序章

第1話 開店初日

 トーナは心臓がドキドキしていることに気がつかないふりをしていた。そうでないと悪い考えが頭の中を支配して、きっと今日一日上手く立ち振る舞うことができないと思ったからだ。


 肩にかからない長さの綺麗な黒髪を掻き揚げて一つに結ぶ。少し釣り目の、黒く大きな瞳が少しだけ潤んでいた。手には魔石のついた指輪が三つはめられており、それが小さな輝きを放っている。


 店の中をウロウロとうろついて、すでに綺麗に並べられたポーション瓶を並べ直したり、ない埃を払ったり、通りに面した店の大きな窓の外を歩く人の様子をうかがったり……。


「ベルチェ! おつりの準備は大丈夫だよね!?」

「問題ありません」


 ベルチェと呼ばれたのは、執事のような服を着た機械人形オートマタだ。主人とは逆で、真っ白な髪の毛に薄いグレーの瞳を持っている。すらっと背も高い。ミステリアスな美形だ。

 はトーナの師である大賢者フィアルヴァが作り出した。トーナが幼い頃からずっと一緒にいる。


「お客さん……こなかったらどうしよう~~~」

「……珍しく弱気なことを。昨日はあれほど自信満々だったではないですか」

「メンタルが安定しないんだよ~~~!」


 今日はトーナのお店、錬金術で作られたありとあらゆるものを売るお店のオープン初日である。


「今日の為にあちこちに宣伝しに行っていたではありませんか。やれることはやっていますよ」

「いやでも……今更だけど場所が悪かったかな? とか、この価格設定で買ってくれるかな? とか、色々不安が……」


 トーナのお店はエルキア通りにあった。アルデバラン王国の王都サントルの中央通りにある、ランカの花屋横の小道から五本先を曲がり、さらに小さな噴水の木が生えている側の道を進んでいると見つけられる。冒険者街からは住宅街の坂道をぐるぐると登った先だ。

 元はパン屋だったのを少しだけ改装して錬金術店へと作り変えていた。一階は店舗と工房、二階、三階が住居スペースとなっている。地下には在庫や錬金術で使う素材を置き、庭には薬草畑を作っていた。周囲には同じように近隣住人向けの小さなお店がいくつかある。


「中央通りからは離れていますが、冒険者街に近いですし、人通りも少ないエリアではありません。なにより貴女は……」

「あの大賢者フィアルヴァの弟子! あのドキツイ修行を耐え抜いた女!」


 その答えに、ずっと無表情だったベルチェは満足気に頷いた。トーナも気合を入れなおすかのように自分の顔を両手でピシャリと叩く。


 この店自体、本来の持ち主はフィアルヴァだった。何十年も前、彼が助けたパン屋の夫婦が亡くなった後の遺言に、店の権利全てを世話になった彼に譲るとあったためだ。それをトーナが師から譲り受けた。


「開店セールってポップでも作った方がいいかな?」


 店の扉には、開店の日時、購入者にはオマケに初級ポーションを一つ、先着三十名様、とイラスト付きで記載した紙が貼ってあった。ショーウインドウには初級ポーション瓶と護り石が綺麗にディスプレイされており、その下に『今だけ価格!』と料金タグを置いている。


(情緒がないかな……)


 そう感じもしたが、他のお店と差別化を図る方法を考えた末の苦肉の策だった。


「ポップ?」


 ベルチェが首を傾けた。たくさんの知識を持つ彼にも意味がわからない言葉だったようだ。


「えーっとなんて言うか……買いたくなるような目立つ広告というか……」

「ああ。いつもの前世語ですね」


 そうして納得したように頷く。


 トーナには前世の記憶がある。こことは違う異世界で、そこで彼女は若くして過労死してしまう。その記憶は時折今世の自分を苦しめるが、同時にこの世界で生きていくのにはとても役に立つ知識を引き継ぐことが出来ていた。


「作る必要はないでしょう」

「そうかな!!?」

「ええ。だってほら」


 ベルチェの視線を追うと、店の外に人影がいくつも見えた。


「うそ!? もう時間!!?」

「はい。まもなく」

「うわぁ~……どうしよう……」


 と言いながらも、トーナは上がる頬を下げることが出来ないでいた。ベルチェの方を向いて、1度大袈裟に深呼吸をする。両手のこぶしをギュッと握りしめ、


「よっしゃ! やるぞ!!!」


 と声を出し、店の扉を開けた。

 

「い! いらっしゃいませ!」


 その日の売り上げは上々。店頭に置いていた商品はほとんどなくなり、閉店後は急いで翌日の為に商品の品出しをおこなうことになった。


「トーナはもう休んでください」

「二人でやった方が早いでしょ」

「ワタシに魔力を注入してください。それで問題ありません」

「まあまあ……私も興奮状態で寝れそうにないのよ」


 機械人形は魔力で動く。それ以外のエネルギー補給は必要がない。魔力さえ供給されれば、いつまでも動くことが可能だ。


「では今日の売上げの計算でも確認してください」

「え~そんな楽しいやつ私がやっちゃっていいの~?」


 ムフフとほくそ笑むように小さな金庫に視線をやった。


「まあワタシが計算しておりますから、間違いがあるわけないのですが」

「……いつの間に冗談言うようになったのさ」


 嬉しそうに笑うトーナと、ほんの少しだけ微笑むベルチェ。店のショーウィンドウのカーテンには二人の楽しそうな影が映っていた。

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