あだ花、ふわり、どこに咲く?

内谷 真天

プロローグ

 やあ仔猫くん、こんばんは。でも残念だね、ここは私の部屋なんだ。


 そんなに怯えなくていいんだよ、迷い込んだというのはわかるから。ここはとても入り組んでるし、そして君はあんまり見かけない顔だ、不慣れというのは心細いものだよね。でも大丈夫、お姉さんはここに住んで長いんだ、もしこんな場所から一秒でも早く帰りたいっていうんなら、私は君のため、すぐにでも外まで案内してあげよう。


 さあ、だから構わず上がってきなよ。遠慮なんてするもんじゃないさ、不安それよりも好奇心って顔だもの。それにずいぶん首元も自由だね、たとえば君を探そうとしている家族は、少なくとも人間の中にはいないんじゃないのかな。そしておそらく両親や兄弟とも離れ離れに暮らしてる。だってさ、そうあるはずにしては、なんというか、君の毛並みはずいぶんくたびれているんだもん。きっと君は今まで独りたくましく生きてきたんだろう。


 だけど少しもったいないね、なぜっていえば君は鏡を見たことがあるかい。君はなんていうか、今のままでも抱きしめたくなるくらい可愛らしい。ちゃんと栄養をとって毛づくろいしてやれば、きっと立派な黒猫くんに化けるはずなんだ。


 さあおいで。いい子だね。


 ねえ、君、少し私の家でゆっくりしていきな。こんな夜中じゃ外だって寒かったでしょう。すぐにあったかいミルクを作ってあげる。それと、ねこまんまでよければ晩ごはんもあるよ。特別に貰い物の鰹節を出してあげるから。そして余裕があればお風呂に入ってしまおう。ね、そうしよう。帰ることならいつでも願う通りにしてあげられるんだからさ。


 ほらやめなよ。別に怪しむことはないさ。大丈夫、焼いて食べたりしないから。というのはね、君をもてなすのは君のためだけでもないんだよ。実をいうと私も今夜は眠れそうになかったんだ。誰にだって感傷的な夜はあるでしょう、人肌恋しい夜だとか、寂しさに震える夜だとか、言い方はいろいろあるけれど、まさしく今夜がそういう夜だったんだ。


 まったく、こうなる予感はしてたんだ。ここ最近、妙に身体が軽かったし、頭も冴えていたからね。そういうのって必ず揺り戻しがやってくる。そしてとうとう背中を掴まれた。


 別に心配してもらうようなことでもない。私には定期的にあることなんだ。平たくいえば、私には二種類の月の日があるということ。三ヶ月か半年か、まあ、周期はよくわかってないけれど、そういう大きな波で繰り返されるバイオリズムみたいなものなの。


 だけどそんな夜に君が舞い込んでくれたことは、ちょっと嬉しい誤算かな。もしかすると君にとっては災難かもしれないけれど、でもこうなった以上はたっぷりと付き合ってほしいわけ。一人で過ごすにはこの夜はあまりにも長すぎる。


 私はね、さっきまで昔のことを思い返してたんだ。昔の、まだ私が若かった頃の思い出に、この暗い部屋でそっと耽っていたの。感傷的な夜は必ずそうしてる。逆説的にいうと、そういう思い出に触れてしまうからこそ、夜が感傷的になってしまうのかもしれない。まあ、悪い癖の一つだよ。


 いつだって同じ思い出なんだ。同じ日々のことを、繰り返し繰り返し、何度も思い返してる。それはとっても大切な思い出で、いつだってショーケースの奥に飾られた宝石のように輝いている。きらきらと透き通って輝くアメシストのような宝石。本当に、私にとってそれは、ただ美しいばかりの思い出だ。


 具体的にいうと私がまだ学生だった頃の、ある夏の日々のこと。十七歳の夏休みに体験した、連続したある七日間の出来事だ。今でも私はその七日間のことを心から美しい日々だったと感じてる。


(そこで仔猫くんが続きを促すように小さく鳴いた)


 ああ、そうだね、もし君がよければあの日々のことを聞いてもらうことにしようかな。いつもは勝手に妄想に耽って、まぶたが重くなるのに任せてるんだけど、考えてみればちょうどいいタイミングでゲストが来てくれたんだ。うん、そうだ、これって実に嬉しい誤算だよ。たしかにさ、常に聞き手がいないっていうのも、なんというか、物寂しいからね。


 いや、もちろん強制なんてしないよ。もし君が退屈を感じたら、そうだな、そのときはそっぽでも向いてごらん。そうしたら君の顔をこっちに向けるため、できるだけ表現を面白くしてみせるから。そしてそれでもつまらないままだったなら、そのときは仕方ない、君がどこへゆこうとも私は止めないさ。さあ、とりあえずミルクをお飲み。乾いた喉じゃ聞いてられない話だと思うから。


 ところで、ねえ、君って生後どれくらいかな。見たところまだ一年は経ってないと思うんだけど。人間でいえばちょうど思春期に当たるのかな。


 だとするとお話の表現には気を遣った方がいいかもしれない。放っておくとつい難しい言い回しをしてしまうのは、まあ、私に学がないことの証明なんだろうけれど。ああ、そうだね、それも悪い癖の一つに入れとこう。


 だけどまあ、ずいぶん警戒は解けてきたみたいだね。それなら私の方でも気が楽だ。そしてありがとうね、こんな寂しい夜に訪ねてくれて。じゃあ、どうか、願わくは最後までお付き合いあれ、かわいい仔猫くん。


 *


 ああ、それで、今から聞かせる話なんだけど、私はさっき十七歳の夏の連続した七日間というような紹介をしたはずだけど、それには少し注意があって、間違いなく話のさわりは十七歳の夏の連続した七日間のことなのだけど、その回想の、いわばプロローグとでもいうのかな、その導入の部分は、それよりもずっと後の、つまり私がすっかり大人になってからのことなんだ。


 もちろん初めからそうであったわけじゃない。気の遠くなる時間をかけて氷河が大地を侵食していったみたいに、私の思い出の触れ方も、そうしたフィヨルドの作用によって少しずつ変化していったんだ。


 今現在のところ思い出の開始点には仏前で手を合わせる喪服姿の私がいる。父方の祖母の葬儀が終わった直後のことで、親戚一同が本家に集まり、思い思いお酒を酌み交わしたり談笑しているなかでのことだ。


 ――祖母が亡くなったという報せを、私はサヤコさんから受け取った。彼女はほとんど付きっきりで祖母の看病を続け、臨終の際も入院先の病院に泊まり込む準備をしている最中らしかった。続き柄でいえば私の伯母にあたる人で、祖母とは嫁姑の関係だった。


 サヤコさんから連絡を受け取ったのは夕方のことで、ちょうど終業後にロッカールームで着替えをしているときのことだった。それからすぐに自宅まで引き返して、取るものもとりあえず父方の本家を目指したの。この時期は母方のほうでも不幸が続いていたから、身支度にしろ心構えにしろ、とても迅速だった。特に心構えについては祖母が長くないことを以前から聞かされていた。


 十八時台の電車に滑り込み、二回の乗り継ぎを経ると、目的の駅に着いた頃にはすでに日を跨ぎかけていた。それでその日は近くのインターネットカフェで宿を取ることにした。でも気が立っていたせいか翌朝の五時には目が覚めて、バスの始発がくるまで適当に時間を潰してから父方の本家へ向かったの。


 サヤコさんから連絡をもらったとき、私はできるだけ早く伺うと断りを入れていたんだけど、それにしても彼女たちの予想を超える早さらしかった。本家の門を叩いたとき、伯父もサヤコさんも揃って目を丸くしてたんだ。なんといっても祖母だってまだ病院に寝かされているうちだった。


 お通夜から告別式の二日間、私は本家に泊まり込みで働いた。この地域ではお通夜というと近所から手伝いを招いて行われるのだけど、中でも最も年齢の低い私は、なにかと彼女たちの都合いいように使われた。母方の葬儀では私は単なる弔問客、もしくは傍観者の一人で、葬儀の準備がこんなにも忙しいだなんて思ってもみなかった。でも私としても感情が紛れるから、忙しければ忙しいほど助かった。


 忙しいという中には気苦労も含まれた。父方の本家では合わせる顔と合わせる顔のほとんどが初対面だった。両親は私が幼い頃に離婚して、それ以来私は母の地元で母の姓を名乗って生きてきた。父方の親族で見知った顔は(つまり私が覚えてる範囲の人たちは)本当にごく一部だけだった。


 二日目の朝、野辺送りの前に親族が本家に集まりだすと、私は玄関先で彼らを出迎える役を買って出た。表に立ってから程なくして、私の父と二人の兄もやってきた。


 はじめに父が一人でやってきて、兄たちはそれから少し経ってやってきた。母はこの葬儀に参列しなかったし本来だったら私にもその必要はなかったのだけど、兄たちと私とは異母兄弟の関係で、親権上の問題からも彼らは真っ当に父方の血筋だった。


 私がこの場にいることを驚いてたのは、他の親戚よりも、むしろ父や兄たちだった。私は葬儀に出ることについてなんの連絡もしてなかったし、彼らの方でも私へは万事かたがついてから報告するつもりでいたらしかったんだ。私とサヤコさんが強い関係で結ばれてるということが、父たちにとっては誤算だったみたい。


 野辺送り、火葬、骨入れと終わって、ようやく本家に戻ってからも、まだ仕事には困らなかった。遺骨を祀る祭壇は誰かがこしらえてくれたけど、この頃には近所のお手伝いさんも方々戻られて、精進落しのお寿司やお酒を通すのは、私とサヤコさんが受け持つだけになっていた。


 ご近所さんが帰られた際に、サヤコさんは私のこともついでに休ませようとしたけれど、そのときは私の方でかぶりを振った。とにかく体を動かしておきたかったんだ。報せを受けてから二日も経ったのに、まだ祖母の死を受け止めきれていなかった。火葬のときも私は彼女の遺体が送られるのを、ずっと目をそむけてた。


 やっと一段落してご先祖様に手を合わせた瞬間、何かが抜け落ちて、そこに祖母の死という意識が入り込んできた。現実を認めることが、ようやくそこで出来た気がした。だからこの回想の始まりがなぜ仏前で手を合わせている瞬間なのかといえば、つまり私はそのときようやく目が覚めたからなんだ。


 ああ、だけど十七歳の夏の日々の思い出が葬儀とどう関係するのかは、まだ説明できていないね。それはもう少し待っていて。すぐにわかることだよ。

 お祈りが済んでからも私はしばらくその場に固まっていた。ぼんやりしているとその方が体に現実がよく染み込んだ。


 私はそっと天井付近に目をやった。


 縁側との壁に遺影が飾られてある。いくつか並べられた遺影の最後には祖父の顔があって、今は祭壇に置かれてる祖母の遺影も遠からず彼の横に飾られるはずだった。祖父の生前を私は知らない。彼は私が生まれるより前に亡くなっていた。だから祖母の遺影がそこに飾られると、私は以前までのように他人を見る感覚ではそこに視線を注げないはずだった。でもそういう未来の想像までは実感として湧いてこなかった。


 古い家の作りで仏間と居間とは地続きだった。ふすまは開け放されていて、二つの部屋は大勢の親族で埋め尽くされていた。視線を水平に戻したあと、私は彼らを見渡した。彼らはめいめいこの状況を楽しんでいるようだった。


 祖母が亡くなったのは九十六歳の夏のことで、多くの親族にとってそれは悲運というよりも、円満な息の引き取り方だった。お盆が終わってすぐのことだったから、間を置かずに再び帰省したことを苦痛に感じてる人もいたけれど、それは別にして、私のように芯から偲んでる種類は稀だった。


 縁側を走り抜ける子どもの姿を目で追って、それでようやく私は立ち上がった。仏壇に立ち寄ったのは灯明の交換を頼まれたからで、まだどっしりと腰を落ち着かせてる余裕はなかったの。


 居間では喪主の伯父が饗応役を務めてた。伯父の二人の息子もその中にあった。父は縁側で他の兄弟たちと談笑し、私の兄たちも居間の片隅で従兄弟と社交辞令っぽい会話を交わしてた。孫世代の中で私はひときわ年齢が低く、わけても若い方に位置する兄たちとも十歳は年が離れてた。そしてひ孫の世代は一番上でも高校生といった具合だったから、当時三十歳になろうとしていた私は年齢の層でいってもひどく浮いていた。彼らに遠慮するように、私は頭を下げながら居間を通り抜けてった。


 大正時代の山村に生まれ、父親の紹介で祖父のもとに嫁ぐと、祖父とのあいだに息子を五人、娘を三人もうけ、そのうちの二人とは年端もいかないうちにそれぞれの理由で離別してしまったけれど、戦中ないし戦後の混乱の中で残る六人を育て上げ、あるいは嫁にゆく、あるいは独り立ちする子どもたちを見送った。祖父に先立たれてからの老後は、この家でゆったりと余生を過ごしてた。それが大体のところ祖母の人生だ。


 私は彼女の最後の孫で、順列でいうと十四番目にあたる。その十四人のうち九人が結婚し所帯を持っていて、ひ孫の数は孫の数より多かった。豪邸というまでの広さを持たない本家にこれだけの人数が集まると、縁側の廊下を使ってもすし詰めになるのは無理がなかった。いつもはひっそりとしているこの家がこれだけの賑わいを見せるのは不思議でもあったしやや窮屈でもあった。


 足元に注意しながら居間を抜けると、その先にある書斎と応接間を兼ねた小さな空間で、サヤコさんと出くわした。この小さな空間を右に折れると台所で、サヤコさんは中身を入れ替えたポットを手に、そちらから戻ってくるとこだった。


「あら、だいぶ疲れが出てるわね」ってサヤコさんは出鼻に言った。

「そうですか?」って私は顔を上げながら遠慮がちに答えた。「平気です、まだ」

「無理しないでいいのよ、から働き詰めなんだから」

「いえ、本当に」って私は言った。


 きんなって方言は昨日を意味してる。普段は標準語なんだけど、ふとした拍子にサヤコさんの口からも地方訛りが出てくることがある。彼女は喋り方も全体もとても穏やかだ。


「これ以上無理させてしまうと、私がおばあちゃんに叱られちゃうわ」

「皆さんにも、手伝ってもらってます」って私は言った。


 するとサヤコさんは電気ポットを近くのテーブルに置いて、空いた両手で私の肩をぽんぽんと叩いた。それから彼女特有の穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「あとは私一人でどうにかなります」って彼女は努めて優しく言った。


 私はちらっと居間に目をやって、だけどすぐに視線を引き取った。

 祖母の娘たちとサヤコさんとは以前から反りが合わないらしかった。生前の祖母とサヤコさんの関係がまるで本当の親子のようであったのが返って癪に障ったのか、あるいは小姑という立場からすると当然なのかもしれないし、あるいは祖母の面倒をサヤコさんに任せきりにしていた引け目が働いてたのかもしれないけれど、とにかく彼女たちは葬儀のあいだ客人の立場を貫くように台所に寄り付かず、結果として最も血の関係が薄い私とサヤコさんが奔走する形になっていた。


 ともかくそういうわけでサヤコさんは葬儀場から戻っても働き詰めだったし、居間の騒ぎもまだまだ静まる気配を見せていなかった。一通りの出し物は提供し終えたけれど、細々した用はいくらも残ってた。台所と居間を往復するたびに空のビール瓶が一本増えてる始末だ。


 だけど少し考えて、サヤコさんの勧めを受けることにした。この場で私がごねると、そのほうが彼女の負担を大きくしてしまいそうだった。


「そういえば、渡しそびれていたけれど」って私がうなずくと、サヤコさんは言った。

 サヤコさんはエプロンのポケットから一枚の茶封筒を取り出した。封筒の表には筆の字体で『下間瑚和 様』って書かれてあった。


「これね、少ないけれどお手伝いのお礼に」

「え?」

「少し色をつけておいたから」

「そんな、困ります」

」って彼女はそれを地方訛りの否定語として用いて言った。「お手伝いに来られた方にもお渡ししたのよ。だから気兼ねなくね」


「こんなつもりじゃなかったのに」って言いながら、私は渋々その茶封筒を受け取った。私が茶封筒を受け取るとサヤコさんははにかんで、

「さあ、さ、コヨリちゃんもなにかお食べになって。朝からほとんど口に入れてないでしょう」

「すみません」って私は言った。サヤコさんをこの会話から早く解放しないとっていう思いがちょっと焦りを生み出し始めてた。「ああ、でも、食事はまだ、大丈夫です」

「あら、そう?」


 食欲も疲労も自分では感じていなかった。私は遠慮がちに頷いた。


「それより、すこし外に行ってます」

「そうね。それもいいかしら」って彼女はどこか遠くを見るように、うっすらと相好を崩して言った。

「夕風に当たれば、お腹も空いてくるかもしれない」って、そんなつもりもなかったのに、私は気丈に言った。「本当に、後は任せちゃって大丈夫ですか?」

「一段落しましたよ」って彼女は穏やかにうなずいた。


 母屋の二階に本来は物置に使われてた六畳一間の部屋があって、私は縁側を伝ってそこまで引いていった。かつて十七歳の夏の日々に間借りした経験から、その後も何度か下宿先として使わせてもらっている部屋だ。急な訪問だったのに、このときも部屋は小綺麗に整理されていた。喪服や髪留めのバレッタを外して普段着に着替えると、あとは口紅だけ拭って階下に降りた。


 縁側から玄関へ抜ける最中に父と目があった。普段着に戻した私の姿に父はどこか驚いたように声をかけたけど、私は簡単な返事と会釈ですませてその場を後にした。


 外ではじりじりと蝉が鳴いていた。空もまだ青かった。風だけがやや涼やかで、そろそろ夏の終わりを運んでた。お盆を過ぎると夏もゆるやかに雰囲気を変えてゆく。


 祖母の家があるこの町は、かつて私が『堀田瑚和』と名乗っていた時代に住んでいた町でもあった。山と川とに囲まれた、か細い裾野の扇状地に広がっている、これといった特徴のない寂れがかった町だ。私はこの町に七歳まで住んでいた。


 十七歳の夏の日々というのは、つまり十年ぶりに生まれ故郷に帰ってきた、当時の思い出を指してるの。訳あってその期間、私は祖母の家に居候する形になっていた。


 祖母にはその頃からよくしてもらってた。彼女はいつだって優しく、穏やかで、笑みを絶やさなかった。その笑みというのは決して力強くはなかったけれど、いつでも私の心を落ち着かせてくれた。彼女が居る場所は時間ものんびりだった。


 祖母の死を受け止めるのは辛いことだった。なにより親戚の華やいでいる姿が私には不可解だった。九十六歳まで生きたということにつけ、みんな口々に天寿を全うしたとか大往生だとか祖母を褒めそやしてた。その表情の中にはたしかに陰を差している部類もあったけど、誰もが死それ自体を心から追求してはいなかった。ある人は宴会のように親族の集いを楽しんでいた。ううん、そういう人たちのほうが多かった。


 だけど人の死に年齢なんて関係あるんだろうか。大切な人が亡くなったというのに、涙を許す場面が、あの場所には提供されていなかった。それは憤りというより足元をぐらつかせる不安定さとなって私の心に襲いかかってきてた。宴会場を抜け出したのは何より心の均衡を保つためだった。


 外の景色に触れても心は空白のままだった。雑音が消えてようやく自分の感情に集中できるようになったのに、それでも涙だとか痛みだとかはまるで湧いてこなかった。現実や事実の一部はようやく私に寄り添いはじめていたけれど、全体としてはまだ私のはるか後ろの方にいた。


 気付くと私は路地の中心に立っていた。そこは七歳の頃にも十七歳の日々にも知らない路地だった。後ろへ振り返れば見知った景色があり、別に迷ったというわけではなかったけれど、高い板塀に囲まれて日陰に包まれたその路地は、どこか物寂しくあった。私の故郷は山間に高速道路が通されていて、その上を行き交う車の音はずいぶん遠くにあっても響いてくるはずなのに、不思議と路地の中ではどんなに小さな音さえ届いてこなかった。


 辺りを見回すと、ちょうど私の横手に公民館が建っていた。建物の前面が駐車スペースになっている以外は、周りの古民家と比べてもなんら変わりのない木造の建物だ。その公民館の脇に古い掲示板が立てかけられていた。掲示板には一枚のポスターが貼られてあった。


 ところで、ねえ、仔猫くん。私はこの歳になってもある程度『運命』というものを信じてるんだけど、君はどうだろう。運命といっても決して白馬の王子様的なやつじゃなくて、人の生き方が事前に決まってるとかいわれるやつの方だ。いわば私をあざ笑う天の邪鬼的な存在で、そしてその天の邪鬼な運命は、必要としているときに不必要な物事を、不必要と感じているときに必要な物事を、いみじくも狙いすましたように、容赦なく私に与えにかかる。


 このとき掲示板に貼り出されていたポスターは、この町で開催される夏祭りを告知するものだった。夜空に咲く一輪の大きな花火を背景に、でかでかと『花蕊祭』って名前が印字され、開催日時は八月十一日の午後六時からと紹介されていた。とっくに期限の過ぎた、しまい忘れのポスターだ。誰かが剥がす義務を怠って、お盆が過ぎた今もそのまま放置されていた。そしてそのポスターが、いわば私の信じる天の邪鬼な運命的効果となって私の目を釘付けにした。


 一滴の涙が瞳からこぼれ落ちていた。

 なぜ十七歳の夏の日々の思い出が祖母の葬儀の場面から始まるか。それはこの瞬間、彼と再会したからだ。たった一枚のしまい忘れの告知用ポスター。十余年の歳月を経て出会った彼が、私の心をあの美しいばかりの思い出に、ぐっと引き戻したんだ。


 前置きが長くなったかな。でもやっと本題だ。さあ仔猫くん、美しいばかりの、あの夏の日々の出来事だ。

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