ」

「はい正論~」


 トーナは泣いたふりのまま顔を隠している。


「だがしかし! 今日の私は違うのよ! しばらくサニーさんに押し付けてきたわ!!!」


 急に顔を上げてドヤ顔をベルチェに向ける。


「それはどうやって?」

「これー!」


 すかさず皿の上の燻製肉にフォークを刺してベルチェに見せる。行儀が悪いと前世なら怒られただろう。


「肉? あぁわかりました。魔力を込めたんですね。思いっきり」

「そんな簡単に当てないでよ~」


 ロロが言うことを聞くのがトーナだけだから問題なのだ。サニーにはギリギリ仲間としての感情を持っているらしいロロに与えたのは、大量に魔力が練り込まれた餌だった。要するに餌付けだ。


『ちゃーんとサニーさんの言うことを聞けば、美味しい美味しいごはんが食べられるからね!』


 ロロは竜の固い尻尾を振って答えた。これが食べられるのなら指示には従おうと言っているのがわかる。

 飛竜は魔力を多く含む魔物を好むことは前からわかっていた。彼らの体を維持するのに外部からの魔力が必要なのだ。だからこそ飛竜にとって、魔力が込められている食物はより美味しく感じるようにできているようだった。


「だからリーノのお屋敷で思いっきり魔物料理錬成してきたわよ! 臭いが凄いことになってたけど知ーらない!」


 だがその作業も別に簡単ではない。食物魔物肉が腐らないよう処理し、魔力を乗せ、それを維持する、という工程が必要だからだ。


「お手伝いしましたのに」


 今度は少し寂しそうに聞こえる。


「だってご近所さんづきあいしてくれたしね。ベルチェがいるおかげで店も上手くいってるし……けど、次は誘うかも……」


 ベルチェが築いている人間関係の邪魔をしたくなかった。だが、思ったよりもロロ用の餌づくりは重労働だったので、研究や座学に強いロッシ家の錬金術師だけではなかなか大変だった。やはり調合は阿吽の呼吸が可能な相手と行うのが一番効率よく出来ることがわかった出来事だった。


 それを聞いてベルチェは納得できたようだ。ホッとしたような柔らかい目つきになった。


「ロロは喜んでいましたか?」

「そりゃもう! あの子食べるの大好きだし。あとは餌で釣ってサニーさんとの訓練に付き合って~私お疲れ様ってことで良いお酒買っちゃった!」


 試しにサニー以外の人間でも試したのだが、特製の餌を食べた後攻撃しようとする素振りがあったので、結局トーナの代行はサニーに決まった。


「サニーさん。嬉しくてむせび泣いてたわ」


 親離れ子離れは寂しいが、どの道トーナに何かあった時に困るのはわかり切っている。なんにしても別の案は必要だったのだ。


「少し肩の荷が居りましたね」

「そうそう! ずっとひっかかってたんだよね~簡単に死ねないなって」


 縁起でもないが、半分は本気だった。トーナが前に暮らしていた世界とは違い、こちらの世界の方が死に近い。魔術や錬金術があっても、日常生活の危険性は残念ながら圧倒的にこの世界の方が高いのだ。


(かと思えば、師匠みたいに規格外の長生きの生き物もいるわけだけど~)


 生に対してより理不尽な世界なのだと、トーナは認識している。


 こうしてその日の夜はノンビリ更けていく……と、思いきや、


――ドンドンドンドンドン!


 店のドアが強く5回叩かれているのがわかった。


「ありゃ? 緊急かな」

「ワタシが」


 ベルチェが店のドアを開けるのを、奥の工房から念のため水を飲みながら覗いていた。


「トーナさん! どうか一緒に来てください!」

「エルマ様!?」


 開口一番、エルマは叫んだ。相変わらず勢いのいい女性だと、トーナは酒に浸されつつあった頭の中で考える。


(なにしに?)


 彼女はアレンに恋する魔術学園に通うお嬢様で、こんな時間にこんなところにいるわけがない人物でもある。


「さあ! さあ! 早く!!!」

「え……ちょっ……あの……」


 ぐいぐいとトーナの手を引き扉の外に連れ出した。ベルチェは何も言わずに、急ぎ足で工房へと戻り、入り口にかけていたトーナのマントを手に取ると急いでトーナに渡した。


「いってらっしゃいませ」

「少しお借りしますわね!」

「えぇー!?」


 ほろ酔い加減が一気に冷めるような、春の冷たい風が吹いた。

 

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