とある男爵令嬢が騎士を目指すまで

槙村まき

本編


 スカーニャ帝国が北部。ローレンス男爵家の長子として産まれたアリシアは、両親から可愛がられて育った。

 特に父であるローレンス男爵が娘を目に入れても痛くないとばかりに可愛がっていたが、熊かと見まがうほどの大柄な体と髭面が災いして、娘からは嫌がられていた。ことあるごとにジョリジョリと髭面で頬を擦り付けるのが嫌われる原因だったのだけれど。


 アリシアはお姫様のように育てられた。両親から着せ替え人形のように着せられたフリフリの服が好きだったし、誕生日にもらった熊のお人形は宝物だ。

 甘いものが好きで肉よりもお菓子ばかり食べるアリシアを、男爵は「筋肉がつかないんじゃないか?」と心配しすぎて妻に呆れられていた。


 ローレンス男爵家は代々騎士の家系だ。現ローレンス男爵も元は騎士で、北部の領主でもあるランデンス大公率いる【青蘭騎士団】に入団するほどの凄腕の騎士だった。

 魔法の類はほとんど使えないものの、その腕力や肉体をもってして、敵を圧倒してきた。

 そんな男爵からすると、細い腕に小柄な娘は、氷細工のように儚い存在に見えたのだろう。たくさん肉を食べさせないと。そう考えれば考えるほど、男爵の愛情は空回りして娘から嫌われる原因になるということを知らずに。



 そんなアリシアに最初の転機が訪れたのは、七歳になった時だ。

 父からローレンス男爵領の隣の領主であり戦友でもある、クロッカー伯爵の息子を紹介された。


 エリック・クロッカー。

 燃えるような赤い髪に赤い瞳の、五歳の少年。いや、子供。


「私はアリシア。よろしくね」


 自分の方が年上だし、姉として面倒を見てあげなければ、そう決意してアリシアは挨拶をした。

 どこかつまらなそうに見えたので、一緒に遊んであげようとも考えていた。


 だけどエリックは、アリシアを見てフンと鼻を鳴らした。


「弱そうな女だな」


 差し出した手を握ることなく放たれた言葉に、アリシアの頭の中でプツンと何かが切れた。


 ローレンス男爵家は、代々騎士の家系である。父も、祖父も、曾祖父も騎士だった。

 だけどほんの少し、堪忍袋の緒が他の人よりも短いのが悩みでもあった。

 つまり、少しだけ怒りぽいのである。


(弱そう? 熊から生まれたこの私が?)


 というか目の前のガキんちょ――いや、子供はアリシアよりも小柄だ。

 貴族の息子としての教養もないのか、礼儀作法もまともにできず、アリシアと目も合わせないし挨拶もしてくれない。


 そんな相手より、私は弱いのか? アリシアはそう思い、応接間の壁に飾られている模造刀を抜くとそれをエリックに向けようとして、そのまま剣の先を地面に落とした。

 アリシアの筋力では、模造刀が重すぎたのである。

 思わず柄から手を放すと、近づいてきたエリックがその剣を軽々と持ち上げて笑った。


「ほら、弱いじゃん」


 クロッカー伯爵にゲンコツを食らいながらも、エリックは態度を改めることはなかった。

 アリシアはそれに怒りを覚えたが、熊の娘として、ぐっと堪えた。そして熊――ではなくローレンス男爵は、アリシアの行動にオロオロしているのを妻に窘められていた。


 アリシアは敗北した。

 でもこの一連の事件が、彼女の心に一生消えることのない火をつけた。




 それからアリシアはフリフリのドレスを脱ぎ捨てて、スカートではなくズボンを履くようになった。好きなお菓子を封印し、いままで食わず嫌いだった肉や魚、野菜などもよく食べるようになった。


 剣の鍛錬を父に請うた。

 父は最初こそ渋ったものの、アリシアの真剣なまなざしを見て心を突き動かされ、アリシアに剣を教えるようになる。

 といっても最初の一年は剣に触ることは許されず、体力と筋力のトレーニングばかりだのだが。

 文句も言わずにそれらをやり遂げ、アリシアはついに剣を持つことが叶った。


 あの時あんなに重かった模造刀がとても軽く感じる。

 それはエリックとの顔合わせから、一年後のこと。


 一年ぶりに会ったエリックは、相変わらずアリシアよりも身長が小さかった。


「久しぶりね、エリック」

「誰、アンタ?」


 アリシアは男の様な身なりをしている。ドレスはもう長い間まともに着ていない。おろしていた水色の髪も、ひとつにまとめて結んでいる。

 だからわからないのは無理もないだろう。

 エリックは、クロッカー伯爵からのゲンコツで痛む頭を押さえながらも、一年前にはできていなかった挨拶を渋々とすませた。


「エリック、私と勝負して」

「は?」


 アリシアはすかさずエリックに勝負を求めた。

 エリックはめんどうそうにも、それに答えてくれた。


 勝負はエリックが勝った。


「なんで」


 打ち合い一発目で剣を飛ばされ、足を引っかけられたアリシアは、地面に寝っ転がり天を仰いでいた。眩しい光に目を細めるアリシアは知らなかったのだが、エリックは三歳の頃から剣を握り、毎日振り回してきたのだ。剣を手にして数日足らずのアリシアに勝てるわけがない。


 それからアリシアは、前よりものめり込んで剣の鍛錬をするようになった。

 朝も昼も夜も、雨の日も風の日も。涼しい春に温かい夏、ちょっと寒い秋に凍りつくほど寒い北部の冬を乗り越えて、毎日毎日剣を振り回すアリシアに、父は騎士になる前の自分を重ねていた。より稽古に熱が入った。


 それから毎年のようにアリシアはエリックに挑んだ。

 一度も勝てないまま何年も過ぎ、アリシアは十五歳になった。


 いつの間にか身長差は反転していた。いままで見下ろしていたはずのエリックを見上げるようになったのはいつのことだっただろうか。


 今年は趣向を変えて、エリックに挑むことにした。


「魔物狩りで勝負をするぞ」

「は? 魔物? 正気か?」


 エリックが言うのも無理はない。スカーニャ帝国の北部は魔物が多い上に、魔物たちとても強い。騎士の叙勲も受けていない、動物すら狩ったことのないアリシアたちではとてもではないけれど勝てる見込みがあるわけではない。


 それはアリシアもわかっていることだ。だけどこの時のアリシアは意地になっていた。七歳の頃からずっとエリックと競ってきたけれど、一度も剣で勝てたことがない。

 打ち合いだと勝てないのか? そう思ったアリシアは最近男爵領の裏山に魔物が出ることに困っている村人の話を思い出したのだ。


 だったらその魔物を先に狩ったほうが今回の勝ちにしよう

 エリックは渋々だったけれど、頷いてくれた。


 アリシアは少し焦っていたのだ。

 どんどんエリックは成長して、身長もアリシアより高くなっている。魔法の使えないアリシアと違ってエリックは火の魔法が使えるし、二人の実力差は埋まることなく、どんどんどんどん、どんどん開いていく。


 焦ってしまい、今回は間違った選択をしてしまった。



 ――それに気づいたのが魔物に襲われそうになったアリシアを庇い、腕から血を垂らしながら横たわるエリックを見た時だった。


 炎の魔法で追いやったものの、魔物は距離を空けてまだアリシアたちを見定めている。

 その鋭い瞳に足がすくみ、動くことも、声を出すこともできなかった。


「……アリシア、逃げろ」


 エリックの言葉に我に返る。


「できない。……それはできない。おまえが、死んでしまう」

「……俺は、そう簡単に死なねーよ。それよりも、はやくローレンス卿を呼んできてくれ」

「で、でも」

「いいから早くしろ!」


 エリックの大声に突き動かされるように、アリシアの足は動いた。

 だけどそれは逃げるためではない。魔物に向かって一歩足を踏みしめる。


「アリシア!」

「おまえを、ひとり残していくわけにはいかないんだ……!」


 魔物は血の臭いに敏感だ。このままだとエリックは確実に助からない。

 どうにかしなくては。どうすればここから二人で逃げ出せるのだろうか。


 剣を構える。こっちを睨むあの魔物だけでも、殺さないと。

 魔物が動くのと、アリシアが動くのは同時だった。


 向かってきた魔物に向かって剣を突き刺す。腕を掠めるだけで、その爪はアリシアに迫っていた。

 まさしくこれだ。これに、エリックはやられた。


「アリシアー!!」


 エリックの声がやけに遠くに聞こえる。

 魔物の爪を寸前で避けて、よろめいて倒れそうになる前に踏みとどまる。剣を右から左手に持ち帰ると、その勢いのまま魔物の胴体を斬った。


 血が降りかかってくる。背中から地面に倒れたアリシアのお腹の上に、魔物の死体が乗っかった。

 魔物が動く気配はない。


 ――たす、かった……。


「アリシア!」


 エリックの悲痛な叫び越えとともに、また新たな魔物が姿を現す。

 身動きが取れずに呆然としていると、アリシアに向かってきていた魔物が半分に避けた。

 いや、剣で斬られたのだ。


 体の上の魔物がどかされて、アリシアはいつの間に誰かの胸の抱えられていた。

 首だけで振り返ると、熊のような大柄な男――アリシアの父だった。


「お父様……」

「説教は後でするとして……。娘は見つかった! 子供たちを連れて帰るぞ!」


 父の号令に、数人の兵士が返事をする。

 どうやらアリシアたちが森に行ったことを知って、助けに来てくれたみたいだ。



 エリックは腕が大きく引っかかれていたものの、大事には至らなかったらしい。回復魔法士に傷を治してもらったので、後遺症もないようだ。

 

 傷が回復すると、ローレンス男爵夫婦から二人は怒られた。

 子供たちで森に行ってはいけないと。今回はたまたま魔物を倒すことができたからよかったものの、手遅れになっていたらどうするんだ、と。

 両親にこんなに怒られたのは初めてのことだった。


「ごめんなさい。もうしません」


 目の奥が熱くて、涙が止まらなかった。

 悪いのはアリシアだ。アリシアが誘ったから、エリックは大けがを負ったのだ。


「エリック、すまなかった」

「謝るんじゃねぇよ。俺は自分の意思でついて行ったんだからな」

「でも」

「ったく。泣き虫で、相変わらず……弱い女」


 頭の奥で何かが切れる音がした。


「エリック、おまえもう傷は治っているんだろう?」

「あ、ああ、そうだけど」

「庭に出て、剣を構えろ。相手をしてやる」

「は? 別に俺はそんなこと望んじゃ……」

「ならいますぐここで斬られたいのか?」


 鋭い目でエリックをにらむと、彼は少し戸惑いながらも、自分の剣を持つと立ち上がった。


「負けて泣いても知らねーぞ」

「望むところだ。今度こそ勝つからな!」

「はいはい」




 それから数カ月後、アリシアはある決心をする。


「エリック。私、騎士になろうと思っているんだ」

「は? 騎士?」

「ああ。ローレンス家は騎士の家系だ。だけどローレンス家の子供は、私と妹の娘二人だけだ。代々騎士としての誇りを保ってきたのに、それをここで絶やすのはもったいないだろう?」

「そうだけど、女が騎士になれるのか?」

「騎士になるのに性別は必要なのか? ……調べたら、過去に女性の騎士は何人かいるらしいんだ」

「……」

「先日お父様が嘆いていたんだ」


 酒に酔った父親が、「俺の代で騎士は終わりだ。こんちくしょー」と言っていたのを偶然聞いてしまった。


 それから考えた。

 幼い頃から、エリックに勝つことばかり考えて剣を握ってきた。

 もうドレスなんて何年も着ていないし、社交界に出ていないから流行なんて知らない。貴族の令嬢としての道から逸れた生活をしてきた自覚はある。

 あの頃好きだったフリフリの服はもう興味ないし、剣を振ることしか興味が湧かない。


 だったら騎士になろう。

 護りたいものを護れる、騎士になりたい。 

 

「ふぅーん。いいんじゃねぇ?」


 興味がなさそうなエリックの言葉。

 それがなんだか少し、嬉しかった。



    ◆◆◆



 余談なのだけれど、エリックは物心ついたときから騎士を目指していた。

 父であるクロッカー伯爵から聞かされたとある熊のような大柄な騎士の夢物語に憧れがあったからだ。


 その熊のような大柄な騎士は、迫る敵をぎったんばたん斬り捨てて、背後に屍の山を築き上げた。

 その覇気だけで雑魚の群れを圧倒をすれば、自分よりも大きな魔物にひるむことなく向かって行く。

 

 そんな騎士になりたいと、エリックは思っていた。

 だからその熊のような大柄な騎士――ローレンス卿に会えると言われて向かった先で、兎みたいに小柄な少女を紹介されたとき、エリックは失望した。


 憧れの騎士の娘がこんなに弱っちいなんて。

 父からは騎士になったら護ってやるんだぞーとかいわれたが、かよわい姫なんて願い下げだ。

 将来は婚約するんだからとかも言っていたけれど、そんなの知ったことか。


 それなのにローレンス卿の娘、アリシアはなにかとエリックに突っかかってくるようになった。

 お姫様のような格好をやめて男っぽい格好をしているのを見た時は少し残念に思ったけれど、それでも彼女の針のように突き刺してくるその鋭い瞳は、憧れの騎士に似ていて好ましいものがあった。


 だからそんなアリシアが騎士になりたいと口にした時、エリックは内心喜んでいた。彼女の夢を応援したいという気持ちがあったからだ。


(だけど護りたいものを護れる騎士か――。それで死んだら、元も子もねぇよな)


 アリシアが魔物に襲われそうになった時、エリックの体は咄嗟に動いていた。

 彼女を護りたい、そういう思いがあったのかはわからないが、腕を引裂かれてもエリックは彼女の命を優先していた。


 それなのに彼女はエリックを見捨てるどころか、エリックを護るために魔物に立ち向かった。その後ろ姿はまるで大柄な熊の様で――。

 なんだか胸が熱くなったのを憶えている。


(俺も、なれるかな。護りたいものを護れる騎士に――。あいつは、無茶ばかりしそうだからな)


 まあ、婚約の話はうやむやになったままだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

とある男爵令嬢が騎士を目指すまで 槙村まき @maki-shimotuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ