未来から来た迷える麗子さん

黒崎アテル

第1話――出会い

「……はぁ」


 僕は、訳あって嫌々実家の車を運転している。


「このまま道なりに40キロです」という無慈悲な機械音声が響き渡る。アクセルを踏む力も、わずかに強くなって、ハンドルを握る握力はかなり強くなっているのがわかった。指の関節が痛い。ああ、自分は苛立っているんだな。と感じる。


 どうやら、僕は更に自分の想像以上に苛立っているようだ。誰も居ないのをいいことに、「動物でもなんでも出てこいや〜! 轢き殺してやる!」と、自分をサイコパスに見立て、厨二病めいた事を言ってしまう。そして、数秒後、誰にも見られていないのに顔が赤くなる。


 その時だった。年はどれぐらいだろうか。割と若い女が、目の前に飛び出してきた。白い服を着ていて、長い黒髪だったものだから、一瞬なにかの幽霊かと勘違いした。とっさに急ブレーキを踏む。ペダルが壊れそうなくらいに。車は彼女とおよそ1メートルを開けて止まった。さっき言ったことが、本当に起こり得るところだった。ドアを開けて叫ぶ。


「危ねえだろぉぉおおお!」


 普段なら人に叫ぶことはまずない。しかし、相手から飛び出してきたという絶対有利な立場を悪用して、記憶の中初めて怒鳴った。


 しかし、彼女は一向に動じない。まるでこの怒号が予想できたかのように。さらに、こちらに近寄ってきた。まずい。相手は関わってはいけないタイプだったか。しかし、それは違ったようだ。


「はぁ……飛び出してすみません! はぁ……事情は後で話すので乗せてくれませんか? はぁ……」


 やたら息切れているようだった。


 って! 彼女は勝手に後部座席のドアを開けて乗り込んできた。じゃあ乗っていいか聞いた意味は何だったんだよ。と思う。ただでさえ疲れているのに、こんなめんどくさいのに絡まれた。すぐにでも下ろしたいところだったが、彼女はすでにシートベルトを締めているし、ここで下ろしてもまた飛び出すかも知れない。流石にそれは危険だと感じたので、次に見つけたコンビニで下ろそうと思った。


「一体何の用だ! いきなり飛び出したと思ったら、今度は勝手に車に乗り込んできて!」


「はぁ……。まあ……落ち着いてください。まずは。はぁ……私の話を聞いてください」


「君こそ落ち着け。息切れしているのは聞き苦しい」


「すっ、すみません。はぁ……。あ、それもらっていいですか?」


 そう言って、彼女はドリンクホルダーにあったペットボトルの水に指を指した。確かに水でも飲めば落ち着くかも知れない。


「飲みかけだけ……」


 そこまで言いかけた時、彼女は既にキャップを開けて垂直に飲んでいた。


「んぐっ……んぐっ……。ぷは……」


 よくそんな勢いよく飲めるな……。じゃなくて、間接キスだ……。


 ああ、こんな事に気を取られてしまう自分が情けない。


 でも、確かに彼女はバックミラーで見るに、間接キスをされてドキッとするぐらいには美人だ。というか、普通に可愛い。前髪は眉のところで揃えられていて、目はぱっちりと大きい。


「……お水ありがとうございました。で、私の話聞いてくれますか?」


「わ、わかった。聞くよ。でもそれなりの理由があるんだろうな」


「わっ、私、気づいたら突然こんなところに居て……そ、それで、何もかも全然わかんなくて……」


 彼女はせっかく落ち着いたところを、また急に忙しくなって、早口でまくし立ててきた。


「結論だけ聞きたい。君は、どうしてここに?」


 彼女の話をそのまま聞いて解釈するのは心が折れそうだ。だから、向こうから質問に答えてもらう。


「すぅ……。気づいたらここにいました」


 彼女は息を深く吸って言った。気づいたらここに居たなんて、疑問だらけだが、別に問い詰めてもそれ以上のことは出てこないだろう。先程の様子を見るに、彼女が一番慌てているようだ。


「気づいたらここにって、それまでどこにいたの?」


「最後に起きてたのは、京都駅のあたりです。確か、時刻は七時一五分頃で、嵯峨野線に乗った後はすぐ眠ってしまいました」


「よく覚えてるな……。じゃなくて、電車に乗ってたってこと?」


「はい……。で、気づいたらここに。というか、正確には、気づいたら知らない駅に居て、怖くなって、人のいるところに出ようとしたら、ここに」


「……なるほど。……ってそれ、普通に寝過ごしただけじゃないのか?」


「そ、それはありません! 私はいつも嵯峨野線を使ってるんですが、あんな山奥に駅なんてありません」


「そうか……」


 謎が謎を呼ぶ。僕の一言を最後に、しばらく沈黙が続いた。そして、その沈黙は以外な形で彼女によって破られた。


「にしても、随分古い車乗ってますね」


「はい?」


 僕の乗っている車は、確かに十年ほど前の車だ。ただ、彼女はどこを見て「ずいぶん古い」などと言っているのだろう。別にクラシックカーのような見た目でもないのに。


「だって、それ、確か……二〇〇九年発売のやつじゃないですか」


「よくそんなこと知ってるな。ってか、そんなに古い?」


「古いですよ十分古い」


「どこが? まだ十年ちょっとしか立ってないけど?」


「え? 何を言ってるんですか? えっと……三十四年前の型じゃないですか」


「一体どういう計算をしたらそうなるんだよ」


「だって、今は二〇四三年で、そこから二〇〇九を引けば三十四になるじゃないですか」


「今は二〇四三年だって? からかってるなら下ろすぞ。いまは二〇二三年だ」


「か、からかってません! それに、疑いたいのは私の方です! あなたこそなんですか! 二〇二三年って……」


 彼女はまた興奮してきた。また変なことを言い出した。今が二〇四三年だと。普通に考えて、まず、ありえない。しかし、そのありえなさが、僕の好奇心を掻き立てる。どんな言い訳をするのか、聞いてやろうじゃないか。


「さあ、どんな言い訳を聞かせてくれるんだい?」


「言い訳って……」


 彼女は呆れたとも、絶望したとも言える目をした。目はかすかに潤んでいる。


 その、彼女の表情を見て、ふと思った。もし自分が彼女の立場だったらどうだろう。と。仮にでも、だ。自分は突然知らない場所に飛ばされて、藁にもすがる思いで車に乗り込む。しかし、いたずらだと思われ叱られ、過去に飛ばされたとも知る。そして、挙句の果てに過去に来てしまったことすら信じてもらえない。


「私があなたを騙すメリットってありますか?」


 鼻声で彼女は言う。そのセリフが追い打ちをかけた。確かに。僕も彼女に片っ端から怒りをぶつけている、半ば八つ当たりのような状態だった。普段の自分なら、もう少し早く冷静になれていたかもしれない。


「ごめん。君の立場を想像したら、少しは信じたくなったよ」


 清々しいほどの、掌返しだった。


「それはよかったです」


 それでも、彼女は怒らなかった。彼女は、ずずっ、と鼻をすすって、再び落ち着きを取り戻した。自分なら、なにか反論しているのに。


「すみませんが、一応お名前は……」


「あ、航一こういち常磐航一ときわこういち。そういえば君は?」


「お、大橋麗子おおはしれいこです」


「これで他人じゃなくなりましたねっ」


 なんとも強引……。まあ、名前も知らないという状態よりはマシだが。


「あれ? そういえば私航一さんにあったことある気がします」


「君の話じゃ、君は未来から来たわけだろう? ありえない」


「それもそうですね……。確かに、航一さんって、どこにでもいそうな顔してますもんね!」


「おい……」


 僕は苦い笑みを浮かべる。どうやら、麗子は思ったことをすぐ口にするタイプのようだ。

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