愛の無い結婚の常套句には、倍にしたざまぁを返します

黒須 夜雨子

第1話 アシュリー

「私には愛する人がいるので、君を愛することはない。」


最近流行している、離婚をめぐる小説の書き出しと同じ内容を言われ、アシュリーは今日が初対面なはずの婚約者に向けていた微笑みを全て消し去った。


真顔になったアシュリーに気づいていないのか、それとも気にしていないのか、先日婚約者になったばかりのバックリース男爵令息はお茶を一息に飲みほしたかと思えば、近くの侍女にお代わりを淹れるのが遅いとケチをつけている。お前の家は東洋のワンコソバ形式で茶が出るのか。


「それは、婚約を解消したいということでしょうか?」


それなら来る前に言ってくれたら会う時間を作る必要もなかったのにと、溜息を落としたくなるのを我慢しながら問いかければ、男爵令息は苛立たし気に舌打ちをした後に口を開く。


「不本意ではあるが、君と結婚するのを止めるつもりはない」


そりゃ男爵家にお金がないから売りに出されたんですもんね、とは口にしないでおいたアシュリーだが、頭の中にあるのは今すぐ家から叩き出すか、それとも両親を呼んで一文一句違えず同じことを言ってもらうかの二択しかない。


まあ、どちらも婚約破棄を前提でしかないのだが。




「ではバックリース男爵令息はどうされたいのですか」


ここまでくると残念な回答しか返ってこないとわかっているが、目の前の男がとてつもなく女が好きなクズなのか、果てしなく馬鹿なのかの判断材料は必要だ。


前者は聞き分けがよくて上手に立ち回れるかが大切であるし、後者ならばアシュリーでも上手に扱えるかどうかにある。


条件さえ満たすのならば、これを婿に迎えるくらいの寛容が必要だとアシュリーは自分に言い聞かせる。


どちらであっても手が余るのならば、婚約破棄一択だ。


「君とは仕方なく結婚するが、私は愛する人と暮らすつもりだ」


「そうですか。では、別宅で囲われるということで」


アシュリーが言えば、男爵令息は再び舌打ちをする。


「何を言う。結婚したらこの家で暮らすに決まっているだろう」


何が決まっているだ。どうやら目の前の男は後者であったらしい。つまり馬鹿だ。


「私は愛人と一緒に暮らす趣味はありませんし、許すつもりもありません。


愛する方と過ごしたいのでしたら、ご自身で家を用意してあげてください」


それと、と一応確認はしておく。


「私と子作りはされるのかしら?」


再び舌打ち。これで2回目だとカウントして、舌打ちした回数分だけ後で仕返ししようと考える。


この時点でアシュリーは目の前の愚か者が、害虫のようにしか思えなくなっていた。




アシュリー・バーラントは大きな商会の一人娘だ。


王家御用達のような大層な商いはしていないが、爵位を持ったお客様もいて、これから先の伸び代があると投資してくれるご贔屓だっている。


だから平民ではあるが、領地を持たない名ばかりの男爵や子爵よりもずっと良い生活を送っているといえるだろう。


王都に立派な屋敷もあるし、従業員とは別にいる使用人は30人を越え、アシュリーのためだけの侍女だっている。


けれど一人娘だからと蝶よ花よと育てられたわけではない。


父に付いて経営を学ぶ傍ら、家庭教師を招いて貴族の作法を学ぶ。


商品を目利きするために、その目を養うために美術館や画廊を巡り、本を読み、音楽を鑑賞する。


少女の頃から商いできるものを見出して、自身で流通を探してきたりもした。


全てがバーラント商会を発展させるための経験と教養を得るため。時間がどれだけあったも足りやしない。


アシュリーの両親も可愛い娘と商会のために、貴族への繋がりがもう少しほしい。バックリース男爵家は傾きかけている家の援助がほしい。


だからこその政略結婚だった。




現当主のバックリース男爵は賭け事に興じたり、愛人を囲って金を貢いでいるというわけではない。


国のために働いた褒賞として、何代か前に男爵位を与えられたのを手放さずに守り、ひたすら王宮の片隅でお金の出入りを管理する経理を任された、誰もが同じ評価をするほどの堅実な人物だ。


貰った嫁が少々金遣いが荒いというのが家の傾く原因だったが、それを何とかできなかったのは男爵の問題だろう。家の管理もしっかりしていたらこんなことにならなかったはずだ。


結果として没落寸前でも貴族という立場を利用し、末っ子を放出して金を得ようとしたのはどこにでもある話。


そして売りに出したものが不良品なのも、たまには起きることでもある。


どんな商品にだって粗悪品が混じることがあるのは、商人の端くれとしてアシュリーとて知っていること。


だからといって、知ってか知らずかを問わず、不良品を買わされた客が許すはずもないのは当然でもあるのだが。




男爵家に初めて婚約の話を伺いに行ったとき、同席していた害虫の兄達は愚鈍であるものの謙虚で常識的だった。


婿に迎えるのならば立場をわきまえた彼らが良かったと思ったが、売却済だったのだからどうしようもない。


そう思うぐらいには政略結婚だというのに、どうして目の前の男ばかりが被害者面をしているのかわからない。別にアシュリーが願っているわけでもないのに。


どうせなら同じ価値観を持つ優秀な伴侶の方がよかった。


貴族という一点だけで選ばれたというのに、何を思い上がった態度でいるのか。


見た目は明るい金髪や翠玉の瞳と貴族然としているが、お茶会だからと出したお菓子をひたすら食べ続けている姿は減点だ。


お菓子のクズをテーブルクロスにこぼしているのは、貴族や平民など関係なく裕福層としての育ちを疑ってしまう。


あまつさえ愛人にあげるから焼き菓子を包むように言っている時点で、アシュリーの評価は地面スレスレ低飛行から深海まで到達していた。言われた侍女も顔を引き攣らせ、主であるアシュリーに救いを求めている。


小さく頷けば、侍女の一人がいくつか取り分けて持ち帰れるように準備するため部屋を出ていったのは、冒頭の決まり文句を言う少し前だった。




話を戻そう。




アシュリーの質問に顔を歪めたバックリース男爵令息が口を開く。


「君と子どもを?


ありえないな。グレイスを差し置いて平民如きとの夜伽をさせようとするなんて、君は不貞まで強要するのか」


不貞の意味を辞書で引かせたい。


信じられないといった顔をする男爵令息に盛大なブーメランが刺さる幻覚を見た気がするが、婚約者がいるのに堂々と不貞を披露した挙句に結婚しても愛人を優先することの不誠実さを、どうして理解できないのか。やっぱり馬鹿なのだろう。


「でしたら、やはり婚約は解消となりますね。


商会の後を継ぐ者が必要ですから」


よし、これで婚約破棄にするかと思ったが、さらに男爵令息が重ねてきた言葉に、今度はアシュリーが信じられないものを見た顔になった。


「問題無い。商会は私とグレイスの子が継ぐのだから」




この瞬間、アシュリーの胸の内は決まった。


こいつらには離婚を題材にした物語と同じように、盛大な「ざまぁ」とやらを仕掛けようと。


そして自分は幸せになるのだと。




婚約者を見送ってからのアシュリーの行動は早かった。


両親にお茶会での詳細を話して承諾を得、そのうえで婚約者の知らぬところで愚息売却誓約書自体の変更を男爵に迫った。


援助金の継続をダシにして婚姻を前提としない婚約は一年の期間限定とし、もし婚約者がバーラント商会に協力的であれば援助金は続けることとした。


援助の完了は婚約者が自身の立場を不服として、非協力的もしくはアシュリーの害となる行動をとった場合。


バーラント家側からの条件がいくつも追加される。


代わりに婚約期間の援助金は返済不要とし、援助金の返済は半分を婚約者が担うこととして、以降の援助金も利子は取らないことにする。


あの愚鈍な婚約者に言うか言わないかは男爵家の好きにすればいいと放置したが、「お貴族様でも懐具合が寂しいのはどうしようもないですから、可愛いご子息に本当のことを言って相談するといい。きっと奮起して平民に混ざって働いてくれますよ」と言ってやれば、気の強そうな男爵夫人が鬼気迫る形相で睨みつけていたので、貴族の矜持とやらが邪魔して本人には何も言えないままだろう。


あの愚者は確実に母親の血をひいているのだと思ったが、アシュリー側としては黙っているなら好都合だ。




そうして一年後、近くのホテルにある部屋を借りて書類を交わそうと集まり、中身を確認しないままにバックリース男爵令息が書いた署名を見て、そういえばオリバーという名前だったことを思い出した。


書類に不備がないことを確認した弁護士の言葉を聞くや否や、契約した通りに愛する人と暮らす小さな家へと向かう彼を見送らず、立ち会ってくれた弁護士や商会の使用人達と屋敷へと戻る。


あの男に用意してやった家は、小さいとはいえ居間も厨房だけではなく書斎や個別の寝室もある。平民であっても中流以上でないと手に入らない家だ。


通いの使用人と料理人を五人、小銭欲しさに家具を売り飛ばさしたりしないか、定期的に確認する管理人を一人用意した。


家の維持費用は管理人に渡しているので、あれの手元には決められた金だけが渡される。


当初、渡された金額に不満そうではあったが、契約を破棄してもいいのだと管理人が言えば、不貞腐れた顔を隠そうともせずに渋々と従ったと報告を受けている。


商会には立ち入りを禁止しているから、これで婚約者だった男を見ることは一切ない。


全ての準備が完了したと、アシュリーはニッコリ嗤った。

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