第7話田舎の朝


 家畜を飼っている家の朝は早い。


 そして、町ではほとんどの人間が家畜を飼っている。故に、町の朝も早かった。大抵の人間は鶏が鳴く前に起きて、家畜の世話に取り掛かるのだ。


 ルファも畑の世話をして、それが終われば料理の仕込みを始める。いつもと変わらない毎日の始まりだ。


「うわぁぁ!のぐぁ!!」


 二階から人間のものとは思えない悲鳴と何か倒れる音がした。音がする方向に慌てて向かえば、そこには鞘に収まっていた剣とシリエがいた。


 剣はシリエが持っていたものではなく、ルファのものである。元々は母が使っていたものだが、野獣や野盗から身を守るために使えるのではないかと考えて取っておいたものだ。


 幸いにして、使ったことはない。


 イアとリーリシアがやってきたからは必要もないだろうと思って、母の形見として廊下に飾っていた。手入れなどしていないから剣としては役に立たなくなっていたので、ルファとしてはオブジェの代わりにすぎない。


「す……すまない!てっきり勇者イアが使っていたものだと思って、手に取ってしまった。それにしても予想外に重いな。こんなに重いとは思わなかったから落としてしまった」


 慌てふためくシリエは、両手で剣を持ち上げる。


 鍛えているはずのシリエの手が震えるほどに、剣は重量があった。一般的な物よりも刃の幅が広い剣は、見た目からして女性用ではない。男性のイアが使用していたものだと勘違いしたのも無理はないだろう。


「これは、俺の母親のものだ。母も先祖返りで、これを易々と使っていた。村の近辺に猛獣なんかが現れた時は、母が討伐をしていたからな」


 力が強すぎる先祖返りは、ある程度の重さがない剣が扱いづらいのだと言う。ルファの母親もそうだったし、イアもそうであったようだ。


「女性が、こんなに重い剣を使っていたのか……」


 シリエは、唖然としていた。


「先祖返りという奴は……本当に化け物じみているな。いいや……その、失礼した!先祖返りが身内にいるのに、こんな失礼なことを言うなんて」


 あたふたするシリエに、ルファは微笑む。


 昨日は喋り続けていたり、湿っぽい話をしたりと色々あった。しかし、落ち着けばシリエは常識的な善人のようだ。勇者の育成所になんていたせいもあって、先祖返りに偏見もないようである。あそこには、その力を見込まれた先祖返りも多いのだと聞いていた。


「いいって。先祖返りの異質さは、十分に知っているからな。普通の母親は、骨折した十七歳の息子を背負って山を越えたりはしないだろ」


 親子そろって鹿狩りに行って、ルファは母親の体力についていけなくなった。疲れて休みたいと言えばよかったのに言い出せず、集中力が足りなくなって足を滑らせたのだ。


 それで骨折して、母に背負われたのである。母は遠く離れた街まで走り、ルファを医者に見せに行った。痛みを我慢していたこともあってルファは覚えてないが、風のように走る母親は三つの山をあっと言う間に超えてしまったらしい。


 思い出せば、今でも恥ずかしくなるような記憶である。


「仲の良い家族だったんだな。十七歳なんて、普通は反抗期だぞ。母親と山に行くのなんて嫌がるだろうに」


 シリエの言葉に、ルファの顔が引きつった。


 普通の母親相手ならば、反発することも出来たであろう。だが、熊を殴り殺す母親に反発するような勇気はルファにはなかったのだ。


「……一応は、母一人子一人だったからな」


 剣を元の場所に戻したルファは、料理の仕込みに戻ろうとした。すると今度は店の方から、声が聞こえてくる。馴染みの子供の声に、ルファはため息をついた。


「もうこんな時間か」


 ルファは急ぎ足で、一階にある店の方へと向かった。朝食の時間なのだろうかと考えたシリエは、ルファの後を追う。


 土鳩には、二人の子供がいた。一人は十代前半ぐらいの少女で、もう一人は十歳にもなっていない男児である。友人にしては少女と男児の歳が離れているので、姉弟なのかもしれないとシリエは考えた。


「おっさん、剣。剣の使い方を教えてくれ!」


 店主であるルファの姿を見た途端に、男児が騒ぎ出す。


「こら、騒がないって言うから連れてきたのよ。あんまりごねるとお母さんに言いつけるからね」


 少女の物言いから察するに、やはり二人は姉弟なのだろう。牛乳や卵を籠に入れて持ってきた少女は、重たくなっている荷物をルファに手渡す。


「これは、今日の分です。卵は二個多くなっているけど、それはオマケだってお母さんが言っていました」


 ルファは籠に入れられた食料を見て、にっこりと笑った。畜産を行っていないルファは、卵と牛乳に関しては知り合いに頼んで持ってきてもらっている。この二つは店で使う頻度も高く、確実に消費する食材でもあった。


「悪いな。昨日のパンと鹿肉の煮込みが残っているから、朝食代わりに食べていくか?」


 少女は顔を輝かせたが、男児の方は唇を尖らせる。


「メシよりも剣を教えてくれよ。今まで教えてくれていたじいちゃんは、ぎっくり腰になったんだ。この町で剣を持っているような人間なんて、あとはルファのおっさんぐらいじゃん」


 男児はふてくされているが、ルファは剣技など教える気はなかった。


 そもそも教えられるほどの腕前でもないし、教わった剣術に関しても母の我流だ。他人に見せたら恥をかくような動きであろう。そんなものを人に教えてはいけない。


「よかったら、私が少しだけ見てあげようか」


 シリエの提案に、ルファは困ったような顔をする。地元の子供の我儘に客を巻き込んで良いのだろうかと考えているのだろう。


「剣を落としてしまったお詫びだと思ってくれ。それに、剣を学んでおいて損なことはないぞ。町を守るために役に立つからな」


 男児はシリエの言葉に目を輝かせたが、背後に立っていた姉に頬を引っ張られた。


「これから、畑の手伝いがあるでしょう。いつもおじいちゃんの所に行ってサボっているんだから、今日ぐらいはちゃんと手伝いなさい!」


 姉に叱られた弟は、泣きながらも自宅に引きずられていく。なお、昨晩の残りはルファがお土産として姉弟二人に持たせた。


「少し踏み込みすぎてしまったかな」


 シリエは苦笑いする。


 剣を学びたいとせがむ男児の姿が、修道院にいた頃に面倒を見ていた子供たちに重なったのだ。だから、剣を教えるなんて口出しをしてしまった。


 あの男児には、悪いことをしたかもしれない。もしも、こっそりと自分の元に来るような事があれば剣を教えてあげようとシリエは考えていた。


「地元住民との交流なんて、そんなもんだ。それより、朝食を準備したから食べるといい。俺は、伯父さんと爬虫類のところに餌を持っていく」


 せっかくだから一緒に食べればいいのにとシリエは声をかけた。大人数での食事には馴れているし、そちらの方がシリエとしても気楽である。


 なにせ、泊り客はシリエ一人なのだ。このままでは、シリエ一人で朝食を取ることになってしまう。それは、少し寂しいものがあった。


「あの爬虫類は基本的に肉食で……生肉を食べるんだよ。見ていて気持ち良い光景じゃないから止めた方がいいぞ」


 ルファの言葉に、シリエは骨をかじっていたトカゲの姿を思い出していた。


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