リーガルリリー『リッケンバッカー』――2

 サークル活動が完全に終わって、私は髪色を変えた。ずっとブリーチしていた髪を真っ黒にした。カラー剤の黒は色が深すぎて、そこだけ墨でべたっと塗ったみたいだった。

 黒くして、きっちり前髪を分けた髪。いつもはしない茶色ばかりの地味なメイク。入学式で着て以来放置していたスーツ。社会適合的な笑顔。

 履歴書に貼る証明写真は、いかにも嘘くさかった。

 さよならアイデンティティーよ。

 大学時代、私が大切にしてきたこと全ては、この履歴書から取りこぼされる。

 三年生、冬。いい加減就活を始めなければいけない。全く乗り気ではなかったけれど、やらないわけにもいかない。

 母は「せっかく大学行ったんだから頑張りなさい」と私をせっついてくる。周りの子も、院進以外の子は軒並み就職だ。有紗に至っては、十月に内々定をもらっている。さすがだ。

 みんながするから。受験と同じで、就職の動機もその程度だった。まさか母のすねをかじるわけにはいかないし、大人としてとりあえず自立はしたい。そうすると派遣社員やバイトでは不安定だし、やっぱり正規雇用が望ましい。だけど、コロナ禍による不況のあおりはまだ続いていて、どこの企業も、公務員さえ採用人数を絞っているらしい。厳しい就活戦線になるのは目に見えている。

 その上私には、やりたいことがない。希望する業界も職種もない。大学時代に力を入れたこと。サークル? それだって、リーダーシップをとる時期には軒並みコロナウイルスという巨人に潰されて、輝かしいエピソードは何一つない。学業だってそれなりに頑張ったつもりだけど、やらされているからやっているだけだし、人事からは「学生が勉強をするのは当たり前」と、「もっと他にないの?」と訊かれるのが関の山、らしい。バイトだって、お金を稼ぐために必要だから行っていただけで、特にリキを入れて頑張ったわけではない。

 留学もインターンシップもしていない。何か目を引く業績があるわけでもない。人生を賭けたい夢だってない。有紗みたいに英語が得意なわけでもない。コミュニケーション力? むしろ苦手とするところだ。

 履歴書の空欄は、いつまで経っても埋まりそうにない。

 聞きかじった就活メゾットとやらにのっとって、とりあえず自己分析なるものをしてみた。悪い所ばかり目に留まった。自信もなければ、意志もない。向いている仕事がなんなのか、自分はどんな人間なのか、目の前に書かれた言葉を見ても釈然としない。自分というものは近すぎて、うまく説明することができない。自分の中身に向き合い続けるのは、苦しい。

『あなたを一言で表すと?』

 凡庸、しか浮かばない。けど、そんなことを書くわけにはいかない。

『あなたの長所は?』

 短所なら、いっぱい浮かぶのに。

 私がどんな人間か、なんて、私が一番聞きたい。

 私は就活に向いていない。やる前から薄々感づいてはいたけれど、いざ始めて見ると確信に変わった。仕事に生きがいを見出すキラキラした社会人なんて、私にはなれない。

 向いていないなりに、何もわからないなりに、一生懸命手探りでやってはみるけれど、鳴かず飛ばずだった。手書きで何枚も書きなおしたエントリーシートすらほとんど通らない。勝率は二割程度だ。

 ただ、書類審査に通ってしまえば、SPIや適性検査は、ちょっとだけ勉強をすれば、さほど苦労することなく通過できた。ペーパーテストだけで乗り切ってきた人生だ。ただ、次に現れる面接が、最大の難関だった。

 面接は苦手だった。事前に用意しておいた答えを反復することはできても、深くつっこまれたり、予想外の質問をされると、咄嗟に答えることが難しかった。緊張と焦りで頭が真っ白になって、浮かんできた言葉をしどろもどろ話しながら、自分が今何を言っているのか、わからなくなることばかりだった。たまに集団面接になると、周りのギラギラした前のめりな雰囲気が怖くて、なおさらうまく言葉がでてこなかった。

「雑誌編集部希望とありますが、弊社の雑誌は普段何を読まれていますか?」

 雑誌なんて普段読まない。けど、読んでません、とは言えず、適当にメジャーな名前を挙げる。それが墓穴を掘った。

「では、今月号の特集で印象に残ったものはありますか?」

 読んでいないのだから、答えられるわけがない。

「……すみません、ちょっと思い出せなくて」

「そうですか」

 あっさりと流されたが、落ちたな、とこの瞬間確信した。

 予想通り、その企業の選考には通らず、今後のご活躍をますますお祈り申し上げられた。

 三月。就活解禁。とはいえ建前だけで、とっくに選考は始まっている。選考はますます本格的になり、起きている時間のほとんどが、手書きの履歴書を書いたり面接対策をしたりする時間に変わる。件の失敗があってから、受ける予定のところの商品は、最低でも一度は目を通すようになった。そうなると当然、手間は増えるし、お金は減る。

 苦労の甲斐あってか、一度、最終面接まで行ったところはあったけれど、「彼氏いるの?」「出産はいつごろしたい?」とセクハラめいた質問をされ、苦笑いをしていたら、またもお祈りのメールが来た。

 選考に落ちるたびに、自分は価値のない人間だと言われている気がした。

 就活市場では、商品価値こそがその人の価値だ。お金になるかどうか。利益をもたらせるかどうか。全てはそこに結び付けられ、品定めをされる。陳列棚から、より優れた商品を選び取るように。

「文学部? 仕事で何の役に立つの?」

「小説なんかより、もっとちゃんとした本読んだ方がいいよ。ビジネス書とか」

 人事にそう言われた時は、引きつった笑顔でかわし、面接が終わった後、枕を壁に投げつけた。うっせえわ。

 お酒と煙草が増えた。飲みすぎて二日酔いになりながら面接をしたこともあった。その時も化粧で顔色を誤魔化し、無理に笑顔をつくった。どこかのサイトに書いてあった。

『面接中は常に笑顔でハキハキと! !』

 商品価値のない人間と同じく、暗い人間にも、どうやら価値がないらしかった。

 就活。人生の全てが、就職のために還元される儀式。みんなが、働くためだけに生きているふりをする。喜んで企業の手足に、奴隷になれる人間を演じる。欺瞞、という言葉が一度浮かぶと、頭から離れなくなった。

 四年生の五月。出していたところに全部落ちて、ついに手札がゼロになってしまった。かろうじて魅力を感じ、行きたいと思っていたところですらこの結果だった。それでも足を止めるわけにはいかない。

 この頃になると、有紗みたいに早期選考を受けた子以外にも、内定を取れた子が多数派だった。サークルのみんなで集まる機会があっても、話題は自ずと進路の話になる。就活が上手くいかないと愚痴っても、「まだまだ時間はあるから」と気を遣われる。のんちゃんから腫れ物に触るように扱われるのも、有紗から「キツいだろうけど、自分のために頑張らなきゃね」と正論を言われるのも、つらい。

 出口はどこにあるのだろう。みんなが光を見つけていく中で、自分だけが手探りで暗闇を歩いている。

 私は、なんのために生きているんだっけ。

 どこでもいい。どこか、私を拾ってください。与えられた仕事はなんでもするから。

 必死の祈りは、どこにも届かない。企業からのお祈りメールだけが、メールボックスに降り積もっていく。


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