The Tragedy of Coriolanus

第252話 Play a role of coda

美しい指揮棒に誘われ、オーケストラは音を奏でる。


携帯電話の小さな画面の中で、偉大なる「魔術師」は権威あるフィルーモニーで「共にあることの偉大さ」を現す音色を操っていた。


貪欲で独善的、金の亡者と批判され、更に青年期に得たものを否定された「指揮者」。

その「彼」のタクトは紡ぐ。


偉大なる「楽聖」が、その耳が聞こえなくなってから作り上げた、題名のない最期の交響曲、その「最終楽章」。


交響曲発表当時、多くの演奏において、ソナタからスケルツォそして緩徐楽章と移り変わり、そしてここで演奏が止まった「未完成」だったSinfonie Nr. 9 d-moll op. 125。


その忘れ去られた第4楽章「Hymne à la liberté」。


4人の独唱と混声合唱が入る「合唱付き」で、己の心の声しか聞こえなくなっていた「楽聖」は高らかに、叫ぶ。


「そんなことが言いたい訳ではない!!」


急転直下に変わる「主題」。

交響曲に人の「声」を混ぜ込んだ「初めての詩」は、様々な人が歌い継ぐ「自由讃歌」。


発掘されなければ、忘れ去られていた「音楽」は、今や「共生」の代名詞になった。


全ての人がロボットのように口を開けて謳う、自由と結束。


しかし、この第4楽章を「再発見」した楽劇王の作品は「約束の地」において、いまだに「放送禁止」。そして、映像内で美しく第4楽章を構築するマエストロも「非寛容」の対象にあった。


なあ、人のいう「自由」とは「共生」とは、いかに愚かしいと思わないか?


誰が言おうと、何を言おうと、どう受け止めようと、反発しようと、それは「受け取り手の自由」でしかない。


そのひとつが有ろうが、無かろうが、在ったとしても、その美しさが「毀損」されるわけではないのに。


一方通行な電車で東に向かいながら、偉大なる指揮者がこの世界を去る3年前、1986年の記録を聞いている。

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