記憶の箱 - Pithos begins to open -
第17話 氷獄の狂気
垂れこめる灰色の雲は重く沈み、昼なお辺りは薄暗い。視界を遮るほどの吹雪には時折小さな雹も混じる。大地は雪と氷で覆われ、白と黒の世界が広がっていた。
「おわ」
アルファは慣れないスパイクに脚を取られ、つんのめった。倒れる寸前でニコラが腕を掴み、何とか事なきを得る。
「もっと脚上げて歩きなさいよ」
「うん」
アルファは苦笑いしつつ礼を言い、耐寒用の覆いをしてなお冷える鼻先を指でこすった。アルファ達エージェントは力を発現すると肉体の強度が増すと共に、見えないシールドのような防壁が張られている状態になる。そのため通常の人に比べれば寒さや暑さへの耐性もあるのだが、それでもやはり寒冷地用の装備をしなければ凍えそうな寒さだった。
ドーム外でマキナントが大量に出現した。
これまでもドーム外の人々の集落を狙って現れる事があるにはあったが、そう多くなかった。第一、ドーム外に住む人はごく僅かなのだから。
ドーム外の人々は独自に疑似ドームのような高強度の温室を作って何とか暮らしているようなのだが、それでもよくこの寒さの中、耐えていられるものだとアルファは内心感嘆する。が、そうまでして土地を守りたい、その気持ちも痛いほどよくわかる。自分だって、ほんの数年暮らしただけとはいえ、重吉や理人と過ごした思い出のある、そして今も暮らしている家が無くなってしまう事など考えたくもない。
今回の作戦ではゼーロスからの援護も検討されていたが、生憎のこの猛吹雪だ。その上エリア1のような火器も持てないのに出て貰うわけにもいかず、エリア3のエージェント総動員で各所のマキナントにあたる事となった。
英生などドーム外での戦闘経験のあるエージェントだけが単独行動となり、今回が初のドーム外となるアルファとニコラはペアで出撃していた。
「昔見た地図と全然違うね」
「海の面積減ってんだから当たり前でしょ」
お互い前を見据えたまま歩き続ける。ドーム外の景色はニュースなどで時折見てはいたが、これほどまでに色彩の無い世界だとは思わなかった。寒く、暗く、単調に眠りを誘う。言い知れぬ恐ろしさと同時に、不思議と落ち着くような、妙な感覚もあった。ドーム内とさして空気も変わらないが、「これが本当の自然か」という感動すら覚えもした。
眠い。アルファがそう呟こうとした刹那、視界に見覚えのある赤い光が目に入った。
「居た!」
それは間違いなくコアから漏れる特有の光。そして吹雪に混じって黒い、中型のマキナントの姿が見てとれた。シルエットの全容を把握するより早く、赤い光が豪速で迫って来た。厄介なスピード特化型だ。
マキナントはドリルのような腕を高速で繰り出し、アルファはガントレットを構えたまま後退した。ドリルが地面に突き立つ度に氷の塊が巻き上げられ、視界が更に遮られる。空に逃げようと地を蹴ったその時、横合いからのニコラの一撃がマキナントを吹っ飛ばした。
ニコラの一瞥にアルファは小さく頷き、起き上がりかけたマキナントの頭部へ二人同時に拳を叩き込んだ。マキナントの頭部は硬い地面にめり込み潰れ、電気の爆ぜる音をさせながら完全に沈黙した。
「囮役が居ると早いもんだね」
「それはそう」
疲れた様子でニコラは長いため息をつく。ここにも恐らく処理班は来るだろうが、コアも潰した以上得るものなど何もない。処理班の苦労を思いつつも、ニコラは欠伸をかみ殺す。
「帰ろ。もーさっきからめっちゃ眠い」
「ねー」
早めに食い止められたのは幸いだったが、集落からは随分離れた場所まで来てしまった。旧地図には無い場所、露出した大陸棚まで来ていた。文字通りさっさと飛んで帰ろう。そうした矢先、アルファはふと見慣れない光に気が付いた。
「誰かいるんかな」
マキナントの光ではない、よくある照明のような光だ。しかし大陸棚まで集落は無い。海釣りに出る人が居るとは聞いていたが、さすがにこんな吹雪の日に出る事も無い筈だ。が。
「救援信号は出てないみたいだけど……」
万一遭難者だったら。そんな最悪の可能性が二人の脳裏をよぎる。二人は踵を返し、光の方へ走った。
+++
大きく口を開けた深淵から、低く唸るような音が響いてくる。辿り着いた光は地面から突き出した細い誘導灯か何かのようなもので、よくよく見ると地面には機械的な溝が幾つもある。
遭難者ではなかった。しかし、明らかに人工的な施設のような場所だった。地図には何の記載も無く、人の居住する集落ではない。なのに何故、こんな所にこんな施設があるのか。二人が茫然と辺りを見回していると、誘導灯が突然消えて地面へと格納されていく。
「あそこ!入口みたいなのがある!」
崖の下にはやや広めの平地があり、その奥の壁面から音が聞こえてきた。誘導灯の格納と共に壁からシャッターのようなものが上下からゆっくり現れ、まさに閉じようとしている。暗さで気付かなかったが、何かの――この施設の入り口に相違ないだろう。
「ちょっとアルファ!ああもう!」
ニコラが制止するのも聞かず、アルファは入口へ飛んで行ってしまう。仕方なくニコラもまたアルファを追った。
内部はまるで何かの研究所のような設備になっており、気温が一定に保たれていた。闇にほど近い薄暗さの中、アルファとニコラは怪訝な表情で周囲を見渡す。そして後方でシャッターが完全に閉じると淡い明かりが点いた。
「!」
さすがのニコラも声を出さなかった。出さなかったが、二人は目を見開いたまま、明らかになった周囲の光景に息を飲んだ。そこは広いガレージのような場所で、二人の居る中央通路の両脇にはなんと、大小様々なマキナントが置かれてあった。まるで戦闘機でも格納しているかのように、整然と。
赤い光はどれにも灯っておらず、活動していない事はわかった。わかってはいるものの、二人は思わず身を寄せ合う。活動はしていない。しかし壊れているわけでもない。どころか新品そのものだ。
アルファは眉根を寄せたまま素早く周囲を見回す。マキナントの数体にはケーブルが繋がり、傍にはまるで人が乗るようなリフトもある。
「ただの機械……」
アルファは掠れた声で呟いた。どういう意味?と言いたげに顔を向けるニコラに、アルファもまた顔を向けた。
「謎の機械でもない、機械生命体――いや人工物に生命なんて無いけど、自立増殖する機械でもない。誰かが、意図を持って作った、ただの機械だよ」
そこまで言ってアルファは乾いた口を湿すように唾を飲み下した。
「宇宙人とかが?」
ニコラの問いに、アルファは小さく身を震わせながら首を横に振る。
「そんな宇宙由来の素材なんて何もない。工学部に遊びに行った時見た事ある、ロボット工学の……」
アルファは愕然とした表情でため息をつき、足底のスパイクを解除すると奥の非常灯へゆっくりと歩き始めた。EXITの文字こそないが、人間が出入りする扉だとはニコラにも察しがついた。
「本部に連絡――」
ニコラが足を止めたのに気付いてアルファは振り返り、自身も腕の端末を見る。失望に満ちたニコラの表情通り、電波が遮断されている。当然、インカムも機能していない。
何らかの意図を持って――ほぼ悪意しか想定できないが――マキナントを製造している人間が居る。当然、見つかれば無事では済まないだろう。二人は慎重に扉を調べる。幸い鍵などは無く、内部へ侵入する事は問題無さそうだった。
待っていればまたいつか、この施設の人間がマキナントを外に放つ際、シャッターは開くだろう。だがそれが何時になるかはわからない。シャッターの開け方もわからない以上、内部から出口を探すほかない。
今もこの中には間違いなく人間が居る。であるなら、生活のためにどこか出入り口が他にもある筈だ。アルファは祈るような気持ちで扉を開けた。
+++
内部は白を基調とした建物で、雰囲気がどことなくソゴル内部のラボにも似ている。通路の奥に監視カメラらしきものが見受けられるが、破壊すればすぐに気付かれるだろう。
「ソゴルと同じものなら多分全域はカバーしてないと思う。見えないくらい高速移動ですり抜けて、死角まで行けばなんとか」
「その繰り返し?」
「うん……」
幸い人の気配はしない。まずはカメラの死角を辿りながら構造を把握していくほかにない。そうして何度かポイントをやり過ごして通路が終わると、目の前にまたガレージのような広い空間が現れた。忙しなく稼働する機械音と、今まさに製造されているマキナントの機体が目に入る。さながらマキナントの工場のようだ。
監視カメラは無いが、オペレーターと見られる人間と、奥の扉付近には火器を携帯したガードマンのような人間も見える。最早どう頑張っても地球人によく似た宇宙人だとは思えない。完全に、自分達と同じ地球の人間達だ。しかもエリアごとの人種の多様性の進んだ時代とはいえ、エリア3の住人のようにも思えない。
「たぶんあの奥の扉がくさいけど……」
幾ら身体強度が増して防壁もあるとはいえ、防げる銃弾には限りがある。かといって人間を手にかけるわけにもいかない。強行突破は無理だ。他に可能性があるのは、両脇にある階段だろうか。地下なのだから、上方に行けば脱出口も近づく筈だ。幸い工場内の広さに対して、居る人間は少ない。隙をつけば何とか。などと思った矢先、突然赤い非常灯が幾つか灯り、警報音が鳴り響いた。
二人が驚いてガードマンの方を見ると同時に銃弾が飛んできた。発見された!
「早く!上に!」
アルファはニコラの手を引き、二人は銃弾を避けながら階段をひたすら上った。吹き抜けの上には工場を見下ろすように四角く囲んだ通路があり、更に左右へ分かれている。すぐ傍の通路へ行こうとしたが、通路の先から靴音が聞こえてきた。反対側からはまだ聞こえる気配がない。
「あっち!」
アルファとニコラは反対側へ走り、通路へ飛び込んだ。途中幾つか部屋があったが、入ったところで袋の鼠になるだけだろう事は想像に難くない。人の気配のしない方へと走っていくうちに、通路は徐々に開けて行く。出口の可能性に期待を膨らませた二人だったが、果たして、辿り着いた先には大きな扉が口を開けていた。
外ではない。何も無い、だだっ広い部屋だった。
誘導された――!
確信に近い可能性にアルファは歯噛みするが、もうどうにもならない。ニコラと共に中へ入ると扉は閉ざされ、床に淡い照明がついた。室内には何の物もなく、高い天井には十字型の大きな窓があった。太陽の光などほぼ無い今無用の長物だろうに。しかしそれでも微かな光は部屋を照らし、天井の先が地表へ続いている事を確かに示していた。
「初めまして、アルファ、ニコラ」
コードネームではない。二人の名を呼ぶよく通る声は穏やかだ。声の主はにこやかな笑みを浮かべた男だった。整ったシャツにネクタイ、その上に白衣を羽織って佇んでいる。年の頃は四十ほどだろうか。少し長い金髪と緑の瞳で、優し気な風貌だ。二人の記憶にその姿は無い。
「私はジョージ・リカード。君達の事はよく知っている。大丈夫、傷つける気は無いよ」
まあ、やりあっても敵わないからね。と付け加えて、ジョージと名乗る男は笑った。
「声はきっと覚えているだろうね。またの名をスペロ。ご存知の通り、ソムニウムの代表さ」
+++
「ソムニウムが、マキナントを作ってる……?」
アルファの問いに、ジョージは笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「どちらかというとソムニウムの方が副産物かな」
「何であんなもん作ってんの」
ニコラはジョージを睨んだまま、その声は怒気を孕んでいる。
「それがゼウスの御意思なれば」
「ふざけんじゃねーよ!!」
ニコラが思わず叫び、アルファが慌ててその腕を掴んで止める。ニコラの荒い息遣いだけが響く中、ジョージはゆっくりと円を描くように歩き始める。
「欧野匠子、ロベルト・メシエ。シャーロット・シェン、出羽峰音。君と理人の御両親とは、かつての同僚だった。チーム・エテルナが何をしていたかは――知らないよね」
そう言ってジョージは歩を止め、アルファを見た。
「現代の方舟の建造さ。SFでよくあるだろう、地球型惑星を探して、長い年月を航行するための。だけど方舟にはドーム以上に、人員の制限がある。不公平だとは思わないかな?」
「……」
「ゼウスの雷は青の終焉という形で既に落とされた。そしてアルファ、いやパンドラ。君のピトスは開きかけている」
災厄を閉じ込めた
「君の特殊な能力だよ。君こそが、最大の災厄にして希望。神話は準えられ、滅びは免れない。それなのに救われる人間は人なる神、もう一人のゼウス、エーデルハイト局長が選別するというわけだ。酷い話じゃないか。そしてもっと悪い事に、方舟は何の意味もなさない。地球型惑星などありはしないし、航行も持たない。それがわかっていながら、下らない開発を延々と続けてきた」
ジョージは芝居がかった様子で腰に手を当て、片方の手を伸べて目を閉じた。
「ならば私がそのいじましい希望を砕いて、先に現実を見せてあげようと思ってね。だからあの日、2.15に、仲間達と一緒に初めてのマキナントを起動させた」
まるで夢を語るようなジョージの言葉が、ぼんやりと、空虚に、アルファの耳を通り抜けて行く。頭の中は真っ白で、自分に何か呼びかけているニコラの声も、何を言っているのか何もわからない。ただ、身体だけはしっかりと立っていた。
「一旦チーム・エテルナの機能を停止させる事には成功した。だけど『希望』というのは厄介なものだね。君のおじいさん、欧野博士までまた呼び戻して意味の無い延命措置の研究ばかり繰り返してる。その上、ハッ」
ジョージはそこまで言って鼻で笑った。
「エオース?エージェント?ミュータントみたいな君達が出てきたからって子どもじみたヒーロー組織まで作り上げて私の子ども達にあくまで抵抗するわけだ。そうしたらゼーロスなんて民間組織も出来てきて。あんまりおかしかったから、技術のお裾分けをしてあげたんだよ。
ジョージの笑い声は更に大きくなる。
「チーム・エテルナのもう一つの柱はアンドロイドの構築だった。方舟の維持管理に必要だから。でも、私が希望を見出したのはそちらの方だったよ。
差別意識しかなく、合理的な判断もできない、見苦しい、醜い人間なんかより、アンドロイドの方がよっぽど『生き残る』に相応しい。君達だってわかってるだろう。愚かな大衆どもが君達を下品に品評しているのを。ああいう馬鹿みたいな人間が生き残るくらいなら、機械の方がよっぽどマシだ。忠実で、賢く、衰える事も無い。
今は無理でも、いずれ君達を、ソゴルを滅ぼす。そして大切に開発している、私の子ども達、アンドロイド達だけが、地球が終わった後も『生き残る』んだ。新しい『人類』として」
「アルファ!」
ジョージの哄笑が響く中、耳元でニコラの声がした。身体からは力が抜けていて、ニコラに支えられている状態になっていた。
「うん」
アルファは茫然としたままニコラに頷いてみせた。そして虚ろな目のまま、ジョージを見据えた。
「話はそれで終わり?」
両手のガントレットを投げ捨て、アルファは右手をジョージに向けた。右手の甲の光量は増し、部屋が目も眩む程の青い光に包まれる。
「アルファ!」
ニコラが後ろからアルファを羽交い絞めにする。それでもアルファは手を向けたまま、目の前のジョージは頬を引きつらせて笑っている。その右足首が鈍い音を立てて折れ、ジョージは膝をついた。
「やめて!アルファ、やめて!!」
ニコラの手がアルファの右腕を掴み、引き下がらせようと力いっぱい引っ張る。
「こんな奴殺して、人殺しになっちゃ駄目!こいつ、あんたにわざと殺させようとしてんの!!」
涙混じりの声に、アルファは漸く我に返った。
その時だった。丁度アルファ達の横の天井が轟音と共に崩れ、一人の男が飛び降りてきた。英生だ。
英生は驚いた様子でアルファを見たが、すぐにその視線の先、ジョージに気付いた瞬間懐から抜き出した拳銃を向けた。
「久しぶりだね英生」
ジョージがそう呟くと同時に部屋の奥の隠し扉が開き、現れたガードマンと思しき男達がジョージを守るように取り囲んだ。英生は一瞬眉を歪め、それを見たジョージは不敵に笑う。子ども達の前で殺しなど出来ないだろう。そう言わんばかりに。
「キアンによろしく」
英生は憤りに満ちた表情のまま銃口を下げ、ジョージ達が逃亡するのを見ている事しか出来なかった。
アルファもニコラも、床へ膝をつくようにして崩れ落ち、ニコラはアルファを抱きしめたまま泣きじゃくった。天井にあいた穴から降り注ぐ雪がアルファの熱で溶け、顔を伝って落ちる。雪交じりの涙がぽたぽたと床へ止めどなく零れ落ち、見開いた目のまま、アルファは床に積もっていく雪をただ見つめていた。
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