第9話森での訓練



「出かけるのか?」


 畑の隅っこでは、トカゲの姿のリーリシアが文字通り羽を伸ばしていた。その隣には、敷物の上に体を横たえているイアがいる。


 二人そろって日光浴は、リーリシアにとっては日課だ。身体を日に当てることは健康に良いとリーリシアは信じていて、イアを連れ出しては日の光を浴びさせている。


「シリエにサンドイッチを届けてくる。店をしばらく空けるから、客が来たら適当に相手をしておいてくれ」


 そうはいっても、リーリシアに出来る事などたかが知れている。ルファが留守であることを客に知らせるぐらいしか出来ないであろう。


「昨日の助言を忘れるなよ」


 別れ際に、リーリシアはそんなことを言った。皿洗いの最中に喧嘩を売られたのだと思っていたが、あれはリーリシアなりの忠告だったらしい。


 分かりにくい事この上ないが、リーリシアなりの気遣いだったようだ。


「爬虫類が人間様のことをとやかく言うな。百年早いんだよ」


 ルファの言葉に「百歳なんて、とっくに昔に過ぎた」という返しが帰ってきた。相変わらず、口が良く回る爬虫類である。


 町外れには森があって、町人にとっては山菜やキノコを探す場所である。そして、同時に子供たちの遊び場でもあった。町で育ったこと子供は、必ずと言っていいほど森で遊ぶ。


 ルファだって幼い頃は、森で友人たちと転げまわっていた。だからこそ、森は庭のようなものだ。しかし、同時に町を揺るがす恐怖も森からやってくる。


 熊や猪といった害獣。そして、野盗といった悪人たちは森に潜んで町の様子を伺う。そして、油断したところで襲い掛かってくるのだ。


 ルファの母親が生きていた頃は、この森で様々な悪が討たれた。


 そうやって町を救ってきた母だが、病には勝てずにあっけなく亡くなってしまった。母が死んでからは、町を守る手段がないということが緊急の議題として挙がっている。絶対的な先祖返りの守護は、すでに失われていると町人たちは考えていた。


 静かな森の奥から、規則的な物音が聞こえる。


 その音を立てているのは、きっとシリエであろう。森でキノコや山菜を探す人間は、音を立てることはない。子供ならば、はしゃぎまわる。


 だから、音の発生元はシリエだとルファは考えた。音をたよりに森を歩けば、予想した通りに彼女の姿がある。


 剣を構える彼女には、鬼気迫る雰囲気がある。眼の前にある木の幹には剣で切りつけられた跡がついていて、シリエが仮想敵として使っていることが見て取れた。


「殺せる……。私は殺せるんだ!」


 シリエは、叫びながら木の幹に斬りかかる。いくら気迫があったしても、彼女が人を殺せるようにはならないだろう。


 修道院で育まれた善良さを受け入れて、シリエも平凡な人生を歩むべきなのだ。そうすれば、ルファのように少しは楽にはなれる。そんなことはシリエは望んでいないかもしれないが、そうやって生きることも人生の選択肢の一つだ。


「おい、昼食を持ってきたぞ」


 シリエに声をかければ、彼女の肩は跳ね上がった。集中していたせいで、ルファの気配にも気が付かなかったらしい。


「人を殺せるうんぬんの前に、気配に鈍感なのはどうかと思うぞ。後ろから襲われたりしたら、危ないだろ」


 ルファは、よく知りもしない事をもっともらしく語る。シリエが憎まれ口を叩くことをルファは期待していたが、彼女は無言で唇を噛んでいる。


 対応を間違えてしまった。


 口の減らない爬虫類もといリーリシアの相手をしているので、やり返されることを前提に話を振ってしまった。付き合いの浅い人間にすることではなかったであろう。


「……遅かったから、昼飯を持ってきたぞ。卵とハムのサンドイッチと紅茶だ。ハムも自家製だから、味わって食べろ。多めに入れといたから」


 シリエは、ルファから大人しくサンドイッチを受け取った。


「……才能がないのならば、剣を捨てればいいと思っているだろ」


 小さな声で、シリエは呟く。


 ルファは一瞬だけ戸惑ったが、静かに頷いた。


「憧れだけでは行きつけない領域があるんだ。出来ない自分を受け入れて、生きていくことだって不正解ではないはずだ」


 それこそが、ルファの生き方だった。夢と挑戦をあきらめた人生は、余生のように穏やかだ


「私は……幼い頃から勇者になるために育てられた。今更になって人を守れない自分に価値を見いだせないし、剣を捨てた自分も想像できない」


 シリエは、ルファの瞳を真っ直ぐに見つめる。その顔は、哀しみで彩られていた。


「私は、理想の私になることでしか……生きている意味も実感も得られない」


 その哀しい言葉の後に聞こえたのは、複数人が森を無作法に踏み鳴らす音だった。



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