第6話 シグマ
「重吉さんからYesの返事は貰った」
一面のガラス窓から西日の降り注ぐ中、重厚なデスク奥の銀髪の男は静かに呟いた。英生の位置からは逆光で、その表情はよくわからない。
窓からは立ち並ぶビルを見下ろす事が出来、この部屋はあたかも、巨大な街を睥睨するかのようでもあった。
ソゴル本部。その最上階からの景色は何時見ても壮観であると同時に、かかる重荷も感じさせた。
「随分手厳しいお叱りと共にね」
男は英生から視線を外した。その横顔は苦笑いしながらも、眼鏡の奥の灰色の瞳が、どこか嬉しさを隠しきれない様子でもあった。
「アルファの事でしょう」
英生の一言に男は肩を竦めながら頷く。
「シグマ局長。アルファの事はどうするつもりで」
「……」
シグマと呼ばれた男は一瞬だけ眉を歪めた。
シグマ・エーデルハイト。
ソゴルの世界保安局の局長を務める男で、稀に見る天才科学者としても事務総長以上に名が知られている。年は四十後半、局長への就任も異例の早さだった。
近寄りがたいほどに容姿端麗で、年齢をまるで感じさせない。ともすれば年下の英生よりずっと若くさえ見える。そして表情や感情の乏しさからもまた、ひどく冷たい印象もあった。
こうして名呼びで話せるのは英生を含めたごく少数の人間に限られている。
「精々ヒーローごっこに興じさせていればいい」
無感動な一言に、今度は英生が眉を顰める番だった。
あんな年端も行かない子どもにマキナントの討伐を任せているというのに、その危険な任務に「興じ」ろとは。
シグマとアルファは、アルファがまだソゴルの施設に居た時から面識がある。その時から既に、まだ幼いアルファへ冷淡な態度を取っていたのは知っていた。
これはただの噂にすぎない事だが、同じギリシア文字由来の名前同士であるものの、その名付けの方法が違うからではないかと、施設内ではまことしやかに囁かれていた。
アルファはソゴル職員だった両親によって「初めての祝福された子」として名付けられた。
一方のシグマは、同じく高名な科学者であった母親の「実験」によって生まれた、18番目の被検体という意味で名付けられていた。
シグマの母、アデレードに夫はいない。アデレードは、優秀で「完璧」な科学者とのみ関係を持ち、優れた子どもを生み出そうと躍起になっていた。
結果、三人の子に恵まれた上、18番目に選ばれた科学者との間に生まれたのがシグマだった。
アデレードにとって第一子であったのに、
そんな名付けをされた事はアデレードのインタビューで大々的に知られており、それでアルファに対して特別冷たいのではないか、と、周囲の人間は密かに思っていた。
とはいえ英生にとっては、さすがにそこまで屈折した感情など無いのではないかと感じられていた。
シグマは確かに表情に乏しいが、その実、繊細で思慮深い事は、ごく少ない親しい人間ならわかっている。親子ほど年の離れた子どもに対して一々そんな感情を抱くような人間ではない。
「言いたい事はわかる」
英生が口を開くより先にシグマが言葉を制した。
「……まだ私にも答えが出せないだけだ」
その声は絞り出すようで、裏にある苦悩が伺えた。
「だがアルファに危害が及ぶような事だけは絶対に避けてくれ」
「ええ」
元よりそのつもりだが、英生は短く答えた。
アルファに支給されたガントレットは特別性で、ドームの機構を応用したシールド機能も備えている。アルファが新米だから新品が渡されたという事になっているが、実のところは特注品だ。
アルファの能力は、この先の星の運命さえ左右しかねない。
英生の派遣は単なる親代わりというだけではなく、監視も兼ねていた。
「明日の朝発ちます。問題なければ欧野部長はその後に」
「ああ」
重吉が元居たポスト、チーム・プロトスの部長の座は空いたままだ。手続き上は辞職した事になっているのだが、シグマは頑として名を削除させず、後任をつけなかった。
天才と呼び称されるシグマが唯一尊敬の念を抱く存在、それが欧野重吉その人だった。
シグマはゆっくり立ち上がり、深くため息をついた。
「つもる話がたっぷりある」
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