アイドルはデスゲームの舞台で踊る。

得る知己

第1話 雁来ホノカのトロッコ問題

「君はトロッコ問題を知ってるかな?」


 イギリスの哲学者フィリップ・フットが提唱し、今日こんにちに至るまで様々な人間が時代と国と人種を超え、考察し改変し問題提起を行ってきた悪名高き思考実験。


「簡単に説明するとね、ある人を助ける為に他人を犠牲にすることは許されるのかな? ――ていう功利主義とか義無論とかの対立を扱った倫理学の問題だね。知ってる? 知らなくても別に構わないよ。そうだね~例えばね――」


 ――例えば分岐してる2つの路線上に5人の作業員と1人の一般人がいるとする。貴方は唯一分岐を変更できるスイッチを持っていて、そこに暴走特急が突っ込んできた。貴方がスイッチを押せば清く正しく真面目に働いていた5人の作業員は助かるでしょう。その代わり、無関係な一般人は死にます。逆にスイッチを押さなければ、無許可で路線上に侵入した犯罪者の命は助かるでしょう。代わりに5人が死にます。


 さぁ、ここでクエスチョン!


「あなたはどちらを助けますか? それとも、どちらを殺しますか?」


 この問題がいやらしいのは必ず人が死んじゃう所と、どちらを選んでも貴方に責任の一端が課せられるところ。


 仮にスイッチを押せば5人の尊い作業員を救ったヒーローに……成れる訳もなく、直接的に人を殺した人殺し。世間のバッシングやら法的措置が待っています。


 はたまたスイッチを押さなければ?


貴方は5人を見殺しにした間接的な殺人者。


え? 納得できない? いやいやいや。イジメ問題とかでよく言うでしょ。何もせずただ見ていただけの傍観者にも責任があるって。そういう理屈なのですよ。


「犠牲にするとか助けたとか綺麗な言葉で飾り立てても、トロッコ問題の本質は殺人の容認にあると私は思ってる」


『人を傷つけちゃいけません!』『人殺しは犯罪です!』『隣人が隣人に優しくすれば世界は平和になるでしょう~』


「なーんて言ってる人たちが、どんな状況条件理由があれば殺人を容認できるか。その線引きをするための問題が私にとってのトロッコ問題なのですよ。ちなみにこれ諸説ありね」


 大多数の人は1人の犠牲を選ぶらしい。


 人の命を数字で計算した時、5人より1人の方が被害が少ないからだ。漫画やアニメじゃそういう決断をする人って大抵悪役で主人公にふざけるなって怒られてるよね。そんな清く正しい主人公に大多数は憧れ感情移入して、逆に悪役の大佐には嫌悪感を覚えてるはずなのに、やってることは大佐なのマジウケる~。人間は不思議だね。


 ところで大佐って誰? 私は知らん。


「正しい正しくないはともあれ、私もこの選択肢は間違いではないと思うよ。自然界においても人間社会においてもボッチの存在価値って低いからね。仕方ない。この事実から得られる教訓は、赤信号皆で渡れば怖くない! てね」


「……どう……して?」


「だってそうでしょ。この理屈から言えば、1人じゃなくて10人だったら助かっていたのは無断侵入の犯罪者集団の方だったんだから。迷惑系の動画配信者とかかもね。たまにいるよね、そういう人たち」


 大人が子供にやたら友達を作れって強要してくるのは、巡り巡ってこういう事態が起きた時に少しでも生存率を高めようっていう親心なのかもしれないね。


 独りは危険だ。孤立は悪だ。孤独は死に直結してる。友達を作らなければ、集団に馴染まなければ、群れの一員にならなければ、この世界では生きていけない。


 命は何よりも大事だから。命は何ものにも代えられない特別な存在だから。自衛は生き物が生まれた時から持つ当然の権利だから。


「だから私や君みたいなあぶれ者は生きにくいよね」


「……」


 ビルの隙間から見える空は夕暮れ。遠くでカラス達が鳴いていた。


「カラスでさえ群れで行動してるのにいつまで経ってもひとりきりな私は何ものなんだろうね?」


 返事は返ってこなかった。


「ただ何事にも例外があるのも世の理、世界の摩訶不思議」


 大多数が選ぶのも大多数が選ばれるのも当然と言えば当然だ。論理的にも損得でも道徳を持ち出してもその大前提は変わらない。


 けれど、そういう小賢しいしがらみを全てぶち壊す唯一無二の感情がある。


「君はアニメや漫画を見る系の人かな? 多分そうだよね。小学生の頃のごっこ遊びでトランプや本を武器にしてそうな見た目してるし。なら分かるよね。誰か1人を犠牲にしなくちゃ世界が滅亡するような危機的状況でも、物語の主人公はヒロインを救おうとする。そこには論理も損得も道徳も関係ない。あるのはただの感情だけ」


 それは世界を滅ぼしもするし、逆に世界を救いもする。それはどんな時代でもどんな国家でもどんな人種であっても必ず存在する。それは有史以来最大の発見であり最悪の大罪。


「その感情の名前は『愛』。『愛』は全てに勝り全てを容認する最強の免罪符。世界を救うのはもしくは世界を滅ぼすのはいつだって『愛』なんだよ」


 くすくすと微笑む。まるで恋に恋する乙女の様に。愛を語る美少女がするに相応しい微笑みを浮かべてみる。


「ああ、なんて素晴らしい! 人に『愛』されさえすれば私はこの世界で生き続けられる!」


 私は長生きをしたい。それもしわくちゃのおばあちゃんになるくらいの超長命。けれど、その為にはまず人の輪に入らなければならない。孤独は死にやすいから。


 私は愛されたい。それも1人や2人なんてちっぽけな数字じゃない。誰にでも誰からも愛し『愛』され溺れるような恋をし続けたい。『愛』される私は全てに優先されるから。


「だから、私雁来かりき萌花ホノカはアイドルになった。誰もが認める特別な人気者。誰からも選ばれ『愛』される最強無敵のアイドル様。私の振りまく特大の愛は、萌えいずる花のように人々の心に根ずくのだ」


 私は貴方たちを愛します。代わりに皆も私を愛してね!


「あ、ちなみにこれ強制だから拒否権とかないよ」


※ ※ ※


 すっかり夕日は沈み、ただでさえ薄暗かった路地裏は余計に暗くなった。そんな場所で、私雁来ホノカの目の前には、1人の男性が倒れていた。


 周囲の壁や床それに彼自身は彼の体から流れる血液で赤く染まっている。


 人の体のほとんどは水分で出来ている。多少水分がなくなっても特に支障はない。けれど、この血の量は致命的なまでの致命傷だった。


 ヒューヒューとか細い吐息が漏れ聞こえる。弱弱しくではあるけど彼はまだ確かに生きている。もう少しすれば彼の命の炎は消えかけの線香花火より儚く散るだろうけど。


「さてと。そろそろ時間もなさそうだし本題に入ろっか」


 主に彼の時間が。


「私にとってのトロッコ問題はこんな感じのスタンスです。それを踏まえて私なりの正しい答えを導きだすとすれば、どちらでもない」


「……」


「ハハハ! そんな目をしないでよ。確かに二者択一の問題に第三の選択肢を作るなんてルール違反だろうけどさ。でも仕方ないじゃん。だってこの問題を作った人は、きっと解答者が普通の『人間』であると想定してるんだから。私みたいな回答者を想定してなかった出題者の設計ミスだよ」


 倒れている彼の長くて野暮ったい前髪をどかしてのぞき込む。死ぬ間際の人が見せる暗く濁った綺麗な瞳が私を睨みつけていた。


「そもそもの前提としてどっちかが必ず助かるなんて希望があり過ぎると思わない? ホラーでもミステリーでもアクションでも登場人物が全滅するなんてエンドは今日日珍しくもないっていうのに」


 のぞき込んだ彼の瞳に映る私はとびっきりの笑顔で、私の瞳の中には綺麗なお星さまが瞬いていた。


「もっと想像力を働かせるべきだよね。たとえば、もしも唯一スイッチを持ってる私が人でなしの殺人鬼だったら――とかね」


 人を殺すことをなんとも思わない人でない。それどころか喜々として人を殺し続ける殺人鬼。もしもそんな人外がスイッチを持っていたとするのなら。


「まず電車で死ぬのは5人の方だよね。流石に多数相手だとこっちが不利だし。それで、騒ぎが大きくなる前に1人の方にいくよね。もしかすると向こうの方から近づいてきてくれるかも。迷惑系の人なら近くで“事故”があったら絶対野次馬に来るだろうし。そこで仕留めれば死体の処理も簡単だ。木を隠すなら森の中、死体を隠すなら死体の中ってね。幸いにも近くには新鮮な死体が5つも転がっている。1つや2つ死体が増えても誰も気にしないよ。その場合、死因の偽装の為にも凶器は路線にあるモノしか使えない。その辺に落ちてる石とか路線その物に頭を打ち付けるとかだね。刃物が使えないのがちょっと不満かな~」


 チラリと彼の腹部を見る。そこには散々彼の体を切り裂き鮮血を舞わせた愛用の小太刀が深々と刺さっていた。


 刃物の利点は使い方次第で人を生かしも殺しもする所。生かさず殺さず嬲って弄ぶのにこれ以上の凶器を私は知らない。


「要するに人が人を救うのが当たり前みたいな問題そのものが間違ってるんだよね。問題が間違ってるんだからそれに正しく答えようとすれば無理が出るのは当たり前。むしろ想定の範囲内」


 ズボッと彼の腹から小太刀を抜く。流石に最初の頃の勢いはないけれど、それでも小太刀が抜かれたお腹から大量の血液が飛び散った。噴水、とまではいかずとも公園の水道くらいの勢いはあるかな。


 ああ、なんて綺麗なんだろう。


「そんな訳で、皆の人気者アイドル雁来ホノカは人でなしの殺人鬼でした。そして、君はそんな人でなしに恋をした不幸にも幸福なストーカー君でいいのかな? 初対面だよね。いや、ファンなら握手会とかライブとかに来てくれたのかな。ごめんね。私って人の顔と名前を覚えるのが超絶苦手なんだ」


 彼との出会いは今から数十分前。久しぶりのオフだった私は、ふらりと街に出て目的もなくふらふらとウインドウショッピングをしていた。そんな時、ふと背後から気配を感じ「あ、これつけられてる奴だ!」と、感のいい私はすぐさま察知。


 気づかない振りをしながら自然に彼をこの人気の全くない路地裏におびき出すことに成功した。


 路地裏の袋小路に入った所でくるりと振り返り彼と初対面。笑顔で挨拶をするも返事は返ってこず、彼は徐に懐からナイフを取り出した。


 どこで手に入れたのかは知らないけど、本物の軍人さんが使ってそうなごつい奴。


 そして、彼は一目散に私目掛けてナイフを突き出し走って来た。ただまぁその動きはお世辞にもよくはなく、ひょいと躱して、ぐいっと腕を捻り上げて、えいと投げ飛ばして、ドスと地面に叩きつけた。


 そこから先は語るまでもないワンサイドゲーム。ちなみに彼の持ってたナイフは私が回収してポケットの中に入れちゃった。物は凄いよかったから。


 しばらくの間はチクチクずばずばと彼を虐めて、文字通りの虫の息になった所で今に至る。


「君の瞳はずっと私を見ていたね。燃える様なそれでいて薄暗くてドロドロとした愛憎を宿して。そういうファンは偶にいるからなんとなくわかるよ。さてさて、ここで残念なお知らせです。君の命はもう長くありません。血を流し過ぎてるし、こんな不衛生な場所で傷だらけで寝転がるなんて自殺行為もいい所です。仮に今誰かが君を助けに来ても多分無理です。それこそ無免許の天才外科医でも匙を投げだすレベル。だから最後に君のことを教えてくれる?」


 彼は私を殺そうとした。もしかすると、殺すまではいかなくても傷つける程度で辞めるつもりだったのかもしれないけど、そんなのはどうでもいい。


 重要なのは、彼が私を殺したいほど『愛』しているっていう事実だけ。


 形はどうあれ、結末がどうであれ、それほどまでに私を『愛』してくれた愛すべきファンの名前や気持ちくらいは知っておきたい。しばらくすれば忘れるだろうけど、しばらくの間は覚えてる。


 これもいわゆるファンサだね。


「君はどこの誰で、どうして私を殺そうとしたの?」


「……」

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