侯爵令嬢のプライドは、JKになっても揺らがない
長月遥
第1話 見知らぬ世界に転移いたしました?
少女がまず知覚したのは、鼻腔を刺激する嗅ぎ慣れない匂いだった。
「――?」
それから自然に、瞼が持ち上がる。
途端に目に入ったのは、白い天井。自分が寝ていたことは何となく理解して、左右の空間が異様に広いことに違和感を覚える。
(どうして天蓋が取り払われているの? それにここは一体どこ? わたくしのお部屋の天井は、こんな殺風景ではないわ)
「――あっ。
「!?」
知らない声に名前を呼ばれ、少女は眉をひそめた。
(侯爵令嬢たるこのわたくし、リリティアを愛称で呼び捨てるなど、一体どなた?)
馴れ馴れしい無礼を叱責しようとして、思い留まる。
知らない声ではない、と体が意識に反発してきたのだ。
どうやら側に置いてある椅子に腰かけていたらしき人物が、立ち上がってリリティアを覗き込んでくる。
黒髪黒目の、二十歳前後の男性だ。顔立ちはそこそこ整っているが、己を磨くのに無頓着なのか、いまいち活かし切れておらず、微妙に垢抜けない。
(知らない方だわ。けれど、知っている。この方は
目覚めた瞬間、一気に思い出す。いや、その感覚を表現するのに『思い出す』が適切なのかどうか、リリティアにも分からなかった。
だがそうとしか言いようがない。リリティアの意識にはない知識にも関わらず、体から、脳から、考えた瞬間に自然に込み上がってくるのだから。
「大丈夫か? 自分が分かるか?」
実際、緋々希がリリティアを見詰める瞳に悪感情はない。あるのはただ、純粋な心配。
「……ええ。一応、分かりますわ。お兄様」
奇妙な感覚だった。リリティアにとって緋々希は勿論兄などではない。だがなぜか、自分が『宮藤璃々』であることも自然なように感じられてしまう。
「……はい?」
拭いきれない違和感に、小さく首を振りつつ言ったリリティアに、緋々希は不可思議なものを見たか聞いたかしたような声を上げる。
「わたくしは宮藤璃々。十五歳。ええと、それで――……ここは、病院?」
璃々の知識の中にあるその場所の名前を、自信なさげに引っ張り出す。
「そう。覚えてないか? 道路に飛び出した猫を助けに入って、トラックにはねられたんだ」
(そう、そうでしたわ!)
最後の記憶が脳裏を巡って、リリティアは唖然とした。
(何て愚かなの、宮藤璃々! 己の身を護る算段すらなく、他の何者かを救おうなど、片腹痛い!)
リリティアの常識からすれば、この世で最も大切なのは自分自身の身であった。それを投げ打つ真似をした璃々の行動が、まったくの理解不能だ。
その瞬間、リリティアもまた思い出した。
(わたくし、何者かに階段から突き落とされたのでしたわ……!)
そして目覚めたらなぜか宮藤璃々の体に入っていた。
考えてみると眠っている間、どこか暗い場所で自分の隣をすれ違っていく存在を感じ取っていた気もする。
(もしやあの子が、宮藤璃々? では今頃は、彼女がわたくしの体に入っているのでは……?)
「幸い、奇跡的に軽傷でさ。体の怪我は大したことないんだけど、打ちどころが悪かったのか一晩昏睡状態で。心配したんだからな」
「……そうでしたのね」
目上の人間に心配をかけたとなれば、リリティアの常識の中でも謝罪をするべきだった。
しかし肝心の内容が自分の咎ではないので、謝るのは理不尽だと心が訴えてくる。
結果、リリティアは事実を確認した相槌だけを討つ。
無礼だと怒られるかと思ったが、緋々希は特に気にした様子を見せなかった。
「本当、大変だったんだからな? 赤信号なのに飛び出すから、危うく道交法違反で裁判だ。まあお前も軽症だったし、トラックの方もそんな傷付かなかったみたいで。猫の飼い主さんが間に入って、示談で纏めてくれたんだけど」
「……ええと」
緋々希の言葉の内容が、リリティアにはすぐには理解ができない。
(専門用語が多すぎてよ、お兄様!)
とはいえ幸い、璃々はその知識を持っているようだ。一つ一つを拾い上げてじっくり考えていくと、どういう意味の単語であるかが思い浮かぶ。
「猫の飼い主さん、多忙な人っぽくてさ。お前が起きるのしばらく待ってたんだけど、ついさっき帰ったんだ。後日、お前が目覚めたら改めてお礼に伺うってさ」
「分かりましたわ」
(わたくしが謝罪をするよりは、よいですわね)
同じく自分の行いが返ってきたわけではないので、あまり興味はないが。
「ところで、璃々。何でいきなりお嬢様キャラ? ブームなのか?」
「何かおかしくて?」
「いやおかしいだろ。……や、法で違反になってるわけでもなし、広義ではおかしくないけど、お前そんな喋り方しなかっただろ」
緋々希は正しい。リリティアの記憶の中でも、璃々の口調は違っていた。
真似ることはできるだろう。しかしリリティアはそれを選ばない。
「そうでしたかしら。お兄様の記憶違いではなくて」
「どれだけダイナミックな記憶違いだよ!?」
緋々希は当然妹の言い分に納得しなかったが、リリティアは譲る気にならず、ツンとそっぽを向く。
「お兄様こそ、物言いに品がなくてよ。わたくしのお兄様なのだから、しっかりしていただかなくては困ります」
「どういう心境の変化だ……? JKかJCで流行ってんのか? ……まあいいや」
はあ、と諸々のことを諦めた息をついてから、緋々希はそっぽを向いたままのリリティアの頭を撫でる。
「きゃっ」
「お嬢様芸もいいけど、拗ねたときそっぽ向くクセは止めとけよ。お上品に取り繕っても、子どもっぽさで台無しだぞ?」
「な、な、なんですって!? 台無し!? 子どもっぽい!?」
自らの高貴な振る舞いに自信を持っていたリリティアは、苦笑しながらの緋々希の言葉に愕然とした。
悪意や、重箱の隅を突くための嫌味ではない。純粋に彼が感じたままの感想だ。
『仕方がない奴』とばかりに生温く――しかしこちらを尊重して見守ってくれている眼差しが、そう告げている。
「改善いたしますわ。お兄様、気が付いたことがありましたら、今後もご指摘くださいませ」
「お、おぉ……。だがどうした。随分前のめりだな」
「わたくしは侯――ではなく、宮藤家の娘です。誰がどこから見ても恥ずかしくない、完璧な淑女であるのは義務ですわ」
「そこまでか!? 確かにウチは若干礼儀作法に厳しい老舗和菓子屋だけど。礼節さえきっちりしとけば別に……」
「甘い! 甘すぎですわ、お兄様!」
腕を真横に振り抜いて、緋々希の意見をバッサリ否定する。
「自らの装い、立ち居振る舞いとは、武器であり盾なのです。己の武器を磨かず腐らせるようでは、とても社交――社会という戦場で生き残れませんわ」
途中でこちらの世界でも通じる言葉に置き換えつつ、そう主張した。
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