第4話 コードネーム・パンドラ

「大きくなったな、アルファ」

 

 目野英生めの ひでお。ソゴルの職員で、アルファの元「家庭教師」の一人だった。もう一人仲の良かった職員と並んで、アルファにとって憧れの大人の一人だった。髭を蓄えた事で風貌は様変わりしているが、落ち着いた低音の声は昔のままだった。


「わ~~!!やっぱりヒデちゃんだ!久しぶり~~~!!」

 アルファは目を輝かせながら飛び上がる。

 微笑む英生に飛びつきたい気持ちはやまやまだったが、こんな夜に尋ねて来る、しかもソゴル職員の彼が。というあたりからしても、そんな状況にない事はアルファにも察せられた。


 第一彼は今エリア1、かつてのアメリカにあるソゴル本部に居る筈だ。自分の異変の件を聞いて飛行機ですっ飛んできた。という可能性が一番高く、アルファは段々嫌な予感がしてきていた。


「立ち話も何だ」

 重吉はアルファの様子に少しだけ苦笑いして、英生を家へ招き入れた。



+++



「スカウトってあのおっさん?」

「おっさんじゃない、ヒデちゃん」


 漸く食事を片付け終わり、リビングの理人とアルファは応接室を横目に見ながらこそこそ話す。「こんなものですまない」と英生が持参した土産、甘すぎる高級チョコレートを食べながら。


「あの服ってエオースの制服だし」

「え!そうなん?」

 思わず出た声にアルファは自ら口を塞ぎつつ理人を見る。さすがライバル視しているだけあって研究には余念がない。理人は眉根を寄せながら腕組みする。

「エオース幹部の制服。ニコラからスカウトの事聞いときゃよかった」

「んーーーー」

 アルファは口をひん曲げて首を傾げる。


「ヒデちゃんはただの学者だよ、遺伝子工学系の」

「マネジメントかもしれねーじゃん」

「学者をヒーローのマネージャーにするぅ~~~~?」


「私も能力者だからさ」

 アルファも揃って腕組みをした。その瞬間、応接室のドアが開いてその英生が苦笑を浮かべつつやってきた。重吉との話も終わったようで、どうやら今の話も聞いていたらしい。


「ヘェ?!ヒデちゃんも?!」

 素っ頓狂なアルファの声に英生は頷く。英生が少し挙げて見せた右手にはやはり、アルファに出たのと同じような青白い光と、何かしらの文様が浮かんでいる。

 その光もすぐ収まり、英生は手を降ろした。恐らく、力が発現する時だけ現れるもののようだ。


「数年前に発現した。それからはお察しの通り、能力者達のマネジメントをしている」

「え~~。ヤじゃなかった?研究があったでしょ」

「研究も続けてる。この業務もそれなりに楽しいよ」

 そう言いつつ浮かべた苦笑いが「それなり」を示していた。


 英生は手に持っていた白いプラスチックのケースをアルファへ渡した。はがきより一回り大きな厚みのある箱だ。

 開けてみるとスマートウォッチのような腕時計と、変わった形状のイヤホンが入っている。腕時計の方は、そういえばニコラもつけていた。


「そっちのイヤホンはインカム。腕時計は本部との通信端末だ。本部や支局に入るためのキーにもなるから、無くさないように」


「ええ……。じゃあほんとに」

「エオースからのスカウトだ。そしてアルファのコードネームはパンドラ」

「パンドラ?あの神話の?」

「当初ギリシア文字から命名していたが、もう終わってしまって」

 名前と同じアルファが良かった?などと言いながら英生は笑う。


「そーゆー事俺に聞かせてもいいの?」

 理人は疑わしげに口を尖らせながら英生を見た。すると英生は苦笑を漏らす。


「君はアルファの家族だからね。そこまで厳密な秘密組織でもない。ちなみに私のコードネームはディガンマ。キアンはスティグマだよ」

「キアンねーちゃんもエージェントなん?!」

 アルファは思わず一歩引いた。


 キアンとはキアン・ダストルガ、やはりアルファの元「家庭教師」の一人で、英生と並んで憧れていたもう一人だった。非常に綺麗な女性で父の教え子にあたり、アルファにもよくしてくれていた。


「そっか、ヒデちゃんもキアンねーちゃんも一緒ならまあいいかな……」

 呟きながらアルファは腕時計型デバイスを弄んだ。


「武器の支給は少し遅れるから、その間アルファに任務は下りない。詳細はさすがに機密だから後で一人で見て、ニコラと協力して頑張ってくれ。くれぐれも、危険の無いように」

「善処しますぅ」

 あのマキナントとやり合うのに「危険の無いように」も何もない。そんな事を思いながらアルファは気の抜けた返事をした。


「かくてゼウスの御心からは逃れがたし」


 英生はぽつり、と誰に言うでなく呟いた。


 なんて?と問いたかったアルファだったが、英生の表情にどことなく緊張感が漂っていたため、首を傾げるだけにとどめた。



+++



「あ~~~~~~~ちくしょーーーーいいなーーーー!!」

 英生が帰った後、理人はクッションに顔を埋めながらソファでじたばたと身もだえた。

「ゼーロスだって戦績あるじゃん」

 アルファがぼそり、と呟いた声に理人は急に何か思い出した様子で起き上がる。

「そう!それ!俺にもちゃんとした武器が支給されるんだわ!」


 ゼーロスとは民間のマキナント討伐組織で、エオースの救援が間に合わない地区を中心に設立された。

 退役軍人が中心で、やはりエリア1が活動拠点だ。

 いくらソゴルの統治とはいえエリア3で民間人が火器を携帯する事はできない。が、鈍器のような武器はエリア3でも流通しており、今日の襲撃の件もあって理人に漸くゼーロス正規品が支給される事になったのだった。


 門戸は開かれているが会員になるにはそれなりに厳しい条件が課せられており、エリア3での未成年登録者は理人だけだった。

 それだけでも本来、十分誇れることの筈ではあるし、今日アルファを咄嗟に庇えたのもその戦闘シミュレーションあってこそではあった。


「二人とも、マキナントと遭遇してもあまり無茶はしないように」


 子どもがヒーローに憧れるのも仕方のない事だとわかっての事か、重吉は苦笑いしながら二人を見た。


「ねえじいちゃん、ヒデちゃんと何の話してたん?」

 アルファの素朴な疑問に、重吉は困ったような表情で少し首を傾げた。

「昔話だよ。私がまだソゴルに居た頃の」


 重吉は今でこそ飲料の小売店を営んでいるが、元々はソゴルの幹部だった。アルファや理人の両親が亡くなった後にソゴルを辞め、病気がちだったアルファをソゴルの最新の施設に預け、理人と共にエリア3へ、この市に居を構えたのだった。


 何故ソゴルを辞めたのか、その本当の理由は二人とも知らない。重吉曰くには「定年だったし、父親の店を継ぐためだった」が決まり文句だった。が、タイミング的にどうもそうとは思えず、二人は何度か質問をした。しかしその度、はぐらかされるばかりだった。


 思えば重吉は、あまり自分の事を語りたがらない。二人が知っている事と言えば、ノルウェーで暮らしていた夫婦の間に生まれた事と、父親が日本人だったために幼少期にエリア3へ移住した事。そしてソゴルに居た元科学者であったという事くらいだ。


 またじいちゃんの秘密癖が出た。そんな事を思いながらアルファも理人もそろって「ふーん」と言うほかなかった。

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