私、こういう者です

瀬古悠太

私、こういう者です

 ワアアア――!

 眩いばかりの歓声が会場を満たす。

 ステージを中心に花弁のように円形に広がる座席は、一段下がるごとに縮小した作りとなっている。各座席は観客たちでひしめき合い、ステージに期待と羨望の眼差しを向けていた。

 広々としたステージには二人の男性が対峙していた。

 一人は中肉中背で上半身は少しばかり筋肉質な体格をしている。彼の名は礼堂正れいどうただし。品格の漂うスーツに身を包み、純白のシャツにはシワひとつない。髪は整髪料で引き締められ、見事な七三分けとなっている。

 医療機器メーカーの営業を勤める礼堂の堂々とした直立の姿勢と厳かな顔つきからは、礼儀正しさが溢れ出していた。

 一方、対面の男性はスラリとした長身で鮮やかなカラーシャツとタイ、モダンなカットのスーツを着こなしている。洗練されたスタイリングでその風貌からは圧倒的な自信を感じさせる。

 この男は楠木連くすのきれん。大学時代、フレキシブル液晶パネルに立体ホログラフを投影する技術を研究し、立ち上げたベンチャーをわずか数年で急成長させた新進気鋭の社長兼エンジニアである。

 模範的な礼儀正しきサラリーマンと未来を見据えるベンチャー社長、全く性質の異なる二人はひとつの舞台に立ち、臆することなく互いを見据えている。

 張り詰めた空気が会場のボルテージを一層上げていた。


 個人情報が徹底的に管理化された社会。

 「マイタグ」と呼ばれる個人に紐づいたタグを登録することが義務化され、国民はマイタグを介して名前や所属する組織、団体を開示するようになった。

 隣人、レジの店員、通行人に至るまで携帯端末をかざせば、マイタグ情報を得ることができる。

 どちらさまでしょうか?と尋ねることはなくなり、名札をつける必要もなくなった。

 そして、名刺交換がこの世から失われた。


 人々は名刺を持つこと、作ることがなくなり、名刺という文化は完全に廃れてしまった。

 名刺印刷会社は軒並み廃業。ビジネスマナー講師は名刺交換を指導することを辞め、名刺はその必要性を見出せずビジネスの世界から抹消された。

 しかし、人々の記憶か名刺交換が消えることはなかった。

 ビジネスマナーの象徴として君臨していた名刺交換の儀。交換前のお辞儀から受け取り方に至るまで、徹底的に身体に叩き込まれてきたビジネスマンたちはその儀式を忘れられなかった。

 手書きの名刺を作った。同僚と名刺交換ごっこをした。名刺交換をする夢を見た。といった名刺交換の禁断症状とも言うべき現象がビジネスマンの間で確認され始めた。

 ビジネスマンたちの名刺交換への欲求が最大限に高まった頃、ひとりのサラリーマンがある提案をした。

「名刺交換をスポーツにしませんか?」

 この一言がスポーツ界を大きく揺るがす。

 あらゆるビジネスマンたち、遂には経団連会長がその提案を後押しするに至る。名刺交換はビジネスの世界からスポーツの世界へと一挙に進出することとなった。


 早速、名刺交換のルールが制定され、競技として確立した。

 ①挨拶→②お辞儀→③名刺差し出し→④名刺受け取り→⑤別れ

 この五つのフェーズを一連の流れとし、ビジネスマンは名刺を交換する。

 各フェーズにおける所作の美しさ、言葉遣い、気配りといった内容で審査員が点数をつける。最終的な総合点で勝敗が決まり、より素晴らしい名刺交換をしたビジネスマンが勝者となる。

 名刺の渡し方や形状にレギュレーションはなく、その自由度もまた人気があった。美しければよい、思わず名刺を交換したくなるような振る舞いが至高だと評価された。


 そして今、その名刺交換を極めた二人が雌雄を決する。

 審判員の合図により、埃ひとつないステージの上に突如、絨毯が敷き詰められ、丸いテーブルが配置される。その上には美味しそうな色とりどりの料理や飲み物が並んでいる。これらはホログラフであり、中央には「再生医療に関するシンポジウム後の懇親会」と題目が浮かんでいた。

「懇親会での名刺交換。しかも再生医療。これは初手が大事だな」

 楠木がひとりごちる。

 名刺交換におけるシチュエーションは完全なランダムであり、選手はその場で提示される題目に臨機応変に対応し名刺交換を交換しなければならない。

 お題は様々で会議室や展示会、なかには道端というのもある。

 その場で言い渡されるお題に対し、如何にスマートに対応できるかもこの競技の見所だ。

 最初に動いたのは楠木だった。爽やかな笑顔でツカツカと礼堂に歩み寄る。姿勢、歩幅は毅然としていて美しい。

「こんにちは。本日のセッションはいかがでしたか?」

 名刺交換においてファーストコンタクトは重要な意味を持つ。場を自前のフィールドに運びやすく、また審査員からの印象も良い。

 礼堂は先手を逃したことを惜しんだが、想定の範囲内だった。自身の構築した完璧な名刺交換プランは揺るがない。

 「ええ。最先端技術が持つ倫理課題の議論も盛んで、勉強になるセッションでした。ああ、申し遅れました。私、こういう者です」

 にこやかな営業スマイル、セッションの内容を深堀した回答で返す。そして礼堂は大胆にも勝負を仕掛ける。

 礼堂の体が折れ曲がり三十度の角度でぴたりと静止した。

 名刺交換における最初の決め手となる、お辞儀である。

 名刺を差し出す前、このお辞儀が選手たちの動作の美しさを最も色濃く反映する。お辞儀の完成度が低ければ、その時点で決着がつく場合もあるほどだ。

 礼堂の踵は揃えられ、身体の前で重ねた両手は指先まで伸び、爪も礼寧に手入れされている。背中には一本の柱が埋まっているかと疑うほど、軸がぶれることのないお辞儀は、精密機械の如く正確な動作だった。

 熱狂に包まれていた会場が静寂に包まれる。

 観客たちは思わず礼堂のお辞儀の完成度の高さに息を呑んでいた。

 ――かつて礼堂のお辞儀を見た人は言った。空手の達人が見せる型のようだと。

 幾千、幾万回と同じ動作をひたすらに繰り返し続けることで、型は空手家の身体に宿ると言われる。

 完璧な三十度でお辞儀する礼堂の姿勢から修練の歴史を想像せずにはいられない。風の日も、雨の日も、どんな時でも決してお辞儀を怠らなかった礼堂の姿が脳裏に映る。

 楠木は礼堂のお辞儀が他のビジネスマンたちとは別次元のレベルに到達していることを感じ、内心狼狽えた。

 だがペースを乱すわけにはいかないのは楠木も同じだ。

 礼堂とは打って変わって楠木のお辞儀は流麗だった。甘いマスクと合わさり、楠木のお辞儀はある種、蠱惑的なまでに昇華されていた。

 名刺交換を極める者だけが到達できる境地に観客はただ見惚れることしかできなかった。

 礼堂が顔を上げると既にその手に名刺が添えられている。差し出す美しさも非の打ちどころはない。

 「私、医療機器の営業を担当しております、礼ど……」

 突然の出来事に礼堂は言葉を詰まらせる。

 なんと楠木が胸の高さにまで両手を上げ、名刺を差し出している。

 名刺交換において相手が名刺を差し出そうとしている時にタイミングを重ねてくるなどご法度である。楠木がそれを知らないはずもなく、礼堂は目の前の現実を受け入れずにいた。

 ふと、礼堂は楠木の名刺の上空に何かが漂っていることに気付いた。

 目を凝らしてよく見てみるとそれは立体ホログラフである。「楠木連」という文字が名刺から浮かび上がりクルクルと回転している。

 楠木の名刺はフレキシブル液晶パネルで作られていた。

 そう、最新技術の粋を集約させた自社製名刺こそが楠木の最大の武器であり、楠木が礼堂を遮ってまでも名刺を差し出したのはこのためだった。

 礼堂はメーカーに勤務する一人の社員として卓越した技術に釘付けになっていた。

 この名刺を交換したい、努力と知恵の結晶であるこの名刺を早く受け取りたいという欲求を抑えることができなかった。

 おずおずと楠木の名刺を受け取る。

 「ちょ、頂戴いたします」

 もはや先ほどまでの正確無比な礼堂の姿はなかった。楠木の奇策、技術力の前に礼堂はすっかり乱されてしまった。

 「楠木連です。フレキシブル液晶パネルの技術に興味がありましたらいつでもお声がけください」

 スマートな笑顔を礼堂に向けた瞬間、楠木も観客も勝敗は決まったと思った。

 ――楠木が礼堂の名刺を受け取るまでは。

 名刺を見つめながらポロポロと涙をこぼす楠木の姿がそこにあった。

 とめどなく溢れる透明な雫は楠木の頬を伝い、ステージを濡らしていく。

 楠木は名刺の裏側を撫でながら、肩を震わせて問う。

 「これは……点字ですね?」

 礼堂は無言で頷く。

 礼堂の名刺の裏には表面と同じ内容が点字で記されていた。医療機器の営業をするなかで、目の不自由な人に出会った時、少しでも自分のことを覚えてもらえるように、と考えた礼堂のアイデアだった。

 「私の妹は生まれつき目が不自由なんです。液晶技術の研究も元々は妹の目をどうにかしてあげたいと思って始めたことでした」

 楠木は涙で濡らした笑顔を向け、礼堂に言った。

 「礼堂さん、ですよね。あなたは優しい方ですね。頂戴いたします」

 お互いが名刺を受け取り、名刺交換終了の合図と観客による喝采の拍手で試合は幕を閉じた。

 判定は楠木の勝利となった。前半、礼堂が優勢だったものの後半に楠木が巻き返した結果だった。

 だが楠木は礼堂に勝ったとは思わなかった。自分は自社の技術を見せびらかしたに過ぎない。真の礼儀正しさ、誠実さをもって名刺交換をした彼こそが勝者だと心の中で称えた。


 今日もまた、どこかで名刺交換が行われている。

 「私、こういう者です――」

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私、こういう者です 瀬古悠太 @barista_cof_book

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