四を捻っていた

四谷

第1話

 少し優しい雨の日だった。

 教室の掃除を終え、帰りの挨拶を済まし、先生に少し頭を下げてから教室を出ると、急な腹痛が迫ってきた。少し早歩きでトイレに向かい、個室に入って用を足した。

 手を洗った後にふと、まだ帰りたくないなという自分の意思を感じ、もう一度個室に閉じこもる。


 しばらく個室内でスマホをいじっていた。部活動に入っている生徒が時々近くなるので、少しだけ怖かった。この学校でスマホの持ち込みは禁止だからだ。


 16時30分。そろそろ帰ろうかとスマホを制服の隠しポケットにしまい、個室を出た。珍しい事に今一階には誰も居ないようだ。

 ひとりぼっちが好きな僕は少しだけ気分が良くなり、ゆっくりと歩き出すと、自分の教室を覗いてみる。


 …誰かが居る。電気が消されているので顔は見えないが、シルエットからして恐らく女子だろう。

 誰かも分からない人に話しかける勇気は無いのでそのまま素通りしようとすると、その女子はゆっくりと振り返りこちらを見てきた。


「…帰らないの」


 自分を認識されたのなら流石に無視するわけにもいかない。

 適当に声を掛けてみると、女子はゆっくりとこちらに近付いてくる。


四谷よつやくんだ」


 何故僕の名前を知っているのだろうか。確かに僕は四谷だが、僕は彼女の事を知らない。

 かなり近付いてきたので顔ははっきりと見えているが、やっぱり知らない顔だ。


「…ごめん、誰?」


「あはは、クラスメイトなのに」


 噓だろ。マジで分からん。


「…えっと」


 女子は僕の目をじっと見つめて、再び笑い出す。そのまま10秒くらい経つと、彼女はゆっくりと顔を近付けてきながら言った。


「私は周防彩音すおうあやね。覚えてくれると嬉しいな」


「彩音…ね、覚えたよ。」


 僕がそう言うと、彩音は大きく目を見開いた。驚いたような表情をして固まった彼女の顔の前で手を振ると、またも笑い出す。


「あははっ、君って面白いね」


「な、なんで?」


「ほぼ初対面の異性をなんの躊躇いも無く名前呼びするところとか」


 もしかして初対面の女子に名前呼びはNGなのだろうか。

 女子と話すことが殆ど無いからそういうルールがあることを知らなかった。


「失礼だったかな」


「いや、全然。むしろ嬉しい」


 いや嬉しいんかい。そういえば漫画とか小説では基本ヒロインを苗字で呼んでるような。


「まぁ、なら良いんだけど」


 僕は少し安堵した。そしてふと時計を見ると、もうすぐ5時になるところだった。窓から映る外は既に薄暗く、歩きで帰るには少し危ないような視界だろう。


「そろそろ帰るけど、彩音は電車?」


「私は電車じゃないよ」


 …ううん、何か嚙み合っていない気がする。


「えっと、彩音は電車で帰るの?」


「いや、歩きだよ」


「そうなんだ。じゃあ一緒に帰らない?」


 彩音はまた目を大きく見開いた。…もしかして、僕が彩音に好意を持っていると勘違いしているのだろうか。


「四谷くんって家はどこらへん?」


「うーん、東谷の端にあるファミマの近く」


「あ、近所かも。一緒に帰ろっか」


 良かった。この時間帯に一人で帰すのは危ないから。彩音は近くの机で荷物をまとめると、鞄を背中に背負ってから僕の隣に並んだ。


「ねぇ」


「どうしたの」


「四谷くんの話を聞かせてよ」


 いきなりのことだったので少し驚く。別にこちらに断る理由は無いが、僕の話なんて聞いて何になるんだろうか。不快にさせてしまうかもしれないし。


「なぜ?」


 そう聞くと、彩音は少し顔を赤らめて僕から目を逸らした。いやなんでよ。こっちまで恥ずかしくなってしまう。

 彩音と僕はしばらく固まっていた。先に口を開いたのは彩音だった。


「私、小説を書いてるんだ」


 小説か。趣味なのか本気なのかは分からないが、別に恥ずかしがる事でも無いだろうと思う。そういえば、僕も2年前くらいに書いてたな…いや、普通に黒歴史だった、かなり恥ずかしい。


「そうなんだ。どんなジャンル?」


「恋愛物とか、かな。」


 恋愛か。現実では経験したことも無いが、僕が好むジャンルだ。少し興味深い。


「…僕の小説を書くつもりなの?」


「違うよ、他の人の人生とか、考え方とかが分からないから、知りたいの」


 なるほど。でもそれを聞く相手が僕なのは多分間違っていると思う。

 玄関に置いてある傘を取り、外に出る。振り返ると、傘置き場で固まっている彩音が居たので声を掛けた。


「彩音?」


「…傘、忘れちゃった」


 まじか。


「僕の傘使う?」


「一緒に帰るんだから一緒に使おうよ。入っていい?」


「良いけど…」


 良いけどさ、それって相合傘じゃないかな。思春期の男子にはちょっとハードじゃないですかね。てか普通に恥ずかしい。


「初対面の人と相合傘をする事になるとは思わなかった」


「言っちゃうんだね…まぁ、気にすることはないけどさ」


「彩音は変な気起こさないでしょ?」


 それ、私のセリフだから…と小声で呟いた彩音を置いて外に出ると、傘を広げる。

 彩音は特に躊躇することなく僕の隣に入ってきた。


「狭い」


「濡れる?」


「大丈夫、濡れない」


 当然だ。何故なら僕の肩が濡れ濡れだからね。


「…四谷くんが濡れてる」


「彩音を濡らすわけにはいかない」


「もうちょいくっつきなよ」


 正直、僕は人と接触するのが嫌いだ。他人も自分も大嫌いで、いつも僕の方から避けてしまう程には。

 でも、今くっついてる彩音に対しては嫌な気持ちを感じない。少し気恥ずかしい気持ちはあるけど、別に嫌じゃなかった。


「…僕の話を聞く?」


「お願い」


「正直、僕は人と接触するのが嫌いなんだよね…」


 僕はさっき思ったことをそのまま彩音に伝えることにした。僕の視点では、このシーンはとても印象に残る物だったから。


「…私のこと好きなの?」


「何でそうなるの?」


 彩音は良く分からない返事を返してきた。返事を返すって頭痛が痛いみたいだなぁと思ったのでそれも彩音に伝えてみた。


「どうでも良いことばかり考えてるんだね」


「後数ヶ月後には受験もあるのにね」


「私と一緒に〇〇高校に行こうよ」


「無理だよ。僕評価悪いし」


 自慢じゃないが、2年生の時の通知表は全ての評価が1だった。授業中に居眠りをしたり、危ない事故を起こしてしばらく学校に行けてなかったせいだろう。


「そういえば、君って問題児だったよね」


「問題児じゃないんだよ」


 こんな事を言うと僕が差別してるみたいで嫌なんだけど、僕は特別学級に行くべきなのだと思う。

 どう考えても僕は普通じゃない。だからといって特別な訳でも無いが、普通の輪にいるのに少しばかりきついと思ってしまう。


 親は僕に「普通になれ」と言うが、普通なんて今存在している人々の数だけ存在している物なのだろう、と僕は思う。


「普通なんて大嫌いだ」


「でも、羨ましいんでしょ」


 そうだ。と僕は言えなかった。

 多分羨ましいんだけど、僕は僕が思っていることや考えていることを充分に把握できていないのだ。

 少し前まで考えていたことを今は忘れている、なんてことも時々ある。周防彩音。さっき聞いた名前を今忘れそうになっている。


「僕、もう彩音の事を忘れてしまいそうだ」


「不快にさせたならごめん」


「違う、僕の記憶力がクソだって話」


 僕は認知症なのかもしれない。

 漫画や小説の登場人物の名前も覚えられる気がしないから。


「君のお陰で新しい考え方を手に入れたよ。普通は人の数だけ存在するってさ」


「それなら良かったよ。ならもう僕は用済みかな」


「…いや、まだ小説を書いていないし、見せる友達も居ないから」


「じゃあ、見せてほしい」


「うん、だからさ…」


 彩音は少し顔を赤くして、僕の事をじっと見つめた。そして一度目を逸らした後、ゆっくりと口を開いた。


はるくんが、私の友達になってくれたら、嬉しいなって思う」


「…じゃあ、なろっか」


 四谷遥、中学3年生にて初めての女友達が出来ました。

 これで僕が彩音の事を忘れてしまう可能性は低くなっただろうし。


「ありがとう。これからよろしくね?遥くん」


「あぁ、これからよろしく。んで、彩音の家ってどこなの?まだ先?」


「もうすぐ。ここを左に曲がって…」


 …ん?


「そして、コンビニをスルーして右に曲がります」


「…ちょっとまって」


「ここの細い道に入ってすぐ左に行くと…」


「…僕の家、だね」

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