第19話彼女とイノシシ肉の行方
「話を整理するとロージャスは貴族で、ものすごく年上の貴族男性と結婚後さながらの生活をさせられそうだってことだな」
簡単に話をまとめるルファに、シリエは一瞬ではあったが殺意を覚えた。
うら若き乙女のシリエに恥ずかしいことを色々と言わせたというのに、ルファはまったく気にしていない。大げさに反応されても困るが、全く反応されないのも癪にさわる。
ルファとしては、牛と馬の繁殖の話をしたぐらいしか思っていないのだろう。畜産が身近にある人間は、家畜の繁殖と人間の子作りが頭のなかでごちゃごちゃになっているのかもしれない。
「その年上の貴族男性というのが……五十代のおじいさんで」
ロージャスは、うつむきながら呟く。
その婚約が嫌で、婚約式に向かう途中の馬車から飛び出してロージャスは逃げ出したのだという。貴族女性というのは御淑やかに育つように教育されているので、馬車から飛び降りるという選択をしたロージャスはかなり大胆な方だ。
「色々と逃げ回っている内に、森に迷い込んだんです。しばらく、歩き回っていたのですけど……森から出ることも出来なくなって。ルファ様とシリエ様と会えなかったら、死んでいました」
ロージャスは、泣きそうになっていた。
十三歳の箱入り少女にとって、森で迷ったことは恐ろしくてしょうがないことだったに違いない。
「ロージャス様、私たちのことなど呼び捨てでかまいません。私たちは庶民ですし……」
ロージャスは助けてくれた恩人として、シリエとルファを扱っていた。しかし、貴族というものを知っているシリエとしては、様付けで呼ばれるのは抵抗がある。
ルファとリーリシアはというと貴族の偉さというのがよく分かっていないらしく、ロージャスの好きなようにさせていた。無知というのは恐ろしいなとシリエは思う。
「恩人ですから最大限の敬意を払わせてください。それで……えっと、その方は何故眠ったままなのでしょうか?」
ロージャスは、未だにリーリシアに背負われたままのイアを指さした。大人が大人に背負われている様子というのは、なかなかに珍妙である。
「気にしなくていいぞ。眠ったままなのは病気のせいだから」
ルファは、適当にイアのことを説明した。
リーリシアは「勇者は健康体だ!いつかは我の卵を産むのだから……」と騒いだが、ルファに包丁を投げられている。これから猪を裁く予定なので、包丁とは名ばかりの大型のナイフのような刃物だ。刃物に慣れていない人間ならば、見るだけでぎょっとするような大きさである。
「ご病気のご家族がいるのに押しかけてしまって申し訳ありません!出来るだけ早く出ていくので……」
ロージャスは席を立とうとしたが、それをルファが制した。
「今日は猪をさばくから食べて行けばいい。料理をしながら、これからのことを考えないとな……」
ルファは、ロージャスを一人で放り出すつもりはないらしい。
だからといって、解説策もないようだ。老いた男のものになりたくはないと言って逃げだした貴族の少女の行き先など、ルファでなくとも思いつかないであろう。
「リーリシア、悪いけどロージャスの喋り相手をしていてくれ。シリアは、俺と一緒に猪をさばいて欲しい」
とりあえず、ルファは猪の解体から始めることにしたようだ。
リーリシアがとってきてくれた猪は、血抜きのために家の裏の木に吊るしている。
血抜きが完了した猪からはもう血は流れないが、大きすぎるために室内での解体は不可能だ。そのため、部位ごとに切り分けるまでは屋外での作業となる。
「……ロージャスを親元に送るのは、やっぱり不味いのか?」
猪の解体の準備をしていたルファは、シリエに尋ねる。
シリエのみを屋外に呼び出したのは、ルファなりの気遣いだったのであろう。そして、シリエぐらいしか相談できる人物もいなかったのだ。
「婚約式は親の同意がないと行われない……。いや、親主導で行われる。ありがちなところでは、好色貴族にいたいけな娘を売って親が大金を手に入れるというシナリオだ。親元に返せば、元の木阿弥。しかし、貴族の少女を保護してくれるような施設なんてない」
シリエは、ため息をついた。
ロージャスは貴族であり、一般市民とは違う。行方不明になった彼女を役人は血眼になって探すであろうし、婚約式を上げようとした貴族男性も人を雇うかもしれない。下手をすれば、ロージャスを匿った側が罪に問われるという可能性だってある。
「自分たちの身を一番に考えるならば、役人に預けてしまうのが一番だ。面倒も少ない。ただし、ロージャス様は救えない……。いいや、違うな」
シリエは、ルファを見つめる。
その瞳は、ロージャスに見せていた情け深い大人のものではなかった。自分の限界を知って、守るべきものを定めた者の目である。
「言っておくが、ロージャス様を助ける義務はない。お前が守るべきは、勇者イアとの生活だ。それ以外は守らなくていいし、それを台無しにするならば他のものを守ってはいけない」
人が守れるものは少ない。
シリエは、そう言った。
ルファだって、それは分かっている。ましてや、ルファは一般人だ。シリエのように剣術に秀でているわけでもない田舎暮らしの中年男なのだ。
それでも、ロージャスの身の上を聞いてしまえば大人として何か行動しなければならないと思ってしまう。
「伯父さんが目覚めていたら、どうするんだろうか……」
ルファは、伯父の寝顔を思い出しながら呟いた。最強の勇者であっても解決できない問題は多いはずだ。今回の事例がまさにそうである。
ロージャスを親元に返したら、彼女が逃げてきた勇気が台無しになる。だからといって行く宛もない。下手に保護したら、自分たちが罪に問われかねない。
「シリエとしては、どうするべきだと考えているんだ?」
ルファの問いかけに、シリエは少しばかり悩んだ。
そして、言いにくそうに口を開く。
「冷たい人間だと思われるかもしれないが、親元に返すのが一番だと思う。現状では、あの子の引き取り手はない。ここで、いつまでも面倒を見ることも出来ない。十三歳では、一人で生きていくのも無理だろう」
シリエの考えが、一番現実的だ。
貴族というのは、身の回りのことは使用人に任せるのが一般的である。その代わりに教養やマナーを磨くのだ。しかし、一度でも市井に降りてしまえば、高い教養やマナーはほとんど意味をなさない。
「とりあえず、明日まで考えるか。すぐに答えが出る問題でもないだろう」
問題の先送りなのかもしれないが、今すぐには答えはでない。それに猪の解体を途中で投げ出すわけにもいかなかった。
猪の解体が終わらせたルファとシリエは、ばらばらにした肉を家の中に運ぶ。その途中で、タライに猪の血を溜めたままであることにシリエは気がついた。このままにしておいたら、野生の獣を引き寄せかねない。
「血抜きした血は、どこに捨てるんだ?」
ルファは「爬虫類が飲むから、そのままでいい」と答えた。
その返答に、シリエの額に皺が寄る。生肉が主食と聞いた時から薄々思っていたことだが、一つだけ気になることがある。
「……あの爬虫類は、人を食べたりしないよな」
生肉がこびりついていた骨をかじるリーリシアを思い出して、シリエは嫌悪感を隠せないでいた。モンスターのなかには、人間を食すものだっているのだ。リーリシアがそうであったならば、勇者を目指した者として放っておける問題ではない。
「さすがに言葉が通じる相手を食べたりするのは抵抗があるらしいぞ。本人の弁だと人も殺したことはないらしい」
リーリシア曰く、彼の竜としての人生では人間を殺したりはしていないらしい。身体の大きさから邪竜と呼ばれて退治されそうになったことは何度もあるそうだが、その頃は弱体化もしていなかったので人間たちなど軽々と追い返すことが出来ていたようだ。
邪竜という禍々しい呼び名も近隣住民が「大きくて怖いから、姿を現したら厄災の前兆だ」と信じていた事からきたものだという。風評被害によって邪竜と呼ばれることになったリーリシアだが、通りがよいということで使っているらしい。
より一層の誤解を生んでいるような気がしないでもないが、リーリシアは気にしていないようだ。爬虫類なので脳みそが軽いせいだろうとルファは考えている。
なにはともあれ、リーリシアは無害な爬虫類だ。そう信じているからルファは店に置いているし、伯父の世話を任せている。危険な生物だったら、身内の世話までは任せない。
だが、リーリシアが善良であるならば不死の呪をかけられたというのもおかしな話である。古代の恐ろしい魔法使いに言わなくていいことを言って、呪いでもかけられたのだろうか。多弁なリーリシアならば、十分にあり得そうなことだった。
「ルファ様、シリエ様。赤毛の方が、トカゲになってしまわれました!!」
信じられないものを見てしまったロージャスは、顔を真っ青にして家から飛び出してきた。人間が爬虫類になったら、そのような反応にもなるだろう。
「心配するな。それも病気の一種だ」
ただし、ルファは説明を面倒くさがった。
ロージャスは見たものが信じられなくて、右往左往する。そんな彼女を見ていられなくなったシリエが、リーリシアという特殊な生物のことを説明した。
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