第8話

「フランスパンじゃねえか!」

 食卓にならんだフランスパンに驚いたのか、コウの声は大きかった。

「ああ。醤油や味噌も悪くないけど……その他のことも良くしていきたいしな。イサムにレシピを聞いて作ってみた」

 クローは色々と考えているようだった。

「あれだな! 特別、大好きって訳じゃなかったけど……目の前にあると興奮するな!」

 リーンはあまり考えていないようだった。

「でも驚きですよね。フランスパンは卵も牛乳も使わないパンで……技術と知識が全てといって良いパンなんです」

 イサムが説明を加えた。

「なら……どうしてこの世界には無いんだろうな?」

 素朴な疑問をコウは口にした。

「フランスパンが完成したのは十九世紀ごろらしいですから……この世界だと千年先のパンということになりますね。まだ雛形すら生まれていないかもしれません」

「千年先……パンにも歴史があんだなぁ……」

 呆れたようにコウは唸った。

「今までとほとんど同じ材料で今までより美味しいパンってのは……この世界の人は喜ぶと思うぜ?」

 そう言ってクローはケマと見つめ合う。

 どうやらクローが色々と考え出したのは彼女の存在が大きいようだ。

「あー……とりあえず食べようぜ!」

「食べる前にごちそうさまって変じゃないですか?」

「それよりフランスパンなのだ!」

 三人はクローを放置することに決め、フランスパンに噛りついた。

「ん?」

 異口同音に声が漏れた。

 一口食べただけで三人は微妙な顔になっている。フランスパンの特徴であるパリパリの皮だったし、噛み付いたときには食欲をそそる軽快な音もした。しかし――

「酒くさいのだ!」

「……フランスパンにお酒は使わないはずですが」

「これ傷んでる訳じゃねえよな……まだ焼きたてで温かいし」

 三人は思い思いの感想を口にする。そのフランスパンは酒臭かったのだ。

「あー……なんだ……少し失敗したんだ。醗酵させすぎた」

 クローが申し訳無さそうに謝った。

「失敗作なのか? そんなの……勿体無いから食べるけど」

 リーンは食い意地が張っていると言うより……この世界での掟が身に染みていると言うべきかもしれない。

「パンってイースト菌で醗酵させんだろ? イースト菌で酒ができんのか?」

 コウは疑問を口にした。

「醗酵させすぎれば、ほとんどのものはアルコールになりますよ。一連の流れですから」

 イサムが答えた。

「いやいや……その理屈はおかしいだろ。その理屈じゃ……例えばヨーグルトはお酒になるってことか?」

「なります。事実、馬乳で造れるお酒がありますし、牛乳でもお酒は造れます」

「じゃあ……味噌なんかもお酒になるのか?」

 クローが味噌に結びつけたのは常日頃から考えているからだろう。

「いえ、味噌はなりません。正確にはほぼならないはずです」

「じゃあ、やっぱりその理屈はおかしい。味噌は発酵食品だ。発酵食品の味噌が酒になんないなら、発酵食品が酒にって理屈は通らん」

 珍しくコウが食い下がった。普段ならイサムの知識は鵜呑みにするのが彼の常である。

「いえ、味噌は途中で醗酵を止めているんです。だからお酒になりにくいんです。醤油や味噌造りに失敗するとアルコール化が始まって、お酒臭くなることもあるそうですよ」

 立て板に水とイサムはコウを斬り捨てた。

「醗酵って止めれるんだ?」

 クローが基本的な質問をした。

「醗酵を簡単に説明すると……まず、材料の栄養素を菌が糖分などに分解します。次に糖分がアルコールに変化します。牛乳で言うと栄養素が糖分に分解された状態がヨーグルト、アルコール化まで進んだのが牛乳酒になります。ヨーグルトの状態で留めておきたければ菌を殺すか動きを鈍くすればいいんです」

「解かった! 動きを鈍くってのは冷蔵庫だ! 殺すってのは……殺すのはどうやるのだ?」

 面白くなってきたのかリーンが食いついた。

「一般的なのが塩ですね。それもなるべく多く」

 塩を使うのは一番ありふれた殺菌法である。

「うへぇ……塩入ヨーグルトかよ……まずそうだなぁ」

 味を想像してしまったのか、コウが呻いた。

「いや……調味料としては使えるかもしれないぞ? 塩がいっぱい入っているなら保存も利きそうだし」

 料理づいているのかクローがそんなことを言った。

「……その発想で造られたのが醤油と味噌かもしれませんね。塩入飲むヨーグルトが醤油、塩入ヨーグルトが味噌です。材料も菌と牛乳だけ、菌と大豆だけと似てますし」

「それじゃ……お酒になるものは何でも醤油と味噌になるのか?」

 リーンが素っ頓狂なことを言いだした。

「えっ?」

 三人は唖然とするしかなかった。

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