探偵四方山話

柏木 維音

スマホと財布

 私は横浜で探偵をやっている。神奈川区の八角橋にある小さな事務所で、所長である私と助手の2人だけで慎ましく活動中だ。繁盛しているわけではないが、助手にきちんと給料を払ったうえで、自分は生きていけるくらいの稼ぎはあった。まあ、結構ギリギリではあるけれど。


 ある日、そんな我が探偵事務所に1件の依頼が舞い込んできた。

 近所の商店街に住んでいるお得意様のおばあさんから紹介されたもので、依頼主は箱根湯本の温泉街にある旅館を経営している女将さん。なんでも、お得意さんと女将さんは学生時代からの友人との事だった。


 依頼内容は、最近温泉街ではスリや置き引き事件が多発していたのだが、犯人は複数人による巧みなチームワークで警察の手を逃れ続けている。なので、その犯人グループ逮捕の為に何か手掛かりになるような物が無いか調べてくれないだろうか……というのものだった。

 そんなわけで翌日、私たちは箱根を目指すことになる。




 ※※※




 横浜駅を出発した電車に揺られつつ、私は快適な読書タイムを満喫していた。その途中、隣に座っている助手のミーコは何をしているのかと思い目をやってみると、彼女はご機嫌な様子で旅行情報誌を眺めていた。調査は何日か続きそうなので依頼主の女将さんが自分の宿に部屋を用意してくれているのだけど、「他の宿の温泉にも入るんだ!」と、ミーコが意気込んでいたのを私は思い出す。


「温泉もいいけど、仕事だという事を忘れないでくれよ」

「え? やだなー大丈夫ですよぉ! 私にもそれくらいの分別はありますって」

「本当かい? 私はどうにも不安なんだがね」

「えーどうしてですかー」

「それだよ」


 私はぎっちりと荷物が詰まった自分のボストンバッグを確かめた後、ミーコの横に置かれている薄っぺらいトートバッグを指さした。


「このバッグがどうかしました?」

「ずいぶんと軽装の様だけど、キミ、着替えは持って来てないのかい? 調査は何日か続くって伝えたはずだけど」

「はい、持って来てませんよ。だって、温泉街に滞在中は浴衣で過ごせばいいじゃないですか! あ、下着は何組か持って来てますけどね」

「ということは、浴衣で仕事をするつもり?」

「そうですよ。その方が周りに馴染むことが出来るじゃないですか」

「犯人を追走したり、直接対決する可能性があるとは思わなかったのかい? そういった非常時に浴衣じゃ、なにかと苦労するだろう」

「思いません。刑事ドラマや探偵小説じゃあないんですよ? 私たちの仕事はこっそりと行う地味な調査。自ら『探偵です』なんて言いふらさないかぎりバレっこありませんって。なのでー、犯人と直接関わる事なんてありません!」

「……いやまあ」

「先生の荷物が大げさなんですよぉ。今時これぐらいの軽装旅行珍しくないかと」

「そ、そうなのか?」

「そうですよ。最悪、スマホと財布さえあれば大抵のことは出来ちゃうし。私の友達なんてー、この前スマホと財布だけで北海道旅行に行っちゃったんですよ!」

「なるほど…………いや、違う。私たちは探偵の仕事に行くのであって、旅行に行くんじゃないんだぞ! ああ危ない、危うく騙されるところだった」

「ええー、でもそれって、何か違いがあります?」

「は?」

「だって、写真や動画を撮ったり、調査内容を記録するのなんて全部スマホで出来るじゃないですかぁ。調査も旅行と一緒で、スマホと財布さえあれば大抵の事が出来ちゃいますよね?」


 ……そんな事は言われなくてもわかっているつもりだ。昨今のスマートフォンの性能は一昔前のパソコンよりも数倍上である。そんな物が手のひらサイズで扱えるなんて、便利に決まっている。しかし私には思うことがあるのだ。


 往年の名作ミステリ小説の影響を受け探偵になった私の『探偵像』は少々古い。昔ながらの喫茶店でモーニングセットを食べつつ使い古した手帳を眺めてあれやこれやと推理をしたり、カメラとトランシーバーを駆使して張り込みを行ったり、現像した写真を事務所の机いっぱいにならべ、容疑者のアリバイを崩す手掛かりを見つけたりするのが私の中の探偵の姿なのだ。それが今だと、それらの行動は全てスマホがスマートにやってのけてしまう。それは何て言うか、物足りないと言うかハードボイルドさに欠けてしまわないだろうか?


 『現実の探偵』と『小説の探偵』は別物だという事くらいわかっている。しかし、『小説の探偵』は私の絶対的な憧れだ。どうしたって小説の探偵のような言動を意識してしまうし、小説の様に事件を解決してみたいと思ってしまうのだ。



「……先生? どうしました?」

「ああ、いや、なんでもない。確かにキミの言うとおりだ。今の時代、スマホと財布さえあれば大抵の事は出来てしまうんだな」

「ですよね? だから私、この前ふと思ったことがあるんです」

「なんだい?」

「逆に、スマホと財布で出来ない事って何があるのかな? って」

「ほう、なるほど。中々面白い事を思いついたじゃないか。結構ありそうな気がするけど、ぱっと思いついたのは…………殺人とか?」


 私は手に持った小説のページをパラパラとめくりつつそう言った。なんらかのトリックにスマホを利用するという話はありがちだけど、『スマホが凶器』という殺人事件の話は今の所見た事が無い。もちろん、財布についても同様だ。

 そんな考えを巡らせていると、ふと、ミーコからの返答が無い事に気が付く。何かあったのかと顔をあげてみると、彼女は怪訝な表情をこちらに向けていた。


「なんだ、お腹でも痛いのか? それとも眠たいのかい?」

「違います、引いてるんです。ドン引きですよ! なんでぱっと思いついたのが殺人なんですか!」

「い、いや、仕方ないじゃないか。さっきまで推理小説を読んでいたんだから……私だってねぇ、いくらミステリが好きだと言っても年がら年中殺人事件の事を考えている訳じゃないんだよ」

「まあいいです……で、話を戻しますけど。先生はスマホと財布では、人を殺すことは出来ないと考えるんですね?」

「うん。まあ、出来ないことは無いんだろうけど」

「というと?」

「例えばそうだね……建設中のビルで、数センチ程のボルトが数十メートルの高さから落ちて来て、ヘルメットをしていなかった人の頭に当たって死んでしまったという事例がある。それと同様に、スマホ、もしくは硬貨をいっぱい入れた財布を落とせば人を殺せるかもしれないね」

「えー、それってなんていうか、スマホや財布である必要は無いような……」

「だから言ったろ? って」

「他に何か方法はないんですか?」

「そうだねぇ、スマホで何度も頭を殴打すれば……先にスマホが壊れるか。いや、いっそのことわざと壊して、その破片で刺殺を。財布、財布……財布に毒を塗って……いや、それだと凶器は『毒』だな。硬貨はどうだ? 大量の硬貨を無理矢理飲み込ませて窒息させるっていう手があるな。あとはそうだな……五百円硬貨を砥石で研いで、それで頸動脈を掻っ切れば…………ダメだ。結局、財布じゃなくて『硬貨』が凶器になってしまうのか」

「あ、あの、先生。もうわかりました」

「な? どれもこれも別の手段を選んだ方が圧倒的に楽だ。それこそ、どこかの店で果物ナイフを買うだけでいい。でもそれは『スマホと財布』が直接的な殺人の手段ではないわけで」

「つまり、『スマホと財布』では人は殺せないという結論に行きつくんですね……あ、そういえば。結構前にスマホと殺人事件が関係する作品が話題になりましたよね? ええと、『スマホを落としたばっかりに』でしたっけ?」

「『スマホを落としただけなのに』だな。彼氏がスマホを落とした事がきっかけで凶悪事件に巻き込まれてしまうという……あれもスマホは重要なキーワードになっているが、直接的な『凶器』では無いな」

「凶器ではないですけど怖いですよねぇ、スマホを落としちゃうのって。免許証やキャッシュカード入りの財布を落とすのも怖いですけど」

「確かに。スマホの場合、自分だけでなく知人にまで被害が及ぶ可能性があるからな。凶器そのものではないけれど、ある意味凶器以上の怖さを持っているわけだ……と、そろそろ小田原に着くね。ここで一度乗り換えだ」



 乗っていた電車を降りホームを移動していると私の電話が鳴った。相手は、依頼主である女将さんからだった。今小田原だからもうすぐ着きますと言おうとした所、女将さんは申し訳なさそうに事件は解決した事を伝えて来た。


「えっ、終わっちゃったんですかぁ!?」

「ああ……昨日来た若い刑事がたてた作戦が見事に成功したと言っていた」

「どんな作戦だったんですか?」

「高価なブランド財布や最新のスマホに発信機を仕込んで、それらを盗ませた後奴らのアジトを特定したんだってさ。今まで現金以外の物はすぐに捨てられていたけど、金になりそうな物は捨てられないだろうという狙いだったんだね」

「でもそういうのは換金したら足が付くんじゃ」

「普通の換金ショップではなく、闇ルートとか知り合いに直接売りつけるつもりだったんじゃないか?」

「なるほどです。でも何て言うか、タイムリーな話ですねぇ。『スマホと財布』で事件が解決だなんて」

「全くだ。凶器にはならないけれど、事件を解決することは出来るんだな」


 正しく現代風のスマートすぎる解決方法に少々不満を抱き、ぶっきらぼうに私は言う。その後は一応宿に行って挨拶をした。何もしていないので報酬はもちろんゼロなのだが、女将さんは折角来たのだから温泉に入っていって下さいと言ってくれた。

 

 折角探偵らしい活動を出来ると思っていたのに、ただの小旅行になってしまった。

 露天風呂に浸かりつつ、私はそんな風に思ったのだった。

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