第5話人を殺せない勇者失格
その日、シリエは土鳩に泊まることになった。
最初こそシリエは別の宿を取ると言っていたが、この町には民宿は一つしかない。そのため、選択肢はなかった。
「夜は飲み屋になるけど食事も出せる。今日は鹿肉の良いのが入ったから、煮込みを出してやるからな」
ルファは、慣れた様子で鹿の肉をさばいて鍋に入れる。
その鍋は、リーリシアが閉じ込められていた鍋だった。
リーリシアは、すでに外に出ていたとはいる。しかし、セクハラ爬虫類を煮込んでやるぞというルファの脅しのようにリシエには思えた。
「手慣れているというか……すごく美味い。肉類は滅多に食べないが、こんなに美味いものだったんだな。臭みとか全くないぞ」
塩とハーブで味付けされた鹿肉の煮込みは、シリエの想像以上の美味しさだった。珍しい食材や調味料を使っている訳でもないのに、不思議なぐらいに食べやすい。
「新鮮な肉と野菜。ついでに、肉の臭み抜きには手間暇をかけているんだ。ここらの人間は畑を持っているせいで野菜の味にもうるさいから、店の料理には俺が育てた原種に近い野菜を使っている。普通の野菜よりも味が濃くて調理法が面倒くさいが、金を取るには家庭の味以上のものを出すべきだからな」
田舎の寂れた店だから大したものは出ないと侮っていたリシエだが、ルファの言葉を聞いて恥ずかしくなった。金を取るからにはちゃんとしたものを出すというルファの信条は、まぎれもなくプロの料理人のものだ。
「この料理を目玉にしたら、きっと人が殺到するぞ。街や王都にだって、こんなに美味いものはない。支店は出さないのか?」
シリエの提案に、ルファは見るからに嫌な顔をした。
母がやっていたからという理由だけで継いだ店なので、忙しくするつもりはルファには全くないのだ。町の人間相手に、メニューも用意していないような店を営んでいるぐらいがちょうどいい。
「こいつに経営なんてさせてみろ。ズボラだから、三日で潰れるぞ」
リーリシアは、鹿の肉がこびりついた骨に噛み付いていた。犬のような扱いだが、本人は気にしていないようだ。
「人には、限度っていうもんがあるんだよ。俺は、それを超えないように生きているだけだ」
ルファは、夢中で煮込みを食べているリシエに目を向ける。
「肉は滅多に食べないとか言っていたが、もしかして修道院にでもいたのか?」
その言葉に、リシエの手は止まった。
「……親が幼い頃に亡くなったから、修道院で育てられた。剣の腕を磨いたのは王都だ。ここまで言えば、勇者の甥ならば分かるだろう?」
勇者候補だったのか、とルファは呟いた。
才能ある子供を集めて、勇者に育てる機関がある。幼いイアも王都に連れて行かれて、そこで剣などを学び勇者になったらしい。
ただし、育てられた子供全員が勇者になれるわけではない。勇者になるには厳しい訓練を受け、さらには弱い人間を助ける高潔な精神を養う必要がある。
だからこそ、脱落する者たちは大勢いた。勇者失格の烙印を押された子供たちは故郷に帰ったり、学んだ剣で護衛や用心棒になったりするらしい。
「勇者に向いていなかった私は、育ててもらった修道院に戻った。そこで子供たちの面倒を見たり、害獣駆除をやったりしていたんだ。つまりは、雑用係。けれども、私は修道院の勇者になったつもりでいたんだ。勇者の仕事だって、所詮は雑用だろ」
彼女は、皮肉気に笑う。
言い得て妙だが、事実だ。一般人は勇者と言えばモンスターを退治する勇ましい人間を想像するが、人間の生活圏を脅かすモンスターの出現は多くはない。出現してしまえば大きな被害はでるが、それでも熊や猪の害獣あるいは野盗の被害の方が多いのだ。
そのため勇者の仕事は、害獣の駆除を中心とした力仕事の手伝いなどが主な仕事になりがちだ。魔法を使えたイアの活躍の幅はそれよりも広かっただろうが、基本的な仕事は雑用だったに違いない。勇者の仕事に、華やかさはないのだ。
そんな勇者になれなかったシリエは、故郷の修道院に帰ることになった。そこで害獣駆除や子供たちの世話、建物の修理といったことをして過ごすことになる。
勇者になれなかったというのに、仕事内容だけは勇者に近い。ちょっとした皮肉のようにも思えたが、シリエには居心地が良かったらしい。
修道院は育った古巣であったし、育ててくれた修道女たちに恩返しまで出来る。これ以上に恵まれた環境はないと思っていた。
「でも、修道院は盗賊団に襲われたんだ。……私は、修道院の皆を守るべきだった。守る技術を学んだはずだったんだ」
いつのまにかシリエの頬に、涙が伝っていた。
零れ落ちた涙について、ルファとリーリシアは何も言わない。
「王都にいるときからだ。その頃から、私は人間に向かって剣を振るえなかった。木刀や練習用の剣ならば大丈夫なのに、真剣な殺し合いとなると震えて駄目になる」
勇者の役目には、盗賊などの討伐も含まれる。人に剣を向けられないなんて、勇者としては致命的な欠点であった。だからこそ、シリエは勇者失格と烙印を押されたのだ。
「大事な人を殺されたのに、私は……私は駄目だったんだ!戦えなかったんだよ。殺されてく修道院の人々に背を向けて、子供たちを逃がすためと言い訳をして一緒になって逃げたんだ!!」
シリエは、自分の両手を見つめる。
人を殺せない手は、大事な者すらも守れなかった。
役立たずの両手を切り落としてしまおうかとも悩んだが、住む場所をなくした子供たちの居場所を確保する仕事がシリエにはあった。自分を責める前にやるべきことをやらなければならないと考えたが、それすらも自分自身のための言い訳のような気がしてならない。
両手を失いたくないから、子供たちのためと言い訳をして罰を受けようともしない。自分の卑怯さと卑劣さが、シリエは心底嫌になった。
居場所を亡くした子供たちを養育してくれる施設に話をつけて、シリエは自分の役割を終わらせた。
自分はがらんどうになったとシリエは思った。中身を満たすものを全て失って、醜い外側の殻だけが無様に生き延びたいと願っている。そんなふうに思えたらしい。
そんなときにシリエが思い出したのは、亡くなった母が語っていた勇者イアのことだった。亡くなる直前までシリエの母は、勇者に助けてもらったことを誇っていた。勇者イアがいかに素晴らしいかを語っていた母は、彼にも甥がいると言っていたはずだ。
本当は、シリエだって勇者イアに憧れていた。彼のようになれると思って、剣の修行をしたのだ。けれども、出来上がったのは人を殺せない出来損ない。
「勇者イアは、生きていたとしても老人だ。でも、甥ならば……甥ならばまだ若い。勇者イアから勇気と知恵と力を譲り受けていたのならば、私に人の殺し方を教えてもらえないだろうか。私は人を殺せるようになって、人を守れる勇者をまた目指したいんだ」
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